いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

バッハ ステージ演奏

2018-06-16 | ピアノ、音楽

 先日、ステージでバッハのフランス組曲から2曲演奏した。今まで私が出演した本番の中では演奏時間が最も短かったが、奥深く密度の濃い音楽で、ごまかしがきかなそうだった。短いからこそちゃんと弾けて当たり前という気もしてきてどきどき状態だった。

 前の方たち、心を込めて演奏されている。ピアノ歴には関係なく、自発的に練習しこのステージに立とうという気概が感じられる。ピアノ仲間の演奏、みずみずしい音色で丁寧に演奏されていて心洗われる。時間制限がなければいいのにね、と思ったりも。 さて私の番、暗譜で弾く本番の前に最も不安なのが暗譜落ちと停止。思ったような演奏はできなくても、せめてそれさえなければ合格点かなと思いながらステージに向かう。

 出だし、うん、なんとかまともなすべりだし。でもやっぱり非日常の浮つく感じがぬぐえない。トリル一部ごまかしちゃった。そしてががたがたも。ペダル、濁らなかったか心配。そう思いつつも1曲目弾き通した。2曲目、これこそ超有名曲でだれもが弾けるだろうと思われている曲なのだけど大人になってこの曲に初めて取り組んだ私にとっては難しい曲だった。後半の3小節目が鬼門、なんとかそこも乗り切れたかな。それにしても弾いているうちに体がふわふわと上がっていく感じはなんなのだろう。舞曲だから踊りに合わせて体も浮かせたくなっていたのかもしれないけれど、演奏するのだったら床やペダルに足をつけてしっかり支えないと音がちゃんと出ないのに。。。今後の課題だと思った。

 終了。暗譜落ちも停止もなかったけれど、思わぬところでミスをし、こうしたいと思う演奏から程遠い状態だった。反省のひととき。

 講評付きのステージだったので講評をいただいた。舞曲というものを把握する、フレーズを大きくとらえる、トリルを最後まで聴く、バランスに気を付ける、いわゆるスタッカートの扱い方など課題が。そして帰宅後こっそり録音した演奏を聴く。あれだけ拍を大切にして走らないようにしたいと思っていたのにしっかり走っていた。体の浮つきと音楽の浮つきと、比例していたかも。。。

 とがっかりしたのだけれど、学ぶことが多かった。この組曲、いつか全曲演奏したい。もちろんその前にしっかり練習しないといけないし、自分の実力も大いに棚に上げてはいるのだけれど、組曲でもソナタでも、全曲演奏ができる場が、あるといいなあ。

 


今晩のクラシック音楽館

2018-06-10 | ピアノ、音楽

 本日午後9時からEテレのクラシック音楽館はベートーヴェンのピアノ協奏曲と交響曲、ブロムシュテット指揮!そしてピアノは今年引退を宣言したマリア・ジョアン・ピレシュ!その時には見れない可能性が高いので録画予約〜

 聴いてみようかと思われた方は♪

http://www4.nhk.or.jp/ongakukan/

 ちなみに来週もブロムシュテットにヴァイオリンの郷古廉!こちらも予約だ♪


ロベルト・シューマンのお誕生日

2018-06-08 | ピアノ、音楽

 今から208年前の1810年6月8日21時30分、ドイツのツヴィッカウというところで、ロベルト・シューマンが生まれた。幼いころから和音の響きに心打たれ涙を流すなど音楽面での才能を表し自己流に作曲を始めていた彼だが、家族の意向からライプチヒ大学の法学部へと進む。ライプチヒでは法律の勉強よりも自室にこもりピアノの練習や作曲にふけっていた彼だが、そこで出かけていた音楽会で出会ったフリードリヒ・ヴィークの「テクニックは手段であって、目的ではない」という考え、奏法だけでなく音楽理論、和声学など音楽全般の教育を重視するあり方と、娘のクララ・ヴィークの演奏に感銘を受け、フリードリヒ・ヴィークに師事する。その後、指の故障でピアニストの道は断念したものの、作曲家として花開くことになる。特に、父のフリードリヒ・ヴィークによる反対を受けながらも貫いたクララ・ヴィークとの恋愛と結婚は、彼の曲作りに大きな影響を与えた。(『シューマン 愛と苦悩の生涯』若林健吉著 ふみくら書房 より)

 私がシューマンの音楽が好きになったきっかけの曲は幻想小曲集の「飛翔」だった。出だしから心の内をさらけだし告白しているような語り口、そしてひらりひらりと夢の世界に羽ばたいていく様子、これまでよく聴いてきていたショパン、ベートーヴェンの曲とは一味違っていてぞくりとした。幻想小曲集、クライスレリアナ、幻想曲、子供の情景、交響的練習曲、ウィーンの謝肉祭の道化、献呈などに夢中になっていた。クララとの恋愛中や結婚の時に作られた情熱的な曲ばかり。

 2年前の教室の発表会で幻想曲の第3楽章を弾いた。どうしても弾きたくて選んだ曲、録音を残していたのでこちらに。この曲に出逢えて心から良かったと思っている。

(すみません、この動画、ブログ画面からは直接は見れないようです。視聴されるのでしたらyoutubeに入っていただきご覧いただけたらと思います。お手数をおかけします。)

 かなしいかな、この幻想曲第3楽章、今は弾けなくなっている。でもこの第3楽章はゆっくりしているから、リバイバルしようと思ったらできるかも。それとともに、シューマンの曲、他にも弾きたい曲がある。弾ける日は、いつ、やってくるかしら。


戦争交響楽 読了

2018-06-05 | 読書

 中川右介著『戦争交響楽 音楽家たちの第二次世界大戦』朝日新聞出版

 第二次世界大戦、特にドイツのナチス政権に翻弄された音楽家たちがどのような行動をとりどのように生きていったかというのを追った話。ユダヤ系だったため身を守るために亡命したワルター、ナチスに心では反対しているのにも関わらず、政治に疎かったためにいつの間にかナチスの宣伝塔のようになっていたフルトヴェングラー、ナチスやファシズムと徹底して戦い明確な態度を取り続けたトスカニーニ、出世のためにナチスに入党したもののヒトラーに嫌われフルトヴェングラーにも疎まれながらも聴衆からの人気があったカラヤン、その他音楽家たちもドイツ陣営、非ドイツ陣営、どちらかの立場につかざるを得なかったか、もしくは、危機的な状況の中で、生きるために立ち回らなければならなかった。それにしてもあの強面そうなフルトヴェングラー、よくも悪くも不器用で人間くさくて近くにいたら魅力的だけどとても大変な人だというのが手に取るようにわかるというのがなんともいえず。。。

 ドイツ降伏が時間の問題となった1945年4月25日、連合国側は「国際機構に関する連合国会議」をサンフランシスコで開いた。ポーランドはロンドンにある亡命政権と国内にあるソ連が支援していた政権との二つの政府のどちらが正当な代表になるかもめていて代表を送ることができず、会場には国旗もなかった。そんなサンフランシスコで演奏会をすることになったポーランド出身のルービンシュタインは胸の動悸を抑えることができず、「よりよき世界の創造のために偉大な国々が集まったこのホールに、ポーランドの旗がありません。この国のために残酷な闘いがあったというのに」と言い、ポーランド国家をすさまじい音量で弾いたという。そして彼は生涯、ドイツでは演奏しなかったという。この話を読んでルービンシュタインがますます好きになった。

 信念を貫きながらもいかに危機を乗り越えて生きていくか、そして守るべきものを守って生きていくか、極限の立場に立たされた音楽家たちのたくましき生きざまが伝わってきて心打たれたとともに現代にもつながるものが感じられた。巨匠と言われる人々も人間くささに満ち溢れ、立場の違いや弱点に心の中で憤りを感じたり涙したりすることがありながらも音楽とともに生き抜いたのだというのが伝わってきた。良質なドキュメンタリー映画を見ているようだった。内容、確実に消化するために、もう一度、読み直したくなっている。(そして関連図書も読みたい)登場する音楽も聴きたい。ショスタコーヴィッチの交響曲第7番、次に聴くときは聴く姿勢が変わりそう。お粗末な感想しか書けていないのだが、この本を紹介してくださった方に深く感謝している。


塩味大好き人間の減塩

2018-06-04 | 日記

 前回の記事で減塩について書いた。実は私は大の濃い味塩味大好き人間、味噌と醤油はこの世の宝だと信じており、何をいただくにも醤油をかけたくなるところがあるし、一日最低一杯は味噌汁を飲まないとおれないところがある。いかの塩辛、佃煮、ネギ味噌、いしる、お漬物、そしてほたるいかの沖漬け(最高!)大好き。そして料理もしっかり味がついたもののほうがおいしいと信じてきたし今も本音はそうである。しかし主人の健康診断の結果を見て我々の今後の為にも私の好みの味付け中心でご飯を作ってばかりいてはよくないことが分かった。もちろん、たまにだったら、いいのだけど、毎日食べる食事においては気を付けられるところは気を付けたいと思った。

 しかし濃い味大好き人間が減塩というハードルのを乗り越えるのはあまり面白くない。そこで、できるだけ味覚を感じられる、ごまかしごまかしな方法で、乗り越えるにはどのようにしたらよいかと考えたくなり、このような記事を書いた次第。

 というわけで思いついたらまたこんな記事を書くかも。

 突然ブログを更新したかと思ったらこういう路線になっていた。原点であったはずのピアノや音楽関係の記事がご無沙汰になっているが、そちらもまた、書きたいと思っている。