ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

わたしの夢

2013-07-12 14:57:04 | ある日の日記

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私には、憧れの対象がいる。それは、映画スタアでも、作家でもない。それは、リサになること。リサって、わかる? ほら、この上でお風呂に船を浮かべて遊んでいる可愛い女の子。犬のような、うさぎのような、でもどちらでもない不思議な動物なのであります。「リサとガスパール」という絵本シリーズで、21世紀のはじめ、とてつもない人気者になったリサ。

その愛くるしい姿を見てほうっとためいきをつく私。リサとガスパールが住んでいるのは、パリの街なのだが、あの宝石箱のような都会が明るくポップな色遣いとともに、本の中に再現されていて、彼らがそこを行き来するのは、何とも言えない素敵さ(こんな表現、おかしいかもしれないけれども)

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私も、リサになって赤いマフラーを首に巻き、ガスパールという忠実な友達がいて、パリの街を自由自在に歩けたら、、どんなに素敵だろう? そこでのパリは現実のモダンな大都会でなく、赤や青や黄に塗られたファンタジックな街なのである。

これこそ、ファンタジックな夢!

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夏の午後

2013-07-12 14:31:42 | ある日の日記

毎日、暑い。酷暑とか厳暑とかいうけれど、人の思考力を奪ってしまうような暑さである。といっても、今の私はクーラーの部屋で涼んでいるのだけれど・・・。上のガーデンで暑さに耐えながら、午後を過ごしている愛犬(でも、樹木の天蓋がひろがり、風も吹くのだ)を思うと、暑いなんていうのさえ、おこがましいかもしれない。

それにしても、いつから、日本はこんなに暑くなったのだろう? 昔むかし、何十年か前までは暑いといいながら、クーラーなしで過ごせたし、暑さの質ももっと柔らかさがあったと思う。夏休みの晴れた午後、自転車でプールまで泳ぎに行っていたし、外出だって(もちろん、夏帽子をかぶってはいたけれど)自由にやっていた。ところが、今は違う。夏の午後、外の往来は静まり返っているし、たまに人の姿を見たと思っても、それは蜃気楼のように頼りない。まるで、本当に人など歩いていないんじゃないかというように、影が見えたと思えば消えている。

そう、季節に柔らかさがなくなっているのだ。暑い夏から、熟成の時である秋を経て冬の寒さへ・・・。でも、私たちにとって過ごしやすく、柔らかな感触が肌にまといつくような春と秋--その季節の日々が短くなっているのではないか。熱風が肌に吹き付けるような夏と、冷たい冬--その二つの季節がでんと居座っている。これは、よく言われるように排気ガスや多量の電気を使う私たちの生活様式に原因があるのかもしれないし、地球の都合のせいかもしれない(自然に四季があるように、温帯期や氷河期といった地球の四季もあるように思う)。

ただ、四季の移り変わりに柔らかさがなくなりということは、私たちから情緒を奪うということになるのではないか。じりじりと体を痛めつけるような高温の中では、夜祭りの金魚すくいを楽しんだり、盆踊りをしっとりと楽しむという余裕などなくなる。まして、日が暮れる頃、庭を見やりながら、夕涼みするなんてことは。

季節を思い切り楽しみ、味わうなんてことはこの上ない贅沢なことかもしれない。

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