ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

コクリコ坂から――マンガを読む

2016-12-28 20:48:30 | 本のレビュー

二日前ほど前、小包が届いたと思ったら、Yさんから送られてきた本でした。「えっ、またコクリコ坂?」と思わず、目をパチクリさせてしまったのですが、これは映画の脚本と映画の原作であるマンガ(ああ、回りくどい言い方ですみません)であるのだそう……いいのかなあ? こんなの頂いちゃって…。

早速、マンガの方を読んだのですが、映画と話がだいぶ違う。というか、正直、あんまり面白い少女マンガではないのであります。このマンガを書かれた高橋千鶴という方は、私が小学生だった頃読んだ記憶のあるマンガ家さんだったはずなのですが(読んだ作品の方は、全然覚えてないのだけど)、こんなに絵が汚かったかな?
映画では、主人公の海の家(昔は、明治時代から続く医院だった)に同居する下宿人の女性たちも、離れに住む海の祖母もうんとステキに描かれていたのに、このマンガでは何だかやたらバタバタしているのです。
それに、カルチエラタンという、とんでもなく魅力的な文化部の建物は、原作のマンガでは影だになく、問題となっているのは、「制服か私服か?」という学生運動もどきの紛争であります。 ひと昔前の少女マンガって、こんなだったの? ついていけないなあ。

海と風間君の「異母兄妹」の疑いと彼らの悩みは映画版そのまま、とはいえ、ストーリーがまるで生きていないのです。はっきりいって、少女マンガとしても失敗作。

そんな読後感を抱きながら、今度は脚本版の本を広げてみました。すると、宮崎駿さんも、原作は「不発に終わったもの」と評価されていました。それはわかるのだけれど、なんでそんな作品を映画化しようと思ったのかな? ストーリーも、大分というか、相当違っているしね。

しかし、宮崎氏の「企画のための覚書『コクリコ坂から』について」を読んだとたん、う~んと唸ってしまいました。やっぱり、宮崎駿さんって、天才ですね。この(あんまり面白くない)マンガから、原形だけ借りて、あれほどのイメージを膨らませた作品を創造するなんて……書かれた文章の堂々たる構成や、うまさにも感嘆。
これが「一流」のクリエーターの理解力・創造力というべきでありましょう。

P.S 実は脚本そのものを読むのは、これから。考えてみれば、小説でも解説でもない「脚本」を読むのなんて、初めてかも?
    

ベン・ハー

2016-12-28 20:09:34 | 映画のレビュー

映画「ベン・ハー」を観る。最初、観たのは中学生の頃のことで、それから二回くらいは観た記憶が…。
それでも、この二十年くらいはずっとご無沙汰だったはずであります。

この映画、何といっても主人公ベン・ハーが幼馴染にして後宿敵となったメッサーラと繰り広げる戦車競走のシーンが圧巻! 四頭の馬にひかせた戦車で、円形闘技場を死に物狂いの迫力で疾走してゆくのだが、ああ、恐るべき臨場感! ダイナミックさ!
広大な競技場は、どこか映画草創期のセシル・B・デミルの作品に登場するセットを思わせ、「これぞ、ハリウッド」と叫びたくなること、間違いなし。

それに、1959年製作の本作では、まだまだ特撮なんてあるはずはなく、この戦車シーンは、あくまでハリウッド技術のたまもの――映画史に残る名シーンとなったのは、当然というもの。

さて、ストーリーはあまりに有名作品だから、皆知っているはず、と思うのだけれど、もう60年近くも前の名画だから人々の記憶から薄れつつあるかも。そんな訳で、思いっきりはしょったあらすじ紹介をば、ここでいたします。

この作品の背景になっているのは、イエス・キリストの生誕とその処刑・復活という聖書物語。それを基盤として、ユダヤの王族につらなる貴族、ユダ・ベン・ハーの物語が語られていきます。エルサレムで、幼馴染のメッサーラと再会するものの、支配される者と支配する側という立場の違いから、友情に亀裂が入る二人。

そして、新総督のパレード中、ベン・ハーの屋敷の瓦が下に落ち、総督が重傷を負ったことから、ベン・ハー一家は「反逆者」として罪を問われることになります。ベン・ハーは、ガレー船の漕ぎ手として、母・妹は地下牢へ――これにも、メッサーラの策略があったのですね。
屈辱に耐え、ガレー船をこぎ続けるベン・ハー。ある日、船の司令官アリウスを助けたことから、彼の養子としてローマに凱旋することとなるのですが、そこで聞いたのは、母・妹はすでに死んでいるという悲報。

しかし、これは嘘で、らい病に侵された彼女たちは、牢から「死の谷」へ追われていたのでした。戦車競走の死闘で倒したメッサーラから、その事実を知るのですが、この「死の谷」の描写が凄い!
古代ローマの時代には、らい病患者たちは、本当にこんな生活をしていたのでしょうか?  谷の上から投げ落とされる野菜や食物を糧に、暗い洞窟の中で、うめきながら生きながらえているなんて……当時、未曾有の大作として作られただけあって、「ベン・ハー」の美術や衣装はいかにも、当時を再現したリアリティが感じられるもの。ハリウッド臭さがなきにしもあらず、とはいえ。 だから、事実はこうだったのでしょう。
壮大なエンターティメントとして、楽しめながら、歴史を味わうことのできる名作なのです。

キリストの復活と同時に、母と妹の病が癒えるというのも、美しい「奇跡」と感じられるはず――実をいうと、私はベン・ハーの名前が「ユダ」であり、キリストの物語とサブタイトルにあることからして、「これ、快男児チャールトン・ヘストンが主演とはいえ、このベン・ハーは後に、キリストを裏切るユダに変貌するという伏線なのでは?」と疑っていたのですが、全盛期のハリウッドがそんなひねった(意地悪い?)ことするはずもありませんでした