ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

帰らない日へ

2013-06-29 09:34:40 | 本のレビュー

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伊藤マリ子著「帰らない日へ」。これは、私の青春時代のバイブル的本だ。写真で見てもわかるように、すっかりぼろぼろになるまで、読み古されている。高校一年生の時、偶然書店で見つけたのだが、その時深く心を揺り動かされたことは、今も記憶に残っている。

 伊藤マリ子さんは、作家伊藤整の娘。若くして世を去り、残された文章がご家族の手により本となって刊行されたという。前半部分が、小学5、6年生の時の日記、後半が高校生の時書かれたエッセイからなっている。どちらかというと、プライベートな記録を思わせるのだが、ここに見られる研ぎ澄まされた感受性、早熟な知性は、比べるもののない凄さ。

 

作家の娘としても、「素晴らしい」と感嘆せずにはいられない文章力、豊かな才能(彼女は、絵画もよくした)は、当時多感な十代だった私に憧憬を感じさせたものだ。伊藤マリ子さんが高校二年生の時、亡くなった父親を追想して書いたエッセイなど、その知的で、意志の強い雰囲気は、「同じ高校生なのに・・・」とショックを与えられた。昭和二十年代後半に生まれた彼女が青春時代を過ごしたのは、1960年代後半の東京。当時は、東京のような都会でさえ、郷愁を誘われるようなのんびりした雰囲気がある(庄司薫の「赤ずきんちゃん 気をつけて」だって、そうだし)ように思う。

タイトルの「帰らない日へ」は、彼女の死後発見された、紙片の中の言葉だという。「帰らない日へ向けて、私は手紙を出す。如何にそれが長くとも、私はそれを果たさねばなrない。私の中のほの白かった輝きは、それは何ゆえであったのだろうか。さまざまな人が通り過ぎ終えた

今、私は再び怯え、再び望みそして再び力がない。・・・・いつかこの様な日、暑い夜に私は決意を置いた。色濃い本当の人生を歩きたいというのが、本当のところだった。その人生の拙く置いた覚悟の上を私はこれから歩いていく。  考え抜き煮詰めぬき、そして私は覚悟までの人生を終了するところだ。これが本当の私の傑作だった。不在証明の淡い激しさではなく、この人生が、私の凝縮した最良のものだ。それゆえ、怒ってはならない」--なんという透徹した魂の感じられる文章であろうか。

こんな風に生き、こんな風に魂の浮き彫りされたような文章を書く人は、若死にしても仕方がないかも・・・と思いながら、会えるものなら実際に、伊藤マリ子さんにお会いしてみたかったと思う。こんな深い余韻を残してくれた書物に、若い頃会えたことは幸運だったといっていいだろう。

ずうっと時がたって、私が三十代半ばにカリグラフィーを始めた時、カリグラフィーの魅力について書かれた推薦文を読んで、あっと思った。その推薦文を書いていたのは、伊藤礼氏。伊藤マリ子さんの兄である。世の中、どこかでつながっているのかもしれない。


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