数日前、TVの「ザ・プロファイラー」だったかで、作家アーネスト・ヘミングウェイを特集していたので観た。
司会の岡田准一やデザイナーの菊池氏などが、ヘミングウェイの生涯について、それぞれの意見を戦わせていたが、とても面白かった。
私も、ヘミングウェイという人にはとても興味があって、昔「インテレクチュアルズ」という歴史上の有名人物(サルトルだとか、トルストイなど)を痛烈に、、その実像を暴いた評伝を読んだことがあった。
だから、番組で紹介されていたヘミングウェイのエピソードも知っていることが多かったのだが、実を言うと、この文豪の作品を読んだことはほとんどない。
中学生の時、短編集と「陽はまた昇る」、「キリマンジャロの雪」を読んだ記憶はあるのだけど、その内容や感想ははっきり思い出せない有様なのである。
要するに、「好き」と言えるタイプの作家ではないのかもしれない。
けれど、その人生は素晴らしくスケールが大きく、波乱万丈で面白い! ヘンな話だけど、高校生の時やっていた通信添削の勉強で、英語の長文問題にヘミングウェイが何度も取り上げられていたことがあって、その記憶がくっきり残っている。
アメリカのジャーナリスト(多分)が、「パパ・ヘミングウェイ」の実像を明らかにしたノンフィクション作品だったのだろう、と今は推測しているのだけれど……。
そこで、記者が見るヘミングウェイの姿はすさまじい。アルコール漬けで、いかにも精神的に破綻している人物の人となりがちらほら。ノーベル賞受賞という世界的な栄誉も、彼に幸せを感じさせはしなかったことが、筆者の冷静な目ではっきり書かれている。
筆者が、パパ・ヘミングウェイの元を訪れて話を交わした後、このように言っている。「ヘミングウェイは、確かに二十世紀を代表する文豪であったが、自分が目標としていたトルストイやドストエフスキーには、及ばないことをよく知っていた……」
これが本当に悲しいことなのだけど、晩年のヘミングウェイには、「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」を書いた文豪の、あるいはそれまでの英語の文体を変えてしまったと言われる名文家の面影はなかった。のちのあらゆる作家たちの手本となった、ハードボイルド調の引き締まった文体は、長々としたセンテンスに変わり、作品を創造するエネルギーも残っていなかったとされる。
アフリカでの狩猟に魅せられ、戦争にも従軍したヘミングウェイ――何度も生まれては死ぬを繰り返したかのような、死の危険に身をさらすような生き様は、自分が老いを感じ始める年齢に達する頃には、燃えつきてしまったのかもしれない。
最近、ジャック・ロンドンの伝記「馬に乗った水夫」(アーヴィング・ストーン著。早川文庫)を読み返したのだが、彼もまたヘミングウェイと同じ系列に連なる作家だったことを実感。
だからこそ、占星術師の私生児として、極貧の境遇にありながら、あらゆる冒険や放浪に乗り出したのかもしれない。そして、その結実が、「白い牙」や「野生の呼び声」などの名作だった。
ロンドンもまた、早すぎる老いと共に、四十才で自殺している。
これが、子供時代のヘミングェイ。あんまり言われていないことですが、子供時代や若い頃のヘミングウェイは、とても可愛くて綺麗な顔をしているのであります。う~ん、これがのちに、カジキマグロを釣る髭もじゃのおじさんに結びついてゆくなんて、想像しにくい……。
司会の岡田准一やデザイナーの菊池氏などが、ヘミングウェイの生涯について、それぞれの意見を戦わせていたが、とても面白かった。
私も、ヘミングウェイという人にはとても興味があって、昔「インテレクチュアルズ」という歴史上の有名人物(サルトルだとか、トルストイなど)を痛烈に、、その実像を暴いた評伝を読んだことがあった。
だから、番組で紹介されていたヘミングウェイのエピソードも知っていることが多かったのだが、実を言うと、この文豪の作品を読んだことはほとんどない。
中学生の時、短編集と「陽はまた昇る」、「キリマンジャロの雪」を読んだ記憶はあるのだけど、その内容や感想ははっきり思い出せない有様なのである。
要するに、「好き」と言えるタイプの作家ではないのかもしれない。
けれど、その人生は素晴らしくスケールが大きく、波乱万丈で面白い! ヘンな話だけど、高校生の時やっていた通信添削の勉強で、英語の長文問題にヘミングウェイが何度も取り上げられていたことがあって、その記憶がくっきり残っている。
アメリカのジャーナリスト(多分)が、「パパ・ヘミングウェイ」の実像を明らかにしたノンフィクション作品だったのだろう、と今は推測しているのだけれど……。
そこで、記者が見るヘミングウェイの姿はすさまじい。アルコール漬けで、いかにも精神的に破綻している人物の人となりがちらほら。ノーベル賞受賞という世界的な栄誉も、彼に幸せを感じさせはしなかったことが、筆者の冷静な目ではっきり書かれている。
筆者が、パパ・ヘミングウェイの元を訪れて話を交わした後、このように言っている。「ヘミングウェイは、確かに二十世紀を代表する文豪であったが、自分が目標としていたトルストイやドストエフスキーには、及ばないことをよく知っていた……」
これが本当に悲しいことなのだけど、晩年のヘミングウェイには、「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」を書いた文豪の、あるいはそれまでの英語の文体を変えてしまったと言われる名文家の面影はなかった。のちのあらゆる作家たちの手本となった、ハードボイルド調の引き締まった文体は、長々としたセンテンスに変わり、作品を創造するエネルギーも残っていなかったとされる。
アフリカでの狩猟に魅せられ、戦争にも従軍したヘミングウェイ――何度も生まれては死ぬを繰り返したかのような、死の危険に身をさらすような生き様は、自分が老いを感じ始める年齢に達する頃には、燃えつきてしまったのかもしれない。
最近、ジャック・ロンドンの伝記「馬に乗った水夫」(アーヴィング・ストーン著。早川文庫)を読み返したのだが、彼もまたヘミングウェイと同じ系列に連なる作家だったことを実感。
だからこそ、占星術師の私生児として、極貧の境遇にありながら、あらゆる冒険や放浪に乗り出したのかもしれない。そして、その結実が、「白い牙」や「野生の呼び声」などの名作だった。
ロンドンもまた、早すぎる老いと共に、四十才で自殺している。
これが、子供時代のヘミングェイ。あんまり言われていないことですが、子供時代や若い頃のヘミングウェイは、とても可愛くて綺麗な顔をしているのであります。う~ん、これがのちに、カジキマグロを釣る髭もじゃのおじさんに結びついてゆくなんて、想像しにくい……。
「武器よさらば」「日はまた昇る」などを読んで、憧れました。高校生のとき、友だちと学校帰りに、制服のままで「誰がために鐘は鳴る」を日比谷の映画館に観に行き、母にしこたま怒られました。大学3年のときに、フィッツジェラルドと出会い、1番好きな作家は、フィッツジェラルドになりました。大学生のときに「キリマンジャロの雪」「移動祝祭日」をフィッツジェラルドのことが知りたくて読みました。欧米や文学に憧れていた若い日々を懐かしく思い出します。歳をとってしまった私です。おやすみなさい。
ヘミングウェイは、小説よりその波乱に満ちた生涯の方に惹かれます。第一次大戦への従軍、アフリカでの狩猟、キューバでのカジキマグロ漁……あまりに壮大で、何人もの人生を合わせたかのような大きさ。
ヘミングウェイ夫人の「私の愛したヘミングウェイ」というTV映画をニコール・キッドマン主演で撮ったと聞き、「見たいな~」と思ったのですが、アメリカのTV局が制作した番組……見れることはなさそうです。残念💦
フイッツジェラルドは、「華麗なるギャッビー」の映画をレオ様主演で観て、すっかりはまってしまいました。
レッドフォードより、レオナルドの方が適役の気がします。根性とタフさを持ちつつも、悲劇的な影を漂わせる役をやらせたら、レオナルドディカプリオの右に出る俳優はいないのでは?
「タイタニック」もそうでしたし……。
私も、ルーさんと同じように、見るもの、聞くものに若い日々を重ねわせることは多くなりました。年を取ると、人はある意味で、若い時の貯金で生きているのではないか、などとも思ってしまいます。
それでは、よい一日を🌅