ノエルが亡くなりました。
この一週間ほど容態が悪く、先週の土曜日、病院へ連れて行こうとしても、裏庭の階段を上ることができなくて断念。
先生に、月曜日のお昼に往診に来てもらうことが決まっていたのですが、日曜日には手足を赤ちゃんの頃のように広げたまま、一日中、まったく動かず。 荒い息をして、食欲もなく、これがあのいやしんぼうのノエルとも思えない状態でした。
姪一家が訪ねてきた時、弱り切っていたはずなのに、首を上げ、しっぽをパタパタと動かしたノエル……しかし、それが最後でした。
夜になって、体を触ったり、マッサージしていても、なぜか下半身が固くなっているよう。それでも、「明日は先生も来てくれるし、相談もできる」と安心して、寝室に引き上げてしまいました。明け方の5時半前、母が眠っている私を起こしに来て、「ノエルが死んでる!」と一言。
キッチンに行ってみると、テーブルの前の床で、昨日とまったく同じ、手足を広げたポーズで亡くなっていました……どうして、一体……?
今月上旬に病院に行った時は、とても元気で先生にも、「状態を維持している。人間で言えば、ステージ2というところですね」と言われたというのに……。
体から力が抜けるようで、涙が止まらず、病院に連絡して、絨毯の上に遺体を置いてみました。ノエルハーブガーデンに咲いていた花をそばに生け、大好きだったクッキーもそばに置いて――ペット葬儀社の方たちがノエルを引き取りに来た時、家族だけでなく、近所の方たちも見送ってくれました。皆口々に言うのは、「ノエルちゃんは、とても可愛い子だった」
「愛嬌があって」
この子は、何度も家から脱走したけれど、近所の人たちも誰も怒らず、皆で協力して「ノエルちゃん、こっち!」と捕まえてくれたものです。 ノエル死すの知らせは、一つの事件として、あっという間に伝わってしまいました。
近所や我が家を訪れる人たちの間で、人気者だったノエル。
昨日の水曜日には、近所のNさんとIさんが、「ノエルちゃんに」とトルコ桔梗と白ユリの涼やかな花かごを持ってきてくださいました。
離れにノエルの祭壇を作り、これも母の亡き友人が作ってくれた刺繍の布の上に、キャンドル、ノエルの骨壷、写真、花などを飾ったのですが、その写真が、うまくアップロードできませんでした。
こうして、いろいろなことを済ませたというのに、ノエルがもういない、ということがまだ実感として湧きません。
そのくせ、悲しく、淋しくてたまらないのです。
いつもなら、夕食の時、キッチンに来て、皆がご飯を食べている時、「わたしも御相伴を♡」とテーブルの下から顔を出して、ねだるのがとても可愛かったのに……。
夜中に起きた時も、廊下にいたし、家じゅうや庭じゅうを自由に歩き回っていたので、ノエルの記憶や気配はしっかりと家にしみついています。
空を飛んでいるようなポーズで逝ってしまったのも、ノエルらしい――ノエルのことは、これからも生きている限り、折々に思いだすはず。
記憶とは、愛情そのものなんだと思うから。
2011.8.21~2024.5.13
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