慶長五年(1600)の開ケ原合戦の論功行賞によっ
て石田三成の旧領は井伊直政に与えられた。直政は.旦、
三成の居城である佐和山城へ入城し、新城の築城を計画
するが、同七年に病没した。新城の造営は嫡男直継に引
き継がれ、彦根山に新城の築城が決定された。その工事
は慶長八年に計画され、翌九年より着工が開始された。
築城に際し幕府は三人の奉行を派遣し、ヒカ国十二大名
に手伝普請を命じている。彦根築城は大坂城の豊臣秀頼
への押さえとして完成が急がれ、石垣の石材は佐和山城
跡、長浜城跡、安土城跡などから集められた。また、天
守は「不落目出度殿主」として徳川家康より大津城の天
守を賜わり、移築したものである。また、天秤櫓は長浜
城より移築されたものである。
さて、彦根城を歩いてみよう。まず、「いろは桧」か
ら佐和口を経て、城内を目指そう。佐和口は正面左側が
江戸時代に築かれた多聞櫓で、端部に二重櫓を構えて
いる。右側はコンクリートで復元されたものである。こ
の佐和口を入ると左手に馬屋がある。現存する日本唯一
の城郭内の馬屋で、番所小屋が付設している。
表門の橋から内堀を渡り、郭内を訪ねてみよう。内堀
の石垣は上端の鉢巻石垣と、下端の腰巻石垣によって構
えられており、その間は芝土居となる。近畿地方ではほ
とんど見ることのできない石垣構造である。表門を渡る
と彦根城博物館が建てられている。その外観は明治まで
残されていた表御殿を再現したものである。築城当初御
殿は山上の本丸に構えられていたが、大坂落城後の第二
期築城工事によって山麓に御殿が移されたのである。こ
の御殿の移転は臨戦体制から平和への移行を示すものと
して注目される。
御殿から登威迫を登ると、天秤櫓直下に至る,ここは
太鼓丸と鐘の丸を限る堀切の底部である。軍事的には太
鼓丸に構えられた天秤櫓と鐘の丸より挟撃されるキルゾ
ーンとなる場所である。近世城郭でこうした堀切が構え
られる構造は珍しく極めて戦国的な構造といえよう。鐘
の丸の南東端と南西端から山麓に向けて登り石垣(竪石
垣)と、竪堀が構えられている。古図ではこの登り石頂
上に瓦塀の設けられていたことが知られる。さらにこの
登り石垣遺構は着見櫓より裏門へと、西の丸の北東隅、
北西隅から山麓へと五ヵ所にわたって構えられている、
これらは表御殿や、大手門を山上と一体化して防御する
ために設けられたもので、敵の斜面移動を完全に封鎖す
るものである,こうした機能をもつ登り石垣は豊臣秀吉
による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)で朝鮮半島南岸に築
かれた日本軍の城、いわゆる倭城に多用された防御施設
であり、彦根築城もその影響を受けたものと考えられる。
彦根城の普請として最大の見所といっても過言ではない
だろう。
鐘の丸より望む天秤櫓は実に美しい。しかし、美しい
だけではない。天秤櫓の土台となる石垣に注目してみよ
う。左右で積み方がまったく異なっている。向かって右
側が築城当初の石垣で、左側は幕末に積み直された石垣
である。鐘の丸から天秤櫓に架だけではない。天秤櫓の
土台となる石垣に注目してみよう。左右で積み方がまっ
たく異なっている。向かって右側が築城当初の石垣で、
左側は幕末に積み直された石垣である。鐘の丸から天秤
櫓に架られた橋は元来は廊下僑で、敵が到来すると落と
すことができた。
いよいよ本丸へ、その表門として構えられているのが
太鼓門である。その前面の石垣をよく見ると石を積むの
ではなく、自然の岩盤を削り出して築かれている。その
太鼓門を潜った疋面に天守は建つ。切妻破風、千鳥破風、
唐破風に飾られた屋根は変化に富み、実に美しい。とこ
ろが、井戸曲輪、つまり搦手側より本丸を望むと石垣塁
線上に天守と多聞櫓が頭上に聳えており、天守が一斉射
撃の可能な攻撃的施設であったことがよくわかる。本丸
の北西に構えられた西の丸にはその北西隅に西の丸三重
櫓が配されている。小谷城の天守を移したと伝えられる
が、単なる伝承に過ぎない。『井伊年譜』に小谷山の粘
土によって瓦を焼いた記録がこうした誤伝を生じさせた
のだろう。
西の丸から山崎曲輪を経て現在梅林となっている米蔵
跡を通って大手門より二の丸に戻り、玄宮園、楽々園を
見学してほぽ彦根城の郭内見て歩きは終わる。なお、彦
根城では外郭ラインも結構残されており、門跡や土塁、
足軽組屋敷を訪ねることもぜひお勤めしたい。
(中井 均)
【エピソード】
【脚注及びリンク】
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1.彦根城~戦国から近世にかけての城郭の精華を観る~
2.彦根城の桜、近江路観光ガイド
3.彦根城のご案内 - 公益社団法人 彦根観光協会
4.公益社団法人 彦根観光協会
5.彦根城 - Wikipedia
6.近江の戦国時代 京極氏と六角氏
7.近江の戦国時代 浅井氏の台頭
8.近江の戦国時代 信長の近江侵攻
9.近江六角氏はなぜあっという間に敗れ去ったのか?
10.琵琶湖岸の地理的環境と戦国時代の近江の水城
11.彦根城ガイド
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