「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

利他の心

2019-04-11 07:30:17 | 日記
4月21日の「魂の会」について、昨日、初参加の方達にはご案内をメールでお送りしました。

添付の画像が重くて、届かなかったりしているかもしれないので、届いてない方は、メールでご連絡ください。

リピーターの方々で、グループラインのある方々は、MIHOさんからご連絡をお願いしています。

ご不明な方は、私でもMIHOさんでも、ご連絡くださいね。




さて、3月6日に、Iさんから📩がきたことからです。


昨日、クニトコさんが来ていてくれて、綺麗すぎて照れまくっていた、、うちのスタッフを助けてくれたみたいだ。
御礼をお伝えいただけたらとー


Iさんの大好きな国之常立之神(くにのとこたちのかみ)は、私の話ではナセの神ですが、彼が言うには天海祐希さんに似ている素晴らしい美女神らしいです。

富士山の近くにいる、K会長もそうだと言っていました。

と、いうか国之常立之神が女性の神様だと言っている人はいないのですが、私の話ではずっと変わらないことなので、そのままですし、二人もそう感じているし、富山にいるツナタロウさんもそう言っているので、まぁ伝わる人には伝わることなのかもしれません。

天海祐希さんは、一時期病気になったと聞きましたが、今はテレビで見る限りすっかり元気になられて、女性から見てもカッコいい美しさですよね。



これは、Iさんのイメージのクニトコ天海祐希さんです。


私は、どんなことをIさんのスタッフが助けて貰ったのかはわかりませんでしたが、ナセの神にお礼を言っていました。
ナセの神は、男っぽい話し方をするのですね。


ナセの神だ。

Iさんが、お礼をと言っていました。

Iは、照れていたな。
本当に、土地がよくなったよ。
足すと80の300乗になったからな。
知多半島の荒熊神社の鳥居は良かったな。
熱海のマンションも良かったな。
利他の心で、頼んだよ。


私もついでに誉めて貰いました。


次の日に話してきたのは、スサノオノミコトでした。


利他の心で頼んだよ。

どなたですか?

スサノオノミコトだ。
出羽三山にはいつ行くのだ?

まだ、決まっていないと思います。

早く行ったらいいよ。
齢(よわい)は仇になるからな。

どういうことですか?

年を取らない前がいいと言っているのだよ。

えーと、私は出羽三山に行かなくていいのですよね。

M子は無理だろうな。
済んだことだが、富士(山)によく登ったと思うよ。
信頼している人達が一緒でなければ、M子は死んでしまうところだったからな。
新たな神が来ているよ。
話したらいい。


スサノオノミコトが言っていた通り、3年前に登った富士山については、今もよく登ったと思います。
頂上近くの山小屋にたどり着いたのは、夜の8時くらいでしたが、そこに着くまでのしばらくの間は、かなりな雨が降っていました。

冷たい雨の中、真っ暗の階段を昇っている私の足元をIさんはずっと懐中電灯で照らしながら、

ねーさん、後少しだからね。次は右だよ。

と、指示してくれていたのですが、私は朦朧としながら、逆の左に動いていたそうで、今思い出してもよくたどり着いたと思うのですね。

夜中の3時くらいまで、大雨の雨音が聞こえていたので、せっかく登って来たけど、御来光は見れないのだなと思っていました。

その後にすぐ、晴れて頂上まで登り感動的な御来光を見ることが出来たことは、一生の思い出だと思います。




🐶 富士登山の話


スサノオノミコトが、今になってそのことを言ってくるとは思わなかったので、少し驚いていました。

このことをIさんに言うと、


そーだよ。本当に。
ぼくが、右って言ってるのに、左に行くし、どんどん崖の方に行っちゃうからさ。
よく、あの時は登ったよね。


と、言っていました。
やっぱりありがたい弟ですね。


そして、スサノオノミコトが話したいと言っていると言った神様を呼んでみました。


私は、アメノホヒの兄のアメノオシホミミだ。

初めまして。

初めてではないと思うが、スミで消された話は、問題ないよ。
私はIに会っているな。

太郎坊宮で、ですか?

太郎坊宮に来てくれただろう。
私は伊豆山神社にもいるのだよ。
M子は、強い気が出ているので、人に使った方がいいよ。
言霊だから、魑魅魍魎には「いね」と言えばいい。
祓えると思うよ。
霊界が無くなってすぐ菩薩界になったので、神になりたいと思うのが増えたと聞いただろう。
つまり、新しい年のためでもあったのだよ。
目と鼻の先の5月のことだからな。
私も就いていいか?

はい。

(アメノホヒと)兄弟で頼むよ。
「マサカツ」だからな。
Iには、摘んだ葉を見せただろう。
道の真ん中のところにだよ。

はい。そう言っていました。

自信を持って進んだらいいよ。
利他の心でね。


今年の1月始めに、隅田川の近くの神社で、アメノホヒと話しました。
実は、昨年の12月の熱海の花火大会の次の日に、妹夫婦と伊豆山神社に行った時に、資料館で伊豆山神社の神様の話になり、アメノオシホミミだと聞いていました。
それが繋がっていましたね。
アメノオシホミミは、私の219番目の神様となりました。



5月からの「令和」のために、神様達は何年も前から準備していたのですね。

Iさんは、太郎坊宮に行った時のことは、記事にしていました。

🐷 Eve



ナセの神とスサノオノミコトとアメノオシホミミに「利他の心」と言われました。

繰り返しこの何年も言われることですね。
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ツンドラの妖精

2019-04-09 07:30:53 | 日記
3月3日に話してきたのは、タイのマセノラの神(ビシュヌ神)でした。


話したい。

どなたですか?

マセノラの神だよ。
熱海に行けるようになったよ。
Iに貰った象の人形は、本当に依り代になるのだよ。
知る人ぞ知ることだけどな。
M子がセンサーになっているから、沢山の神がいるので、問題はないよ。
信じることが大事だからな。
魂の会話は、友達が出来るとまた広がるのだよ。
テラ(地球)を救うのは、人以外には出来ないからな。
チーーーーサーーーーラーーーーという妖精が来ているよ。

チサラですか?

チサラだ。


Iさんが、プーケットに行っていた時、お土産に象の人形をみんなに買って来てくれました。



人形を熱海のマンションに置くように言われたのは、マセノラの神の依り代のためだったようですね。

私は「チサラ」と言われたので、とりあえず呼んでみることにしました。
チサラは、すぐに話してきました。


チサラです。
M子さんに話したいことがあります。
変わらない愛の弟は、Iさんですよね。

はい。

奮闘しているので助けて欲しいとサンタクロースに言われて来ました。

チサラさんは、どこから来たのですか?

私がいるのはツンドラです。
ツンドラに魂の製造工場が出来たのです。

ツンドラというと、ロシアになるのですか?

ロシアですけど、人は住んでいません。
リンダと私で今は扱っています。

日本の妻籠とは違うのですか?

妻籠は、ニビル星からの魂ですよね。
私達は、一から作ろうとしているのです。
「世界に広がる友達の輪は、宇宙から三鷹へ」は去年だったと思います。

はい。

今年は、「宇宙からツンドラへ」ですよ。
まだ準備段階ですが、私達はがんばっています。

あなたは、チサラさんですか?

チサラです。
ツンドラの妖精ですよ。


私は、よくわからない話なので、この話は、どうしようかと思っていました。

この週末も、熱海のマンションに行くことになっていて、7日は初めて勤めた会社の同期の二人(KさんとFさん)が来てくれました。

三人で還暦を無事迎えたから、お祝いだねーと言いながら、ずっと笑って話していました。
40年以上の永きに渡っての友人はやっぱり大切な方々ですね。

三人共、長い付き合いの間では、紆余曲折があり、でも大きな病気もなく集まることが出来て良かったと思いました。
というのは、私の夫については記事にしている通りだし、Kさんのご主人は、20年以上前から人工透析になり、心臓にはペースメーカーも埋め込む手術をしていたし、Fさんのご主人は、今年現場の高いところから落ちて、大腿骨の骨折をしていたそうです。

二人は20代の始めの頃に、一緒に旅行していたメンバーでもあり、北海道の日高に行ったのは、Fさんが馬に乗りたいと思ったからだったと今回わかり、私はなぜ日高の佐藤愛子さんの別荘近くに行ったのかの謎が解けました。

私は若い時から、人の話に乗って動いていたのですね。今は神様ですけど。(笑)

マンションの近くのお店で、刺身定食を食べて、部屋に行ってお茶を飲みながらあっという間の時間を過ごしました。




とても気持ちの良い天気で、マンションの裏山の新緑が美しいので、二人も歓声をあげていました。





そして、次の日の朝にこの下書きを作っていたからか、ツンドラの妖精のチサラが言っていた、リンダが話してきました。


リンダです。
チサラの友達です。
ツンドラでがんばっています。
ツンドラは、緑が少ないので増やそうとしています。
桜がキレイでしたね。
昨日は、Iさんと動いていました。
カラスが攻撃していましたが、シミソバカスのある龍神が助けていましたよ。
宝のような人達なので、私達もがんばります。
世継ぎになるタイミングですからね。
世継ぎになったら、アワツになっていきますよ。


また、謎な話ですが、確かにIさんは世継稲荷に行っていたし、カラスの大群に狙われたと言っていました。



彼は、何だか1日巡っていましたが、最後はやり遂げた感じでした。
良かったですね。
また、このことはしばらくして記事になると思います。





みゆきちゃんからも桜の写真が送られてきました。



家の近所の神社の桜も満開でした。



桜の満開は、寒くなったのもあり、先週末にずれ込んだ感じでしたね。
私の友人二人も、電車から桜が沢山見られたと喜んでいました。

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坂本龍馬の話

2019-04-07 07:30:43 | 日記
2月28日に、いきなり話してきたのは、坂本龍馬でした。

少し前の幕末の志士達の話の続きになるようです。

2019,2,28の記事の抜粋をします。


そして、次の日の朝に話してきたのは、イラタの神(天之御中主之神)でした。



話したいことがある。

どなたですか?

イラタだ。
Iは、明治の志士達のところに行っていたな。
かつての変革の時に、私達神のことがわかってくれた人達だった。
土になってしまってから、もう150年は経ったのだろう。
だから、神にしたよ。
元々、神の使いだったからな。
普通はすぐに八階層(の神)になるのだが、土佐の坂本龍馬も最近神にしたから、今年の神の会議で、伊藤博文もいいだろうとなったら、一蓮托生となったよ。
薩摩の西郷隆盛は、まだだよ。
来年だろうな。
今川義元も神になったよ。
徳川家康もだ。
霊界が無くなって、菩薩界にいると、毎日が退屈だから、神の志願者が増えたのだよ。


🐶 幕末の志士達 その2


坂本龍馬が話してきたのは、2月28日だったので、私が記事を作っていたからだと思いました。



土に還って、150年経ったのだな。

どなたですか?

私は新しく神になった坂本龍馬だよ。
かつての盟友達がこぞって神になって嬉しいよ。
世界は、忘れてしまうかもしれないが、サンタクロースもよみがえったように、幕末の志士達も、新しい時代に向かっていきたいと思っている。
理(ことわり)だということだな。
利他の心でいてくれるから、このように話が出来るのだと思う。
なかなか無にはなれないものだよ。
私は文句ばかり言っていたからな。
幕府に対してだが、、、
長州の桂小五郎とよく話したよ。
薩摩の西郷隆盛ともだ。
血とかではない、熱い繋がりだったな。
リストアップしたらいいよ。

何をですか?

友達のだ。
本当にわかってくれる人は、そうそうはいないだろうからな。
血の繋がりは、あくまでも「はらから」ということで、魂の繋がりの方が強いからな。



私は、過去記事の坂本龍馬の話を探していました。

「かつこ内親王2」の2014,11,17の記事なので、4年以上前ですね。


11月6日


イラタの神(天之御中主之神)

新しい顔触れが、八階層の神になったぞ。
ミタアカの神(福澤諭吉)もなったし、板垣退助もなった。
勝海舟もいたな。明治の偉人達は、神になったのだ。
狭い中でなっているのは、当時も友達の輪があったからだ。
明治の偉人達は繋がっていたのだな。
八階層の神には、意外とすぐなれるぞ。
その上にいくのが大変なのだ。生まれ変わったりするからな。
カラツの神は、本当にスゴいことなのだ。私が引き上げたのもあるが、それだけの働きをしてくれた。感謝しているぞ。



私は明治の偉人達に、友達の輪があったことに驚きました。
そして、少し前に話したミタアカの神(福澤諭吉)の話がここに繋がるとも思いませんでした。



🌟福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、天保5年12月12日(1835年1月10日)-明治34年(1901年)2月3日)


🌟板垣 退助(いたがき たいすけ、天保8年4月17日(1837年5月21日) -大正8年(1919年)7月16日)


🌟勝 海舟(かつ かいしゅう) /勝 安芳(かつ やすよし、文政6年1月30日(1823年3月12日-明治32年(1899年)1月19日)


並べてよく見ると、同じ時代に生きた人達なのだなと、改めて思ったので、会おうと思えば会えるということは、繋がりはあったのかもしれないと思ったのです。


私は、イラタの神に坂本龍馬はどうなのか?を聞くと、


イラタの神

坂本龍馬はまだだろう。柄(つか)を引き抜いたので、怒っている神がいるからな。


と言ったのですね。

坂本龍馬を調べて、ずいぶん前の記事にしたのですが、高千穂の山頂の天逆鉾(あめのさかほこ)を引き抜いた話は有名みたいです。


🌟坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日) -慶応3年11月15日(1867年12月10日))


天逆鉾(あめのさかほこ)は、日本の中世神話に登場する矛である。

宮崎県高原町の霊峰高千穂峰の山頂に突き立てられている。
山頂部は、霧島東神社(宮崎県高原町鎮座、霧島六所権現の一社)の飛び地境内であり、天逆鉾は同社の社宝である。

1866年、坂本龍馬が妻のお龍(りょう)と(日本初の新婚旅行と言われている)高千穂峰を訪れた際、大胆にも天逆鉾(あめのさかほこ)を引き抜いて見せたというエピソードがある。
このエピソードは龍馬自身が手紙で姉乙女に伝えており、手紙も桂浜の龍馬記念館に現存している。


🌟柄(つか)刀剣や槍などの持つための部分。


怒っている神様は、霧島神宮の祭神でした。
これは、2014,11,25の記事にありました。


私は、先日の坂本龍馬を許さないと言っていた神様は誰なのだろうと思って、言っていたイラタの神(天之御中主之神)に聞いてみました。


イラタの神(天之御中主之神)

イラタだ。

坂本龍馬を許さないと言ったのは、どの神様なのですか?

セアツの神だな。

ニニギではないのですか?

ニニギもだが、一番はセアツの神だな。
霧島神社にいるので話したらいい。


セアツの神とは誰だろうと思いましたが、私はそのまま呼んでみました。


セアツの神

セアツの神だ。
私はニニギの子供で、山幸彦とも言う。
セアツとセミツとセナツがいる。
坂本龍馬は、説明もなく、鉾(ほこ)を引き抜いた。
柄(つか)は残っているが、鉾はどこかに行ってしまった。
世界が許しても、私は許さないぞ。


抜粋終わり


山幸彦の彦火火出見尊(ホオリ)
は、今回坂本龍馬を許してくれたようですね。


坂本龍馬と桂小五郎(木戸孝允)も繋がりがあったので、友達の輪は150年前にあったのでしょう。

私は、ずいぶん前に見た写真を思い出していました。

フルベッキ群像写真というものです。




🌟フルベッキ群像写真(フルベッキぐんぞうしゃしん)は、在米オランダ改革派教会から派遣されたオランダ出身の宣教師グイド・フルベッキとその子を囲み、上野彦馬のスタジオで撮影された44名の武士による集合写真の俗称。
西郷隆盛が写っているといわれることが多い。


この写真の本当のところは、わからないようです。

でも、当時志(こころざし)を持った人達が集まっていたということは、やっぱり友達の輪があったのかと感じました。
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ガウディの話

2019-04-05 07:30:14 | 日記
カラツの神の後に話してきたのは、マセノラの神(ビシュヌ神)でした。


話したい。

どなたですか?

魅惑のマセノラの神だよ。
Iは、プーケットに来ていたな。
カナリアの神が、鳥になって行ったのがわかって良かったよ。
寸前だったからな。
ガラスに当たってしまったから。
明日からのことがスムーズになると思うよ。
新たな言挙げも完成したしな。
「魂の会」は、初島でやるのだろう。
齢(よわい)を重ねないとわからないからな。
新しい人は、5人くらいでいいよ。
50人は無理だろうから、30人くらいでいいと思うよ。
信じてくれる人が増えると、パワーが増すからな。
地球のために頼んだよ。


マセノラの神は、2月にこう言っていたのだなと思いましたが、「魂の会」はリピーターの皆様だけで30人以上になっていて、今回は初参加の方が20名いらっしゃるので、50人を越えてしまいました。

どうなることやらですが、リピーターの皆様達に助けて頂きながら、皆様とお会い出来るのを楽しみにしております。

ご案内は、またそれぞれにご連絡致しますので、少々お待ちくださいね。



さて、Iさんご夫婦は、タイのプーケットから日本に帰って来て、そのままハナちゃんのところに行っていました。

調布にある、水木しげるさんのお墓のところですね。

奥さんのコニャさんも、初めて行かれたそうです。





ハナちゃんが好きだと言っていた黄色い花とコロッケです。

次の日に、そのことについて、ツカヘイが話してきました。


ツカヘイです。
昨日は、コニャさんもお墓参りに行ってくれました。
ヤスケとキミとハナちゃんで、一緒に行きました。
ハナちゃんは、バルセロナで生まれたので、スペイン語もマスターしていますよ。
ミッフィー達とも話が出来ています。
まだ小さいハナちゃんですが、家族で一緒にいられて、私は嬉しいです。


ミッフィーは、オランダから来たので、オランダ語だと思いますが、ヨーロッパではまぁ近いので、わかるのかもしれませんね。

そして、ハナちゃんも話してきました。


ハナです。
スペインのバルセロナは、ガウディがいたところです。
ガウディが話したいと言っていますよ。


まさかのガウディ登場になりました。


ガウディです。
魂の会話が出来るそうですね。
私は、サグラダ・ファミリアが今も続いているのが嬉しいです。
私も、子供の時から伝える存在がいました。
内なる声の言うままに、作った物が沢山あります。
だから、パワーが伝わる人はいつもいるのだと思います。
変わらない愛は、宇宙から届いていますね。


私は、ガウディの幼少期のエピソードを読んで、やっぱりそうだったのかなと思いました。


ガウディは6歳になるまでにリウマチにかかり、痛みのひどい時にはロバに乗って移動することもあった。病弱だったため、他の子どもたちと同じように遊ぶことは難しかったが、この頃にクリスマスの飾りのために紙細工で風変わりな家を作っていたという逸話がある。
また、授業で鳥の翼は飛ぶためにあると説明した教師に対し、鶏は翼を走るために使っている、と反論したという話は、幼いガウディが自らの周囲にある物の造形をよく観察していたことを示すエピソードとして知られる。
後年、ガウディは自然を「常に開かれて、努めて読むのに適切な偉大な書物である」と語っている。


子供の頃に病弱だったということは、物事を深く考えざるを得ないのかとも思いました。

ずいぶん前に記事にした熱海のMOA美術館を作った岡田茂吉さんも、何度も死にそうな病気になり、食べ物について考えて、自然農法に行き着いたという話がありました。


2015,11,29の記事を抜粋します。


幼少時には貧しい生活を体験する。また、虚弱体質で次々と病気にかかり、結核にもなり、不治の宣告も受けた。

このような体験により、食生活の重要性に気付く。

画家を志し、1897年(明治30年)9月に東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)予備ノ課程に入学するも、眼の病に侵されて中退。

青年期には商売で成功する。だが、過労をきっかけとして多数の病気にかかり3回入院、不治の宣告を2回受ける。

そのような体験の中で薬物の持つ副作用に気付き、医薬品や医者に頼らない、自然治癒力を重視した生活様式を築き上げていった。

1926年(昭和元年)12月のある晩、お腹に光り輝く玉が入るといった神秘体験をし、自己の使命を悟る。(44才)


🐶熱海のウツミの神



その後に、ヤスケが話してきました。


ヤスケです。
積み木の設計は、ガウディに教えて貰ったのです。
スペインのバルセロナに母が生まれ変わっていると聞いたのも、ガウディからでした。
Iさんの本が沢山あるからですね。
終わりがない話になりました。


私は知りませんでしたが、Iさんのお家には、彼が憧れているガウディの本が沢山あるそうです。

まさかの繋がりは、昨年の初めから始まっていたのですね。



画像の象さんは、プーケットの物ですね。
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ハナちゃんの話

2019-04-03 07:30:12 | 日記
ゼウスの後に話してきたのは、座敷わらしのツカヘイでした。


ツカヘイです。
テストが出来ました。

何のテストですか?

ノンストップで、ヨーロッパに行って来られました。
ヨーロッパのスペインで、ハナちゃんは生まれ変わっていました。
だから、連れて来られたのです。
ハナちゃんは、今はヤスケとキミより小さいです。
でも、すぐ大きくなるでしょう。


私はやっぱり驚いていました。
どういうシステムになっているのかわかりませんが、ハナちゃんは生まれ変わっていたようです。

そのハナちゃんが話してきました。


ハナです。
(私が死んでしまった時に)お墓参りありがとうございました。
今は、スペインのバルセロナで生まれたのですが、ツカヘイさんがヤスケとキミを連れて迎えに来てくれました。
Iさん夫婦と一緒に日本に帰ります。

スペインの親は、悲しまないですか?

スペインの親は大丈夫です。
石の家にいるので、日本より長生きですからね。
ヤスケとキミが積み木で作っていたのは、ガウディの建物だったので繋がりました。
ありがとうございます。
また、親子で暮らせます。

ハナちゃんは、いつ生まれたのですか?

私は、年の始めに生まれました。
去年のですね。
プーケットに来たら繋がると、伝えていたのです。
Iさんのお陰ですね。
伝えてくれたみゆきちゃんとM子さんのお陰です。


ヤスケとキミが積み木が欲しいと言っていたのは、ずいぶん前のことで、Iさんは探し回ってくれました。
最終的には、Amazonで取り寄せていたのですが、ヤスケとキミは設計もしたいと言って、製図のノートも揃えてくれていました。

記事にしていたので、読み返してみると、昨年の2月の話でした。
ハナちゃんは生まれてすぐに、スペインで生まれていたことを伝えていたのでしょうか?


🐶座敷わらしのツカヘイの話



私は、また調べることが出来てしまいました。
前回で、カナリア諸島がスペイン領であることに驚いていたのは、ハナちゃんがスペインのバルセロナで生まれたと言っていたからですね。

地図で見る限り、カナリア諸島は、スペインとはずいぶん離れていたからです。

そもそも、ガウディのこともよくわからないので、バルセロナに関係しているのか?と思いながらノートに振り子で読めるままに書いていたのです。


ガウディを調べてみました。




🌟アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。
19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・カサ・ミラ(1906-10)をはじめとしたその作品はアントニオ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。


1878年に建築士の資格を取得している。
当時のバルセロナ建築学校校長で建築家のアリアス・ルジェン(エリアス・ロジェント、Elies Rogent)は、ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったと伝えられる。
同年、ガウディはパリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインした。
この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエル(エウゼビ・グエイ)であった。
グエルは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼した。
1883年にはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦される。


ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過ごした。
1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注いだ。
しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまう。
さらに1918年、パトロンのエウゼビ・グエイが死去した。


1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、この日眼鏡を家に忘れた彼は段差に躓き転倒、そこに通った路面電車に轢かれた。
晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で息を引き取った。遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されている。
女性恐怖症であったらしく、終生独身であった。


調べるとガウディは、やっぱりバルセロナの人だったのだと思いました。


私は、この時にまだプーケットにいたIさんに、取り急ぎ伝えていました。


私) ハナちゃんは、去年の初めに、スペインのバルセロナで生まれていたらしい。
ヤスケとキミの積み木は、ガウディからきていたみたいだよ。


Iさん) 昨夜の2時半から3時ぐらいまでの間、神様に起こされて、深夜のプールサイドに行ってね、空を見たらたくさんの神様と、大きな鳥の神様と、ツクヨミさんがいるのさ。





それで、今回のタイで初めて祝詞を完全にあげたの。
そしたら小さなワラシさんが左の足元に来てね。
ハナちゃんかなぁ、、とは、思ったんだけど、それでさ、コニャにスペインだなぁ、、って、今、朝食食べながら話してたんだよ。

驚くね。

次はスペインで、ガウデイを見に行かないとな、、、ってさ。
帰ったら良いツアー探しといてくれと。

今この📩を開けて心底驚いた。

ハナちゃんいるよ。
小さいけどね。
ガウディ、ガウディ、ってさ。
言うんだよ。


やっぱり、Iさんはわかっていたようですね。


2月22日に話してきたのは、カラツの神でした。


カラツの神です。
ツカヘイの奥さんのハナちゃんに会ってきました。

プーケットに行ったのですか?

変わらない愛の弟のIさんがいるから、胸のアザから行けるのです。
ハナちゃんは、まだ小さいです。
ヤスケとキミよりね。
でも、すぐ大きくなるでしょう。
熱海に行ってくださいね。
ランドマークの初島にもね。


この時も初島と言われていたのです。
神様達は、何度も繰り返し伝えてきますね。


Iさんの胸のアザの話は、私達が出会ってすぐのことで、もう四年前のことなのに、やっぱり続いていたのだと、認識しました。

今、記事を読み返してもその時のことを思い出して、やっぱり不思議な気持ちになりますね。

🐶「暗黒神話」



続きます。

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