山口県周防大島物語

山口県周防大島を中心とした「今昔物語」を発信します。
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メキシコ紀行 3

2025年02月17日 17時40分24秒 | 旅紀行
時差ぼけで昨夜は殆ど眠れていない。
しかし、元気に朝食をホテルのバイキングでとり、少し食べ過ぎてしまう。
朝、八時にバスが迎えにくる。

混みあった市内を走って、定番のメヒコ地区歴史観光と洒落込む。
ソカロ広場、メトロポリタン大聖堂、国立宮殿を散策する。

かってメヒコの中心部は島で周りは湖であったとします。
ただ島と言っても雨季に水が溜まって周りが湿地帯になる程度であるが広さが半端ではない。
現住民がピラミッドを造っていたのを、スペイン人が取り壊して教会を建ててしまったから、
基礎部分には今でもかっての遺跡が残っている。
交通渋滞で近年地下鉄工事をするとき色んな遺跡がでてきて、観光資源として保存が始まったのは
喜ばしいことである。
メキシコは観光業にも力を入れており、最大の客はアメリカ、カナダ人らしい。
また、同様な文明を持つ、中南米の人も多くやってくるらしい。
日本人は殆ど来ないらしい。

そういえば、日本の戦国時代に伊達藩の支倉常長らキリスト教徒がはるばる太平洋を渡り、メキシコに
到着して、メキシコの教会で洗礼を受け、更に大西洋を渡り、ローマ教皇に謁見したのち、帰国の
途につくが帰国した時は日本はバテレン禁止令でなんともならんかったと日本史の片隅に書いてあるが、
メキシコではこの使節団は有名で洗礼を受けた教会は今でもあり、当時、豊臣秀吉の圧政があったとする
記述はこの教会にある「TAIKOU SAMA」と大きく今でも書き残されていある。
メヒコシティでは彼ら使節団が泊まった宿舎が残されており、しかも上級侍と下級侍とでは宿舎が違うので
身分制度をはっきりさせながら旅をしたことが伺えます。

時代が下がってメキシコに移住を始めたのは幕末の話で、榎本武明あたりがからんでくる。
三十数名移住の予定が數が足りなかったとされます。
この移民談には面白い話があり、最初に移民を決意したのは三州吉良(愛知県)の人達で數が足りないので
何故か播州・赤穂の人に声をかけてなんとか36人集まってので移住を決意して日本を旅立ったらしい。

「忠臣蔵」でおなじみの敵同士が同じ船で出掛けていくのであるから、づーと角突き合わせていたらしい。
上陸して生活をしようとすると、現地の状態が過酷で、日本人同士で揉めてる場合ではないと一致協力して
移住生活をしたと、現地の日本人郷土史家が語ります。あはは、面白いエピソードが多くあります。
ただ、キューバやプエルトリコに移住した日本人は悲惨とされます。戦前はペルーにも多くの日本人が
渡りました。が、真珠湾攻撃の後、なんら関係のないペルーの日本人移民は米国本土の強制収容所に
送られ、戦後、ペルーに帰国も拒否されたとします。

当ブログの戦時の米国クリスタル強制収容所の名簿には多くのペルーに移住した人たちが記録されますので
ご参照ください。
かって、天皇誕生日にペルーの日本大使館を襲ったゲリラを排除したのは熊本県人系のフジモリ大統領でした
ね。その時の日本大使は我が周防大島を本貫とする青木大使でしたね。ただ彼は養子系ですが。

さて、中心街を抜け、都心の渋滞からようやく解放されると、車は高速道路にはいり、スムーズの走り始めました。
昔々も通った道筋ながら、当時と違うのは延々と続くスラム街。

どこの国も同じですが経済力のある都市に貧困な田舎から人口が流入します。
メヒコの最大の経済都市はメヒシコシティなので多くの人が移住しますが、住む所はありませんので市郊外に
勝手に家を建てて住み込みます。殆どが国有地ですので、日本のように私有地争いはないようです。
ただ、山に勝手にすみますからインフラはありません。電気、ガス、水道は無いので、盗電、水はタンク貯め
となります。何故か、リフトのようなロープウエイが延々繋がっていました。100M毎にゴンドラがついている
ので最大な交通手段です。スラムですから車が入れる道がないので、通勤と買い物用に県知事が設置したとか。

貧困な彼らは都心部の「3K業務」の担い手です。
田舎で出来るかどうかわからない、トウモロコシを作るより生活は安定しています。
メキシコの一部の特権階級はとんでもない収入を得ています。
歴代大統領は貯めるだけためて余生は本国スペインで過ごすのが常のようでした。
まったく現在でも植民地の感覚ですね。
現在の大統領は革新系のようで、かっての上級公務員の利権を次々に剥奪しているようです。
そうすると殺し合いが始まります。
現在の日本では政争で殺し合いはありませんが、白人は手っ取り早い政敵排除は暗殺と思っています。
ロシアもアメリカも中南米も暗殺は大好きです。
隣の中国では「行方不明」が常套手段ですね。
だからと言って別にメキシコは政情不安ではありません。
日本で言う戦国時代が常態化しているだけです。

メキシコでは金のないひとたちは強盗をしますが、貧乏人を相手にするのはクズです。

今流行っているのは「トラックジャック」らしいです。
一日平均17台のトラックが荷物事とられます。銃を持ってますから運転手は言いなりです。
今のトラックは二台連結で20M程度あり満載しています。アメリカ本土からも長距離でやってきます。
昔は宣伝を兼ねて製品名や会社名を書いたトラックでしたが、現在は何が積んであるか分からない
ように何も書いてない白いトラックが増えていました。

かって任天堂のマークがあればゲーム機満載さいているので真っ先に狙われ、その次のスズキの
オートバイを乗せた車はターゲットとされました。
闇取引の市場はいくらでもありますから日本の常識は通用しません。

てな説明を受けていて車を走ると、かって山腹の「子供を叩いて殺さないように!」の啓蒙宣伝が
無くなっているので現地の方に聞けば、今でも子供や婦女子をイジメるのはありますが昔程では
ないとの事。少しはおだやかになって来たみたいですね。
インドは未だに子供・婦女子はオモチャにして社会問題になりますが。

途中で昼食を頂いて、本日、メインのティオティワカンへ。

太陽のピラミッドと月のピラミッドがメインですね。

ただ同じピラミッドでもエジプトのとは使用目的が異なるようである。
エジプトのは墓とするが、ティオティワカン・ピラミッドは神殿とされます。
スペイン人がぶち壊したので頂上部分がよく分からないとされます。
メキシコの他の文明では頂上部分には神殿があるので、太陽の光を敬う太陽神のと思われます。
月や太陽の動きは大古の時代は農作物の生産に関連しますから天文学を理解する神官や王は
自然と統治者となれたのでしょう。

これは定住農耕民族には必須な項目ですね。
日本でも最近まで「高島易断」なる農耕歴書が流行ってましたね。

かっては太陽のピラミッドは登れましたが今は保存のため上れませんでした。
月のピラミッドはなんとか登れるとか。

エジプトのクフ王のピラミッドは石の大きさが段違いに大きいので上れませんが
ティオティワカンは登ることを前提にしていたと思われます。
頂上の神殿に行く必要があったと思われます。

多くの土産物の露店をひやかしながら、途中でカレンダリオのタペストリーを買ってしまった。

終活の小生は物は買わないとしているが未だ修学旅行生の尻尾が残っている。

帰りは一目散にホテルに。

夜は50年前にお世話になった方とレストランで「飲めや歌えの大騒ぎ!!」

マリアッチもそこそこに、飲みすぎ・・・・寝る・・・・。アディオス アスタ・マニャーナ・・・。

【米国テキサス州クリスタル市戦時収容所「日本人家族名簿」】18

2025年02月17日 13時49分57秒 | 米国日系人強制収容(クリスタル収容所編)
【米国テキサス州クリスタル市戦時収容所「日本人家族名簿」】18
                 (1945年2月26日現在 日本人自治会作成、皇紀二千六百五年)

Japanese American Famally List , Cristal City Internment Camp Texas,in World War.Ⅱ (26.Feb.1945)
        by  『Museum of Japanese Emigration to Hawaii』


①整理番号連番  ・No.     1053~1057
②収容所・ Room No.      EQ-72-1
③姓名・Name(年齢・Age)    三島 庄市  Mishima Shoichi  (47)
④ 日 本 本 籍 地      広島県深安郡賀茂村
④ Japan  Address       Kamo-Mura Fukayasu-Gun Hiroshima-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・リマ市
⑤ Before Address        Peru Lima-City
⑥収容前職業・Occupation     洋品店・Clothing Stpre       
⑦家族 ・Familly Name      妻・キクノ Mishima Kikuno(w)
                 長男・進   Mishima Susumu(1s)
                 長女・百合子  Mishima Yuriko(1d)
                 次女・御代子  Mishima Miyoko(2d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1058~1063
②収容所・ Room No.      V-31-32
③姓名・Name(年齢・Age)    三島 多作  Misima Tasaku  (40)
④ 日 本 本 籍 地      岡山県児島郡灘崎村
④ Japan  Address       Nadasaki-Mura Kojima-Gun Okayama-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・カニエテ
⑤ Before Address        Peru Kaniete
⑥収容前職業・Occupation     雑貨商・ General store     
⑦家族 ・Familly Name      妻・シズカ  Mishima Shizuka(w)
                 長男・登  Mishima Noboru(1s)
                 長女・政子  Mishima Masako(1d)
                 次男・一成  Mishima Kazunari(2s)
                 三男・勝  Mishima Masaru(3s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1064~1066
②収容所・ Room No.      T-40-B
③姓名・Name(年齢・Age)    三橋 謙助  Mihashi Kanesuke  (42)
④ 日 本 本 籍 地      神奈川県足柄上郡福沢村
④ Japan  Address       Fukuzawa-Mura Ashigarakami-Gun Kanagawa-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      加州・ガダルーペ
⑤ Before Address        Guadalupe C.A.
⑥収容前職業・Occupation     機械工・Machinist    
⑦家族 ・Familly Name      妻・ウラ  Mihashi Ura(w)
                 長女・一枝  Mihashi Kazue(1d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1067~1073
②収容所・ Room No.      EQ-75-3
③姓名・Name(年齢・Age)    宮平 幸蔵  Miyadaira Kouzo  (54)
④ 日 本 本 籍 地      沖縄県国頭郡羽地町
④ Japan  Address       Haji-Cho Kunigami-Gun Okinawa-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・カイヤオ市
⑤ Before Address        Peru Kaiyao-City
⑥収容前職業・Occupation     素麺製造・Somen Manufachuring   
⑦家族 ・Familly Name      妻・スミ子 Miyadaira Sumiko(w)
                 長女・セツ子 Miyadaira Setuko(1d)
                 長男・哲男 Miyadaira Tetuo(1s)
                 次女・ヱミ子 Miyadaira Emiko(2d)
                 次男・忠重  Miyadaira Tadashige(2s)
                 三男・忠信  Miyadaira Tadanobu(3s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1074~1078
②収容所・ Room No.      D-59-A
③姓名・Name(年齢・Age)    宮本 文哲  Miyamoto Fumitetu  (56)
④ 日 本 本 籍 地      大分県北海部郡津久見町
④ Japan  Address       Tukumi-Cho Kitakaifu-Gun Ooita-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      布哇・オアフ島
⑤ Before Address        Hawaii Oahu
⑥収容前職業・Occupation     開教師・missionary  
⑦家族 ・Familly Name      妻・フミ  Miyamoto Fumi(w)
                 長女・妙子  Miyamoto Taeko(1d)
                 三男・輝文  Miyamoto Terufumi(3d)
                 次女・圭子  Miyamoto Keiko(2d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1079~1083
②収容所・ Room No.      F-36-A
③姓名・Name(年齢・Age)    宮王 重丸  Miyao Shigemaru  (41)
④ 日 本 本 籍 地      広島県比婆郡峯田村
④ Japan  Address       Minata-Mura Hiba-Gun Hiroshima-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      布哇・ホノルル市
⑤ Before Address        Hawaii Honolulu
⑥収容前職業・Occupation     神道布教師・Shinto missionary 
⑦家族 ・Familly Name      妻・ユキ  Miyao Yuki(w)
                 次男・孝臣  Miyao Takaomi(2s)
                 長女・順子  Miyao Jyunko(1d)
                 三男・正典  Miyao Masanori(3s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1084~1085
②収容所・ Room No.      T-52-C
③姓名・Name(年齢・Age)    宮王 芳枝  Miyao Yoshie  (53)
④ 日 本 本 籍 地      島根縣邑智郡口羽村
④ Japan  Address       Kuchiba-Mura Oochi-Gun Shimane-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      布哇・ホノルル市
⑤ Before Address        Hawaii Honolulu
⑥収容前職業・Occupation     神道布教師・Shinto missionary 
⑦家族 ・Familly Name      養女・三上篤子  Mikami Atuko(d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1086~1087
②収容所・ Room No.      D-2-A
③姓名・Name(年齢・Age)    三好 新吉  Miyoshi Shinkichi  (67)
④ 日 本 本 籍 地      広島県広島市土手町
④ Japan  Address       Dote-Machi Hirosima-City Hiroshima-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      加州・ターミナル島
⑤ Before Address        Terminal Island, CA.
⑥収容前職業・Occupation     神道布教師・Shinto missionary
⑦家族 ・Familly Name      長女・文子 Miyoshi Fumiko(1d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1088~1091
②収容所・ Room No.      T-29-A
③姓名・Name(年齢・Age)    水上 文吉  Minakami Bubkichi  (42)
④ 日 本 本 籍 地      福井県三方郡耳村
④ Japan  Address       Mimi-Mura Mikata-Gun Fukui-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      加州・エルク
⑤ Before Address        Elk C.A.
⑥収容前職業・Occupation     農業・Agriculture
⑦家族 ・Familly Name      妻・スマ  Minakami Suma(w)
                 長男・清  Minakami Kiyoshi(1s)
                 次男・巌  Minakami Iwao(2s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1092~1097
②収容所・ Room No.      EQ90-1
③姓名・Name(年齢・Age)    水田 昇  Mizuta Noboru  (46)
④ 日 本 本 籍 地      広島県安佐郡長束村
④ Japan  Address       Ngagasoku-Mura Asa-Gun Hiroshima-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・リマ市
⑤ Before Address        Peru Lima-City
⑥収容前職業・Occupation     薪炭卸商・Coal Wholesale
⑦家族 ・Familly Name      妻・雪子  Mizuta Yukiko(w)
                 長男・秀實  Mizuta Hidemi(1s)
                 長女・君枝  Mizuta Kimie(1d)
                 次女・禮子  Mizuta Reiko(2d)
                 次男・秀夫  Mizuta Hideo(2s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1098~1099
②収容所・ Room No.      V-3
③姓名・Name(年齢・Age)    門間 栄三郎  Monma Eizaburo  (58)
④ 日 本 本 籍 地      宮城県亘理郡亘理町
④ Japan  Address       Watari-Cho Watari-Gun Miyagi-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・スーベ町
⑤ Before Address        Peru Sube-Town
⑥収容前職業・Occupation     農業・Agriculture
⑦家族 ・Familly Name      妻・クマヨ Monma Kumayo(w)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1100~1101
②収容所・ Room No.      Dv-93-A
③姓名・Name(年齢・Age)    森山 倉太  Moriyama Kurata  (61)
④ 日 本 本 籍 地      福岡県糸島郡長糸村
④ Japan  Address       Nagaito-Mura Itoshima-Gun Fukuoka-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・カニエテ
⑤ Before Address        Peru Kaniete
⑥収容前職業・Occupation     雑貨商・General store
⑦家族 ・Familly Name       妻・ヒサノ Moriyama Hisano(w)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1102~1103
②収容所・ Room No.      D-33-B
③姓名・Name(年齢・Age)    毛利 元一  Moukri Motoichi  (55)
④ 日 本 本 籍 地      石川県江沼郡篠原町
④ Japan  Address       Shinohara-Cho Enuma-Gun Ishikawa-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      ハワイ・ホノルル市
⑤ Before Address        Hawaii Honolulu
⑥収容前職業・Occupation     医師・Doctor
⑦家族 ・Familly Name      妻・石子 Mouri Ishiko(w)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1104~1105
②収容所・ Room No.      T-32-C
③姓名・Name(年齢・Age)    森本 市太郎  Morimoto Ichitaro  (72)
④ 日 本 本 籍 地      南米・ペルー国リマ市パリアコト
④ Japan  Address       Peru Lima-City Pariakoto St.
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・リマ市
⑤ Before Address        Peru Lima-City
⑥収容前職業・Occupation     商業・Commerce
⑦家族 ・Familly Name      妻・幸子 Morimoto Sachiko(w)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1106~1108
②収容所・ Room No.      D-35-A
③姓名・Name(年齢・Age)    森元 藤吉  Morimoto Toukichi  (66)
④ 日 本 本 籍 地      高知縣土佐郡鏡村
④ Japan  Address       Kagami-Mura Tosha-Gun Kouchi-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      加州 ホーソン
⑤ Before Address        Hawthorne C.A.
⑥収容前職業・Occupation     農業・Agriculture
⑦家族 ・Familly Name      妻・マサキ Morimoto Masaki(w)
                 次男・志郎  Morimoto Shiro(2s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1109~1114
②収容所・ Room No.      D-9-B
③姓名・Name(年齢・Age)    森岡 常茂  Morioka Tuneshige  (36)
④ 日 本 本 籍 地      高知縣吾川郡弘岡上ノ村
④ Japan  Address       HiraokaKmino-Mura Agawa-Gun Kouchi-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      加州 メリスビル
⑤ Before Address        Merrisville C.A.
⑥収容前職業・Occupation     商業・Commerce
⑦家族 ・Familly Name      妻・君子  Morioka Kimiko(w)
                 長女・百合子  Morioka Yuriko(1d)
                 長男・富雄  Morioka Tomio(1s)
                 次女・知恵子  Morioka Chieko(2d)
                 三女・小夜子  Morioka Sayoko(3d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1115~1121
②収容所・ Room No.      V5,6
③姓名・Name(年齢・Age)    森重 政留  Morishige Masatome  (51)
④ 日 本 本 籍 地      大分県東国後郡上国埼村
④ Japan  Address       Kamikunashiri-Mura HigasiKunashiri-Gun Oita-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・トルヒーヨ市
⑤ Before Address        Peru Torihiyo-City
⑥収容前職業・Occupation     写真業・Photo Shop
⑦家族 ・Familly Name      妻・静香  Morishige Shizuka(w)
                 長男・康  Morishige Yasusi(1s)
                 三女・桂子  Morishige Keiko(3d)
                 四女・孝子  Morishige Takako(4d)
                 五女・十九日  Morishige Tokumi(5d)
                 六女・輝香  Morishige Teruka(6d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1122~1128
②収容所・ Room No.      D-32-B
③姓名・Name(年齢・Age)    森高 未太郎  Moritaka Mitaro  (53)
④ 日 本 本 籍 地      熊本県菊池郡平真城村
④ Japan  Address       Hiramashiro-Mura Kikuchi-Gun Kumamoto-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・チクライヨ
⑤ Before Address        Peru Chikuraiyo
⑥収容前職業・Occupation     理髪業・Barber Industry
⑦家族 ・Familly Name      妻・光枝  Moritaka Mitue(w)
                 長女・信子  Moritaka Nobuko(1d)
                 次女・美子  Moritaka Yoshiko(2d)
                 長男・永人  Moritaka Nagato(1s)
                 三女・栄子  Moritaka Eiko(3d)
                 四女・朱美  Moritaka Akemi(4d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1129~1135
②収容所・ Room No.      D-16-B
③姓名・Name(年齢・Age)    向山 甲子郎  Mukouyama Kineo  (42)
④ 日 本 本 籍 地      兵庫県神戸市灘区高羽町
④ Japan  Address       Takahane-Cho Nada-Ku Kobe-City Hyogo-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・リマ市
⑤ Before Address        Peru Lima-City
⑥収容前職業・Occupation     輸入業・Import Trade
⑦家族 ・Familly Name      妻・千代香 Mukouyama Chiyoka(w)
                 長男・禮一郎 Mukouyama Reiichiro(1s)
                 次男・承二郎 Mukouyama Shoujiro(2s)
                 長女・美鈴  Mukouyama Misuzu(1d)
                 三男・琢巳  Mukouyama Takumi(3s)
                 四男・滋  Mukouyama Shigeru(4s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1136~1138
②収容所・ Room No.      V-78
③姓名・Name(年齢・Age)    宗像 庫人  Munakata Kurando  (47)
④ 日 本 本 籍 地      広島県安芸郡奥海田村
④ Japan  Address       Okukaita-Mura Aki-Gun Hiroshima-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・チンチヤ
⑤ Before Address        Peru Chinchia
⑥収容前職業・Occupation     洋品店・Clothing Store
⑦家族 ・Familly Name      妻・政子 Munkta Masako(w)
                 長女・玲子  Munkta Reiko(1d)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1139~1143
②収容所・ Room No.      C-71-3
③姓名・Name(年齢・Age)    村上 健次  Murakami Kenji  (40)
④ 日 本 本 籍 地      福島県郡山市本町
④ Japan  Address       Hon-Mchi Kouriyama-City Fukushima-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・リマ市
⑤ Before Address        Peru Lima-City
⑥収容前職業・Occupation     輸入業・Import Trade
⑦家族 ・Familly Name      妻・きみ  Murakami Kimi(w)
                 長女・幸子  Murakami Sachiko(1d)
                 長男・一夫  Murakami Kazuo(1s)
                 次男・紀夫  Murakami Norio(2s)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1144~1145
②収容所・ Room No.      EQ-88-4
③姓名・Name(年齢・Age)    村上 左門  Murakami Samon  (49)
④ 日 本 本 籍 地      熊本県菊池郡護川村
④ Japan  Address       Morikawa-Mura Kikuchi-Gun Kumamoto-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・リマ市
⑤ Before Address        Peru Lima-City
⑥収容前職業・Occupation     大工業・Carpenter
⑦家族 ・Familly Name      妻・モトヱ Murakami Motoe(w)

・・・・・
①整理番号連番  ・No.     1146~1149
②収容所・ Room No.      T-13-A
③姓名・Name(年齢・Age)    村木 末男  Muraki Sueo  (36)
④ 日 本 本 籍 地      山口県大津郡宇津賀村 
④ Japan  Address       Uzuga-Uzuga-Mura Out-Gun Yamaguchi-Ken JAPAN
⑤ 収 容 前 住 所      南米・ペルー・タルマ
⑤ Before Address        Peru Taruma
⑥収容前職業・Occupation     洋品店・Clothing Store
⑦家族 ・Familly Name      妻・ヤス子 Murai Yasuko(w)
                 長男・廣形  Murai Hirokata(1s)
                 長女・洋子  Murai Yoko(1d)

・・・・・




メキシコ紀行 2

2025年02月16日 08時22分48秒 | 旅紀行
成田を立って9時間程度で北米大陸に到着する。
飛行機の「道路」を通って、機はロスから右旋回をしてメヒコ目指して南下を始めます。
モニターは刻刻と現在地と到着までの距離を示してくれるので面白い。
昔々はこんな技術はなかった。
また、耳が気圧の変化で痛くなることも殆どなくなった。
機体の気圧調整技術の進化でしょう。

米国内上空は眼下に綺麗な街並みやハイウエイが広がりますが、メヒコ国内に入った
とたん、赤茶けた山野が広がり、民家も殆ど見当たらない。道もけものみちのような
感じで殆ど見られない。沃野のカルフォルニア州と乾燥地のメキシコ北部ではこんなに
違うものかと。

昔々、ティファナからバスに乗り、途中グアダラハラを経由してメヒコシティに着くのに
二泊三日かかって、荒れ道で揺さぶられながら、延々と続くサボテンのみの荒野を現在
上空から眺めている。感無量でもあった。

流石にメヒコシティに近づくと、少しづつ緑や耕作地、民家が増えてきた。
現在は乾季なので、赤茶けて埃まみれも仕方がない。
雨季になり種まきを始めて収穫する。メキシコの農業の90%は水を雨に頼っているので
気候変動は気になるらしい。ただ、色んな物はとれるので、冷凍して日本にも輸出して
いるとのこと。スカイラークも輸入元の一つと云われます。

無事、着陸し、イミグレーションも機械なので、入国スタンプはもらえず。残念。

都心部までは結構混みあっている。それでもなんとか予定より1時間早く、ホテルに
ついたので、予定にない、国立人類学博物館へタクシーを飛ばした。
メキシコは雲助も多いので、フロントを通じて依頼した。安い流しは結果的に高く
つきますし身の危険もあります。半世紀前は羽田にも雲助が沢山いたので、日本人も
モノレールに乗ったことを思い出しました。現在は成田も羽田も中国人白タクが多くて
警察といたちごっこをしている。(笑)

博物館に着いたのは閉館2時間前だったので急ぎ足になってしまいました。
じっくり見ると1日はかかるのを2時間だから駆け足に近い。
昔も来たことがあるので懐かしかった。一階右側から先史時代の説明から
ケッツアコアトル、ティオティワカン、トルテカ、オアハカ、マヤ文明が順序よく
並んでいる。日本でいえば、千葉県佐倉の国立歴史博物館のような構成であるが
レプリカや模型ではなく「実物」を展示しているので迫力がある。
この博物館を見学するだけでメキシコ全土の歴史が感じられる。
私の大好きな、カレンダリオ(暦石)がむ迎えてくれた。
日本の縄文・弥生時代にこれらの文明を育んでいたのには驚きでもあった。

北米のインディアンもメキシコ、ペルーの古代人はまだアリューシャン列島や日本が韓半島
と繋がっていた時代に移住したモンゴリア(モンゴル人)なので、純粋な赤ちゃんは
日本の赤ちゃんと同じ「蒙古斑」がお尻にある。

北米はイギリスやフランス人が入植を始めてインディアンを殺しながら領土を広げて
いった。メキシコはスペイン人が同じことをして領土とし、南米はスペインとポルトガル
が植民地化していきました。その中で多くの現地人の文化と人命が失われたことは
歴史が教える所でもありますね。

欧米人は基本的には現在も白人が一番です。

また、アメリカは国(領土)は買えるものと思っています。
アメリカ50州のうち多くはデール(取引)で取得しています。
カフフォルニア州やテキサス州はほぼ只同然でメキシコから買っています。
他にフランスからも買っています。アラスカは帝政ロシアから50万ドルで買ったと
されます。ハワイはハワイ国王を脅迫して奪いましたね。
だから、トランプはグリーンランドを米国の安全保障上「売れ」と言っていますが
唐突のことではありません。米国人は国も売り買いできると思っています。
スエズ運河の管理権を返せと言っていますが、パナマはスエズの出入口の管理権を
レッドチャイナに渡したことからトランプが反発していますね。

習近平中国は静かに世界制覇を目指しています。
静かに水面下でしますので気が付いたときはもはや遅しです。
中国製違法薬物をカナダとメキシコを経由して米国に流入させ年間3万人が死亡する
とします。トランプはこれに怒っています。日本のニュースは流しません。
中国からしたらアロー号事件や阿片戦争の前、欧米が阿片(麻薬)を大量に中国清国に
流しこみ中国を清王朝を滅亡させた原因とみていますので、いまはその逆の意趣返しを
している感がありますね。阿片流入がなけらば香港も澳門も上海租界も義和団事件も
起きなかったと彼らは考えています。遠い昔の話ですが、彼らは昨日のこととしています
ので、話の前提が変わりますね。先回のアンカレッジの日米会談はアロー号事件・
阿片戦争から始まりましたね。

日本人も中国の考えを教わっていますから、習近平の戦略はよくわかりますが
欧米人には分かりません。習近平の戦い方は「孫氏の兵法」そのものです。

「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」と。

敵の知識、技術、考え方、と自分の知識、考え方、持てる技術を冷静に判断して戦いに
供えるべしと、孫氏は説きました。日本人もよく学びましたね。

まず、国内市場開放を餌に技術を諸外国から吸収しました。
製鉄技術、自動車生産技術、新幹線技術、造船技術、半導体技術、QC技術を数十年で
会得しました。製鉄は新日本製鉄が自動車はWGが新幹線は東芝が造船と半導体は日本
企業の韓国経由での移植ですね。親方が弟子に技術を教えたら弟子が大きくなった。
これはこれで向こうの戦略ですから仕方ありません。

また、また、トランプの出現は新植民地主義の始まりですね。
これらに賛同する欧米人も多いのですね。
関税と云う名の取引で日本も含めて、植民地化が進むでしょうが、
この嵐は四年間しか吹き荒れませんので身をかがめるだけでしょう。(笑)

隣のカナダがトランプの意に沿わないなら「米国の51番目の州になれ!」とするのも
これらの考え方の延長戦ですね。

最近、彼は「ガザ地区」からパレスチナ人を全員追い出し、アメリカの管理下にすると
本気で言いだした。或る意味、もめ事の種を無くす工夫でもある。
ハマスは必ず、リベンジに挑戦するからでしょうね。

中東問題は常にイスラム教徒とユダヤ教徒の「先祖の地」をめぐる争いですから
宗教が無効化しなければ永久に終わることはありません。

ユダヤ人のバイブル「旧約聖書」は今のイスラエルの地をユダヤ人の先祖伝来の
地であるから帰って建国せよと「出エジプト記」に書きます。
返すイスラム教の始祖マホメットは622年イスラエルの地を聖地とします。
これが100KM程度離れていれば話は変わったでしょうね。
「旧約聖書」と「新約聖書」を聖典とするカソリックもプロテスタントも
ユダヤを支持します。

しかし、イスラエルがガザに対する行為は「ジェノサイト」(民族滅亡)を目的に
しているとしか思えないのは我々、仏教徒の目のくもりかな?
かってヒットラーがユダヤ民族滅亡に走ったことと同じことをしており、アメリカは
ウクライナ人よりユダヤ人を重視する。

ロシア帝国はウクライナ(キエフ公国)から派生した分家みたいなものだから欧米人には親子喧嘩としか映らないのかも。元々、ソビエト連邦だと思っている。

イスラム教徒もユダヤ(キリスト)教徒も聖典では優しいことを言っていますが
身に危害が及ぶ場合は狂暴化します。
「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」と聖書はのたまうにに。

この点、我が仏教のお釈迦さまは優しすぎるので、ヒンズー教徒に追いやられましたね。
他力本願系と自立本系に行動はわかれますが、現世の争いは好みません。
この為、釈迦の教えを守る日本人はキリスト教やイスラム教の狂暴さは理解できません。
普段はみんな優しいのですが、一戦を守る人たちです。

メキシコ国立人類学博物館を巡るうちに、植民地時代で大公開時代と呼ばれる中の背景
説明がされるが、現在の世界情勢も16世紀とあまり変わらないと思いつつ、上記の感想を思いつつ、博物館を後にした。

  つづく・・・

メキシコ紀行 1

2025年02月15日 17時11分23秒 | 旅紀行
コロナが収まって少しづつイン、もアウトバウントと回復しつつありますね。
ただ、円安でアウトよりインのほうが多く有名観光地は「オーバーツーリズム」状態となり
日本の観光業は痛し痒しですね。

私は野次馬ですので見たことのない世界を覗きに時折、無い金をはたいて海外渡航をします。

一般的な紀行文は他に人に回して私の感想を主に書く紀行とします。あしからず。

今回、50年前に訪れた、メキシコにかって大変お世話になった方にお礼を申しあげるために思い切って
渡航を決意しました。しかし、円安でコストはコロナ前の二倍以上に上がっており、サイフを
睨みながらも、もう身体のガタが来ているのでこれが最後と思い切りました。

まず最初に驚いたのは旅行代理店はコロナでベテランのセールスレディがレイオフされており、今回
受付の方は、出る人出る人皆違う事を云います。出発直前までイライラさせられました。

日本の庶民を相手の旅行会社は、JTB,阪急交通、近ツリ、HISであるが、どこもベテランを
レイオフしておりコロナ前の対応ができない。仕方がないと言えば仕方ないが、コロナの時、詐欺
まがいの補助金申請して未だにそも後遺症に泣かされている社もあるようだ。

まづ前段階で飛行機のシート(席)の確保が面倒でした。
かっては、2時間前にカウンターに行けば、大体好きな席はとれた。
現在はネットで売買予約されるので、遅くなると、希望の席はなくなる。
私は野次馬ですので、外が見える席が欲しい。夜も昼も関係ない。

ただ、翼の上は何も見えないので、ネットで機種の座席表を確認してから申し込む。
今回はWEBで予約したが、ANAなので空席を全部晒していない。JALもシステムは同じで
しょう。海外の航空会社は歯抜け状態でなんともならない場合が多いが、JALとANAは知り合い
同士を一緒にしようとしてくれる。このやさしさは海外航空会社では全く通用しない。親子でも
飛び離れた所に座らされることもある。

まず席は確保した。
二時間前に最終チェックインし、荷物を預けて、イミグレーションへ数年前からパスポートと顔認証
をするだけだから、時間はかからない。ただ、出国の判子が貰えないので、わざわざ記録の為に判子
を貰いに行く。ビジネスマンは旅券のページ数は減るのでそんな事はしない。
私は滅多に行かないから記録を残します。

夕方出発でメキシコシティまで12時間の旅である。今は直行便が飛べるようになり助かる。
50年前は直行できるだけの能力のある飛行機はなかった。シスコかロスに飛んでそれから、乗り継ぎで
あった。私は当時、金が無かったの米国内はグレイハウンド・バス、メヒコ国内はトランスポルテ・
デル・ノルテであった。

定刻に離陸した。周りを見ると日本人は殆どいない。ANAなのに「嘘!」と思った。

案の定、最初にコンタクトしてきたCAは英語で話しかけてきた。
日本語で返すと以後、日本語で話す、日本人と日本人の会話でした。
CAも大変だ。席事に言葉を使い分けることを12時間記憶しておかなくてはならない。
確かに今は日本人観光客はすくなく、殆どは出張もビジネスマン風でした。
アジア人は日本人よりも中国人、韓国人が多い。一見見分けはつかない。
日本の飛行機なのに、なにか、情けなくなった。国力の無さを感じた。

時差を考慮して何とか寝ようとするが、不眠症の私にはダメでした。
寝るには酒の力を借りるのに限ると、ウイスキーのロックを二杯飲んで少しうたた寝した。

それでも足りない場合としてボーディングの前にビールと焼酎を2本買ったがお世話にならなかった。

おやすみ。

  つづく・・・

どこへ行くの? 日産自動車?

2025年02月13日 06時15分51秒 | 談論風発
昨年、日産自動車、ホンダ、三菱自動車 三社の大統合が発表され世界第三位の
自動車メーカーの出現が報道されました。

日本経済復活かと世間を騒がせましたが、台湾のホンファイが日産買収に動いているので、
あわてて日産はホンダに助けを求めてとか、日産の影響下にある三菱自動車も一緒に
統合会見をしました。

現在の日産は腐りかけのカボチャみたいなもので、統合に当たり、ホンダは腐った
部分を切り捨てる計画を1月末まで出すのが、条件でしたが、日産はそれが出来ず、
本日、両社取締役会で統合計画中止を議決します。

タイミングを見て台湾のホンファイは「日産を買収ではなく提携する」と発表しましたが、
これは日本の世論を意識した表現ですね。
日産の大株主はフランスのルノーであり37%を保有していますので、これを
フォンファイは買い取るとしますので、これが渡ると、日産は実質、台湾企業となります。

ただ、一旦買収を諦めた台湾企業は「買収ではなく提携」としたのは、日産のバカな経営陣
の塊りと、高コストの従業員を丸ごと引き取るはリスクが高いと判断した可能性があります。
日産の役員は60名近くいてスムーズな意思決定はできません。
従業員組合も多すぎてこちらの説得も大変です。
儲かっていないのに給与はホンダ社員より高い高コストです。
しかも会社の値段(時価総額)はホンダの六分の一ですが、日産経営陣は対等合併を主張
しました。これではホンダは飲めません。
台所事情がバレたので、日産は今後、色んな所から美味しい所だけ吸われるでしょう。
バカとしか言いようがありません。

かって、早川氏が創業した「シャープ」が台湾企業に買収され商品レベルは格段に落ち
ました。まだ、我々日本人は旧シャープの技術継承を信じて新シャープの製品を買い続けて
います。ブランドイメージの強さですね。かっての三洋電機の洗濯機ブランド「アクア」も
中国企業に買収されましたがいまだに日本人は買いますね。

三洋電機とシャープの、海外企業買収でお役御免になった電気技術者を雇用して弱電商品を
作り販売し始めたのが「アイリス オーヤマ」ですね。この会社は元々プラスティク製品製造
会社ですので、製品化を急ぎます。かってのシャープも製品化を急ぐあまり、短期間で壊れる
製品を多く作り、「安くてユニークだけどすぐ壊れるシャープ製品」の伝承を継承して
います。アイリス・オーヤマの冷蔵庫は安いですが壊れやすく、アフターサービスは最低
ですね。

三洋電機とシャープを引き合いにだしましたが、今回、日産が台湾企業の傘下になると
同じことが起こるでしょう。

泥舟の船長がホンダに{助けて」と言ったのに、一部の幹部船員が今回反対しました。

今回はこれらの幹部船員が一番問題です。身の保身としか見えません。下級船員(一般社員)
は蚊帳の外です。かってルノーにしがみつく前の状態と同じですね。

一次期は世界最高の技術力を誇り、「なんとか動く四輪車ならトヨタ」「スポーティで
尖った車ならホンダ」「デザインが洗練され最高のエンジンなら日産」と謳われた時代がありましたね。

(ケンとメリーのスカイライン)は当時はよだれ物でしたね。トヨタなんか目ではなかった。

数日前にメキシコから帰ってきましたが、現地では「ケンメリ」ではありませんが、多くのスカイラインが現役で
走っていました。他のメーカーの新車よりスピーディーで驚きました。日産は現地工場がありますので現地の
タクシーは殆ど日産でしたね。

ただトヨタは製販合体し「マーケティング重視」としたので技術が劣るだけ「セールス重視」戦略を取り現在の築きました。
今でも「可も無し不可も無し」の車です。
製造台数は世界一ですが一台利益はイマイチなのがそれを意味します。

しかし日産の技術は未だ世界一流ですが、これが海外に流出すると日本全体ではマイナスです。
日産のエンジン技術と製造ノウハウは未だ一流です。電気自動車が現在主流ですが、おっつけ水素自動車に代わります。
こちらのノウハウはトヨタが独占ですがまだ儲かりません。
ただ空飛ぶ自動車商業化までですね。

ともあれ日産の経営陣は再度、ホンダの子会社化となっても日本の技術と従業員を守る決断
をするべきでしょう。経産省は何をしているのでしょう。

民間の話ですが、広い意味では「日本の安全保障」に拘ります。
石破首相は新日鉄とUSスチールにコミットしました。
昨日、鉄とアルミの関税除外にコミットしましたので、今回の日産案件は経産省案件です。

山口県と関係なさそうですが、日産自動車の前身、「日本産業㈱」の基礎を築いたのは長州藩士鮎川家の息子、
鮎川義介ですね。日産は数少ない山口県関連企業となります。
親戚の外務大臣井上肇も手助けした企業です。

しばらく、様子をみましょう。国家案件となりました。

今、鮎川義介がいればどう判断したでしょうかね?