今日は、12月最初の巳の日で、4月になくなった父の「みんま」を行いました。
「みんま」カラスの鳴く前にやるものとのことですので、妻は、朝4時起床で「もちつき」やらで忙しい朝でした。
「みんま」とは、その年亡くなった新仏様のお正月「巳正月」とも言われています。
愛媛にはこの習慣が深く残っていて、12月の第1の巳の日、または第2の巳の日にはあちこちの墓地でこの光景が見られるようです。みんまの仕方や過ごし方は、地域によって多少異なっていますが、これといった決まり事はありません。
ただ、みんまには、近親の者が墓地にしめ飾りやお餅を供えて、そこで餅を焼いて食べますが、みんまは取り立てて招待するというタイプのものではありません。供養してあげたいという近親者が主になって行われます。
みんまについてはいろいろな説があります。代表的なものとして残っているのは、秀吉の朝鮮出兵の帰途に、松山市の高浜の海岸で戦死した兵士を弔うために餅をつき、それを朝鮮に向け供え、後でみんなが食べたというもののようですです。その時に、竹で餅を突き刺して食べたといわれ、今にその習慣を受け継いでるところもあるようです。
「みんま」カラスの鳴く前にやるものとのことですので、妻は、朝4時起床で「もちつき」やらで忙しい朝でした。
「みんま」とは、その年亡くなった新仏様のお正月「巳正月」とも言われています。
愛媛にはこの習慣が深く残っていて、12月の第1の巳の日、または第2の巳の日にはあちこちの墓地でこの光景が見られるようです。みんまの仕方や過ごし方は、地域によって多少異なっていますが、これといった決まり事はありません。
ただ、みんまには、近親の者が墓地にしめ飾りやお餅を供えて、そこで餅を焼いて食べますが、みんまは取り立てて招待するというタイプのものではありません。供養してあげたいという近親者が主になって行われます。
みんまについてはいろいろな説があります。代表的なものとして残っているのは、秀吉の朝鮮出兵の帰途に、松山市の高浜の海岸で戦死した兵士を弔うために餅をつき、それを朝鮮に向け供え、後でみんなが食べたというもののようですです。その時に、竹で餅を突き刺して食べたといわれ、今にその習慣を受け継いでるところもあるようです。