テレビ番組で最近話題のおかた…平林都女史。
接遇教育のプロだそうだ。
相手が誰であろうと、歯に衣着せずポンポン言うのは小気味よい。
仏頂面だった男や女が、見る見る変化していくさまも面白い。
他人事だから笑っていられるんだけどね。
自分だったら…我が子だったら…泣いちゃうかもねん。
接遇…これを身につければ、自分も周りも幸せになれるとおっしゃる。
仕事だけでなく、家庭にも必要だとおっしゃる。
もっともだ。
なにより、野生社会人の意識改革において
大きな功績を果たされていると思う。
このところ我が家でも、少々異なる意味で平林女史がブームである。
彼女が出演する番組を子供たちが見たことから始まる。
あれ以来、私は家族から「平林さん」と呼ばれているのだ。
「笑え!」「返事せぃ!」「ボヤボヤすな!」
などと早口に短く言う所がそっくりだと大笑いする。
うっ…否定できない。
弁解になるが、そんな言い方になったのには理由がある。
それは3世代同居をしていた頃にさかのぼる。
祖父母というのは、嫁が孫にガミガミ言うのを一番嫌がる。
うるさいのと孫がかわいそうなのとでいたたまれなくなり
「ご近所に聞こえる」などと割って入って、うやむやにしてしまう。
たまにはいいが、いつもだと躾にならない。
元々キツい性格もあり
短くて効率の良いこの方法が自然に編み出されたのだ。
「小学校の時、子供会で海へ行ってサンダルが流れた時も怒られた」
次男が恨めしそうに言う。
そんなことあったっけ?とうそぶく私。
「金で解決できることで泣くな!って言われた…
こっちはショックで嘆き悲しんでるのによぉ」
ビーチサンダルは、海の家でたくさん売っている。
無くした物を惜しんで涙を流すヒマがあったら
さっさと買いに行けばいいのだ。
人命に関わる思いがけない不幸というのは、時として
取るに足りない物に執着した瞬間に訪れる。
しかし、いったんは抱きしめてお上手をし
サンダルのお悔やみを言う必要があったかもしれぬ。
子供への接遇…まるでなっていない。
長男は中学の時、学校へ行きたくない時期があった。
思春期にありがちな反抗だろうが
気にいらない原因を探しては、足音高く自室に入り
鍵をかけて閉じこもりやがる。
私は金属バットを取り出す。
まず飾りガラスの部分を割り、手を突っ込んで鍵を開け
ネジ回しでドアごとはずす。
学校へ行かないのは勝手だが、鍵をかけて閉じこもるのはダメなのじゃ。
「ドア無しでやってみぃ」
ドアが無いと、スースーしていまひとつ気分が出ないらしく
攻防は終了した。
「あの時はジェイソン(映画『13日の金曜日』に出て来る殺人鬼)
みたいだった」
といまだに言う。
これも接遇どころの騒ぎではない。
そういうことを平気でするから、夫にも夫の両親にも嫌われるのだ。
両親は「家を破壊した」と言って、当分の間怒っていた。
一族の嫌われ者でありながら、子供には
「人には好かれてナンボじゃ!」などと言う。
ああ…恥ずかしい。
せめて残りの人生は、他人にはもちろんのこと
家族にも「接遇」の2文字を頭に入れて接しよう…といつになく謙虚に考える。
そう考えたハシから
その心持ちが適用できそうにない人々の顔が浮かぶ。
困ったものだ。
接遇教育のプロだそうだ。
相手が誰であろうと、歯に衣着せずポンポン言うのは小気味よい。
仏頂面だった男や女が、見る見る変化していくさまも面白い。
他人事だから笑っていられるんだけどね。
自分だったら…我が子だったら…泣いちゃうかもねん。
接遇…これを身につければ、自分も周りも幸せになれるとおっしゃる。
仕事だけでなく、家庭にも必要だとおっしゃる。
もっともだ。
なにより、野生社会人の意識改革において
大きな功績を果たされていると思う。
このところ我が家でも、少々異なる意味で平林女史がブームである。
彼女が出演する番組を子供たちが見たことから始まる。
あれ以来、私は家族から「平林さん」と呼ばれているのだ。
「笑え!」「返事せぃ!」「ボヤボヤすな!」
などと早口に短く言う所がそっくりだと大笑いする。
うっ…否定できない。
弁解になるが、そんな言い方になったのには理由がある。
それは3世代同居をしていた頃にさかのぼる。
祖父母というのは、嫁が孫にガミガミ言うのを一番嫌がる。
うるさいのと孫がかわいそうなのとでいたたまれなくなり
「ご近所に聞こえる」などと割って入って、うやむやにしてしまう。
たまにはいいが、いつもだと躾にならない。
元々キツい性格もあり
短くて効率の良いこの方法が自然に編み出されたのだ。
「小学校の時、子供会で海へ行ってサンダルが流れた時も怒られた」
次男が恨めしそうに言う。
そんなことあったっけ?とうそぶく私。
「金で解決できることで泣くな!って言われた…
こっちはショックで嘆き悲しんでるのによぉ」
ビーチサンダルは、海の家でたくさん売っている。
無くした物を惜しんで涙を流すヒマがあったら
さっさと買いに行けばいいのだ。
人命に関わる思いがけない不幸というのは、時として
取るに足りない物に執着した瞬間に訪れる。
しかし、いったんは抱きしめてお上手をし
サンダルのお悔やみを言う必要があったかもしれぬ。
子供への接遇…まるでなっていない。
長男は中学の時、学校へ行きたくない時期があった。
思春期にありがちな反抗だろうが
気にいらない原因を探しては、足音高く自室に入り
鍵をかけて閉じこもりやがる。
私は金属バットを取り出す。
まず飾りガラスの部分を割り、手を突っ込んで鍵を開け
ネジ回しでドアごとはずす。
学校へ行かないのは勝手だが、鍵をかけて閉じこもるのはダメなのじゃ。
「ドア無しでやってみぃ」
ドアが無いと、スースーしていまひとつ気分が出ないらしく
攻防は終了した。
「あの時はジェイソン(映画『13日の金曜日』に出て来る殺人鬼)
みたいだった」
といまだに言う。
これも接遇どころの騒ぎではない。
そういうことを平気でするから、夫にも夫の両親にも嫌われるのだ。
両親は「家を破壊した」と言って、当分の間怒っていた。
一族の嫌われ者でありながら、子供には
「人には好かれてナンボじゃ!」などと言う。
ああ…恥ずかしい。
せめて残りの人生は、他人にはもちろんのこと
家族にも「接遇」の2文字を頭に入れて接しよう…といつになく謙虚に考える。
そう考えたハシから
その心持ちが適用できそうにない人々の顔が浮かぶ。
困ったものだ。