子供の頃、大人はいろいろと大変らしい…と気がついた。
働かないといけないし、結婚もしないといけない。
挨拶だって「その節は…」とか、難しいことを言わないといけないようだ。
そこで、将来ちゃんと大人になるために「おとな帳」をつづることにした。
大人に必要と思われることを書く。
まず『あいさつ』の部に続き
『おつとめにいったら』
かみはカールする。ハイヒールをはく。
おこられてもなかない。
『おとこのひとがすきになったら』
あなた、かれとよぶ。くるまでどこかへいく。おしゃれをする。
ばらいろ。みずいろ。
『おわかれをしたら』
きょうと、きたぐに、みずうみのどれかへいく
のりものはよぎしゃ。おさけをのむ。まちをでる。
これらは、商店街にいつも流れていた歌謡曲が元になっている。
そのうち母チーコに見つかり、燃やされる。
「ああっ!おとな帳がっ!」
「そんな先のことを今から心配せんでいい!」
もう大人になれない…私はさめざめと泣いた。
変な子供だったので、学校でも色々あった。
気にしない子は気にしないが、ちょっと塩のきいた女の子数人は
私を格好の餌食にした。
着るもの、容姿、言動…すべてが気に入らないということで
周囲にひと気が無くなると、時々囲まれた。
母チーコは、結婚するまでドレメ式とかいう洋裁学校の教師だったので
いつも妹とお揃いの洋服を縫って着せてくれた。
「そんな服着て、いい気になるな!」
「服は町内のカジハラ衣料かヤマムラ洋品店で買え!」
ああ言った…こんなことした…と責められるのは平気でも
こういうことはカンにさわる、やはり変な子供の私よ…当然抵抗する。
その関係は、そのまま中学へ持ち越された。
1年の時、ある事件が起きた。
深夜の駅に身を潜めていた某国からの密入国者集団を
祖父が偶然発見し、警察に通報したのだ。
正直なところ「じいちゃん、カンベンしてくれよ」の心境だったが、あとの祭。
新聞に大きく載り、私は翌日から完全にヒールとなる。
意地悪組に、やはり同じ国の女の子がいたからだ。
「同胞を警察に売り渡した!」
彼女は泣きながら叫ぶ。
おおっぴらな理由が出来て、調子に乗った集団は
人数を増やして、にわかに国際的社会派とあいなる。
「命がけで来たのに、見逃す優しさはないのか!」
「ひとでなし!」
口々に糾弾され、私は「密告者」というあだ名で呼ばれた。
私が通報したのなら言われてもいいが、えらい迷惑だ。
登校したら席に花が置かれ「死ね」と書いてある。
机にゴミ箱が逆さまに置いてある…持ち物を隠したり捨てる…
椅子に画ビョウ、弁当に砂を入れるなど、いじめのお決まりメニューと共に
学校帰りに囲まれて、延々と文句を言われるイベントが待っていた。
すべてが用意周到で、他の級友や教師は気づいていなかった。
…あるいは、気づいた者もいたかもしれない。
しかし、下手に首を突っ込んで、こじれたら身の破滅。
賢い者ほど気づかないふりをしたのかもしれない。
理不尽に応戦しようにも、私にとってこのテーマは上級すぎた。
彼女たちもよく理解しないまま、薄っぺらな友情を振りかざしたが
私もまた、お門違いの主張を跳ね返す知識や表現力が備わっていなかった。
余計なことを言って「差別発言」といっそう騒がれるより
黙っていたほうがいいと思った。
暴力こそ無かったが、彼女たちは
泣かないし謝らない…つまりかわいくない私の根性を
何とかしてたたき直そうと団結し、連日歪んだ正義感に燃えた。
こっちはこっちで、やつらの望む展開にさせてなるものかと踏ん張った。
大人に言えば、祖父は怒ってやつらの家を訪問する事態になるだろう…
頭の柔らかい小学生時代から続く彼女たちの行為は
結局親の姿そのままなのだということを私は肌で知っていた。
親からして腐っている血統書付きを他人がどうにか出来るわけがない。
祖父はピエロになり、日々の仕打ちはもっと陰湿になるだろう。
いいことなんかひとつも無いのだ…当時はそう考えた。
ところが、捨てる神あれば拾う神あり。
2年になった途端、男子から「告白」なるものが相次いだ。
モテたのではない…「錯覚」という一時的現象だ。
しかしそれは、天の助けでもあった。
人生には思わぬ方向から、必ず救いが用意されているものだと、その時知った。
男を敵に回したら損だと思ったのか「成敗」は急におさまり
「紹介して…」と手のひらを返してすり寄ってくる者まで出始める。
団結は崩れた。
その後、彼女たちとは普通に接した。
やつらはすっかり忘れており、私は忘れたふりをした。
傷ついた素振りを見せることを私の幼いプライドが良しとしなかった。
そのうち本当に忘れて、同じ高校へ進んだ者とは仲良くしていた。
成人してからは、ほとんど全員地元にいないので会っていない。
日本各地で、親譲りのそれなりの人生を送っているらしい。
主犯格が一人だけ地元に残っていたが、事故で永遠に会えない所へ行った。
さて、あれほど心配していた大人となった。
「あの時よりマシ」という感覚がついて回り
実際やってみると「子供やってるよりチョロい」と思った。