佐藤君とヒロミには常用が有効…
そう考えた私は、息子たちに手順を説明した。
な〜に、簡単だから、塩の効かないうちの子でもできる。
ちょうど我が社の決算は、今月末。
来期の方針を社内で発表するにはベストタイミングだ。
息子たちは朝のミーティングで、皆に軽〜く告げればいい。
「来期はちょっと暇になりそうなんで、積極的に常用を取るように本社から言われた」
本社からは何のお達しもないが、自分たちで決めたと言ったら面倒くさい。
アレらにとって都合の悪いことを発案した人間が目の前にいるとなると
何とかして阻止するために子供っぽい抵抗を続ける。
軽い頭をふり絞って考えた児童劇を見せられるのは、くたびれるじゃないか。
だから、アレらのよく知らない本社のせいにする。
これを聞いたヒロミは、必ず叫ぶだろう。
「え〜?!」
それから、騒ぎ始める。
「私は入ったばっかりじゃのに、できんわ〜!」
ここで、兄弟のどちらかが明るく返す。
「みんなに指示ができるほどのベテランなんじゃけん、大丈夫よ」
「……」
ヒロミは次の言葉が出なくなる。
ヒロミが黙ったら、今度は佐藤君が得意げに言うはずだ。
「僕はオートマだから、常用は無理」
大事なのはここからじゃ…私は息子たちに言う。
「佐藤君が車を言い訳にしだしたら、絶対取り合わずに
サッと切り上げて解散するんよ。
それから後は常用について何を聞かれても、一切しゃべったらいけん」
「えっ?」
常用をちらつかせ、二人をビビらせてお灸をすえる…
てっきりそう思っていた息子たちに、私の言葉は意外だった様子。
「甘いわ。
よう覚えとき。
戦いの基本は、敵を情報から隔離することよ」
絶対にやりたくない常用の二文字を聞いて、アレらの頭の中は疑問でいっぱいになる。
誰が言い出したのか…いつから行かされるのか…自分たちも行かされるのか…。
逆に言えば、アレらはそれほど常用を恐れているのだ。
納品仕事は、終わった者から帰れる。
だからアレらは行き先や商品、往復回数を勝手に変更して
自分たちだけは少しでも早く終業できるように画策していた。
一方、常用はビッチリ8時間拘束。
帰りが遅くなるし、気も使う。
現場によってはフィニッシャーと呼ばれる特殊車両をダンプの荷台に噛ませ
双方が呼吸を合わせて進むなんていう、技術と経験が無ければ困難な作業もあり
ちゃんとできなければ相手に怒鳴られる。
そりゃ、嫌だろう。
が、アレらが最も恐れるのは、行った先の現場で以前の職場の同僚と遭遇すること。
転職を繰り返してきた、似た者同士の二人にとってはこれが一番恐ろしい。
働く先々で、不義理を重ねているからだ。
佐藤君は忙しい時に限って急に持病の頭痛が出て、仕事に穴を空ける習慣に加え
社内をもませる腕前にかけては一目置かれている。
ヒロミもまた、仕事が忙しい時に限って急に母親が体調を崩し
仕事に穴を空ける習慣は、クラッチ名人の称号と共に有名である。
どちらもこれで会社に居られなくなり、転職を余儀なくされたことは
二人がそれぞれ入社した際に周囲からさんざん聞かされた。
それでも我々は気にしなかった。
入れてしまった者を単なる噂で辞めさせることはできないので
気にするわけにはいかなかったと言う方が正しい。
むしろ佐藤君の器用とヒロミの明るさを愛で
あちこちに顔向けできない彼らを守ってきたつもりだった。
ことに佐藤君の場合は深刻だ。
彼は以前、任侠系の同業者の会社で働いていた。
そこの社長は夫の友人で、コモノの佐藤君を気にも留めていないが
血の気の多い社員は違う。
だから辞めさせたければ、その会社と共有する常用仕事を組めば一発よ。
あえてそれをしないのは、そこまで腹を立ててないからだ。
ここに来て我々が常用の二文字を出したのは、彼が身の安全というぬるま湯に慣れ
調子に乗ってしまったからである。
ともあれ、人は嫌なことを回避するために、何でもいいから一つでも多くの情報が欲しくなる。
得た情報を並べ、どうすればいいかを考えることができるからだ。
常用の恐怖に怯えるアレらとて、例外ではない。
たとえ良い案が浮かばなくても、考えているというだけで安心するのである。
その情報が入手できなければ、想像するしかない。
けれどもデータが乏しい状態での想像は、妄想に過ぎない。
情報を与えずに孤立させると、妄想は日増しに膨らむものだ。
誰だかわからない本社の言い出しっぺを恨んでみたり
常用が始まるまでに辞めようかと考えてみたり
あれでも自分たちには適用されないかもと楽観してみたり、アレらの感情は揺れ続ける。
が、必死で考えているうち、必ずヒロミにひらめきが訪れる。
佐藤君はオートマだから常用に行けないと、いつも言っている…
今回も皆の前で言った…
じゃあ佐藤君のオートマと、常用仕様に架装してある自分の車を交換したら
自分だけは常用に行かなくて済むのではないか…。
ヒロミは佐藤君に、車を交換してくれとせがむようになる。
絶対にそうなる。
さあ、どうする佐藤君。
愛のために車を交換するのか。
ヒロミの頼みを冷たく断るのか。
我々には眺める楽しみができたというものだ。
佐藤君が渋々交換したら、彼は常用に行かなければならず
交換を断れば、ヒロミを見捨てることになる。
「守ってくれるって言ったじゃんか!」
「自分に付いたら得するって言ったじゃんか!」
幼稚なヒロミは、彼を執拗に責め続けるはずだ。
楽しいわけがない。
しばらくは交換をテーマにゴタゴタするがいい。
これが仲間割れでなくて、何なのだ。
うまくいけば、片方は辞めるかもしれない。
辞めなくても多少はおとなしくなるはず。
目立ってしまったら、常用に指名されるからだ。
だから息子には、あらかじめ言わせてある。
「みんなに指示ができるほどベテランなんじゃけん、大丈夫よ」
これにはヒロミだけでなく、裏で操る佐藤君もドッキリするに違いない。
ただし車両の交換は、アレらが思っているほど自由ではない。
取引先を始め、各方面への登録をやり直す作業が生じるので
夫の同意と本社の許可が必要だ。
社員の一存で車を交換する権利など、はなから無いのだ。
暴言の応酬で対決するなんて、子供のやること。
大人は、お互いの存在が邪魔になる小さな火種をまき
仲間割れを誘発させて自滅を促す。
誰が仕組んだのか…いや、仕組まれたことすら永遠にわからない。
みりこん流、自滅の刃である。
そしてつい先日、この作戦は実行された。
アレらはものの見事に、予定通りの言動をしたという。
「本社の誰が決めた?あの人?この人?」
「いつから始まる?来週?再来週?」
などの質問責めを経て、今は交換問題まで来ている様子。
「佐藤さんと車を換えたら、私は常用に行かんでええよね?」
ヒロミは息子たちに何度もたずねるそうだ。
ともあれ勝手な指示は止み、会社は本来のペースを取り戻した。
二人の恋の行方はまだわからないが、ずい分おとなしくなったのは確か。
とはいえ、ゲスは諦めが悪いものだ。
諦めが悪いからゲスなのだ。
この調子で行くと、アレらに残された最後の切り札は藤村。
佐藤君と内通している藤村に言いつけ、何とかしてもらうことだ。
例えば常用を推進した憎っくき人物が誰かを調べて、嘆願してもらう。
嘆願が無理な相手であれば、嘘でも何でもいい…
夫の落ち度を密告して会社を滅茶苦茶にする。
うまくいけば来期どころではなくなり、常用も自然消滅だ。
が、本社に常用を言い出した人物はいないので、藤村がいくら調べても出てこない。
それに藤村は今、下っ端の佐藤君のお悩み相談に乗るどころではないのだ。
とある一件によって、彼の身は危険にさらされていた。
《続く》
そう考えた私は、息子たちに手順を説明した。
な〜に、簡単だから、塩の効かないうちの子でもできる。
ちょうど我が社の決算は、今月末。
来期の方針を社内で発表するにはベストタイミングだ。
息子たちは朝のミーティングで、皆に軽〜く告げればいい。
「来期はちょっと暇になりそうなんで、積極的に常用を取るように本社から言われた」
本社からは何のお達しもないが、自分たちで決めたと言ったら面倒くさい。
アレらにとって都合の悪いことを発案した人間が目の前にいるとなると
何とかして阻止するために子供っぽい抵抗を続ける。
軽い頭をふり絞って考えた児童劇を見せられるのは、くたびれるじゃないか。
だから、アレらのよく知らない本社のせいにする。
これを聞いたヒロミは、必ず叫ぶだろう。
「え〜?!」
それから、騒ぎ始める。
「私は入ったばっかりじゃのに、できんわ〜!」
ここで、兄弟のどちらかが明るく返す。
「みんなに指示ができるほどのベテランなんじゃけん、大丈夫よ」
「……」
ヒロミは次の言葉が出なくなる。
ヒロミが黙ったら、今度は佐藤君が得意げに言うはずだ。
「僕はオートマだから、常用は無理」
大事なのはここからじゃ…私は息子たちに言う。
「佐藤君が車を言い訳にしだしたら、絶対取り合わずに
サッと切り上げて解散するんよ。
それから後は常用について何を聞かれても、一切しゃべったらいけん」
「えっ?」
常用をちらつかせ、二人をビビらせてお灸をすえる…
てっきりそう思っていた息子たちに、私の言葉は意外だった様子。
「甘いわ。
よう覚えとき。
戦いの基本は、敵を情報から隔離することよ」
絶対にやりたくない常用の二文字を聞いて、アレらの頭の中は疑問でいっぱいになる。
誰が言い出したのか…いつから行かされるのか…自分たちも行かされるのか…。
逆に言えば、アレらはそれほど常用を恐れているのだ。
納品仕事は、終わった者から帰れる。
だからアレらは行き先や商品、往復回数を勝手に変更して
自分たちだけは少しでも早く終業できるように画策していた。
一方、常用はビッチリ8時間拘束。
帰りが遅くなるし、気も使う。
現場によってはフィニッシャーと呼ばれる特殊車両をダンプの荷台に噛ませ
双方が呼吸を合わせて進むなんていう、技術と経験が無ければ困難な作業もあり
ちゃんとできなければ相手に怒鳴られる。
そりゃ、嫌だろう。
が、アレらが最も恐れるのは、行った先の現場で以前の職場の同僚と遭遇すること。
転職を繰り返してきた、似た者同士の二人にとってはこれが一番恐ろしい。
働く先々で、不義理を重ねているからだ。
佐藤君は忙しい時に限って急に持病の頭痛が出て、仕事に穴を空ける習慣に加え
社内をもませる腕前にかけては一目置かれている。
ヒロミもまた、仕事が忙しい時に限って急に母親が体調を崩し
仕事に穴を空ける習慣は、クラッチ名人の称号と共に有名である。
どちらもこれで会社に居られなくなり、転職を余儀なくされたことは
二人がそれぞれ入社した際に周囲からさんざん聞かされた。
それでも我々は気にしなかった。
入れてしまった者を単なる噂で辞めさせることはできないので
気にするわけにはいかなかったと言う方が正しい。
むしろ佐藤君の器用とヒロミの明るさを愛で
あちこちに顔向けできない彼らを守ってきたつもりだった。
ことに佐藤君の場合は深刻だ。
彼は以前、任侠系の同業者の会社で働いていた。
そこの社長は夫の友人で、コモノの佐藤君を気にも留めていないが
血の気の多い社員は違う。
だから辞めさせたければ、その会社と共有する常用仕事を組めば一発よ。
あえてそれをしないのは、そこまで腹を立ててないからだ。
ここに来て我々が常用の二文字を出したのは、彼が身の安全というぬるま湯に慣れ
調子に乗ってしまったからである。
ともあれ、人は嫌なことを回避するために、何でもいいから一つでも多くの情報が欲しくなる。
得た情報を並べ、どうすればいいかを考えることができるからだ。
常用の恐怖に怯えるアレらとて、例外ではない。
たとえ良い案が浮かばなくても、考えているというだけで安心するのである。
その情報が入手できなければ、想像するしかない。
けれどもデータが乏しい状態での想像は、妄想に過ぎない。
情報を与えずに孤立させると、妄想は日増しに膨らむものだ。
誰だかわからない本社の言い出しっぺを恨んでみたり
常用が始まるまでに辞めようかと考えてみたり
あれでも自分たちには適用されないかもと楽観してみたり、アレらの感情は揺れ続ける。
が、必死で考えているうち、必ずヒロミにひらめきが訪れる。
佐藤君はオートマだから常用に行けないと、いつも言っている…
今回も皆の前で言った…
じゃあ佐藤君のオートマと、常用仕様に架装してある自分の車を交換したら
自分だけは常用に行かなくて済むのではないか…。
ヒロミは佐藤君に、車を交換してくれとせがむようになる。
絶対にそうなる。
さあ、どうする佐藤君。
愛のために車を交換するのか。
ヒロミの頼みを冷たく断るのか。
我々には眺める楽しみができたというものだ。
佐藤君が渋々交換したら、彼は常用に行かなければならず
交換を断れば、ヒロミを見捨てることになる。
「守ってくれるって言ったじゃんか!」
「自分に付いたら得するって言ったじゃんか!」
幼稚なヒロミは、彼を執拗に責め続けるはずだ。
楽しいわけがない。
しばらくは交換をテーマにゴタゴタするがいい。
これが仲間割れでなくて、何なのだ。
うまくいけば、片方は辞めるかもしれない。
辞めなくても多少はおとなしくなるはず。
目立ってしまったら、常用に指名されるからだ。
だから息子には、あらかじめ言わせてある。
「みんなに指示ができるほどベテランなんじゃけん、大丈夫よ」
これにはヒロミだけでなく、裏で操る佐藤君もドッキリするに違いない。
ただし車両の交換は、アレらが思っているほど自由ではない。
取引先を始め、各方面への登録をやり直す作業が生じるので
夫の同意と本社の許可が必要だ。
社員の一存で車を交換する権利など、はなから無いのだ。
暴言の応酬で対決するなんて、子供のやること。
大人は、お互いの存在が邪魔になる小さな火種をまき
仲間割れを誘発させて自滅を促す。
誰が仕組んだのか…いや、仕組まれたことすら永遠にわからない。
みりこん流、自滅の刃である。
そしてつい先日、この作戦は実行された。
アレらはものの見事に、予定通りの言動をしたという。
「本社の誰が決めた?あの人?この人?」
「いつから始まる?来週?再来週?」
などの質問責めを経て、今は交換問題まで来ている様子。
「佐藤さんと車を換えたら、私は常用に行かんでええよね?」
ヒロミは息子たちに何度もたずねるそうだ。
ともあれ勝手な指示は止み、会社は本来のペースを取り戻した。
二人の恋の行方はまだわからないが、ずい分おとなしくなったのは確か。
とはいえ、ゲスは諦めが悪いものだ。
諦めが悪いからゲスなのだ。
この調子で行くと、アレらに残された最後の切り札は藤村。
佐藤君と内通している藤村に言いつけ、何とかしてもらうことだ。
例えば常用を推進した憎っくき人物が誰かを調べて、嘆願してもらう。
嘆願が無理な相手であれば、嘘でも何でもいい…
夫の落ち度を密告して会社を滅茶苦茶にする。
うまくいけば来期どころではなくなり、常用も自然消滅だ。
が、本社に常用を言い出した人物はいないので、藤村がいくら調べても出てこない。
それに藤村は今、下っ端の佐藤君のお悩み相談に乗るどころではないのだ。
とある一件によって、彼の身は危険にさらされていた。
《続く》