まだ使えるダンプのタイヤを独断で新品に換えた佐藤君に
夫は何も言わなかった。
こちらの担当を外された藤村と今だに内通を続け
ヤツのやり方をなぞって会社の運営や配車に口を出し、危なくなったら
「僕は〇〇支社の人間だから」
という理由で逃げる彼に、夫はほとほと嫌気がさしているのだ。
佐藤君は別の支社の社員で、こちらへは出向中の身の上だが
元はこっちの社員だった。
9年前、無職で困っていた彼に同情した息子たちが、本社に頼んで入社させたのだ。
けれどもズル休みで現場に穴を開けることが続いたため、3年前に別の支社へ飛ばした。
そして去年の12月、神田さんが辞めて彼女のダンプが空いたので
藤村の推薦により、佐藤君は急きょ呼び戻されたのだった。
しかし彼の籍は、飛ばされた支社のまま。
所属が違うので給料形態も違い、こちらの社員より佐藤君の方が少しばかり高給だ。
それは「細かい男だから、ちょっとでも下がると絶望するかも」
という河野常務の情けによる措置である。
しかし彼は、自分がこちらよりも歴史が古くて規模の大きい支社から来ていることを誇り
「自分の方が偉い」、「来てやっている」
という勘違いを続けている。
夫が彼を毛嫌いするのは、こういうところだ。
ともあれ佐藤君のダンプから外された古いタイヤは
佐藤君の意向でメーカーに引き取ってもらわず、会社に残された。
状態の良い古タイヤは、倉庫に保管しておくことがある。
パンクの応急処置や、もっとミゾの無い他のダンプのタイヤと交換したりと
使い道があるため、運転手が吟味した上でたまに残すのだ。
佐藤君があえてタイヤを残したのもそのため…夫も皆もそう思っていた。
しかし、違ったようだ。
佐藤君はタイヤが傷まないうちに新しい物と交換し
まだ使えるタイヤを個人持ちのU君に安く売るつもりで残した。
U君がタイヤを履き換える日程の都合がつくまで、会社で保管するつもりだったのだ。
バブル期、個人持ちは儲かったので雨後のタケノコのごとく増えたが
燃料などの必需品や修理代が高騰した現在はやって行けなくなり、激減した。
個人持ちに転向し、妻子を養いながら家まで建てたU君も例外ではない。
40代といえば、家のローンと子供の教育費が重なる時期。
ダンプ1台でそれを賄うのは、かなりしんどいと思う。
給油、修理、車検と並んで、頑張れば頑張るだけ磨耗してしまうタイヤも
家計を圧迫しているのは間違いない。
そんなU君に、状態のいい中古のタイヤを安く売ってやると言えば飛びつく。
その売値はおそらく1本3千円、10本で3万円あたりだろう。
U君は年間のタイヤ代がかなり浮いて嬉しいし、売る方も現金で小遣いが入るので嬉しい。
ウィンウィンの、ある意味名案というやつだ。
これがいけないというのが、おバカさんにはわからない。
タイヤは新しかろうが古かろうが、会社の金で買ったものなので所有権は会社にある。
会社の所有物であるタイヤを部外者のU君に販売するのは、立派な犯罪だ。
それでも売るだけなら、まだマシである。
しかしU君は、そのタイヤを自分のダンプに履かせて仕事をする。
中古なんだから長持ちしないのは明らかだが
以前勤めていた会社の古タイヤを闇で安く買おうなんて人間は、基本的にケチ。
3万の元を取ろうと、ツルツルになっても無理をして走るものだ。
問題は、事故が起きた場合。
原因が磨耗したタイヤということになると
それがいつ購入されたものか、U君は帳簿や税金の申告書を調査される。
しかし、しつこいようだが社員と結託して
以前勤めていた会社の古タイヤを闇で安く買おうなんて人間は、すぐ人のせいにする。
そうなれば佐藤君だけでなく、こっちまで火の粉が飛んでくるじゃないか。
夫は本社から管理不行き届き、悪くすれば共謀の汚名を着せられて
一人で責任を負わされ、解雇で落着となるだろう。
それを運命と諦めるのも人生かもしれないが
みすみす佐藤君やU君なんかのために晩節を汚されるのは、あまりに残念ではないか。
そして、さらなる問題も控えている。
佐藤君が、U君にタイヤを売ったお金で買った肉を長男に食べさせようとしたことだ。
長男が彼に誘われてノコノコ行くような食いしん坊であれば
利益を共有したということになり、知らず知らずに横領の共犯にされてしまう。
そうなると今後、長男は佐藤君のすることに文句が言えなくなる恐れも出てくる。
これこそが、佐藤君の狙いではないのか。
我々一家はこの件について、いつもより真剣に家族会議を行った。
真剣ではあったが、結論はすぐに出た。
今のところ、まだ古タイヤは会社の倉庫にある。
明日、佐藤君がいつものように早く帰った夕方
メーカーを呼んでタイヤを他のダンプに付け換えてもらい
10本をバラバラにして無くしてしまおうという、いたってシンプルな案だ。
窃盗だ横領だと騒いで、コトを荒だてるのは簡単である。
古タイヤ10本にこっそり目印をつけておき
U君がそれを自分のダンプに履かせたのを見計らって
「盗まれた」と警察に届ければいい。
だが我々は、そこまでするほど腹を立ててはいないのだ。
タイヤについては、もっと大物がいたからである。
30年以上前、やはりU君のように自分でダンプを買って自営する個人持ちで
義父の会社に専属で来ていた人だ。
義父の会社は、専属契約を結んだ個人持ちのタイヤを会社の名義で買ってやり
その代金は月々の個人持ちへの支払いから、一括または分割で差し引いた。
会社はタイヤメーカーと契約しているため、個人で買うより多少は安いからだ。
しかしその人は慣れてくると、自分のタイヤを会社の名前で買いながら
義父にはそれを申告しなくなった。
つまり自分でなく、会社の購入品にしたのだ。
それを自分のダンプに履かせるだけなら、まだ可愛げがある。
一回うまくいったらどんどん大胆になるもので
彼は新しいタイヤを次々に買い、それを他の個人持ちに安く売って儲けるようになった。
ものすごく忙しくて、ものすごく儲かった時代のことで
会社のダンプだけでなく、個人持ちのダンプも何十台と列をなして積込みを待つ
連日のお祭り騒ぎ。
個人持ちが会社の名を騙ってタイヤを買っても、わからなかったのだろう。
やがて会社が下火になり始めて収入が減ってくると、タイヤの異常な請求金額が目立つようになる。
彼からタイヤを買ったら安いという噂が、人の口にものぼるようになる。
義父は仕事の減少を理由にタイヤ横流し男の専属契約を切ったが
タイヤについて追求せずに見逃してやった。
なんでぃ…嫁には厳しいのに盗っ人には優しいもんだ…
私は密かに腹を立てたものだが、今にして思えば
細かいことに目を光らせていたつもりが、裏でこんなことになっていて
ショックの方が大きかったのかもしれない。
とまあ、そんな経験があるので、佐藤君とU君の企みなんて軽症の部類だ。
コモノゆえの愚かでみみっちい行為として、今回だけは受け流すことにした。
社員と個人持ちが内通すると、厄介なことが起こりやすい。
佐藤君への対応は、タイヤが消えているのを知った時の反応を見てから考えることに決め
我々親は息子たちに、今後は個人持ちとの付き合いに気をつけるよう言った。
そして息子たちはU君との絶縁を宣言し、その日の家族会議は終わった。
《続く》
夫は何も言わなかった。
こちらの担当を外された藤村と今だに内通を続け
ヤツのやり方をなぞって会社の運営や配車に口を出し、危なくなったら
「僕は〇〇支社の人間だから」
という理由で逃げる彼に、夫はほとほと嫌気がさしているのだ。
佐藤君は別の支社の社員で、こちらへは出向中の身の上だが
元はこっちの社員だった。
9年前、無職で困っていた彼に同情した息子たちが、本社に頼んで入社させたのだ。
けれどもズル休みで現場に穴を開けることが続いたため、3年前に別の支社へ飛ばした。
そして去年の12月、神田さんが辞めて彼女のダンプが空いたので
藤村の推薦により、佐藤君は急きょ呼び戻されたのだった。
しかし彼の籍は、飛ばされた支社のまま。
所属が違うので給料形態も違い、こちらの社員より佐藤君の方が少しばかり高給だ。
それは「細かい男だから、ちょっとでも下がると絶望するかも」
という河野常務の情けによる措置である。
しかし彼は、自分がこちらよりも歴史が古くて規模の大きい支社から来ていることを誇り
「自分の方が偉い」、「来てやっている」
という勘違いを続けている。
夫が彼を毛嫌いするのは、こういうところだ。
ともあれ佐藤君のダンプから外された古いタイヤは
佐藤君の意向でメーカーに引き取ってもらわず、会社に残された。
状態の良い古タイヤは、倉庫に保管しておくことがある。
パンクの応急処置や、もっとミゾの無い他のダンプのタイヤと交換したりと
使い道があるため、運転手が吟味した上でたまに残すのだ。
佐藤君があえてタイヤを残したのもそのため…夫も皆もそう思っていた。
しかし、違ったようだ。
佐藤君はタイヤが傷まないうちに新しい物と交換し
まだ使えるタイヤを個人持ちのU君に安く売るつもりで残した。
U君がタイヤを履き換える日程の都合がつくまで、会社で保管するつもりだったのだ。
バブル期、個人持ちは儲かったので雨後のタケノコのごとく増えたが
燃料などの必需品や修理代が高騰した現在はやって行けなくなり、激減した。
個人持ちに転向し、妻子を養いながら家まで建てたU君も例外ではない。
40代といえば、家のローンと子供の教育費が重なる時期。
ダンプ1台でそれを賄うのは、かなりしんどいと思う。
給油、修理、車検と並んで、頑張れば頑張るだけ磨耗してしまうタイヤも
家計を圧迫しているのは間違いない。
そんなU君に、状態のいい中古のタイヤを安く売ってやると言えば飛びつく。
その売値はおそらく1本3千円、10本で3万円あたりだろう。
U君は年間のタイヤ代がかなり浮いて嬉しいし、売る方も現金で小遣いが入るので嬉しい。
ウィンウィンの、ある意味名案というやつだ。
これがいけないというのが、おバカさんにはわからない。
タイヤは新しかろうが古かろうが、会社の金で買ったものなので所有権は会社にある。
会社の所有物であるタイヤを部外者のU君に販売するのは、立派な犯罪だ。
それでも売るだけなら、まだマシである。
しかしU君は、そのタイヤを自分のダンプに履かせて仕事をする。
中古なんだから長持ちしないのは明らかだが
以前勤めていた会社の古タイヤを闇で安く買おうなんて人間は、基本的にケチ。
3万の元を取ろうと、ツルツルになっても無理をして走るものだ。
問題は、事故が起きた場合。
原因が磨耗したタイヤということになると
それがいつ購入されたものか、U君は帳簿や税金の申告書を調査される。
しかし、しつこいようだが社員と結託して
以前勤めていた会社の古タイヤを闇で安く買おうなんて人間は、すぐ人のせいにする。
そうなれば佐藤君だけでなく、こっちまで火の粉が飛んでくるじゃないか。
夫は本社から管理不行き届き、悪くすれば共謀の汚名を着せられて
一人で責任を負わされ、解雇で落着となるだろう。
それを運命と諦めるのも人生かもしれないが
みすみす佐藤君やU君なんかのために晩節を汚されるのは、あまりに残念ではないか。
そして、さらなる問題も控えている。
佐藤君が、U君にタイヤを売ったお金で買った肉を長男に食べさせようとしたことだ。
長男が彼に誘われてノコノコ行くような食いしん坊であれば
利益を共有したということになり、知らず知らずに横領の共犯にされてしまう。
そうなると今後、長男は佐藤君のすることに文句が言えなくなる恐れも出てくる。
これこそが、佐藤君の狙いではないのか。
我々一家はこの件について、いつもより真剣に家族会議を行った。
真剣ではあったが、結論はすぐに出た。
今のところ、まだ古タイヤは会社の倉庫にある。
明日、佐藤君がいつものように早く帰った夕方
メーカーを呼んでタイヤを他のダンプに付け換えてもらい
10本をバラバラにして無くしてしまおうという、いたってシンプルな案だ。
窃盗だ横領だと騒いで、コトを荒だてるのは簡単である。
古タイヤ10本にこっそり目印をつけておき
U君がそれを自分のダンプに履かせたのを見計らって
「盗まれた」と警察に届ければいい。
だが我々は、そこまでするほど腹を立ててはいないのだ。
タイヤについては、もっと大物がいたからである。
30年以上前、やはりU君のように自分でダンプを買って自営する個人持ちで
義父の会社に専属で来ていた人だ。
義父の会社は、専属契約を結んだ個人持ちのタイヤを会社の名義で買ってやり
その代金は月々の個人持ちへの支払いから、一括または分割で差し引いた。
会社はタイヤメーカーと契約しているため、個人で買うより多少は安いからだ。
しかしその人は慣れてくると、自分のタイヤを会社の名前で買いながら
義父にはそれを申告しなくなった。
つまり自分でなく、会社の購入品にしたのだ。
それを自分のダンプに履かせるだけなら、まだ可愛げがある。
一回うまくいったらどんどん大胆になるもので
彼は新しいタイヤを次々に買い、それを他の個人持ちに安く売って儲けるようになった。
ものすごく忙しくて、ものすごく儲かった時代のことで
会社のダンプだけでなく、個人持ちのダンプも何十台と列をなして積込みを待つ
連日のお祭り騒ぎ。
個人持ちが会社の名を騙ってタイヤを買っても、わからなかったのだろう。
やがて会社が下火になり始めて収入が減ってくると、タイヤの異常な請求金額が目立つようになる。
彼からタイヤを買ったら安いという噂が、人の口にものぼるようになる。
義父は仕事の減少を理由にタイヤ横流し男の専属契約を切ったが
タイヤについて追求せずに見逃してやった。
なんでぃ…嫁には厳しいのに盗っ人には優しいもんだ…
私は密かに腹を立てたものだが、今にして思えば
細かいことに目を光らせていたつもりが、裏でこんなことになっていて
ショックの方が大きかったのかもしれない。
とまあ、そんな経験があるので、佐藤君とU君の企みなんて軽症の部類だ。
コモノゆえの愚かでみみっちい行為として、今回だけは受け流すことにした。
社員と個人持ちが内通すると、厄介なことが起こりやすい。
佐藤君への対応は、タイヤが消えているのを知った時の反応を見てから考えることに決め
我々親は息子たちに、今後は個人持ちとの付き合いに気をつけるよう言った。
そして息子たちはU君との絶縁を宣言し、その日の家族会議は終わった。
《続く》