その和食屋が開店したのは、7年ほど前だった。
店主の死亡で長い間閉じられていた鮨屋を
ゴルフ場の料理長だった人が借りたと聞いた。
3年前、人に誘われて初めて行き、昼定食を食べた。
品数が多く、どれも季節感を大切にした手の込んだ料理だ。
味はもちろん、器や盛り付けにも確かな技術とセンスが光る。
クラブハウスで味わう非日常を巷で再現している感じ。
しかも8百円から千円前後のリーズナブルな価格帯。
今までどうして行かなかったのか、悔しい気さえした。
すっかり気に入り、ちょくちょく通うようになる。
元が鮨屋なので内装が少々格調高く
気の利いたおいしい物が出て、客層も良いため
昼または夜、誰を案内しても喜ばれ、私は鼻高々だった。
惜しむらくはこの店、土日が休み。
田舎人の外食ライフに合わないので、お世辞にも繁盛している様子ではない。
静かで落ち着いた雰囲気はありがたいが、こう静かだと先行きが心配になる。
詳しい人が言うには、土日に店を開けるよう再三勧めたが
店主は賭け事が好きで、各種レースのある土日は営業したがらないという話だった。
いつも奥の調理場にいて、一度も顔を見たことのない店主に
私は叫びたかった。
「バカじゃないのか!」
一昨年のことである。
夫がその店に取引先を連れて行き、領収書をもらった。
領収書を受け取った経理係の私は、店主の印鑑を見てハッとした。
宇田(仮名)…なんだか聞き覚えがある。
卒業して調理師学校へ行った、高校の同級生だ。
次に行った時、私は調理場をのぞきこんで店主の姿を確認した。
卒業してから一度も会っていないが、すぐにわかった。
やはり同級生の宇田君であった。
「宇田君?」
声をかけると、彼はノロノロと出てきた。
「やっぱり宇田君!私を覚えてる?みりこんよ」
「覚えてるよ…」
高校時代と変わらず、はにかみ屋だ。
「前から時々来てたのよ」
「知ってる…」
「知ってたの?!」
「うん…ずっと前から…」
「何で声かけてくれなかったのよっ」
「フフ…」
下を向いてかすかに笑う、これが宇田君なのだ。
見た目だけなら“組”の人、ハートは小鳥の宇田君なのだ。
天然のクセ毛で、どうしても頭がリーゼントになってしまい
大柄と切れ長の目で誤解を受けやすく
無口と無表情が、かえって恐怖をかきたてる宇田君。
親が買ってきたというヤンキーな学ランを着ていたために
ヤバい男と思い込まれていた宇田君。
本当は彼の作る料理と同じく、優しくて繊細な子なのだ。
賭け事のために土日を休むという話だが
本当は土日に押し寄せる女子供のワイワイキャッキャが
嫌なんじゃなかろうか。
特に土日に連れ立って出歩く田舎のオバさん…
つまり我々のようなのは
彼が最も苦手とする生き物じゃないのか。
経営のために耐えるより、未然に回避。
それが自分の首を絞めることになっても、無理なものは無理。
いかにも彼らしいではないか…
私は勝手に解釈して納得するのだった。
ともあれ店主が彼と知って、私は危機感をおぼえた。
なんだか潰れそうな気がする。
宇田君がどうなろうとかまわない。
潰れたとしても、泰然ひょうひょうとしているだろう。
正確に言うと、感情を表に出さないので、そうにしか見えない。
だが、こんないい店が無くなるのは町の損害だ。
私は同窓会の集まりや友人との食事に、できるだけ彼の店を使ったり
会う人ごとに宣伝して、ささやかな存続運動を行うのだった。
今年の2月からこっち
義父アツシの葬式なんかでノーマークとなっている間に
宇田君の店は改装を始めた。
マイペースの彼にもやっと欲が出たらしいと思い
開店を待ち焦がれた。
先週、ついに開店したと聞き
友人のヤエさんとラン子を誘った。
ここに彼女達を案内したことは無い。
行けばさぞ喜ぶだろうが、幼い孫の面倒を見ているヤエさんと
工場勤めのラン子は、店の開いている平日に会うのが難しく
チャンスに恵まれなかったのだ。
しかし平日のその日、たまたま2人の予定が空いたため
3人で話題の店へ行くことになった。
が、店に着くと、なんだか雰囲気が違う。
名前は以前と同じ純和風だが、アタマにパンと書いてある。
一同、狐につままれたような心境で
格子の引き戸からアメリカンなドアに変わった玄関を
おそるおそる開けた。
「いらっしゃい…」
客はいない。
白衣を着た宇田君が一人立っていた。
長いカウンターにはプラスチック製のバットが幾つか並んでいて
その上にクロワッサンやらベーグルが3~4個ずつ置かれている。
ガラス戸の冷蔵庫にはサンドイッチがパラパラ。
店の半分を占める座敷は
思い切りよくビニールのカーテンで閉じられている。
宇田君の店は、和食からテイクアウトのパン屋に転向したらしい。
宇田君、あきらかに迷走。
初めて見る宇田君に、ヤエさんとラン子はドン引きしている。
「宇田君、ご飯もおいしかったけど、パンも作れるのね?」
店にイーストの匂いがしないため
本当に彼が作っているのかどうか定かではないが
凍りついた空気を払拭する目的で、私は明るく問うた。
彼は「フフ…」とちびまる子ちゃんの野口さんみたいに笑うだけで
ますます深みにはまった。
気を取り直してあれこれ買い
ヤエさんとラン子も無言のままパンを買った。
「夏まで持つまいよ」
店を出た3人は別の店でランチを食べつつ、共通の感想を述べるのだった。
翌朝、ラン子から電話があった。
「みりこんさん、身体、何ともない?」
「身体?」
「昨日のパン屋!」
「…食中毒?」
「ううん、パンはまあまあおいしかった。
どこも痛くないか聞いてんの」
「別に…どこも…」
「私、あれから頭痛がひどくて、肩が重くて死にそうだったのよ」
「何で?」
「あの店で何かに取り憑かれたみたいなの。
絶対あそこよ!変だったもの!」
ああ…と私は答えるのだった。
「あれはねえ…鳥よ…」
「鳥?鳥なんかいなかったじゃない!」
「いたじゃない、閑古鳥が。
ラン子さん、あれに取り憑かれたのよ」
「何言ってんのよっ!霊よ!私は霊感が強いからわかるのよ!」
ギャハハと笑う私に、ラン子は泣き声で言う。
「今朝起きたら痛みは治まってたけど、まだ気分が悪いの。
どうしたらいい?」
「もう一回行く」
「ギャー!」
ラン子、泣きながら笑っていたら元気になった。
宇田君の店が無くならないうちに
ぜひともまたラン子を連れて行きたいと思う。
店主の死亡で長い間閉じられていた鮨屋を
ゴルフ場の料理長だった人が借りたと聞いた。
3年前、人に誘われて初めて行き、昼定食を食べた。
品数が多く、どれも季節感を大切にした手の込んだ料理だ。
味はもちろん、器や盛り付けにも確かな技術とセンスが光る。
クラブハウスで味わう非日常を巷で再現している感じ。
しかも8百円から千円前後のリーズナブルな価格帯。
今までどうして行かなかったのか、悔しい気さえした。
すっかり気に入り、ちょくちょく通うようになる。
元が鮨屋なので内装が少々格調高く
気の利いたおいしい物が出て、客層も良いため
昼または夜、誰を案内しても喜ばれ、私は鼻高々だった。
惜しむらくはこの店、土日が休み。
田舎人の外食ライフに合わないので、お世辞にも繁盛している様子ではない。
静かで落ち着いた雰囲気はありがたいが、こう静かだと先行きが心配になる。
詳しい人が言うには、土日に店を開けるよう再三勧めたが
店主は賭け事が好きで、各種レースのある土日は営業したがらないという話だった。
いつも奥の調理場にいて、一度も顔を見たことのない店主に
私は叫びたかった。
「バカじゃないのか!」
一昨年のことである。
夫がその店に取引先を連れて行き、領収書をもらった。
領収書を受け取った経理係の私は、店主の印鑑を見てハッとした。
宇田(仮名)…なんだか聞き覚えがある。
卒業して調理師学校へ行った、高校の同級生だ。
次に行った時、私は調理場をのぞきこんで店主の姿を確認した。
卒業してから一度も会っていないが、すぐにわかった。
やはり同級生の宇田君であった。
「宇田君?」
声をかけると、彼はノロノロと出てきた。
「やっぱり宇田君!私を覚えてる?みりこんよ」
「覚えてるよ…」
高校時代と変わらず、はにかみ屋だ。
「前から時々来てたのよ」
「知ってる…」
「知ってたの?!」
「うん…ずっと前から…」
「何で声かけてくれなかったのよっ」
「フフ…」
下を向いてかすかに笑う、これが宇田君なのだ。
見た目だけなら“組”の人、ハートは小鳥の宇田君なのだ。
天然のクセ毛で、どうしても頭がリーゼントになってしまい
大柄と切れ長の目で誤解を受けやすく
無口と無表情が、かえって恐怖をかきたてる宇田君。
親が買ってきたというヤンキーな学ランを着ていたために
ヤバい男と思い込まれていた宇田君。
本当は彼の作る料理と同じく、優しくて繊細な子なのだ。
賭け事のために土日を休むという話だが
本当は土日に押し寄せる女子供のワイワイキャッキャが
嫌なんじゃなかろうか。
特に土日に連れ立って出歩く田舎のオバさん…
つまり我々のようなのは
彼が最も苦手とする生き物じゃないのか。
経営のために耐えるより、未然に回避。
それが自分の首を絞めることになっても、無理なものは無理。
いかにも彼らしいではないか…
私は勝手に解釈して納得するのだった。
ともあれ店主が彼と知って、私は危機感をおぼえた。
なんだか潰れそうな気がする。
宇田君がどうなろうとかまわない。
潰れたとしても、泰然ひょうひょうとしているだろう。
正確に言うと、感情を表に出さないので、そうにしか見えない。
だが、こんないい店が無くなるのは町の損害だ。
私は同窓会の集まりや友人との食事に、できるだけ彼の店を使ったり
会う人ごとに宣伝して、ささやかな存続運動を行うのだった。
今年の2月からこっち
義父アツシの葬式なんかでノーマークとなっている間に
宇田君の店は改装を始めた。
マイペースの彼にもやっと欲が出たらしいと思い
開店を待ち焦がれた。
先週、ついに開店したと聞き
友人のヤエさんとラン子を誘った。
ここに彼女達を案内したことは無い。
行けばさぞ喜ぶだろうが、幼い孫の面倒を見ているヤエさんと
工場勤めのラン子は、店の開いている平日に会うのが難しく
チャンスに恵まれなかったのだ。
しかし平日のその日、たまたま2人の予定が空いたため
3人で話題の店へ行くことになった。
が、店に着くと、なんだか雰囲気が違う。
名前は以前と同じ純和風だが、アタマにパンと書いてある。
一同、狐につままれたような心境で
格子の引き戸からアメリカンなドアに変わった玄関を
おそるおそる開けた。
「いらっしゃい…」
客はいない。
白衣を着た宇田君が一人立っていた。
長いカウンターにはプラスチック製のバットが幾つか並んでいて
その上にクロワッサンやらベーグルが3~4個ずつ置かれている。
ガラス戸の冷蔵庫にはサンドイッチがパラパラ。
店の半分を占める座敷は
思い切りよくビニールのカーテンで閉じられている。
宇田君の店は、和食からテイクアウトのパン屋に転向したらしい。
宇田君、あきらかに迷走。
初めて見る宇田君に、ヤエさんとラン子はドン引きしている。
「宇田君、ご飯もおいしかったけど、パンも作れるのね?」
店にイーストの匂いがしないため
本当に彼が作っているのかどうか定かではないが
凍りついた空気を払拭する目的で、私は明るく問うた。
彼は「フフ…」とちびまる子ちゃんの野口さんみたいに笑うだけで
ますます深みにはまった。
気を取り直してあれこれ買い
ヤエさんとラン子も無言のままパンを買った。
「夏まで持つまいよ」
店を出た3人は別の店でランチを食べつつ、共通の感想を述べるのだった。
翌朝、ラン子から電話があった。
「みりこんさん、身体、何ともない?」
「身体?」
「昨日のパン屋!」
「…食中毒?」
「ううん、パンはまあまあおいしかった。
どこも痛くないか聞いてんの」
「別に…どこも…」
「私、あれから頭痛がひどくて、肩が重くて死にそうだったのよ」
「何で?」
「あの店で何かに取り憑かれたみたいなの。
絶対あそこよ!変だったもの!」
ああ…と私は答えるのだった。
「あれはねえ…鳥よ…」
「鳥?鳥なんかいなかったじゃない!」
「いたじゃない、閑古鳥が。
ラン子さん、あれに取り憑かれたのよ」
「何言ってんのよっ!霊よ!私は霊感が強いからわかるのよ!」
ギャハハと笑う私に、ラン子は泣き声で言う。
「今朝起きたら痛みは治まってたけど、まだ気分が悪いの。
どうしたらいい?」
「もう一回行く」
「ギャー!」
ラン子、泣きながら笑っていたら元気になった。
宇田君の店が無くならないうちに
ぜひともまたラン子を連れて行きたいと思う。
何か面白いことがおこるだろう・・と期待していたら
パン屋!!
想定外(爆)
宇田君、いや、野口さん
謎すぎるー!!
ただ、パン屋は原価率が低いのも確かですよね。
材料が少なくロスも出にくい、パン屋さんは空気を売っている。
と製菓学校の先生がおっしゃっていたのを思い出しました。
まだまだ登場してほしいのでパン屋さんつぶれませんように。
私、パンのことはよく知らないんだけど
パン屋と知って、無い頭でちょこっと計算してみたんよ~。
商売的には縮小した印象になってても
光熱費と仕入れのロスが減って人件費がいらないとなると
純益はトントンかしらと。
自分で作ってんのかどうかはともかく
目のつけどころはまんざら間違いではなさそう。
続けばいいけど。
空気を売る…含蓄のあるいい言葉ですね!
それをちゃんと覚えてるユウキさん、素敵です。
ところで、『霊が見える』という人をふたり知っています。
見える人というのはどういう人なんだろうと思うのですが
一人の人はよ~く知っている人。
真面目で優しくて、明るくて親切で
田舎の気の良いお婆ちゃん。
彼女は7人兄弟姉妹中4姉妹の長女、つまり私の一番上の姉。
彼女がそうだという事を知ったのは10年くらい前。
次の姉以外はそれまで全く知りませんでした。
以後もこちらが聞かない限り何も言いませんし
勿論でまかせを言うような人でもありませんが、
どういう事なのか私にはわかりません。
もう一人は知人の友人。
ついこの間も22時頃自転車で仕事帰りに
誰も居なかったはずなのにいきなり4人の高校生が追い抜いて行き
信号待ちで一緒になるも4人は全くしゃべらず、おかしな雰囲気の男子達だと思っていると
一人の男子がツト振り向いて『貴女には見えているの』という目をする。
またかと思うだけで怖いと思った事はない
そうです。
この人の事は殆ど知りません。
私は忙しいけど、そう言うことを聞くと
少しの間、どういう事なのかと首をかしげてしまいます。
いや~、何が楽しいって、霊も信号待ちするところ。
交通ルールを守るのね。
見える人って、いると思いますよ。
退化したはずのものが、まだ残っている人。
だからってお得なわけでもないし、人より優れているわけでもない。
古いだけ。
話も、この信号待ちの男の子達のように淡々としています。
それを霊能と呼ぶから、おかしなことになる。
能力=長所や才能と思ってしまうから
中には自分にはあると言いたくなる人も出てくる。
こういう話ってみんな好きだから、簡単に注目してくれるのよね。
確認ができないので、言ったモン勝ち。
たいてい痛いだの重いだの何か見えて怖いだの言うだけ。
そこから先をどうにかしてこそ霊能じゃないかと思うんだけど
本人、その前段階で満足してる。
痛いだけなら損じゃん。
吹聴しないお姉様の奥ゆかしさ、立派だと思います。