
夫の両親に夕食を届ける生活は、毎日続いている。
我々夫婦も一緒に食べる。
お互いに夫婦二人きりで食べるより、賑やかで楽しい。
先日の血液検査では、良い数値が出て
義母ヨシコは、たいそう喜んだ。
今月下旬の入院に備えて、今のところ順調…のように思われた。
ところが、検査結果に油断して、肉が食べたいと言い出す。
ヨシコにとっての肉とは、牛ロースのことである。
これをなるべく食べさせないために、毎日頭をひねっているというのに
なんちゅうことじゃ。
しかし、あんまりシメすぎもつらかろうと思い、許可する。
こうなったら、もう止まらない。
しゃぶしゃぶ、焼肉、すき焼き…と、いつものローテーションを望む。
これだと野菜“も”たくさん食べられる…というのが、ヨシコの主張である。
「ダメ!」と断じるのは、なかなかの快感。
このダメには、完成品宅配の方針を取ったがゆえに
うっかり食費がこちら持ちになった、私のしみったれた採算も加味されている。
請求するつもりはない。
金をもらうと、ゴチソウを作る必要が生じる。
それに、さんざんすったもんだしといてナンだが
ひそかに親孝行の真似ごとをしているような気分も、捨てがたい。
そう言いながら、この体勢を取るようになってから
臨時収入が相次ぎ、支出が減ったのは不思議なことである。
出した分だけ、またはそれ以上が、色々な方面から財布に戻って来る…
必要があって準備していた別の出費が、思いのほか安くすむ…
頂きものが増える…
ガッポリでなく、チビチビなのが、我が家らしいところだが
面白いので、どこまで続くのか、見ていようと思う。
ヨシコと私は、嫁姑だもの…
同居していた15年前までは、お互い若かったし、そりゃあ色々あった。
遊んで帰ると、玄関に鍵がかかっていた。
帰りが夕方の4時を過ぎると、私の洗濯物だけ物干しに残っていた。
気に入らないことがあれば、娘と組んで仇を取った。
きついことも言われた。
あげれば、キリが無い。
しかしそれらは、ヨシコの着火点のポイントをつかめなかった
私の青さであったと、今は思える。
これ以上傷つきたくない、無事に過ごしたい願望と
憎たらしい亭主の親という、歪んだ感情がごちゃ混ぜになり
真摯に向き合う姿勢が無かった。
敏感なヨシコは、それを感じ取っていた。
一緒にいた時にはわからなかったものが、離れて初めてわかる。
ヨシコが他界したら、もっとわかるんだと思う。
良いこともたくさんあった。
いつも「もっとお食べ」と言う。
生活全般において、もったいない関係の小言は皆無だった。
子供達をそりゃもうかわいがってくれた。
何かあると、全力で孫を守った。
子供達がかなり大きくなるまで、毎年まる2ヶ月の間
大きな鯉のぼりをせっせと上げ下げし続けた。
時々手伝う私は、正直めんどくさかった。
なぜあんなに鯉のぼりにこだわるのだ…
出かけた先で、天気の心配までしなくていいじゃないか…と思ったものだ。
しかしあれは、祖母としての祈りであったと、今にして思う。
どこへ行っても、若い、美しいお祖母ちゃんと言われた。
商店街の催しで、ファッションモデルを務めたこともある。
お得意様の中から選ばれた、余興めいたものではあったが
なぜか私まで誇らしかった。
面白いことも多かった。
中でも、いまだに二人で大笑いする話がある。
キッチンの修繕を頼んだ業者が来たので
ヨシコは、ナベを高い戸棚に片付けようとした。
その時、ナベのフタが落ちてきて、カ~ンとヨシコの前歯を直撃し
差し歯がどこかへ飛んで行った。
前歯を失っても、まったく動じないヨシコ。
口元に手を当て、何事も無かったかのように業者と話す。
美貌のヨシコにとって、この現実は、信じてはならぬことであった。
その間に、飛んだ前歯を必死で探す私。
テーブルの下で発見し、そっと渡す…それを後ろ手で受け取り
ササッと、にわか装着するヨシコ。
後で、痛くなかったのか…と聞いたら
「痛かったわよ!目から火が出たわよ!」と言った。
あの時の連携を、お互いにたたえ合う。
先日、ヨシコは言った。
「ゴールデンウィークなのに、私達の食事のために、どこへも行けないわねぇ」
「年取ったら、人の多い所へ行きたくない。
ここでワイワイ言いながら、一緒にごはん食べるのが
一番のレジャーだねって、パパとも話してんの」
これは本心だ。
ヨシコは、涙を浮かべていた。
操縦の技術ではなく、ハート…単純なことだが
私が長い間、わからなかったのは、ここらへんだと思う。
こないだまではヨン様、ビョン様と騒いでいたが、今は嵐に夢中のヨシコ。
IKKOの髪型を見て
「あのオカッパ頭にしたら、誰でも顔が小さく見える」
「もしもの時は、あのカツラを買うのじゃ」
と真剣に話し合えるヨシコ。
2個で割引になる通販のファンデーションを、一緒に申し込むヨシコ。
ヨシコがもしもいなくなったら…
それを考えると、私はううっと泣きそうになる。
なんだかそれは、演芸コンビの解消みたいな感覚だ。
引退のその日まで、わてらは舞台が命だす~。
我々夫婦も一緒に食べる。
お互いに夫婦二人きりで食べるより、賑やかで楽しい。
先日の血液検査では、良い数値が出て
義母ヨシコは、たいそう喜んだ。
今月下旬の入院に備えて、今のところ順調…のように思われた。
ところが、検査結果に油断して、肉が食べたいと言い出す。
ヨシコにとっての肉とは、牛ロースのことである。
これをなるべく食べさせないために、毎日頭をひねっているというのに
なんちゅうことじゃ。
しかし、あんまりシメすぎもつらかろうと思い、許可する。
こうなったら、もう止まらない。
しゃぶしゃぶ、焼肉、すき焼き…と、いつものローテーションを望む。
これだと野菜“も”たくさん食べられる…というのが、ヨシコの主張である。
「ダメ!」と断じるのは、なかなかの快感。
このダメには、完成品宅配の方針を取ったがゆえに
うっかり食費がこちら持ちになった、私のしみったれた採算も加味されている。
請求するつもりはない。
金をもらうと、ゴチソウを作る必要が生じる。
それに、さんざんすったもんだしといてナンだが
ひそかに親孝行の真似ごとをしているような気分も、捨てがたい。
そう言いながら、この体勢を取るようになってから
臨時収入が相次ぎ、支出が減ったのは不思議なことである。
出した分だけ、またはそれ以上が、色々な方面から財布に戻って来る…
必要があって準備していた別の出費が、思いのほか安くすむ…
頂きものが増える…
ガッポリでなく、チビチビなのが、我が家らしいところだが
面白いので、どこまで続くのか、見ていようと思う。
ヨシコと私は、嫁姑だもの…
同居していた15年前までは、お互い若かったし、そりゃあ色々あった。
遊んで帰ると、玄関に鍵がかかっていた。
帰りが夕方の4時を過ぎると、私の洗濯物だけ物干しに残っていた。
気に入らないことがあれば、娘と組んで仇を取った。
きついことも言われた。
あげれば、キリが無い。
しかしそれらは、ヨシコの着火点のポイントをつかめなかった
私の青さであったと、今は思える。
これ以上傷つきたくない、無事に過ごしたい願望と
憎たらしい亭主の親という、歪んだ感情がごちゃ混ぜになり
真摯に向き合う姿勢が無かった。
敏感なヨシコは、それを感じ取っていた。
一緒にいた時にはわからなかったものが、離れて初めてわかる。
ヨシコが他界したら、もっとわかるんだと思う。
良いこともたくさんあった。
いつも「もっとお食べ」と言う。
生活全般において、もったいない関係の小言は皆無だった。
子供達をそりゃもうかわいがってくれた。
何かあると、全力で孫を守った。
子供達がかなり大きくなるまで、毎年まる2ヶ月の間
大きな鯉のぼりをせっせと上げ下げし続けた。
時々手伝う私は、正直めんどくさかった。
なぜあんなに鯉のぼりにこだわるのだ…
出かけた先で、天気の心配までしなくていいじゃないか…と思ったものだ。
しかしあれは、祖母としての祈りであったと、今にして思う。
どこへ行っても、若い、美しいお祖母ちゃんと言われた。
商店街の催しで、ファッションモデルを務めたこともある。
お得意様の中から選ばれた、余興めいたものではあったが
なぜか私まで誇らしかった。
面白いことも多かった。
中でも、いまだに二人で大笑いする話がある。
キッチンの修繕を頼んだ業者が来たので
ヨシコは、ナベを高い戸棚に片付けようとした。
その時、ナベのフタが落ちてきて、カ~ンとヨシコの前歯を直撃し
差し歯がどこかへ飛んで行った。
前歯を失っても、まったく動じないヨシコ。
口元に手を当て、何事も無かったかのように業者と話す。
美貌のヨシコにとって、この現実は、信じてはならぬことであった。
その間に、飛んだ前歯を必死で探す私。
テーブルの下で発見し、そっと渡す…それを後ろ手で受け取り
ササッと、にわか装着するヨシコ。
後で、痛くなかったのか…と聞いたら
「痛かったわよ!目から火が出たわよ!」と言った。
あの時の連携を、お互いにたたえ合う。
先日、ヨシコは言った。
「ゴールデンウィークなのに、私達の食事のために、どこへも行けないわねぇ」
「年取ったら、人の多い所へ行きたくない。
ここでワイワイ言いながら、一緒にごはん食べるのが
一番のレジャーだねって、パパとも話してんの」
これは本心だ。
ヨシコは、涙を浮かべていた。
操縦の技術ではなく、ハート…単純なことだが
私が長い間、わからなかったのは、ここらへんだと思う。
こないだまではヨン様、ビョン様と騒いでいたが、今は嵐に夢中のヨシコ。
IKKOの髪型を見て
「あのオカッパ頭にしたら、誰でも顔が小さく見える」
「もしもの時は、あのカツラを買うのじゃ」
と真剣に話し合えるヨシコ。
2個で割引になる通販のファンデーションを、一緒に申し込むヨシコ。
ヨシコがもしもいなくなったら…
それを考えると、私はううっと泣きそうになる。
なんだかそれは、演芸コンビの解消みたいな感覚だ。
引退のその日まで、わてらは舞台が命だす~。
そこまで行くと引退興行は出来るだけ先になってくれたら良いな~なんてこっちまでいい人になってしまいましたよ~(笑)
こんな私にも確実にわかる事は時間が形を変え、心を溶かし柔らかくしてくれるって事。
その時間が待てないし、苦しい。
心が溶けて柔らかくなった時が死の床よりももって手前で、楽しむ時間が残されていたら良いですね~。
死んじゃったら後悔するもんね・・・。
あーーでも!姑の事を居なくなったっと思うだけで うるうるするなんて!
いい人過ぎて嫌ーーーー(爆)
毒がーーーー!毒が欲しいーーー!!(爆)
へへへ!ポールポジショーーン♪
>死の床より手前で、楽しむ時間が残されていたらいい…
なるほど、そういうことか!
今知った!
いや~…すごいよ…課長さん。
溶けるまで、苦しいし、長いですよね。
結局こういうことになるなら、早くからやっときゃいいのに
見えないから、わからないから、長い回り道をしてしまう。
それが勉強なんでしょうけど、30年もかかった私は
本当におば~かさ~ん♪と思うんですよ。
苦しみって、それをわかりたいもどかしさから生まれるのかなぁ…
とも思っています。
楽になるって、対象から離れるのと、対象を理解し切るのと
二通りの道がありますね。
>毒が欲しい!(爆)
今日の記事読ませて頂いて、過去に色々ありつつも、姑への..というよりは、人生の先輩、一女性として、敬う気持ち...が感じられました。
お孫さんをとても可愛がって下さったこと
美しく女性らしく歳を重ね、
生き生きと時間を謳歌していたこと...
確か・・プロペラの時代に海外旅行でしたっけ?
うちの姑は飛行機に乗ったこと無いんです。
新幹線も、三年ほど前に初めて乗ったとか。
後にも先にもそれ一回のみ。
舅は男尊女卑の典型的人間だったので、
女は家にすっこんどれーみたいな感じだったのでしょう。
私は、自分自身が弱いので
姑には未熟な嫁をうまくリードしてくれて
且つ、お手本になってくれるような存在が
理想でした。
私の姑は私に対して依存してきます。
私も依存体質なので、とってもしんどいんです。
姑は掃除が下手です。というか、しないです。
また、料理が下手です。
みりんを使わずに何でも砂糖です。
ただ、裁縫はお上手です。
でも、自分の服ばかり古布で作るばかりで
孫のために浴衣を縫ってくれるとか、そういったことはありませんでした。
何度か姑に生地をプレゼントしたこともありましたっけ。
舅が入院して、あまりにも暇そうなので
こちらへの視線をかわす(軽減する意味で)
可愛い布を買ってきて、娘に縫ってくれないかと頼みました。
物凄い勢いで縫っています(-_-;)
どこかへ連れ出しても、奢ってくれることは無く、『子は親の面倒をみるもんや。』とか『子は孝養をつくすもんや。』と、しょっちゅう言っていましたね~。ムカツク..。
なので、たいしたこともしてない私は、
まるで呪文を聞かされているようになり、
うつ的になりました。
その舅、姑が、自分らの年金では足りなくて
曾祖母が受け取っている恩給を分捕って生活していたのですから・・・。
曾祖母は証書を大事そうに見つめながら、
大した額が自分にはある、子や孫に遺せると
思い込んでいます。
野菜を作りながら、小さな事務所を営んでいた舅。
壁一杯に掲げた数々の賞状...。
功労賞、知事賞、大臣賞。
ナントカ協会にウン十年いれば、自動的に授与される表彰状。
田んぼの真ん中の、この小さな事務所に
そんなに一杯掲げて
誰が見に来るというのでしょうか...。
ワシが一番、ワシが一番、ワシが一番偉いんじゃー!!
と、この地で生きて七十年。
誰に偉いねと言われたかったのでしょうか...。
井の中の蛙、大海を知らず...。
そんな舅に嫁いできた
農家出身で、ハイカラとは無縁の姑。
私の母に言わせれば、舅に飼い殺しにされて
社会に出る機会すらなかった故、仕方ないんじゃない?分かってあげなさいよ..と。
姑との何気ない会話でこんなことがありました。
『私は、嫁いでから今の今まで、お風呂は一番最後にしか入ったことがないわ。』と姑。
『え~!今時、そんなこと言う人いませんよ。私なんか、寝かせないといけないから子供と一緒に先に入ることしょっちゅうありますけど..。』と私。
『あんたんとこは、そうやねんね。でもね、普通は嫁は一番最後に入るもんや。』と姑。
『そうなんですね~。』と退散する私。
それから数年が経ち..
舅が入院してから現在、我が家にお風呂入りに来る姑と曾祖母。
風呂が壊れたけど、修理費用が無いんだとか。
うちも家のローンで手一杯。
修理費用なんて出せないし、こっちが欲しいわ!
数年前の『嫁が一番最後に...』がよぎる姑と私。
当然、先に入って頂きます。
毎度毎度、お風呂に来るたびに
『ごめんね~。いっつも先で、ごめんね~。』と言う姑。
『お先、すんませ~ん』
と曾祖母。
『うるせー!』と心中で私。
あれだけ『嫁は~最後』と言ってたくせに
謝るか!
私はそういうところが大嫌いなんです。
言動不一致のところ。
何かにつけ、ありありと伝わってくる姑の本音。
ヨシコさんとは真逆の性格だと思います。
精神的にも金銭的にも依存してくるうちの舅姑とは全然違うと思います。
その代わりと言っては何ですが、私の夫は私や娘に良くしてくれるます。
自分の両親を客観的にみている夫なので
冷たいな..と逆に思うこともあるくらいです。
夫は知っているんです。
よそ様の出来た親子関係とか、嫁姑の関係とかを。だから、自分の親だから大切にしろとか
言わないですし、反面教師にしています。
ただ、やはり、情がありますので無下にはできませんけどね。
主人も私も色々思いはありつつ、やっぱりほっとけないんです。
当然、ケチコは我関せずです。
ゴールデンウィークの初っ端からケチコの母がやってきて、泊ってます。
ケチコの母、うちの姑に挨拶なしです。
普通、来るなら『御無沙汰しております』とかなんとかの会話があるもんだと思うんですが...。
親が親なら~ですね♪
スネコもスネタ(弟)も、こちらの方には寄ってきません。
あ、そうか~!ケチコも私と同じ依存体質だから、手のかかる&金のかかる舅姑なんてまっぴら御免って感じですかね♪
でも、姑にとってはスネコ、スネタも可愛い孫..。
だーいぶ前に、三男を婿にやった覚えはないと言ってましたね...。
いずれにしましても、
あれもこれも旨くいく筈がないんですよね...。
長文お許しください..
って書こうって思ったら 最初
何枚だ物!に変換されて「なんじゃこりゃ~~」って自爆
新しい境地への いざない 本当に感謝感謝でございます~~
お~~ほほほほ ソウザマス!です。
まるで、臨終のその時の回想シーンね。
でもさ、人間ってその人が近くに居る時には
ありがたさとか側に居てくれる意味って本当のところは見えてないのかも・・・・
私はなぜかこの歳にして大切な人の存在を知らされることが結構あったんだ
どうしてだかわかんないけどね。
かなりあったと思う。
で、そういう経験から絶対に居なくなっていい人なんて存在しないし、まして自分となにか
関わりあった人はなおさらそうだって思うのよ。
いつも人との出会いで後悔のないように。
その人のこと自分にできる限り大事にしよ~
って思ってるんだよ
なかなか実行できなくて
あ~
こともあるけどね~
人間ってこうして成長してくのかしら~ん
なんて思っちゃうのよね~
すいません1回パスしちゃいました
自分のHEARTにはきっちり刻まれた”みりツアー”だったんですが(汗)
昨日のsoftbank VS orixの試合で
本多&川崎のファインプレイがかぶります^^
やっぱりなんだかんだ言って
変わっていく女性って可愛いいし美しいと想います
すいません(汗)
ほんとに苦悩してる女性たちのなかで
けっして茶化してるわけじゃないんです
台所じゃなく、なぜか風呂なんですよね。
風呂は、人の神経を刺激する何かがあるんでしょうか。
嫁だけでなく、マスオさんがノイローゼになったおうちもありました。
最後はお酒に溺れて亡くなりました。
風呂がそもそもの原因だったと、奧さんは言っています。
うちも嫁は最後でしたよ。
1回、義母が先にお入りと言ってくれて、入っていたら
義父が帰って来て、風呂のドアを開けて怒鳴られましたね(笑)
ママさんバレーから帰って来ても、両親が入らないうちは入れず
夏なんか、ずっと待ってて、全身アセモだらけに
なったことがあります(笑)
あれはカユい!
サキマさんとこのお姑さんは、ジメッとしてらっしゃるんでしょうね。
連れて歩きたくなるようなタイプでもないから
ずっと世間知らずのまま
年老いてこられたんですね。
ご主人がわかってくださっているなら、良かったですね。
あるでしょうに、ちゃんと割り切ってて
えらいな~と思います。
なかなかそこへ行くまでがね~。
念仏でも唱えるしかないか~(笑)
早めに回想しちゃった。
居なくなっていい人、本当にいないですね。
居なくなって欲しい人なら、たまに居ますけど(笑)
それでもみんな、誰かの大事な人なんですよね。
おかよさん、若いのに早くもその境地に!
お互いの嫌なところ 良いところを知ってるからこそのコンビなんですね!
私 将来、お姑さんとそんな関係になれるかしら…?
今のお姑さんは無理だと思います(苦笑)
毎年、父、母の日、誕生日にはプレゼントしてましたが 別居してからは疎遠になりました…。
私は冷たいお嫁さんです。
それまでは 裏で何を言われようと良い関係を奇跡的にしてましたが…自分で精一杯になりました。
今 こうしていられるのも義両親あっての私たちだと今も思っています。歯向かう事も意見もしませんでした。が、夫の不倫問題で子供たち(孫)に 突っ掛かってきた時は 私も母親です。子供たちを守ることが結果、歯向かってしまいました。
それから私は『鬼』と言われてます。
また 県外から嫁いできたことで
『ここら辺に、そんな鬼みたいな人いない』
とまで言われました~。私も
『あんた以上の鬼もいないよーだ』
と小心者なので心のなかで叫んでました。
たぶん お姑さんと私、似たもの同士なんだと思います(^o^;
子供たちのお婆ちゃんには代わりはありませんので 最後はきちんとお礼、お詫びをしなければいけないと思っています。
今はまだ………しつこい?(苦笑)
そんな勇気がないです。