僕が一番好きな馬、トウカイテイオーが死んだ。
トウカイテイオー急死…25歳、急性心不全
【悼む】岡部氏「テイオーに差されたなら仕方ない」
テイオーは、僕が競馬を離れるきっかけになった馬でもあった。僕はあの「奇跡の復活」と言われた有馬記念を、中山競馬場のゴール前で見たのだが、その時「俺はもうこれ以上競馬で興奮することはないかもしれない」と漠然と思った。「俺がもう一度競馬で興奮するとしたら、それはテイオーの子供たちが走り始めてからだろう」とも。
しかし、テイオー引退後、サンデーサイレンス軍団が中央競馬を完全制圧。テイオー産駒だけでなく、内国産種牡馬の産駒は、まったく勝てなくなってしまい、僕は競馬に対する興味を失った。
今日は、あの第38回有馬記念の事を語ろうと思う。20年経った今でも僕の記憶は色褪せていないが、今の若い競馬ファンは当時の空気を知らないだろうし、ネットで散見されるあのレースに関する情報で、ちょっと違うんじゃないかと思うことが時々あるからだ。あのレースを当時の目線で語った書籍なども絶版だろうし(特にNumberの「20世紀の競馬」の記事は秀逸だった)、こんな辺境のブログでも、この機会に書いておかないと、いつかあのレースの記録が風化してしまいそうだから。
* * *
では、時間を1993年12月下旬に巻き戻す。
当時僕は大学生で(馬券はダメだけど時効だから許してちょ)、居酒屋でバイトしていた。バイト仲間たちから、有馬記念の馬券を頼まれていた。僕は前々から、有馬はテイオーの単勝を1万円買うと宣言していたからだ。お前買いに行くなら俺のも買ってきてくれよ、というわけだ。
僕がテイオーを好きな理由を説明するのは難しいし、自分でもよくわかっていないのだが、無理して一言でいえば「特別な感じ」を受けるから、ということになるだろうか。その特別感は、彼から天才を感じるという事かもしれない。トウカイテイオーは、条件が崩れなければ、相手がどれだけ強くても楽勝する馬だった。ついでに、誰もが言うようにハンサムだった。
1993年後半の競馬は、菊花賞馬ビワハヤヒデ、ダービー馬ウイニングチケット、JC馬レガシーワールドを中心に回っていた。前半活躍したメジロマックイーンは引退。前年の2冠馬ミホノブルボンは長期休養中で、戸山調教師が亡くなったくらいから、多分もうだめだろうと誰もが思っていた。やはり1年前から休んでいるテイオーについては、宝塚記念を回避したときに「こうやってちょこっと顔出してすぐ引っ込む馬は、もうだめだよね」と思っていた人が半分、ビワ、チケット、レガシーの活躍に目を奪われて存在を忘れている人が半分と言ったところだった。
今の若い競馬ファンにはピンと来ないかもしれないが、当時のビワハヤヒデの勢いは、それはすごかった。神戸新聞杯でメンコを外した途端、持ったままで直線、逃げ馬をいたぶりながら楽勝。菊花賞も大楽勝で3000mの世界レコード。これは天下取ったべ、と思った。ところが、次のチャンピオンホースはこいつと思われた矢先のジャパンカップを回避。当時のジャパンカップは最も勝つのが難しいGIで、4歳馬には厳しいのは確かだが、天下を取るつもりなら出て欲しかった。
そのジャパンカップでアメリカ最強馬コタシャーンを破って優勝したのがレガシーワールドだった。コタシャーンがゴール板を間違えて減速したおかげという意見もあるが、ゴール前で見ていた僕はそう思わない。前年から国際GIに認定されたジャパンカップを、マスコミは「競馬のオリンピック」「世界最強馬決定戦」と呼んだ。タマモクロスもオグリキャップもメジロマックイーンも勝てなかったジャパンカップを勝ったことで、レガシーワールドは、本当に世界最強かもしれないと思われた。
そのジャパンカップで3着に突っ込んだのがウイニングチケットだった。4歳馬のジャパンカップ3着は、史上最強馬シンボリルドルフの持つ最高記録タイである。菊花賞ではだらしなかったチケットだが(3着)、やはり強かったのだと皆が見直した。
この3頭が有馬記念の中心馬だったが、他にも一発あってもおかしくない有力馬が多数出走予定だった。とよく書かれるし、実際そうだったが、僕の意見はちょっと違った。
ライスシャワーはないと思っていた。圧倒的一番人気に押されたオールカマーで、ツインターボに逃げ切られてからスランプに陥っていたが、このスランプはもっと続くと思っていた。ライスは本番以外のレースは負けることもあったが、それでもそれなりに上位に来る。この秋は本番も覇気がなく、何もせず後方のままでゴールした。上昇する気配がなかった。
ベガもないと思った。当時の感覚では、牝馬が有馬記念を勝つところを想像できなかった。エリザベス女王杯の敗戦も不可解だった。なぜかぶっつけで出てきて、いつもの伸びがなく3着に敗れた。
逆にありそうだったのはホワイトストーンだった。陣営が生涯最高のデキと言っていたし、百戦錬磨であり、GⅠの2着は過去にある。メジロマックイーンを破って大波乱を起こしたダイユウサク的な一発があるとすれば、この馬とウィッシュドリーム、エルウェーウインのうちのどれかだが、一番率が高そうなのがホワイトストーンだった。
メジロパーマーも怖かった。ライスシャワーは不調が続くと次もダメな馬だが、メジロパーマーは惨敗続きの後でもとんでもない激走があり、それで宝塚記念と有馬記念を勝っているからだ。ただ、騎手が山田泰成ではなく横山典なので通常時の1割減と僕は見ていた。
* * *
というような状況で、有馬記念ウィークがやってきた。僕はテイオーが出走を取り消していないことにびっくりした。本当に出るのかよ。出れるのかよ。テイオーとは無関係に勝ったり負けたりしていたビワ・チケット・レガシーと、テイオーが一緒に走ることが、なんだか不思議だった。
ところが、木曜日の最終追い切りでテイオーが坂路でよれたらしい。金曜日のスポーツ新聞各紙の一面に「テイオー失速」の大見出しが躍った。史上まれにみる豪華メンバーということで(GIホース9頭が出走予定)、この週のスポーツ新聞は有馬記念一色だった。大々的に失速と書かれて、またダメなんじゃないか、捻挫でもしたんじゃないかと思った。でも出走取り消しはなく、僕はまたビックリした。テイオーは、無事に出てくるだけでびっくりする馬なのである。過去何度も直前で取り消し→長期休養を繰り返してきたので。
ちゃんと出走することが確定すると、テイオーに誰が乗るのかに注目が移った。一応本来の主戦である岡部に打診したら、ビワハヤヒデに乗るという。予想通りの答えだが、岡部にそう言われると、テイオーの方が下なのかとがっかりしたし、単勝人気も多分落ちた。それならと武豊に依頼したら、ベガがいるのでとあっさり断られた。牝馬に乗るならテイオーだろうと(たぶん世間にも)思われていたので、やっぱりテイオーは駄目かもしれないと思った。単勝人気がさらに落ちた。
結局、去年代打を頼んだ田原に落ち着いたわけだが、岡部と武にフラれたことで、3強とテイオーどちらが強いのか、僕は分からなくなってしまった。2000~2500mで体調が良ければ絶対に勝つと思いたいのだが、より勝てる馬に乗ろうとするであろうプロの騎手、それもプロ中のプロである岡部と武に拒否されてしまった。
* * *
で、当日。
僕は最初、中山に行くつもりはなかった。馴染みのあるウインズで一番でっかい後楽園で買う予定だった。ところが、水道橋に着いたら東京ドーム周辺が人で埋め尽くされていて真っ黒だった。機動隊?も出ていた。ウインズの入口に辿り着くだけでも2時間くらいかかりそうなくらい人が渋滞している。やばい。行ったことないけど錦糸町に行くか? バイト仲間から頼まれている馬券に100円単位のがあった。100円単位で買えるのは後楽園、錦糸町、銀座だっけ? しかし、後楽園がこの調子だと、どこに行っても超満員なのではないか? それなら中山競馬場に行った方がいいのでは? 一応15万人も収容できることになっているんだから。
というわけで、一か八か僕は中山競馬場に行ったのだが、行ってみたら入場制限がかかっていた。前売り入場券がないと入れない。万事休す。
しかし、僕はツイていた。たまたまそのとき、余った入場券を売る列ができており、買うことが出来た。
入場してまたびっくり。なんという人の数。まだ11時だというのに、あの広い売り場が人で埋め尽くされていて、どれが窓口に並んでいる列の人で、どれが佇んでいるだけの人なのかわからない。レースまで4時間半もあるが、今買っておかないと間に合わないかも。有馬記念恐るべし。
馬券を考える時間はたっぷりあった。並んでから馬券を買えるまで1時間半もかかったからだ。
色々迷ったが、初志貫徹ということと、応援も兼ねてトウカイテイオーの単勝1万円。馬連はビワハヤヒデとホワイトストーンを軸にしてメジロパーマー、レガシーワールド、ウィッシュドリーム、エルウェーウインなどに流す。テイオーを馬連に絡めなかったのは、テイオーは2着がない馬だからだ。2着に来るようなら条件が崩れてないということであり、そういう時は勝つ。楽勝か惨敗しかない馬なのだ。
まあ、勝つと信じてるなら軸にしろよと今の僕は思うが。
12時半。頼まれた分も含めて、ようやく馬券を買った僕はゴール前方面へ急いだ。この状態では、もう行っておかないといい場所で有馬記念を見れそうにない。人ごみをかき分けて残り100メートル付近の前から3列目に場所を確保。
それから3時間は地獄だった。ずっと満員電車の押しくらまんじゅう状態。10分が1時間に感じた。後ろから数千人が押してきて、我々前の方が潰されそうになり、怒号が飛び交った。圧死しそうになった最前列の連中が、生け垣(外ラチのさらに外のやつ)に上って逃げたりした。具合が悪くなった女性が救護隊に運ばれていったりもした。
ぎゅうぎゅうの状態で首だけ動かして有馬記念前のパレードを見た。鼓笛隊は広い所に居ていいなあと思った。
有馬記念のパドック映像がターフビジョンに映り始めた。1頭映るたびに「おおおおう」と地鳴りのような歓声が湧いた。しかし、テイオーのひょこひょこした歩様が写った瞬間、笑いの混じったどよめきが起こった。なんだあれ。変な歩きかた! さらにテイオーはちょっと尻尾を上げたかと思うと、ぽろぽろと糞を落とした。数万人の笑い声。僕はまるで自分が笑われたようにいたたまれなかった。
本馬場入場。前の人達の頭が邪魔だし、首を曲げるのも一苦労。それでもなんとか首を曲げて見た。テイオーがターフを駆けていくところを。4本の脚をいっぱいに伸ばし、オレンジ色の夕日に照らされた芝生の上を滑るように走って行った。何となく僕はテイオーが緊張しているように見えたが、後でビデオを見ると故・大川慶次郎さんはテイオーから「嗚呼、また芝を走れるんだなあという喜び」を感じたらしい。
テレビで見てても長いけど、輪乗りの時間がまた長い。前後左右の男達と密着し、ターフビジョンしか見えない状態だと特に長く感じる。その間心臓バクバクである。
レースは皆さんよく御存じの通り。現場よりテレビのほうがよく見える。僕からは向こう正面を左から右にびっくりするような速さで移動していく豆粒のような馬たちの上半身とターフビジョンしか見えない。ターフビジョンに映る三番手までの馬番にテイオーの4はない。どこにいるのかわからない。
やがて馬群が4コーナーを回り、ドドドと地響きを立てて駆け上がってきた。ワーーーーッとスタンド中が叫び、僕も多分叫んだ。なんと、ビワハヤヒデとトウカイテイオーが並んで坂を駆け上がってきた。何が何だかわからない。ワーッと叫ぶ自分の声も聴こえない。首を右から左に回した5秒ほどの間、僕の視界を二頭が駆け抜けて向こうへ行った。
やがて、掲示板の1着のところに「4」が表示された。トウカイテイオーは勝っていた。
しかし、「審」の青ランプも点灯した。場内放送が「ライスシャワー号の進路が狭くなったことについて」と説明する。ライスならテイオー関係ないわ。もうスタンドは「往年のスターホースが復活した」興奮でざわざわしていた。我々の雰囲気では、もう勝ったことになっていた。
しばらくして1着テイオー、2着ビワハヤヒデで確定。すかさずテイオーコールが始まった。背中に10万人以上のテイオーコールを聞きながら、僕の周囲のひねくれた若者たちはタバラコールを始めた。そうだよな。田原が上手かった。僕らは笑いながら「ターバーラ!ターバーラ!」とやった。田原コールをしてたのは1000人くらいかなあ。今YouTubeで見ても全然聞こえないが、あの日ゴール前一帯は、テイオーコールに対抗してタバラコールをしていたのです。
身動きが取れないまま田原の号泣インタビュー、表彰式を見た。誰も帰らないので僕もその場所を抜け出せなかった。抜け出す気もなかったけど。テイオーが勝ち、馬券も取って、もうぎゅうぎゅうでも辛くなかった。
撤収し始めてからも人が渋滞して西船橋駅に着いたのが6時近く。満員で乗れなくて電車を何本も逃し、杉並区のアパートに帰ったのが9時過ぎである。有馬記念恐るべし。
予約録画しておいたスーパー競馬を見た。田原のインタビューで泣いた。中山競馬場には17万人、後楽園ウインズは28万人もいたらしい。とんでもない話だ。豪華メンバーの有馬記念恐るべし。
* * *
僕にはもう有馬記念だけで十分で、テイオーはここで引退してほしいと思ったのだが、陣営は大阪杯に登録した。競馬エイトの予想欄がテイオー全部◎で笑ってしまった。確か見出しは「逆らってはいけない」だった。しかし、テイオーはまた故障して出走を取り消し、そのまま引退した。
引退式も見に行った。ゼッケンは有馬記念の4ではなく、ダービーの20だった。ダービーのゼッケンは白い。白ゼッケンは若造の4歳馬用というイメージがあり、僕は若干不満だった。
種牡馬になってから、帰省ついでに2回ほど早来に会いに行った。芝に背中をこすりつけてゴリゴリやってたが、カメラを向けると立ち上がって「キリッ」とした顔で遠くを見た。そういう馬だと聞いてはいたが、テイオーは本当にポーズをとった。やっぱりスターだねえ、と思った。
テイオーの仔が走り始めたら競馬再開と思っていたのだが、その機会は結局なかった。輸入種牡馬サンデーサイレンスの産駒がGIを独占し、内国産種牡馬の産駒はまったく勝てなくなってしまった。ビワハヤヒデ、メジロマックイーン、ミホノブルボンら90年代のスターホースたちの産駒たちがことごとく壊滅。テイオーはまだいいほうで、GIホースを二頭出したが、1頭は騸馬(去勢された牡馬)で、1頭は牝馬だった。後継種牡馬はいない。というか、90年代内国産スターホースは、どれも後継種牡馬なんていない。
トウカイテイオーの死は、国産スターホースからスターが生まれる最後の可能性が失われたということではなかろうか。僕が競馬を見始めることは、もうないだろうという気がしている。
トウカイテイオー急死…25歳、急性心不全
【悼む】岡部氏「テイオーに差されたなら仕方ない」
テイオーは、僕が競馬を離れるきっかけになった馬でもあった。僕はあの「奇跡の復活」と言われた有馬記念を、中山競馬場のゴール前で見たのだが、その時「俺はもうこれ以上競馬で興奮することはないかもしれない」と漠然と思った。「俺がもう一度競馬で興奮するとしたら、それはテイオーの子供たちが走り始めてからだろう」とも。
しかし、テイオー引退後、サンデーサイレンス軍団が中央競馬を完全制圧。テイオー産駒だけでなく、内国産種牡馬の産駒は、まったく勝てなくなってしまい、僕は競馬に対する興味を失った。
今日は、あの第38回有馬記念の事を語ろうと思う。20年経った今でも僕の記憶は色褪せていないが、今の若い競馬ファンは当時の空気を知らないだろうし、ネットで散見されるあのレースに関する情報で、ちょっと違うんじゃないかと思うことが時々あるからだ。あのレースを当時の目線で語った書籍なども絶版だろうし(特にNumberの「20世紀の競馬」の記事は秀逸だった)、こんな辺境のブログでも、この機会に書いておかないと、いつかあのレースの記録が風化してしまいそうだから。
* * *
では、時間を1993年12月下旬に巻き戻す。
当時僕は大学生で(馬券はダメだけど時効だから許してちょ)、居酒屋でバイトしていた。バイト仲間たちから、有馬記念の馬券を頼まれていた。僕は前々から、有馬はテイオーの単勝を1万円買うと宣言していたからだ。お前買いに行くなら俺のも買ってきてくれよ、というわけだ。
僕がテイオーを好きな理由を説明するのは難しいし、自分でもよくわかっていないのだが、無理して一言でいえば「特別な感じ」を受けるから、ということになるだろうか。その特別感は、彼から天才を感じるという事かもしれない。トウカイテイオーは、条件が崩れなければ、相手がどれだけ強くても楽勝する馬だった。ついでに、誰もが言うようにハンサムだった。
1993年後半の競馬は、菊花賞馬ビワハヤヒデ、ダービー馬ウイニングチケット、JC馬レガシーワールドを中心に回っていた。前半活躍したメジロマックイーンは引退。前年の2冠馬ミホノブルボンは長期休養中で、戸山調教師が亡くなったくらいから、多分もうだめだろうと誰もが思っていた。やはり1年前から休んでいるテイオーについては、宝塚記念を回避したときに「こうやってちょこっと顔出してすぐ引っ込む馬は、もうだめだよね」と思っていた人が半分、ビワ、チケット、レガシーの活躍に目を奪われて存在を忘れている人が半分と言ったところだった。
今の若い競馬ファンにはピンと来ないかもしれないが、当時のビワハヤヒデの勢いは、それはすごかった。神戸新聞杯でメンコを外した途端、持ったままで直線、逃げ馬をいたぶりながら楽勝。菊花賞も大楽勝で3000mの世界レコード。これは天下取ったべ、と思った。ところが、次のチャンピオンホースはこいつと思われた矢先のジャパンカップを回避。当時のジャパンカップは最も勝つのが難しいGIで、4歳馬には厳しいのは確かだが、天下を取るつもりなら出て欲しかった。
そのジャパンカップでアメリカ最強馬コタシャーンを破って優勝したのがレガシーワールドだった。コタシャーンがゴール板を間違えて減速したおかげという意見もあるが、ゴール前で見ていた僕はそう思わない。前年から国際GIに認定されたジャパンカップを、マスコミは「競馬のオリンピック」「世界最強馬決定戦」と呼んだ。タマモクロスもオグリキャップもメジロマックイーンも勝てなかったジャパンカップを勝ったことで、レガシーワールドは、本当に世界最強かもしれないと思われた。
そのジャパンカップで3着に突っ込んだのがウイニングチケットだった。4歳馬のジャパンカップ3着は、史上最強馬シンボリルドルフの持つ最高記録タイである。菊花賞ではだらしなかったチケットだが(3着)、やはり強かったのだと皆が見直した。
この3頭が有馬記念の中心馬だったが、他にも一発あってもおかしくない有力馬が多数出走予定だった。とよく書かれるし、実際そうだったが、僕の意見はちょっと違った。
ライスシャワーはないと思っていた。圧倒的一番人気に押されたオールカマーで、ツインターボに逃げ切られてからスランプに陥っていたが、このスランプはもっと続くと思っていた。ライスは本番以外のレースは負けることもあったが、それでもそれなりに上位に来る。この秋は本番も覇気がなく、何もせず後方のままでゴールした。上昇する気配がなかった。
ベガもないと思った。当時の感覚では、牝馬が有馬記念を勝つところを想像できなかった。エリザベス女王杯の敗戦も不可解だった。なぜかぶっつけで出てきて、いつもの伸びがなく3着に敗れた。
逆にありそうだったのはホワイトストーンだった。陣営が生涯最高のデキと言っていたし、百戦錬磨であり、GⅠの2着は過去にある。メジロマックイーンを破って大波乱を起こしたダイユウサク的な一発があるとすれば、この馬とウィッシュドリーム、エルウェーウインのうちのどれかだが、一番率が高そうなのがホワイトストーンだった。
メジロパーマーも怖かった。ライスシャワーは不調が続くと次もダメな馬だが、メジロパーマーは惨敗続きの後でもとんでもない激走があり、それで宝塚記念と有馬記念を勝っているからだ。ただ、騎手が山田泰成ではなく横山典なので通常時の1割減と僕は見ていた。
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というような状況で、有馬記念ウィークがやってきた。僕はテイオーが出走を取り消していないことにびっくりした。本当に出るのかよ。出れるのかよ。テイオーとは無関係に勝ったり負けたりしていたビワ・チケット・レガシーと、テイオーが一緒に走ることが、なんだか不思議だった。
ところが、木曜日の最終追い切りでテイオーが坂路でよれたらしい。金曜日のスポーツ新聞各紙の一面に「テイオー失速」の大見出しが躍った。史上まれにみる豪華メンバーということで(GIホース9頭が出走予定)、この週のスポーツ新聞は有馬記念一色だった。大々的に失速と書かれて、またダメなんじゃないか、捻挫でもしたんじゃないかと思った。でも出走取り消しはなく、僕はまたビックリした。テイオーは、無事に出てくるだけでびっくりする馬なのである。過去何度も直前で取り消し→長期休養を繰り返してきたので。
ちゃんと出走することが確定すると、テイオーに誰が乗るのかに注目が移った。一応本来の主戦である岡部に打診したら、ビワハヤヒデに乗るという。予想通りの答えだが、岡部にそう言われると、テイオーの方が下なのかとがっかりしたし、単勝人気も多分落ちた。それならと武豊に依頼したら、ベガがいるのでとあっさり断られた。牝馬に乗るならテイオーだろうと(たぶん世間にも)思われていたので、やっぱりテイオーは駄目かもしれないと思った。単勝人気がさらに落ちた。
結局、去年代打を頼んだ田原に落ち着いたわけだが、岡部と武にフラれたことで、3強とテイオーどちらが強いのか、僕は分からなくなってしまった。2000~2500mで体調が良ければ絶対に勝つと思いたいのだが、より勝てる馬に乗ろうとするであろうプロの騎手、それもプロ中のプロである岡部と武に拒否されてしまった。
* * *
で、当日。
僕は最初、中山に行くつもりはなかった。馴染みのあるウインズで一番でっかい後楽園で買う予定だった。ところが、水道橋に着いたら東京ドーム周辺が人で埋め尽くされていて真っ黒だった。機動隊?も出ていた。ウインズの入口に辿り着くだけでも2時間くらいかかりそうなくらい人が渋滞している。やばい。行ったことないけど錦糸町に行くか? バイト仲間から頼まれている馬券に100円単位のがあった。100円単位で買えるのは後楽園、錦糸町、銀座だっけ? しかし、後楽園がこの調子だと、どこに行っても超満員なのではないか? それなら中山競馬場に行った方がいいのでは? 一応15万人も収容できることになっているんだから。
というわけで、一か八か僕は中山競馬場に行ったのだが、行ってみたら入場制限がかかっていた。前売り入場券がないと入れない。万事休す。
しかし、僕はツイていた。たまたまそのとき、余った入場券を売る列ができており、買うことが出来た。
入場してまたびっくり。なんという人の数。まだ11時だというのに、あの広い売り場が人で埋め尽くされていて、どれが窓口に並んでいる列の人で、どれが佇んでいるだけの人なのかわからない。レースまで4時間半もあるが、今買っておかないと間に合わないかも。有馬記念恐るべし。
馬券を考える時間はたっぷりあった。並んでから馬券を買えるまで1時間半もかかったからだ。
色々迷ったが、初志貫徹ということと、応援も兼ねてトウカイテイオーの単勝1万円。馬連はビワハヤヒデとホワイトストーンを軸にしてメジロパーマー、レガシーワールド、ウィッシュドリーム、エルウェーウインなどに流す。テイオーを馬連に絡めなかったのは、テイオーは2着がない馬だからだ。2着に来るようなら条件が崩れてないということであり、そういう時は勝つ。楽勝か惨敗しかない馬なのだ。
まあ、勝つと信じてるなら軸にしろよと今の僕は思うが。
12時半。頼まれた分も含めて、ようやく馬券を買った僕はゴール前方面へ急いだ。この状態では、もう行っておかないといい場所で有馬記念を見れそうにない。人ごみをかき分けて残り100メートル付近の前から3列目に場所を確保。
それから3時間は地獄だった。ずっと満員電車の押しくらまんじゅう状態。10分が1時間に感じた。後ろから数千人が押してきて、我々前の方が潰されそうになり、怒号が飛び交った。圧死しそうになった最前列の連中が、生け垣(外ラチのさらに外のやつ)に上って逃げたりした。具合が悪くなった女性が救護隊に運ばれていったりもした。
ぎゅうぎゅうの状態で首だけ動かして有馬記念前のパレードを見た。鼓笛隊は広い所に居ていいなあと思った。
有馬記念のパドック映像がターフビジョンに映り始めた。1頭映るたびに「おおおおう」と地鳴りのような歓声が湧いた。しかし、テイオーのひょこひょこした歩様が写った瞬間、笑いの混じったどよめきが起こった。なんだあれ。変な歩きかた! さらにテイオーはちょっと尻尾を上げたかと思うと、ぽろぽろと糞を落とした。数万人の笑い声。僕はまるで自分が笑われたようにいたたまれなかった。
本馬場入場。前の人達の頭が邪魔だし、首を曲げるのも一苦労。それでもなんとか首を曲げて見た。テイオーがターフを駆けていくところを。4本の脚をいっぱいに伸ばし、オレンジ色の夕日に照らされた芝生の上を滑るように走って行った。何となく僕はテイオーが緊張しているように見えたが、後でビデオを見ると故・大川慶次郎さんはテイオーから「嗚呼、また芝を走れるんだなあという喜び」を感じたらしい。
テレビで見てても長いけど、輪乗りの時間がまた長い。前後左右の男達と密着し、ターフビジョンしか見えない状態だと特に長く感じる。その間心臓バクバクである。
レースは皆さんよく御存じの通り。現場よりテレビのほうがよく見える。僕からは向こう正面を左から右にびっくりするような速さで移動していく豆粒のような馬たちの上半身とターフビジョンしか見えない。ターフビジョンに映る三番手までの馬番にテイオーの4はない。どこにいるのかわからない。
やがて馬群が4コーナーを回り、ドドドと地響きを立てて駆け上がってきた。ワーーーーッとスタンド中が叫び、僕も多分叫んだ。なんと、ビワハヤヒデとトウカイテイオーが並んで坂を駆け上がってきた。何が何だかわからない。ワーッと叫ぶ自分の声も聴こえない。首を右から左に回した5秒ほどの間、僕の視界を二頭が駆け抜けて向こうへ行った。
やがて、掲示板の1着のところに「4」が表示された。トウカイテイオーは勝っていた。
しかし、「審」の青ランプも点灯した。場内放送が「ライスシャワー号の進路が狭くなったことについて」と説明する。ライスならテイオー関係ないわ。もうスタンドは「往年のスターホースが復活した」興奮でざわざわしていた。我々の雰囲気では、もう勝ったことになっていた。
しばらくして1着テイオー、2着ビワハヤヒデで確定。すかさずテイオーコールが始まった。背中に10万人以上のテイオーコールを聞きながら、僕の周囲のひねくれた若者たちはタバラコールを始めた。そうだよな。田原が上手かった。僕らは笑いながら「ターバーラ!ターバーラ!」とやった。田原コールをしてたのは1000人くらいかなあ。今YouTubeで見ても全然聞こえないが、あの日ゴール前一帯は、テイオーコールに対抗してタバラコールをしていたのです。
身動きが取れないまま田原の号泣インタビュー、表彰式を見た。誰も帰らないので僕もその場所を抜け出せなかった。抜け出す気もなかったけど。テイオーが勝ち、馬券も取って、もうぎゅうぎゅうでも辛くなかった。
撤収し始めてからも人が渋滞して西船橋駅に着いたのが6時近く。満員で乗れなくて電車を何本も逃し、杉並区のアパートに帰ったのが9時過ぎである。有馬記念恐るべし。
予約録画しておいたスーパー競馬を見た。田原のインタビューで泣いた。中山競馬場には17万人、後楽園ウインズは28万人もいたらしい。とんでもない話だ。豪華メンバーの有馬記念恐るべし。
* * *
僕にはもう有馬記念だけで十分で、テイオーはここで引退してほしいと思ったのだが、陣営は大阪杯に登録した。競馬エイトの予想欄がテイオー全部◎で笑ってしまった。確か見出しは「逆らってはいけない」だった。しかし、テイオーはまた故障して出走を取り消し、そのまま引退した。
引退式も見に行った。ゼッケンは有馬記念の4ではなく、ダービーの20だった。ダービーのゼッケンは白い。白ゼッケンは若造の4歳馬用というイメージがあり、僕は若干不満だった。
種牡馬になってから、帰省ついでに2回ほど早来に会いに行った。芝に背中をこすりつけてゴリゴリやってたが、カメラを向けると立ち上がって「キリッ」とした顔で遠くを見た。そういう馬だと聞いてはいたが、テイオーは本当にポーズをとった。やっぱりスターだねえ、と思った。
テイオーの仔が走り始めたら競馬再開と思っていたのだが、その機会は結局なかった。輸入種牡馬サンデーサイレンスの産駒がGIを独占し、内国産種牡馬の産駒はまったく勝てなくなってしまった。ビワハヤヒデ、メジロマックイーン、ミホノブルボンら90年代のスターホースたちの産駒たちがことごとく壊滅。テイオーはまだいいほうで、GIホースを二頭出したが、1頭は騸馬(去勢された牡馬)で、1頭は牝馬だった。後継種牡馬はいない。というか、90年代内国産スターホースは、どれも後継種牡馬なんていない。
トウカイテイオーの死は、国産スターホースからスターが生まれる最後の可能性が失われたということではなかろうか。僕が競馬を見始めることは、もうないだろうという気がしている。
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