半透明記録

もやもや日記

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20日目

2013年02月27日 | もやもや日記




やっぱり睡眠というのはある程度連続してとらないとダメなようですね。昨夜は母が夜中の息子へのミルク係をかわってくれたので、私は手術直後から18日ぶりくらいで夜に連続8時間も寝ることができました。おかげで今日は頭も体もすっきりです。心にも余裕が出るというものです。里帰りしておいて助かった・・・。

ちなみにその前の日は細切れで3、4時間も寝られたでしょうか。夜中の0時から朝5時まで寝る気配もなくもぞもぞぎゃあぎゃあと何やら主張しまくる息子を抱えて、私の握力はもうほとんどゼロよ! 産褥期には1ヶ月は安静にすべきらしいですが、安静ってなんでしたっけ? 2時間おきに起こされて、3.5kgのものを抱えて半スクワットとか、なんか修行中なんか。おかげで痩せたけどさ。
とうとう昨日は腕が上がらなくなり沐浴させる元気もなかったので、両親に丸投げしました(ちなみにいつもは3人がかりのVIP待遇で沐浴させてます。王様か;)。父も母も嬉々として面倒をみてくれるので、本当に里帰りしておいて助かった・・・。里のあることのありがたさよ。家族に感謝。


というわけで、息子も明日でようやく生後3週間。時おり地獄の番犬のように泣き喚く日もありますが、そんなときは「これも今だけ。いずれ一緒にアニメについて語り合うんだ・・・!」と言い聞かせて乗り切るつもりです(アニオタ確定なのか?^^;)。そう思うと腹も立たないし、将来が楽しみになってくる。そもそも新生児がムズムズいうのは当たり前だよな。私が小さかったころは写真で確認できる限りでは、もっと気難しかったのではないかと。ほら。


 画像は0歳時の私。
 すでに世の中を諦めきった表情をしている。
 あと髪の毛、どうしてこんなに反骨精神に溢れているの?
 よくぞここから、こんなに持ち直したものだ・・・
 人間は可能性に満ちているんだな(って、あまり変わらないだろうか;)。


子が生まれたらK氏と私のどちらに似ているか確かめようと思い、お産の前に実家でアルバムの写真を探しておいたんですよね。それにしても酷い・・・私は生まれつきこんな髪で、ヤマアラシのようだったとよく言われたものです。さらさらふわふわヘアで可愛いと評判の息子は、どうやら今のところ私には似ていないらしい。良かったな~(^_^;)


明日で3週間なのに、私に息子がいるという事実にはまだ慣れません。自分の子が特別に可愛いとも思わないのですが、いつかはそう思うようになるのかな。病院の新生児室ではどの子もみんな小さくて可愛かった。未来が集っていた。みんな幸福におなり。ただ、私が抱っこしていると、そのまま寝てしまう子がいるっていうのは不思議です。こんなこと、考えられなかったよなあ。まあ息子は私よりも私の母に抱っこされるほうが好きみたいですが。精進、精進・・・(;_;)コレカラ、コレカラ!





13日目

2013年02月20日 | もやもや日記



息子が生まれて13日。退院してから1週間。この間に分かったり思ったりしたこと。とりあえず、子供を育てるというのは、特別列車に乗るようなものだろうか。乗ったらずっと先まで降りられない。けれども車内の様子も車窓からの風景も進むごとにどんどん変わっていくんだろうなあ。できるならそれを楽しみたい。

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実家に帰ってからの1週間のこと。引き続きてんやわんや。


*1.5~3時間ごとに小刻みに寝たり起きたりを繰り返していると、昨日と今日の境目がどこにあるのか分からなくなる。私の1日あたりの睡眠時間はどうやってはかったらよいのだろうか。


*日ごとに少しずつ大きくなる息子。頭が重くて腱鞘炎になりかかってきたぞ!


*どうやら3日おきくらいで、何をどうしても寝つきの悪い日があるような気がする。寝て30分で、なぜまた起きるのか・・・。


*母と姉が息子を抱っこすると安定感がある。しかし私が抱っこすると地獄のような叫び声をあげながら海老反りになって嫌がるのであった。何が気に入らないんだ・・・!


*寝入ったところをたたき起こされ、授乳にも抱っこにも反抗的。くっ・・・腹立つヽ(=´Д`=)ノ  が、顔がかわいい。


*母乳というのは、一度にどのくらい飲んでいるのか分からない。泣き止まないのはやはり腹が減っているということか。ミルクで不足分を補おうにも、不足分がどれだけなのかがまた分からないのであった。

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さてただいま私は県外から里帰り中なのですが、今日は地元の助産師さんが家庭訪問をしてくれました。上記のことなどを相談すると、さすがに本職、てきぱきと手際よくアドバイスをくださり、かなり怪しかった私の赤子を抱く手元などを矯正してもらいました。入院しているときから感じていましたが、やはり新生児といえども迷いのない手付きというのは分かるらしく、看護士さんや助産師さんに扱われているときはおとなしいんですよね。私のようにおろおろへろへろしていると、どうもそれが伝わって不安になるようです。すまない。

また、母乳の量などについても不安がありましたが、まあそれほど悪くない調子とのことでひとまず安心。ミルクの補足分量についても教えてもらいました。最近は母乳のみで育てようというのが主流らしく、私もそのつもりだったのですが、ここは無理をせずしばらくは混合でいくぜ。
そして、ここ数日でミルクをやりすぎたのか息子は太ってきたように思っていましたが、これで普通、むしろもうちょっと増えてもいいくらいとのこと。ミルクも全然やりすぎではなかった。むしろちょっと足りてないくらい。生後1ヶ月で大体1kgほど増やさないとならないらしいです。マジか、この腕で支えきれるのだろうか・・・(「これからもっと重くなる、乗り切れ!」とのこと;)

そして、「いつごろ取れるんだろう?」と思っていた臍の緒が、助産師さんがいらしている間にちょうど取れた! ナイスタイミング。

というわけで、この1週間でどうしたらいいか分からなかったことは、おかげさまでだいぶ解消しました。実にありがたいサービスですね、これは。助かった、助かった。




たぶん、この列車は動き始めたけれどもまだ駅舎すら出ていないんだな。そしてあらためて、私は乗客ではなくて乗務員なんだな。はやく仕事を覚えるから、君がもういいというところまで乗せていっておくれ。




初めて見たとき、
「こんなに小さいのに、なんと見事な細工だ!」
と思った息子の指先。
爪が美しい。





退院しました!

2013年02月15日 | もやもや日記



とりいそぎ、ご報告だけ。


2月7日に無事に男児を出産し、昨日14日に退院しました。みなさまから励ましとお祝いのいただきまして、おかげさまで母子ともに健康順調に帰宅することができました。どうもありがとうございました(^o^)

出産をめぐっては、帝王切開で8日に生まれる予定だったのがなぜか7日に緊急帝王切開で生まれてしまったとか色々あって、つくづく私の人生の辞書には「計画」とか「予定通り」とかいう類の文字は記載されていないんだな、と実感。かわりに「緊急」とか「行き当たりばったり」とかいうことには縁があるよな。まあ、せっかくなので詳しいことはまた別に書いておきたいですね。

しかし、生まれてみれば想像以上のハードワークぶりに育児の大変さも実感しています。文章を書くためのまとまった時間を取れる日がいつごろ来るのか疑問です。とにかく少しも寝る暇すらねーよ! 頼む、寝かせてくれ! とか思いつつ、必死でこの環境に慣れるべく努力を続けているところです。子が短い睡眠中にウニャとかうわ言を言ってもいちいちビビッて私まで起きるのをどうにかしたい。でもそういうもんなのかしら。


分からないことだらけで右往左往しておりますが、それでも抱っこしたままで子が寝ることに成功したりすると言い知れぬ喜びを感じます。それもつかの間、寝床に下ろした直後に目覚めてまた泣かれてガッカリしたりもしています(真夜中に)。でもとにかく、子よ、君にもどうもありがとう。至らないところだらけで君も不満だろうが、これからよろしくな!




一時休止のお知らせ

2013年02月06日 | もやもや日記




明日2/7(木)から10日間ほど更新をお休みします。ちょっと入院してくるので、経過によってはもう少し長くなるかもしれませんが、たぶん大丈夫でしょう。何事もなかったように帰ってこられますように。


では、みなさま、しばらくの間ごきげんよう~!
 (^o^)ノシ



届いたものとまだ届かないものと

2013年02月06日 | もやもや日記



最近ある人にメールを送ったのですが、私自身も噛み締めたいと思ったこと。



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目が覚めてみるとふいにある物語の一場面が浮かんできました。

私の話すことはいつも物語からの引用ばかりなので情けなくも申し訳ないけれど、人生を疑似体験によってしか生きられない私のような人間には仕方のないことでもあるのでちょっと許してほしい。
その場面というのは、ロア=バストスの『汝、人の子よ』より、

若い夫婦が貧しい暮らしから新天地を求めてマテ茶農園へ移住するのだけれど、そこでは死ぬまで続くあまりに過酷な農奴生活が待っていたのであった。耐えかねた夫は身重の妻が出産するのを待って、息子が生まれるなり3人で決死の脱出を試みる。
密林の泥沼の中に潜みながら逃げる家族、前方にはピューマ、もう一方には銃を構えた無慈悲な農園主。絶体絶命の状況で、乳飲み子が腹を空かせて今にも泣き声をあげそうである。

という場面です。たしかこの場面でこういう文章が出てきた。

 そうだ、生きるということは、どれほど前方から、あるいはどれほど
 後方から眺めようと、つまりは心の奥底で執拗に焔(ほのお)を燃や
 すことなのだ。一見不可能と見えるものも達成し、最後まで持ちこた
 え、力の限界を越え絶望とあきらめを乗り越えて耐え抜かずにはおれ
 ないことなのだ。 

 ――『汝、人の子よ』ロア=バストス(集英社版 ラテンアメリカの文学10)


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その人にはどういう風に伝わったのか、あるいは全然見当違いで話が通じなかったかもしれませんが、思い出したこの場面はやっぱりむしろ私にとって必要なものだったのかもと思う。

誰かに今こそ何か伝えたいと思うことは多々ありますが、言葉というのは届かないことを前提に放たれているもののような気もする上に、私自身の言葉というのがなかなか出てこなかったりもします。それでいつも物語に記された言葉を借りて済ますのです。しかし、そういった言葉の数々はたしかにある時私に届いたものであって、私も簡単に諦めたりせずに、いつかは自分の言葉をどこかに残したいものです。放たれてしまえば、たとえ一方通行だろうと、もしかしたらいつかどこかの誰かに届くかもしれない。文章を書いたり読んだりするということには、可能性がありますね。





帝王切開についてあれこれ

2013年02月05日 | もやもや日記



今日は、最後の定期検診へ行ってきました。もう入院は目前。今回もとくに異常はありませんでしたが、検診後はなんだかやたらと眠くなりました。お産に関しては、すべて無事に済んでから記事にしようかと思っていましたが、入院期間がけっこう長いことと、退院したら文章を書く暇が取れるかどうか怪しいので今のうちに書いておくことにしましょう。


さて、私のお産は帝王切開で行われることになりました。理由は、子宮筋腫です。子宮の下部に5~6cm大の筋腫があり、そこはちょうど胎児の頭が通る場所です。先生によると頑張れば普通分娩も可能ということなのですが、ただし頑張ってみた状況によって途中でやはり帝王切開に切り替えることになるかもしれないと言われたので、体力に自信のない私は最初から帝王切開でお願いしようと決めたわけです。帝王切開の場合は、陣痛に耐えなくてもいいですからね。それだけ体力を温存できるかな、と。2日間ほどの陣痛に耐えた末に帝王切開になったという友人の話を聞くと、とても私には耐えられそうにありませんから。


それで、先月末に病院で帝王切開手術の説明を受けました。おととしの年末の卵巣摘出手術では臍の下を4センチばかり切っている私ですが、今回の帝王切開手術では、その傷の上を10~12センチほど切開するそうです。通常は下腹部を横切りにするところを、私の場合はその過去の傷が縦切りであるために、それに沿って縦に長く切ることになるみたいですね。10センチ以上というと、これは思ったよりも大きな傷になります。帝王切開経験者の方々が術後の痛みについてよく言及してますが、なるほど、これは痛いだろうなあ。

また、手術時の麻酔は、腰からの麻酔で下半身のみを麻酔します。半身だけというのはなにげに凄い技術だと思うのですが、意識のある状態でお腹を切られることを想像すると震えが走りますね。あまり考えないことにしよう。

手術では胎児と胎盤を取り出しますが、子宮筋腫についてはそのまま放置になるということです。同時に切除することも不可能ではないものの、大量出血を引き起こす原因になる恐れがあるので今回は見送るそうです。産後、定期的に様子を見ながら対応していくことになりますね。これ以上大きくならないことを祈るばかり。

もうひとつ、これには驚いたのですが、帝王切開手術にも家族の立会いが可能なんだそうです。本当にびっくりした。当日はK氏ががんばって病院まで来てくれるそうですが、時間が間に合えば立ち会ってくれるかもしれません。今のところ間に合うかどうかは際どいですが。私としては立ち会ってもらってももらわなくてもどちらでも構いませんが、恐らく緊張のあまり感情的にフリーズしているだろう私のかわりに、誕生を確認してくれる人がいてくれたら助かるかもしれませんね。

また、帝王切開の場合は、開腹手術であるためか、通常よりも入院期間が長くなります。術後から数えて1週間が目安のようです。普通分娩の場合は4日ほどみたいでした。そして、術後は数日間ほぼ寝たきり。手術当日は子は保育器に入れられて、看護士さんたちが面倒を見てくださるそうです。だいたいは卵巣を取ったときとほとんど同じようなスケジュールでしたが、起き上がれるようになれば今回は合間に子のお世話をしないとならないんだな。しっかりしないとなあ。



そんなこんなで、入院と手術まで日が迫ってきました。あと数日を残すばかりですが、その前に陣痛が来てしまった場合には、まずは普通分娩にチャレンジすることになっています。でも、ここまで来てそれはできれば避けたい・・・もうちょっとおとなしくしててくれ。予定通りに進みますように。







懐かしいこと

2013年02月03日 | もやもや日記





靴下を履くのに複雑な体勢をとらなくてよかった頃が懐かしい・・・。
体の重みで接地面が痺れて寝返りも満足に打てない、なんて悩みがなかった頃が懐かしい・・・。
階段をちょっと上がるだけでハアハア言わなかった頃が懐かしい・・・。
辛味を感じなくなる前、グリーンカレーを汗だくになって泣きながら食べていた頃が懐かしい・・・。
他にもいくつか懐かしいことがあるなあ。


しかし、自分の体が思うようにならないというこの不可思議な体験期間もようやく終わりにさしかかってきました。今度の木曜日から入院します。無事に済めば来週末には私は人の親になっているわけだ。だめだ、考えれば考えるほど緊張する。

どう言ったらいいのか分からない心境を書いておいたほうがいいんだろうと思うのに、やっぱりどう言ったらいいのか分からないので言葉になりません。そういうわけで、残りの日々をひたすら黙々と過ごしています。インプットもアウトプットもできない。本当に小心だよなぁ。

このくらいのことで周りが見えなくなってしまってはいけないと思う。私がほんとうに懐かしいのは、もっと心が落ち着いていた頃。周囲をよく見渡せていた頃。しかし・・・私にそんなことができた頃って、あったよな? あっただろうか? だめだ、思い出せない!


アタフタしてますが、でもまだちょっと時間があります。とにかく少し落ち着きたいものですね。