ちょっと前のことになりますが、池上彰さんの、この記事が面白かったです。
民主主義のパラドックス|Newsweek斜め読み|ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト
民主化を進めると、過激な思想を持つ勢力が伸長するというお話でした。興味深いなあ。私もそれがたびたび気になっていたんだよなあ。
私は民主主義を否定するつもりはありませんが、民主主義というものは残念ながら不完全であると言わざるを得ないのではないでしょうか。少なくとも今のところは。
では、民主主義が誰にとっても素晴らしい構造となるには、どういう条件が必要ですかね。分からないな。それとも、誰にとっても素晴らしい構造のためには、民主主義ではなくて、別のもっと違う主義が生まれてくるべきなんだろうか。どうなんだろう。
誰もが好きなことを自由に発言したり行動したりできて、そのうえ自分と意見が対立する他の誰とも衝突しないで済む社会なんて、存在可能なんだろうか。いやしかし、対立なしには進歩や発展もないのだろうか。発展。成長。争いつづけて発展と成長していけば、しまいに平和な世紀がやってくるだろうか。平和ってなんだったっけ。人間と社会ってなんだろう。ほとんどの人間が生まれ落ちるなり、なんらかの社会に属さねばならないのはどうしてなんだろう。この強制力はいったいどこからくるんだろう。当たり前と言えばそうかもしれないけれども、どうかな。
そうだ。久しぶりに大杉栄の続きでも読もうかと思って、なにやら予感がしたので調べたら、この人は9月16日に殺されたのであった。
この世界は不条理だ。社会と人間に対するひとつの考えを持っていた人がそのために殺されなくてはならず、一方で何の考えも持たずにおろおろするばかりの私のような人間はぼんやりと生き延びるのだ。時代が違うといって片付く話だろうか。「時代」はほんとうに違うのだろうか。考えが違う、ただそれだけのことで誰も虐げられるべきではないはずなのに、今でも平気でそのようなことを行なっているのではないだろうか。正論をふりかざしながら、それと逆のことを平然と行なっているのではないだろうか。誰も彼もが。
天気が悪いせいか、つい難しいことを考えそうになりました。もちろん何の進展もありません。参るね!