思いつきメモ。
不可視の山を登るには、その山の実在を確信するところから始めねばならず。この世のすべてに美しさを求めるならば、この世界そのものの美しさを確信するところから始めるよりほかないのではないか。
人間に想像可能な物事は、人間によっていつの日にか必ず実現され得ると私は思います。よって、汚れものや納得のいかないもの、苦いもの、耐えがたいもので溢れているように見えるかもしれないこの世界を見つめながら、同時にいまははっきりと見えなくとも美がそこにも確かに存在すると信じ続ければ、人類はいつかただありのままのこの世界の美しさをその目に映すことができるに違いない、私を含むこの世のすべてをその存在自体から美しいと感じられるようになるに違いない。世界は常に美しくなり続ける(あるいは世界はすでに美そのものである)という確信こそが、世界を美しくするのかもしれない。
なかなかよい思いつきだと思ってメモしてみましたが、単なる真夜中の狂気のような気もしてきました。まあ、いいや。狂気だろうが幼稚だろうが、実はこれは思いつきでもなんでもなくて私の核心をなす思想のひとつであり、たぶんこれまでにも何度も同じようなことを書いてきたような気もするし、こんなことを信じているからといって誰かが損するわけでもないだろうから、明日も私は信じ続けます。
長い夏休みを終えて、奈良へ帰ってきました。更新すべき記事はほかにあれども、とりあえずは走り書きで再開。