半透明記録

もやもや日記

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新しいものの美しさをさがせ

2015年07月24日 | もやもや日記



高校生だった頃、学校帰りのJRを下りるのがちょうど夕方だったりすると、そしてそれが田植え前の4月の末だったりすると、駅から家までの道のりはずっと広々とした田んぼの真ん中の真っ直ぐな道で、赤く焼けた空が、田植え前で水を張られて一枚の巨大な鏡のようである田んぼにそのまま映って、私は空と水に映った空の間を歩いて帰ることになったものです。あの季節は美しかった。あの頃、世界は美しかった。私は水に映る朝焼けと夕焼けが好きなのです。

少し前に、私の故郷のその思い出の田んぼ道に、新しい国道が通りました。新しい道のおかげで隣町への移動は素晴らしく便利になりましたが、広々としていた田んぼ道は盛り上がった立派な道路に分断されてしまい、家の窓からは夜の闇を輝きながら走りぬける列車も見えなくなったし、おそらく4月の末の田植え前シーズンにも、かつてほど大きな鏡は出来なくなったと思います。それが少し残念。

けれども、たぶん探せばきっとこの新しい風景の中にもここでしか見つけることの出来ない美しさが見つけられるに違いありません。

私はついつい遠い昔に見つけた美しいもののことばかり思ってしまいますし、そういうものをいつまでも大事にしていたいと思うし、なにもかもが変わってしまうことや失われてしまうことが悲しくてしょうがないとも思うけれども、変わり続け新しくなっていくものの中からも美しいものを見出したい。ついでに言えば、未来の中にも美しいものを探し出したい。今とこの先はきっと明るく、世界は常に美しいもので満ちていると信じたい。その証拠を集めたい。世界をなぜ美しくあるべきだと私が考えるのかは、はっきり説明はできないけれど、そうであってほしいし、そうであるはずだ。


田舎に帰ってくると、なぜかこんなことを考えてしまいます。ここの風景が、私が住んでいた20年前とはいつも違っているからかもしれません。その違いはさびしいものであることもあるけれど(たとえば歩いている人影が格段に少なくなったこととか、誰も住まなくなった家があちこちに見られることとか、実際に人口が減っていそうなこととか)、でもよくなったことだっていくつもあるはず。

とりあえず、うちの実家の裏庭にはふたたび蛍が飛んでいるそうです。私が子供のころには沢山いたけれど、上京するために家を出た頃にはあまり見かけなくなっていた蛍が。川はまた綺麗になっているのです。ここは水の清らかな土地なのです。肌荒れが一発で治るくらいに私にはここの水が合うのです。水は今でも豊かできれい。それから夜空も美しいんだった。今でも星がよく見える。

こういうことは外に出てみなければ分からなかったことですね。そうか。とにかくキョロキョロ、ぶらぶらすることだ。今でも美しいものも、新しくて美しいものも、いつだってそこらじゅうに惜しみなく存在しているんだろうな。私自身も変わり続けているんだった。この本当は常に新しくなっている目で、キョロキョロうろうろしてみよう。本当にまだ新しさそのものである息子の目に映ったものも、懐かしく美しいものとしていつかに残っていくといいんだけど。まあ、仮に残らなくても、大きくなれば彼はきっと自分で美しいものを探し出すだろう。そう、世界はきっといつだってどこだって美しいものに溢れている。ただ私たちにそれが見つけられるかどうかってだけのことさ。



推敲なしでまとまりなく、書きっぱなしで終わり! 明日も暑いかな!








もしや、私が

2015年07月18日 | もやもや日記



火曜日に病院でMRIの検査を受けました。4年前に卵巣のう腫で同じくMRIを受けたのは大阪の病院でしたが、今回の奈良での検査もやっぱり怖かった。あの密室感。大阪のときに「閉所恐怖症ではありませんか?(にっこり爽やかに)」と3回くらい確認されて、「いいえ」と答え続けた私ですが、そのときにおかしな暗示にかかってしまったのか、MRIのあの棺桶みたいな装置に入れられて検査が開始になると激しくクラッとめまいを覚えるようになってしまいました。

で、検査時間がまた長いんだ。40分くらいある。その間ずっと工事現場の脇にいるみたいな轟音が響いています。ヘッドフォンを装着して寝かされているのですが、全然音が遮られている気がしません。もちろん寝られない。ズドドドドドッド! とか、ブーーー! ブーーー! とか、いくつかのタイプの騒音がずっと響いています。あ、でも大阪の時にあったと記憶している「踏み切りのカンカンいうみたいな音」は今回はなかったな。

で、密閉された空間にいるという事実に気がつくとめまいがしてしまうので、私はなるべく別のことで心を占めておこうと考え、海のことや宇宙のことに思いをはせていました。すると、かすかに女の人が歌うような声が聞こえてきて・・・・・・

「!?」 とうとう幻聴まで、と心臓がきゅっとなりましたが、轟音がおさまった瞬間にそれは本当に歌声で、あの名曲であることが判明。

 サントワマミ~~~~

大阪の時にはなかったサービスだな。奈良のMRIコーナーのスタッフの方々はやや素っ気無い印象でしたが(大阪が丁寧すぎたのかも)、曲があるのとないのとでは時間の進み方が違いますね。40分はどうにかパニックにならずに過ごすことができましたよ。

で、検査の翌々日に結果発表でした。朝一で病院で結果を聞いてきましたが、とりあえず私の子宮筋腫は少しずつ大きくなってはいるものの、緊急に切除とかどうとかいうレベルにはないそうです。半年ほど経過をみながら、これ以上大きくしないような治療をするか、大きくなって悪影響を及ぼすようになるなら手術も視野に入れて・・・ということでした。というわけで、半年は猶予ができたか。
ちなみにMRI画像は、前回の卵巣のう腫のときほどのインパクトは全然なくて、子宮の隣にそれよりも少し大きな塊が写っているだけの地味なものでした(卵巣のう腫のときは、腹部の断面図は一面真っ白で、腫れた卵巣以外の臓器は何一つ写っていないという圧巻の画像でしたのに。私も先生も笑いを禁じえないほどでしたのに・・・)。


前置きが長くなりましたが、記事のタイトル「もしや、私が」というのは、筋腫のことなんかでは全然なくて、私と鉄道の話です。

検査結果を聞いた木曜日、近畿地方には台風が接近しており、朝からすでに風は結構強く吹いていました。こんな日に長距離移動するなんて正気の沙汰ではないと実家への帰省を数日見送ろうという理性的な判断を下した私でしたが、実家からは「金曜日には帰ってもらわないと困る」とのこと。ということで、病院から帰った私はあれこれと家のことを片付け、列車の時刻と運行情報を調べ、昼過ぎの列車で帰ることにしたのです。

2時少し前に切符を買い、JR奈良駅から京都に向かう奈良線「みやこ路快速」に乗ろうと改札を通ろうとしたその瞬間、無情のアナウンスが。

「ただいま、強風のため、予定しておりました 14:24 発のみやこ路快速の運行を取りやめさせていただきました・・・」

えっ!!!???

奈良から京都へ行くには大阪周り(=ものすごく遠回り)で行けと言われた・・・
ここですっぱり帰省を諦めればよかったのですが、30分で着くはずの京都まで2時間もかけ、どこまで行けるかと運行状況にビクつきながら、どうにかこうにか私は富山まで帰りつくことができました。実家に着いたのは9時前。

説明が長くなりましたが、私はここ数年、息子を連れて富山に帰省すると、特急が遅れたり止まったりして、30分で着くところを2時間かけて移動したりみたいなことが、帰るたびに起こっていたので、てっきり「この息子は雨男かなにかに違いない。おかしな理由で(雨とか風とか、踏み切りの棒が折れてた、とか)電車止まりすぎやろ」なんて思っていたのです。
けれども、今回は息子は既に富山の両親のもとにおり、私はひとり。これが何を意味するのかと言えば・・・・・・何を意味するんですかね?

まあ、けど私が呪われているわけじゃないのかな。悪天候だろうがなんだろうがどうしても移動しなきゃならない事情、みたいのが私の行く手を阻むんだ。冷静な判断力を失わせるんだ。今回もそもそも、がんばってもう1本早い時間の列車に乗れれば、こんな目にはあわずに済んだのに・・・ためらって1本見送ったから余計にひどいことになってしまった。奈良線だって、運休したのはそれ1本で、後発は遅れつつも動いてたみたいだし、1時間もかけて大阪まで遠回りすることはなかったのかもしれないし。しかし電車に乗っちまったら方向修正は容易でない。

教訓として、できれば天気が悪い日には長距離の移動は避けたいですね。また、不測の事態に対応できないような「子どもを遠方に預けるプラン」も立てるべきでもなかったかも。奈良まで息子を迎えに来てくれた私の母と祖母も疲れさせただけだったし、息子を実家に送らなければ悪天候の中を慌てて帰る必要もなかったのに。だけど息子は祖父母の家でかなり楽しく過ごせたみたいだし、結果的にはやっぱりよかったんだな。実家でのたった1日2日で急激に語彙を増やしてましたし。うん、そうに違いない。

結局、息子がいない私のパラダイスは、半日で終了。しかも洗濯と布団干しと洗濯と布団干しと・・・に費やした水曜日の午後だけだった。でも息子がいなかったから夜の7時くらいに不意に買い物に行きたくなって、いつものスーパーにひとりでぶらぶら行ってみたら、外はまだ明るくて、日没の光が雲の端を輝かせ、青、白、黄色、オレンジと沢山の色をした「空がとてもきれいだった」。アイスを買って帰った。



富山でも何かと忙しく、インターネットに繋げられたのは、今日になってやっとのことです。晴れたら海や山などに連れて行ってやらないとならないので、これからも毎日忙しくなりそうです^^







2歳5ヶ月の取扱説明書

2015年07月15日 | もやもや日記





息子が祖母と曾祖母に連れられて、富山へと旅立った…! 道中気をつけて、達者で暮らせよ! って、私と離れているのはせいぜい1日半ですけど…ついでに現在午後6時、私の母から「無事富山に帰宅」との連絡を受けて一安心したところです。私は明日は病院で検査結果と今後の計画を聞いて、それから明日明後日中に息子を追って帰省するつもりです。でも台風がな…ちょうど帰る時間に近畿に接近するっぽい。ツイてないなー。と言いつつ、田舎の家族に早速馴染んで「お母さんの「お」の字も言わない」らしい息子とは、もう数日余計に離れていてもいいのかもな。しかし、息子よ、普段は私しかいないから仕方なく懐いているのか、意外と薄情なんだよな、君は。


さて、息子の扱いについてあらかじめ少しは母に伝えたつもりですが、十分ではなかったかもしれないので、成長記録も兼ねてここにメモしておきましょう。ほんの数日のことですが、手を焼くことになるかもしれないので傾向と対策を(←対策はあまりない。暴れん坊につける薬なし)。


【最近の行動】

(一日の典型的スケジュール)
 *朝5時起床。「にゅーにゅー(牛乳)、つめたいのっ(冷たいの)、のむ!」と叫ぶ。温かい牛乳を出すとキレる。

 *6時~ 朝食。果物が無いと激怒。

 *7時半。掃除と洗濯を手伝いたい様子でまとわりつくが、結果的に妨害工作。

 *8時半。「おさんぽ、いく!」と玄関の椅子に座り、靴履かされ待ち。

 *正午まで、各遊び場を放浪。児童館、図書館、ヨーカドー、公園、みずたまりなどなど。
  散歩の帰り道はベビーカーの上でしばし昼寝(30~40分ほど)。

 *9時半~10時 おやつ。

 *12時 昼食。昼寝がまだの場合は眠くてむやみにキレることもあり。

 *13~15時。行水、ビデオ鑑賞、おもちゃなどで遊ぶ。すぐ飽きて暴れることもあり。

 *15時 2度目のおやつ。
  が、16時、早くも「ごはん! ごはん、たべたい! メロン、たべたい!」と騒ぎだす。

 *17時すぎ 夕食。果物が無いと激怒。

 *18時半 入浴。桶でお湯を自分の身体にかけられるようになった。

 * ~21時、消灯しても何やかやと遊んでなかなか寝ないが、根気よく寝かす。

 ***起床後と夜の入浴後の牛乳は欠かせません。風呂から出て牛乳が用意されていないとキレるので注意。キレるポイントが多過ぎる;

基本的に気が短く、常に睡眠不足だが絶対に寝たくない。うっかり昼寝してしまったときの寝起きは最悪。また、食事を待たされることが受け入れられない。でも、昨日の午後から母に息子を預けたところ「ずっとお利口だった」と言っていたので、暴君なのは私とK氏に対してだけなのかもしれない…という疑惑が発生中。なぜだ、なぜなんだ、息子よ!


(好きな遊び)
 ペットボトルのキャップ投げ(小一時間は一心不乱に部屋の隅に向かって投げ続けている;)
 ブロック投げ(何でもとにかく投げたい)
 空牛乳パック、空ペットボトル並べ
 水遊び(みずたまりでダッシュ、風呂場で行水などなど)
 たまに絵本


(注意点)
 牛乳パックとペットボトルに対して異常な執着心を見せるので、買い物時には注意。スーパーの床にひっくり返って「牛乳パックを持たせろ!」と喚くが、渡すが最後返してもらえないので、決して渡さないこと。速やかにバッグにしまうべし。
 突然車道に飛び出すことがあるので、常に手を離さないように。(2歳3、4ヶ月時に2度轢かれかけ…;)
 ドアを開閉して遊ぶこともあり、時にはロックすることもあるので要注意。(私はベランダに閉め出されて危機一髪だった!)



【食べ物について】

(好きなもの)
 バナナ、リンゴを除く果物全般。特にメロン、ぶどう、イチゴは別格。
 ドライフルーツとカシューナッツ。
 お味噌汁の具としての油揚げ。同じくワカメなどの海草類。
 キュウリ、茹でた野菜全般。特にブロッコリ、ゴボウ、野菜スープの具としてのキャベツなどが大好き。豆類も。
 味海苔またはふりかけをかけたご飯。
 うどんをはじめとする麺類。
 目玉焼きの白身。黄身は食べない。卵焼きも最近は嫌い。ゆで卵はまちまち。
 焼き魚、特にサバの塩焼き。チクワの焼き目のある茶色い部分。白い両端は食べない。
 コロッケなどの揚げ物(まれに嫌うこともあり)。
 ジュースはほとんど飲ませたことがないせいか、まれに飲む機会があると気が狂ったようにガブガブ飲む(おそらく「天上の味わい」なのかと)ので量には注意。水で薄めても気にしないのでできれば薄めると良い。牛乳も大好き。

(嫌いなもの)
 豆腐、ヨーグルトなどの白くて柔らかいもの。
 ただの水。
 ジャガイモ。気紛れにトマトも嫌う。
 肉類全般。トリの唐揚げはたまに少しだけ食べる。
 食べたくないものを口に入れた場合「いたい(痛い)いたい(痛い)なった」と訳の分からない言い訳をして吐き出す。

暑くてバテているのか、冷たいものばかりを要求してご飯を食べたがらなかったり、以前よりも格段に好き嫌いをするようになったものの、まだよく食べるし太っている。肉嫌いでゴボウなどを齧るだけでどうやって栄養を吸収しているのやら謎。お坊さんのような食生活なのに、どうしてか丸い。


【言語について】

(口癖)
 「ぴんくのえれべーた、やってない」=ヨーカドーの節電で休止中のエレベータを指す。脈絡も無く突然言い出すのを、一日20回ほど繰り返す; ちなみに「みどりの、やってる」「あおいのも、やってる」と続くのは、ヨーカドーで稼働中の緑のと青いドアのエレベータを指す。延々エレベータひとり談義を続けるエレベータ大好きっ子。

 「干して~~、蓋とじて~~、洗って~~」=牛乳パックの空き箱を貰いたい時に言う。母の「牛乳パックはね、飲んで、中身がなくなったら、洗って、干して、(再度)蓋をとじて、それからあげるよ」という言い聞かせの真似。真似方が正直ムカつく感じ(^^;)イラッ

 「メロン、たべたい!」=常に果物を食べさせろと要求。「無いよ」と告げると、「うなってると、あげないっ!」と母の口まねをしながらキレる。本当に無いんだと言い聞かせようとしても無駄。怒りはおさまりません。

 「パンツ、ばいばーい」=おむつを替える時に言う。トイレトレーニングはまったく進んでおらず。意地でもトイレには座らなくなった。おお…

 「みんな、みんな、しめじだよ~~☆」=珍しくトイレに座ったと思ったら、息子は謎の言葉を発した。しかも自分で言って爆笑しながら。みんなシメジってどういうことなの…?

 「おとしゃん(お父さん)、おしごと、してる!」=などと言いながら相手を押しやる仕草をして、お前は用済みだと態度で示す。好き勝手に物を投げて遊びたい時などに、しつけに厳しい父がいたりすると、こうする。母も「おかしゃ(お母さん)、だいどころ、おかたづけ、してる!」と押しやられることあり。

 「〇〇、ほしい、ほしかった」=過去形を勉強中なのか、あらゆる物事を過去形で表現。

 「おい、たつくん!」=スカイプで富山のおじいちゃんが登場するときの呼びかけ(定型文)の真似。翻って、「おじいちゃん」の意。「おじいちゃん、こわい」とも言うが、どうやら祖父の声がでかくて怖いらしい。しかし息子よ、お前が一番やかましいのだよ…


2歳5ヶ月になって、かなり口は達者になってきました。一度説明したことは意外とちゃんと覚えているようで、うっかり変なことを教えるとたちまち真似されるので注意。同時に二つ以上の物事を行うことの出来ない私は、調理中に脇で息子にごちゃごちゃ言われると不味い飯がますます不味くなるので、つい「うるさい、ちょっと黙ってろ!」と言ったら、息子が腹を立てた時に「うるさい、だまってろ!」と返されました。うん、間違ってないよ、間違ってないけど、お母さんちょっと反省してくるわ…(T_T)

他に、読む方では、6を除く1~9までの数字、ひらがなの「あ」は認識できる模様。特に「7」は確実に読む。うぅ、賢くなって…(T_T)


【コミュニケーション】

子供の輪の中に入りたがる時と、極端に嫌がる時の差が激しい。
先日は児童館で息子よりも6ヶ月ほど年少の男の子とおもちゃの取り合いになり、「ほら、お願いしないと貰えないよ」という母の助言のままに「すー(=お願いしますの略。誠意ゼロ;)」と頭を下げるも、相手は不敵な笑みを浮かべて息子をドつき、しばし息子は呆然とするも掴み合いに発展、熾烈な追いかけっこの末に小さい子を突き飛ばして転ばせる我が子…。相手のお母さんと私はスミマセン、スミマセンと謝り合って成り行きを見ていましたが、この年頃は所有欲が強くてダメダメですね; 他人から素っ気なく扱われることの少ない一人っ子の息子は少なからずショックを受けていましたが、もっとやられろ、世間に揉まれてくれ! という母の黒い腹の中を察知してか、その後はずっと機嫌が悪かった。いや最初から機嫌が悪かったのかも。譲る時は(ごくまれに)譲るしな。

それと、大人の男性を怖がることが時々ある(父、祖父も含む;)。ほんの最近まで、スーパーの警備員のおじさんに愛想を振りまいていたのに、突然どういう心境の変化か、向こうが「こんにちは^^!」といつも通り爽やかに挨拶してくれるのに、私の陰に隠れたりする息子。おい、どうしたんだよ!? でも、たまにこうやって人見知りが発現する。またおさまるでしょうか。




うーん、それにしても、息子が不在だと作業が捗りますね。書き漏らしは沢山ありそうですが、ひとまずこんなところでしょうか。

少ししか味わえないのが残念ですが、今のうちにこの穏やかな空気を満喫しておこうと思います。なんて平和なんだ! いやまあ私は息子をどちらかというと溺愛していますけど、それでもやっぱりたまには離れたい。たぶん息子も同じなんでしょう。だからきっと祖母や他の家族といる方がお利口に楽しく過ごしたりするんだと思います。短い間だけど、息子にも口うるさい父母のいない空気をふんだんに味わってもらいたいところです。じゃあ、元気でな~~~!!!(凄まじい開放感とともに)








ボーナスステージ

2015年07月14日 | もやもや日記



暑いですね。暑いのは苦手だ私はやはり。あー暑い。

今日は実家から私の母と祖母が奈良へ来る予定。当初は父と母の予定でしたが、大事に育てている桃畑が猿の被害にあったという父は猿対策に追われて来られなくなり、かわりに祖母が来てくれるらしい。だが祖母はたしか今年89歳…大丈夫なのか。しかも母の運転する自動車での旅行になるし、とてもとても心配です。


しかしそもそもなぜにこんなことになったのかと言えば、私の体調不良が原因なのです。各方面に迷惑をかけて申し訳ない限りです。今日は昼から精密検査。K氏は有給を取ってくれています。母と祖母が無事に奈良へ辿り着けば息子をホテルまで預けに行くつもり。明後日は病院で結果確認なので、明日には息子だけ母と祖母とともに富山へ帰そうという計画ですが、丸1日離れていたことがない私と息子のことですので、この計画を立ててからというもの不安で不安で仕方がありません。でもたぶん、少し離れることは私にも息子にも良いことだと思います。毎日朝5時から夜は9時過ぎまでべったりの生活に、二人ともぐったりしてますし。

暑さと疲れでここ2週間で2キロも痩せていました。一昨日くらいからの猛暑でさらに痩せたと思う。でも痩せただけで他に不調はないので検査は滞りなく進むで終わるんじゃないかと推測。子宮筋腫の治療の必要性と開始期間を見極めるだけの検査だし(たぶん)。検査が終わり次第すぐに私も富山へ飛んで帰るつもりではありますが、この数日が私にとってのボーナスステージとなるはず。息子と離れて過ごすなんて、どう時間を使ったらいいか分からない! よし、やるぞ!