半透明記録

もやもや日記

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アザミ

2007年05月31日 | もやもや日記
私はアザミが好きなんです。



好きな花はいろいろありますが、アザミも私の好きな花のひとつです。
何と言っても、このトゲトゲ感がたまらないのです。はあ、いいなあ。
近くの空き地に咲いていました。

たとえフェンスによって隔てられようとも、あなたのその美しさは
じゅうぶんに私に届いていることですよ
(和歌の現代語訳風に)

障害によってますます燃え上がる恋、の気分を少し味わったかもしれません。






ほら、色も素敵ではないですか。

5月末 金沢 家族旅行の概要

2007年05月29日 | 旅の記録
【参加者】

*父 : 動力はアルコール。今回の旅の企画者。退職したてのほやほや。

*母 : 同じく退職したて。
     落ち着きがないのは生まれつきなのかどうかが気になる。

*姉 : 郷里の実家のそばに嫁ぐ。息子がひとりいる。

*私 : 一家の次女。大阪在住。
     わりと、ろくでなし。誰の言うことも聞いたためしがない。
     が、今回は大人しく呼び出されて参加。

*祖母: 母の母。80を過ぎても、かなりしっかりしている。

*お義兄さん: 姉の夫。完全無欠の男前。唯一の欠点は、姉に甘過ぎること。

*甥 : 姉夫婦の息子。小学2年生になった。


【1日目のあらまし】

10:00 大阪
 出発前に連絡するようにとのことだったので、母に電話をする。
「もしもし。今から出ます」
「うぅ……お母さん、今、病院…具合悪い……でも、なんとか……」
「……(なぜ今日に限ってと思いつつ)まあ、無理しないように。
 とりあえず、今から出ますので、よろしく」

11:40 大阪駅 → 金沢駅 14:20
 列車の中で、母からのメールを受信する。
「もう大丈夫です!」
 ……それは良かった。前もこんなことがあったけど、また結石だろうか。

15:00 一行と合流
 金沢駅に着くと、風が強い。
 駅前で家族と合流し、さっそく金沢市内の山の中へ向かう。
 この日の宿は、温泉宿らしい。
 自動車の中で、母の体調不良の原因を姉から聞く。
「なんか、ゆうべテレビで《ウェストが細くなる体操》をみて、
 張り切ってやってみたら、グキってやったらしいよ。
 で、なぜかそのあと気持ち悪くなったんだって」
「………。(唖然)」

15:30 宿に到着
 夕飯は18時半からなので、それまでに風呂に入っておくようにと
 かなり賑やかな仲居さんが説明してくれる。
 でも、私は夕食後に入浴することにした。
 ぼんやりと相撲中継などを眺める。

18:00 夕食開始
 ここでは懐石料理がいただけるらしい。
 部屋にお膳を用意してもらう。お品書きの品数の多さからして、
 豪華そうである。
 まずは乾杯をして、そのあと甥が、父と母へ退職祝いの手紙を朗読。
 感動的である。
 例の賑やかな仲居さんが、一家の会話にいちいち食い付いてくる。
 相当にフレンドリーな人のようだが、私はなにか嫌な予感がする。
 母は、途中まで食べていたが、やはり具合が悪く、隣室へと引っ込んだ。

20:00 まだ食事中
 料理は、どれもとてもおいしい。
 海の幸から山の幸まで、私にはひさしぶりのご馳走である。
 が、新しいお皿が延々と運ばれてくる。く、苦しい…。
 それでも、白いご飯とお新香のみというところまで、どうにか辿り着いた。
 普段から夕飯は焼酎のみで、箸を全く持たない父も、さすがにちょっとは
 食べている。
 飲み過ぎで、すでに何を言っているのかは分からない。
 そこへ、「全然食べてないじゃないですか!」と、例の仲居さんが説教
 を始める。私はますます嫌な予感がしてくる。

20:30 津軽三味線の生演奏
 2階の座敷で、津軽三味線の生演奏をひらくらしい。
 やや険悪な雰囲気が漂いつつある中、デザートも終わり、ちょっと
 三味線を聴きにいってみる。
 父は待っていても来なかった。
 奏者はまだとても若い男性で、三味線の基礎知識のユーモラスな解説を
 交えながら、演奏してくれた。
 なかなか面白かった。

21:00 部屋には布団が敷いてある
 三味線から戻ると、もう布団の用意がしてあった。
 母から「三味線の間に勃発した父と仲居さんのバトル」の話を聞く。
 かなり穏やかならぬ内容である。
 どうしてうちの家族はいつもこうなんだろう……。
 気持ちが果てしなく沈む。

22:00 入浴
 満腹もおさまってきたので、風呂に入る。
 空いていて気持ちがいい。はあ。
 が、あがったところで、例の仲居さんにバッタリ遭遇。
 気まずい…。でも相手は特に気にしていなそうである。

23:00 就寝
 せっかくの旅行はいつも何かしらつまずいてしまう。
 原因が何なのかを考えているはずが、最終的にはいつものように
「宇宙はなぜ私をこんなふうに生み出したのですか!」と胸を切り
 裂かれるような疑問へ飛躍、眠れない夜を過ごす。
 なぜ、どうして……。
 うぅ、暑い……。


【2日目のあらまし】

5:00 起床
 喉が渇いて目が覚めた。
 もう明るいので、布団の中で持ってきた本を読む。
 昨夜の落ち込みは、すっかりどこかへ行ってしまった。
 夜は変なことを考えがちなものだと、いつものように反省する。

8:00 朝食
 朝からしっかりとした朝食が用意される。
 昨日の仲居さんが、この日も元気に支度してくれる。
 争ったというのは、本当だったのだろうか。
 少なくとも、誰一人として気にしている人はいないようだ。
 私以外には…。私はなんと気の小さいことだろう。
 とにかく、もうこれ以上は食べられません。

10:00 出発
 もう一度風呂に入ったり、なんだかんだで出発の時間である。
 宿の近くに《竹久夢二記念館》があるらしいので行ってみる。
 仲居さんがずっと見送ってくれた。


このあとは、香林坊でお土産を買ったり、市場で昼食をとったり
(日曜のためにほとんどの店が閉まっていたが)した。

14:30 金沢 → 大阪
 駅前で、ふたたび私は一行から離脱し、大阪へ帰る。
 お土産に押し寿司をもらった。


おつかれさまでした。面白かったです。
家族で行動してみると、今さらながらに知ることもあるものですね。
うちの家族は、みんなが歳をとってきて、ようやく落ち着いてきたのかも
しれません。

ちなみに、母の不良はやはり結石であったらしいことが、後日判明。
「なんで旅行に行くことが分かってて、変な体操なんてするんだ!」と
みんなで寄ってたかって責めましたが、ちゃんと原因が分かって良かったね。
ははは。

ところで、私はこんなところに微妙に身内の恥をさらした気もするが
いいのだろうか……。


『アルハンゲリスクの亡霊』

2007年05月28日 | 読書日記ー英米
ロバート・ハリス 後藤安彦訳 (新潮文庫)

《あらすじ》
スターリンが遺した秘密文書がある。死の直前、個人用金庫の鍵を奪った側近のベリアが中身を持ち出し、ある場所に隠したのだ―――。モスクワ滞在中の英国人歴史学者ケルソーは、ベリアの警備員だったという老人ラパヴァの突然の訪問を受け、その話に強い興味を覚える。しかしラパヴァはすぐに姿を消してしまった。裏にはロシア情報機関の暗躍が………?
歴史の闇をえぐった長編サスペンス。




「君もたまには普通の本が読みたいんじゃない?」と言って、K氏がこの本を貸してくれました。

《普通の本》って……何だ? 私が普段読むのもいたって《普通の本》なのだが……。と困惑を隠せませんでしたが、言いたいことはうっすらと分かります。いいでしょう、読んでみようじゃないですか。

私はひとから勧められた本をあっさり読んでみるようなことは滅多にありません。ですが相手がK氏ならば、話は別です。
驚くべきことに、私とK氏の趣味の一致率は90パーセントにも達するでしょうか。彼の好むもののうちで私が絶対に受け入れられないのは、村上春樹のみ(もう、とにかくダメなのです。『ノルウェーの森』しか読んだことはないけれど、どうしてもそれ以上読む気がしません)。一方、私が熱列に情熱を注ぐもののなかで彼の守備範囲でないのは、おそらく南米文学。ふたりとも、ロシアが好きであり、ストルガツキイにハマり、エレンブルグの『トラストDE』に衝撃を受け、私が先日慟哭した『フリオ・フレニトの遍歴』も彼に貸してあるので、きっと彼も何かただならぬものをそこから感じ取ることでしょう。

要するに、ここには信頼関係があるのです。
K氏が「まあまあ面白かった」というなら、きっと「まあまあ面白い」だろうと思います。

そういうわけなので、とにかく読んでみることにしました。あらすじを読む限りでは、なかなか面白そうではないですか。スターリンね、秘密文書ね、いいね、興味深いですよ。私は読む暇がないから読まないだけで、サスペンスやミステリーは嫌いではありません。


さて、読んでみてどうだったかと言えば、「まあまあ面白かった」です。やっぱり。
まず《スターリンの秘密文書》という題材に興奮します。物語の展開もドラマチックであり、登場人物の設定もなかなか上手く、なんと言っても、ロシアの一時代の状況を感じさせてくれるリアルな描写や歴史的事実の挿入具合が良い感じです。
そして、読みやすい。上下巻に分かれており、そこそこの分量はありますが、あっさり読み終えることができます。私の普段の読書ならば、この量には3、4倍の時間がかかるだろうというページ数ですが、どうやら私は読むのが遅いわけではないようです。遅いのは理解するスピードでした。この本は、こういう読み物としては当然そうあるべきように、とても理解しやすいので、私にもすんなり読めたというわけです。
テレビドラマなんかにすると、結構面白くなるのではないかという感じでした。テレビをつけっぱなしにしていたら、そこでやってたドラマが結構面白かった……という読後感です(さり気なく、ひどい言い様です)。こういう読書は久しぶりです。


それにつけても、K氏があえて《普通の本》と言った理由が分かるというものです。このブログの、いったいどのカテゴリーにこれを分類してよいのやら、さっぱり見当もつきませんでした。【サスペンス】を新たに増設すべきだろうか……いや、一冊だけになる可能性が高いしな……。うーむ。とりあえず【英米】に入れておきましょうか……。ハリスさんは、だって英国人だし……。


この作者のほかの作品では、「もし第二次世界大戦にドイツが勝利していたら」を前提に大ナチ帝国を描いた『ファーザーランド』というのが面白そうなので、いつか読むかもしれません。つーか、こっちのほうが面白そうだったな……。まあ、お楽しみは、あとにとっておくものなのです。



金沢へ行ってきた

2007年05月27日 | もやもや日記
家族旅行で、金沢に行ってきました。
今、帰ってきたところです。
疲れた……。
え? 明日は仕事??
そんな、まさか!


今回の旅行のメンバーは、郷里の両親と姉夫婦と甥、そして祖母。私は大阪から呼び出しを受け、現地合流です。ほぼとんぼ返りです。金沢にはぴったり24時間しかいなかったなあ。


それにしても、「うちの家族って、どうしてこんな……」という相変らずバタバタと騒々しい内容でした。今はとてもそれについて書き留めておく気力が沸きませんが、書いておいたほうが良いだろうなあという気もするので、後日あたらめて書くことにしましょう。

しかし、食べ過ぎです。丸1日で、普段の1週間分ほどの食料を詰めこんできました。苦しい……。うう…。

大津波

2007年05月23日 | 夢の記録
私は仲間たちと山に登っていた。
ハイキングのような気軽な雰囲気のままで、随分と高いところまで登ってしまう。赤茶色の山肌が、きっぱりときりたった断崖絶壁を、ひょいひょいと渡り歩いて、とうとう山頂へと辿り着いた。

その山の頂は、普通山頂というものを想像するよりもずっとひらけていて、大きな階段状にきちんと整えられている。たいへんに見晴しがよいので、人びとはずらりと並んで下界を見下ろしている。どこから登ってきたのだろうかというほどに、山頂は突然に賑わった。

私は、人びとの頭の上、最上段から海を眺めていた。

すると、遠く平野を隔てたところに輝いていた海面がむくむくと暗く盛り上がってきた。粘性があるかのように、海水は伸び上がって枝状に広がり、黒い透明なゴム手袋のようも見える。それが、どんどんと大きくなっては、こちらへと迫ってくるのだった。それにつれて、空も薄暗くなってくる。

この山頂まで波が達することはないだろうが、これでは平地は大惨事になる、と周囲はざわざわし始めた。そうこうするうちに低い土地をすっかり飲み込んで、海はどんどん拡張し、そびえ立つ黒い大波は、いまや山頂に届きそうなまでにせり出している。

あ、と思う間もなく、波が打ちつけた。手前にいた人がいくらかは波にさらわれただろうか。私は辛うじて難を逃れた。


ふと、私は自分がカメラマンであることを思い出す。首からさげた大きなレンズのついたカメラを構えるが、波は来る時と同じようにあっさりと後退してしまっている。せっかくのシャッターチャンスを逃して、私はがっかりした。新聞社に売りつけるつもりだったのだが。

すると、左に少し下った段にいる人が、「あちらから、また来るぞ!」と言う。私は駆け降りて、今度こそとカメラをそちらへ向ける。


空は少しばかり明るさを取り戻していたが、海からは、新しい黒い手袋がふたたびこちらへ伸びてこようとしていた。





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とりとめもない夢を見ます。よく眠れていません。
このあいだ見た《竜巻きの夢》は、あまりに怖くて思い出す気にもなりませんが(人が熟れ過ぎたトマトのようにぺちゃっとなるのです。こ、怖い!)、この《大津波の夢》は、ちょっと面白かったです。私はときどき、山頂の夢を見るようです。それで、たいていは、パニックになります。が、《山頂》というのは私には特別な意味をもつものなので、今回の夢にも何かちょっとした暗示があるのかもしれません。

ちなみに、今回の夢の中の私は、カメラマンのおじさんだったような気がします。
欲をかいて低いところへ移動した私は、このあと波に飲まれてしまったのかどうだったのかは、覚えていません。ここで起きてしまったような気もします。


よく眠れないので、最近は何をしていても眠いです。



手鏡の散歩者

2007年05月20日 | もやもや日記
手鏡に天井を映して、逆さまになった部屋の中をうろうろと歩きまわってみたことはないですか。


子供の頃、こういう遊びをしたと、さっき話している人がいました。やった、やった、その遊びなら私も確かにやった覚えがあります。あの、板の継ぎ目や木目に沿ってみたり、電灯の傘を避けて通ったり、した、しました。電灯については、普段は上からぶらさがっているものなのに、鏡の世界では地面からきっぱりと突き出ているところに、私は妙に興奮したものです。

今のところサンプルは2名分だけなので、その遊びは子供なら誰しもがやってみるものであるのかどうかは分かりませんが、鏡というものが不思議なものであるということは、誰でも一度は思うものではないでしょうか。
ホフマンの短篇集などでは、主人公は鏡やレンズといったものに魅せられて(正確には、それを通して見たものに)、狂気の世界へ迷いこんでいったりします。とっても怖いんです。ああ、怖い。

そう言えば、私は高校生になっても、真夜中に鏡を見ることは怖くて出来ませんでした。異常に怖かった。とりわけ、夜中の12時ちょうどという時間が怖かった。うっかり見てしまったときには、あまりの恐ろしさに硬直し、目が釘付けになってそれでますます怖くなったりしていました。

呆れるほどに臆病だった私も、今では真夜中の鏡などまったく怖くも何ともないので、生活はしやすくなりはしましたが、感受性や想像力といったものは確実に失われているなあという気もします。ですが、恐怖を失った原因のひとつには、私の現在の夜という時間の賑やかさというのもあるかもしれません。私は都市部の国道沿いに建つマンションに住んでいますが、群れをなした暴走バイクはひっきりなしに爆音を轟かせ、マンションの隣りにある消防署からは、夜中で車通りが皆無であろうとも、普段通りのサイレンで緊急出動し、そして、夜がそもそもいつまでもいつまでも明るいのです。田舎の夜は、しんとしてここよりもずっと暗かったんだっけ。


そんなことを思うにつけ、久しぶりに江戸川乱歩などが読みたくなります(我ながら、なんて唐突なんだろう)。
ホフマンとか、乱歩とか、ある種の作家たちの小説のなかには、かつての私が体感した説明のつかないような無闇な恐怖が、怖いのだけれどもそれでいて時々は覗かずにはいられないような抗しがたい魅力が、あるようです。

『アイヌ神謡集』

2007年05月19日 | 読書日記ー日本
知里幸恵編訳(岩波文庫)


《内容》
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」―――詩才を惜しまれながらわずか19歳で世を去った知里幸恵。このアイヌの一少女が、アイヌ民族のあいだで口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、ローマ字で音を起し、それに平易で洗練された日本語訳を付して編んだのが本書である。

《この一文》
”私は、もう年老い、衰え弱ったので、
 天国へ行こうと思っていたのだけれども、
 私が守護している人間の国に飢饉があって
 人間たちが餓死しようとしているのに
 構わずに行く事が出来ないので、
 これまで居たのだけれども、今はもう
 なんの気がかりも無いから、最も強い者
 若い勇者を私のあとにおき人間の世を
 守護させて、今天国へ行く所なのだ.

 と、国の守護神なる翁神(梟)が
 物語って天国へ行きました.と.
   ―――「梟の神が自ら歌った謡」  ”




自分を取り巻く空間や時間のすべてを、そんなものがあることにも気付かなかったようなごく幼かった頃の記憶がどっと噴き出してきました。新しい靴を履くときは、外へ出る前に便所の神さまのところへ行かなければならない(つまり靴を履いたまま用を足す)とか、「利口になれますように」と連れられるままに弘法大師さまを祀った小さなお宮(お宮と言うべきものではなかったと思うけれど、床が高く上がった造りは神社のそれに似ていました)にお参りしたりとか、そういう生活があったことを思い出します。
私は(私たちは)、このように懐かしいものを、ただ懐かしむだけのところへ追いやって、その代わりに得ようとするものはなんでしょうか。
失われゆくものを、あるいはすっかり失ってしまったものを懐かしむという行為には、いったいどういう意味があるのでしょうか。



さて、海辺の生物ラッコは、英語では otter。 あれ? では「ラッコ」というのは何語だろう。……どうやらアイヌ語であったらしい。
という記事を、ちょっとまえに書いたら、「坂のある非風景」のMさんが、アイヌ語の音と日本語とで書かれたこの本のことを教えてくださいました。私には、近いようでずっと遠いアイヌの物語。こんな世界もあるのかと、気持ちが新しくなるようです。


植物や動物の神々が、自ら歌ってきかせる物語は、ゆっくりと流れる水のように豊かで美しく、人間と神々との距離の近さを感じられる面白さがあります。日本語で読んでもたいそう美しい物語ですが、アイヌの言葉で謡われたなら(私にその意味を汲むことができたなら)どれほどに美しいことだろうと思います。

いたずらをしたためにひどい目に遭う蛙の神さまや、人間のために鯨を捕ってやるきょうだいの神さま(長い兄様、六人の兄様、長い姉様、六人の姉様、短い兄様、六人の兄様、短い姉様、六人の姉様を持つ海の神の謡。これは日本語訳がとっても美しい)など、いずれの神も愛すべき存在であり、人間の英雄であるオキキリムイにやっつけられる悪魔でさえも相当に魅力的であります。

私がとくに衝撃を受けたのは、梟の神さまの話です。もう泣きそうです。
飢えに苦しむ人間を見かねて、鹿の神さまと魚の神さまに何故このように放っておくのかと談判しようとする梟の神は、使いにやった川ガラスの若者から、ことの次第を伝えられます。何故、鹿と魚が人間に与えられなくなったのか。それには然るべき理由があったことを知った梟の神は、それを夢の中で人間たちに告げるのでした――。
教訓です。しかし、こんなにも美しく語られる教訓を、私はこれまでに知りません。静かな物語なのに、私は激しく揺さぶられてしまいました。



懐かしむというこの感情が、なにか未来に繋がるものであったらいい。今度は滅びない、確固たるものとして生まれてくる何かのための感情であったらいいのに。
それとも、懐かしんでいる限りは、それらは今もまだ滅んではいないとも言えるのだろうか。それらはまだここにあって、我々の運ぶべき荷物のひとつとしてどこかへそっとしまわれているだけなのかもしれない。
懐かしむというのは、それを時々、ああ、まだきちんとあるぞ、と確認する作業であるのかもしれない。

というようなことを考えました。


ややっ!

2007年05月18日 | もやもや日記
ややっ! 全然更新されていないではないか!



書くことを思い付かなかったら、無理に書くことはないのですけれども、今月はあまりにブログを放置しているなあと反省し、ネタをひねりだしてみます。

うーむ。


今日は、仕事が終わったら本当は漫画喫茶へ直行しようかと(そして徹夜で漫画を読みふけろうかと)思っていたのですが、昼間の蒸し暑さにすっかり疲弊して、断念。残念。


あ、終わってしまった……。
ええと……それから…。


あ、仕事中にくだらない発見をしました。
まずは「586」という数字(全角でなければならない)。咄嗟になぜだか、学生時代からの友人の顔が彷佛としました。似てる、似てるわ、なんだか彼に……。「58」というあたりが、どうにもこうにも……。(くだらなすぎる)

それから、滋賀県の大津市には「大将軍1丁目」という地名が存在するらしいことも知りました。いいなあ。素敵。そんな住所を書いてみたい。トキメキ☆(こちらもまあ、比較的くだらないです。仕事しろ、私よ)


こんな感じで、今週もぼやっとしたまま平日が終わました。
この週末は、すべきことが沢山あるので、気合いを入れ直さねば。


最近知ったこと

2007年05月15日 | もやもや日記
「へえ、そうだったのか」と思ったことを、ちょっとメモ。




*ドラゴンフルーツはサボテンの実だった!
←コレ。こういうのです。




*明治時代に日本の海域で難破して救助されたトルコの船の名は
 《エルトゥールル号》。
 トルコでは多くの人が今でもその事実を認識するゆえか、
 日露戦争での勝利のインパクトが絶大であったがゆえか、
 親日派がとても多い。
(これは知っていたけれど、ありがたい話だ)

 時代が下って、イラン・イラク戦争が突然開始されたとき、
 イランで働いていた日本人を脱出させるために飛んだのは
 なんとトルコの旅客機だった。
(これは知らなかったが、ほんとうにありがたい話だ)
 

 ますますトルコへ行ってみたくなる。(これは私の念願)
 ドネル・ケバブやトルコ風アイスが食べたいではないか。
 カッパドキア、パムッカレ。
 首都はイスタンブールではなく、アンカラ。
←トルコの国旗

『爆撃調査団』

2007年05月12日 | 読書日記ー日本
内田百間 (ちくま文庫)


《内容》
おから、お祭鮨、シュークリーム、牛乳、地震、雷、文鳥……好きな食べものや気になるもの、百間先生のこだわりが満喫できるものづくし随筆集。


《この一文》
”私の買い度(た)いと思う、欲しい物は沢山あるに違いないが、しかし急に今考えてみると、なんにもない様な気もする。無慾恬淡になったわけではなく、欲しくて堪らない物が、何一つ思う通りに買えた試しがないので、長い間かかって、片っ端から、一先ずみんな諦めた為である。いよいよ買えると云う事になれば、到底納まりのつかぬ程無数の買いたい物が、一どきにせり出して来るだろう。
      ―――「蘭虫」より  ”



「初めて読んだ本は何か?」ときかれて、「内田百間とガルシア=マルケス」と答えたら、「なぜそこから!?」と驚かれたことがあります。
もちろん、私はそれ以前にも本を開いて、内容をひと通り見てみたことはいくらでもありましたが、「読んだ」と思ったのは、その二人の作品が生まれて初めてのことでした。18歳でした。なつかしい。ちなみにその時の作品は、『冥途』と『エレンディラ』でした。

それ以来、私は調子に乗って色々な本を読みたいと思うようになり現在に至るのですが、ときどき疲れを感じると、最初に戻りたい気持ちになります。
ここしばらくは先週読み終えた『フリオ・フレニトの遍歴』が脳内にずっと留まっていて、私の胸中は風速20Mという状況でした。すっかりへとへとになりました(だけど、それでも、それだから読んでよかったと思ってもいます)。
ご覧の通り、むやみに感情的に生まれついた私は、感情がただでさえ外に漏れがちであるのに、このショックがきっかけでいよいよ歯止めが利かなくなりそうだったので、こんな時はと百間先生に頼ることにしました。
効果は覿面です。
私の竜巻きに巻き込まれてお困りのあなた、とっさのときは百間先生の随筆集でも一冊差し出してみてください。しばらく読ませれば、しまいには私は薄笑いさえ浮かべることでしょう。


さて、内田百間(ヒャッケンと読みましょう。「間」の字はほんとうは正字です。蛇足かもしれませんが)の何が魅力と言って、それはまずその超越的文章力でしょう。私はこの人の文章の意味が分からなくてつまずいたということは、過去に一度もありません。あまりに写実的なので、もはや文字を追っているという感覚さえ失われそうです。きわめて整然とした美しいものなのであります。文章とはこうあるべきだと感服するにつけ、私の拙さを反省してやみません。

次には、着眼点や発想の面白さがあります。そんなことを考えたこともなかったけれど、言われてみるとそうかなということや、そんな無茶な!ということでも、百間先生に言われるとつい納得してしまいます。これは私が百間先生を崇拝しているせいもあるかもしれません。でも、こういう面白さがあるから崇拝しているとも言えるので、どちらが先かは分かりません。

さらに、これも大変に重要な魅力であることには、怒っていても悲しんでいても喜んでいても、若くても歳をとっていても、語り口が全く変わらないということでしょうか。自身を含めてあらゆる物事に対して、常に客観的な視線を持ち続けているようです。クールなんです。なんだか、ときどきちょっと笑えるほどに。実際にはとても感情的な人だったのではないだろうかと私は推測しているのですが、それは文章の上に過度には表れてきません。(『ノラや』という飼い猫がいなくなったことを巡る随筆では、珍しく悲しみが前面に押し出されているので、私も思わずつられて号泣したものですけれど)。
ともかくそれで私は落ち着くのです。いつものように百間先生につられて、遠くから自分を見られるようになると、わあわあ言って騒いでいるのが間抜けに見えてきます。あー、落ち着いた。よかった。

それから、正直なところも好きです。実は人並み以上に律儀であったらしいところも好きです。教え子たちからあれほど慕われたのも分かるというものです。とても魅力的な人柄です。ですので、私もつねに「先生」と呼んでいます。
もう一人の「先生」は、私に暴風雨を与えてくれる「フレニト先生」なのですが、大丈夫、もう落ち着きました。
二人の両極端な「先生」を得た今(ところが、お二人は両極端でありながら、どことなく似てもいるような気もします。いずれにせよ極端であることに変わりはないのでしょうか。いや、極端というより、特殊でしょうか)、私は心置きなくどんな本でも読めそうです。