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『アネモネ』最終版

2006年08月31日 | 自作アニメーション
最終版『アネモネ』
(↑クリックしていただくと、別窓で開きます)


以前制作したFlashアニメーション『アネモネ』を訂正しました。いちおうこれが最終版です。どこが変わったのか全然わかりませんが、物語のニュアンス(←そんなものがあるとすれば…)が微妙に変わりました。ようやく落ち着いたと思います。はー、すっきりした。
細かいところはまだまだ改良の余地がありますが、現在の私の実力ではこれが限界。なかなか上達しねえなー…。いや、でも、いつかは…。まだまだ、これから…。

『ひまわり』も去年に引き続き訂正しようかとも思いましたが、やめました。これは今のところこのままでいいです。ただ音だけは録りなおしてもいいかも。ひどすぎる。

『ヒャクボルコ』は改良の術がありません。写真を動かしているだけなので、手の施しようがありません。
余談ですが、知人が「ヒャクボルコ」という文字を変換するのを見ていたら「百ぼる子」となっていました。怖! 怪奇ものっぽい! こちらはそろそろ新しいのを作りたいところです。


振り返ると、去年の秋頃から1年間で結構多くのアニメーションを制作しました。いろいろなことに挑戦もしましたし。結果はともかくとして。
次に新しくやってみたいと思うのは、人に書いてもらった脚本のアニメ化。「たんていものがたり」の次回作の脚本をすでにいただいております。はやくやらなきゃ。先に『デテク』をやってしまって、スミマセン。
それから、もうひとつは、コラージュによるアニメーション。多分「ヒャクボルコ」で。SF…風。大変そうだけど。
あとは、やってみたいというよりむしろ課題として、作曲および演奏技術の向上。ピアノの練習をしています。難しー。そして3拍子以外の音がまったく出て来ないー(←「3拍子」という概念でさえつい最近に知った)。なんてことだ…。


こんな感じで、かなり閉じた世界で必死に暮しています。自由への道のりは遠く険しいですが、去年よりは半歩くらいは進んだと思います。今年もすこしくらいは進みたいです。現在地を思うと暗澹たる気持ちに覆われる私でありますが、でも、もうじきに秋ですから、もしかしたら、もしかしたら…。ゆっくりでも、とにかく前進する意志さえあれば、いつかは到達できるかもしれないという可能性だけは確実に手に入る。それだけでも、いい。
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最近観た映画

2006年08月30日 | 映像
空洞を埋めるかのごとく、映画を観ています。
もっと。もっと。
あとはなにを観なければいけないんだったろうか。





『スコルピオンの恋まじない』

ウッディ・アレンてやっぱ凄い。
ロマンチック、素敵。
しかも笑える。
最高。




『天才マックスの世界』

ウェス・アンダーソンも凄い。
話に聞いていた通りの面白さ。
校長先生の部屋の装飾がモロ好み。細部へのこだわり。
先に観た『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』ももう一回観たい。

これ。
『天才マックス』にしろ『テネンバウムズ』にしろ、「青春」とか「友情」とか「家族愛」のようなテーマをよくもこんなに愉快に爆発的に描けるものだ。凄いぞ。



『マルホランド・ドライブ』

どういうことなのか、さっぱりわからなかったが、凄かった。
とりあえず、カミーラ役の女性が超絶美。目の保養。
何度か観たからって理解できるとは思えないが、面白かったのでそのうちまた観ることにする。


それから、あれも観てないし、これも観直さなくては。
あれも、これも。
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変わり目

2006年08月26日 | もやもや日記
少しずつ日が短くなってきました。
確実に秋は近づいているはずなのに、大阪は今日も暑かったです。それでも、前に比べればまだ少しは涼しくなったのかもしれません。


秋は私の最も好きな季節です。なんでもできそうな気持ちになります。待ち遠しい季節です。それなのに、夏から秋に変わるその境目のあたりになるといつも辛くなります。私は暑いのも湿っぽいのも焼け付くような日差しも苦手なのに、それでも夏が過ぎるのを惜しんでいるのでしょうか。


夕方になって自室に入ると、部屋中がオレンジ色でした。写真を撮りましたが、うまくそのとおりには写りませんでした。5分ほどで、今度は薄いピンクのような紫のような色に染まり、そして日が暮れました。もう暗くなりました。
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『デテク・ネコ』

2006年08月25日 | 自作アニメーション
新しいアニメーションを作りました。


藤色のネコの名は、デテク。
ストーリーは例によって、何の意味もありません。我ながら、よくもこんなに見ても見なくてもいいようなものを作れるなと感心しますが、私はそういうのが好きなのです。仕方がないのですねえ。とりあえず、気が向いたら三倍くらい長く追加して作り直してもいいかなあと思っています。


というわけで
よければどうぞごらんくださいませ。
感想など、お聞かせいただけるとありがたいですね。

→→→ 「不透明記録
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『プリンス&プリンセス』

2006年08月22日 | 映像(アニメーション)
監督・脚本/ミシェル・オスロ

《内容》

プリンセスとダイアモンド/少年といちじく/魔女/泥棒と老婆/冷酷なプリンセス/プリンス&プリンセス



先日BS2にて放送されていたので、観てみました。監督のミシェル・オスロという人は『キリクと魔女』という映画も作ってます。そちらも以前から気にはなっているものの、まだ観てません。これを観て、ますます観たい気持ちが募りました。


さて、6つの物語は、美しく繊細に切り抜かれた影絵によって綴られています。その美しい画面からは目が離せません。おそらく関節単位で動かされているだろう人物たちは、平面的で、色もありません(影絵ですから)が、話す時に唇を滑らかに動かし、くり抜かれただけの目やしなやかな体の動きで彼らのこまかな表情までもあらわします。強烈に魅力的です。アニメーションの魅力というのは、現実世界が写真のようにそっくりそのまま再現されていなくとも、たとえば単純な面と線と色だけで、それによって観客の想像力はどこまでも膨らんでゆくという不思議さでしょうか。映像表現の奥深さを実感させられます。


物語のほうも、6つともとても面白いものばかりです。男の子と女の子が、謎の技師の部屋(劇場のようです)で、コンピュータから取り出した情報を謎のメカに入力すると、設定した時代や好みに合った衣装が用意されます。そうやって自分たちの望みどおりに扮装し、望みどおりの物語を作り上げてゆくという構成になっています。そのアイディアもいいですね。3話目を観終わったところで、「1分間 休憩します ご自由におはなしを」というメッセージが挟まれ、本当に1分間は何も始まらない。放送事故の時の「しばらくおまちください」を思い出しました。不思議な構成だなー。でも面白い。


私が特に気に入ったのは「魔女」。お姫さまと結婚するための条件として忌むべき魔女の城へと侵入し征服しなければならない王子たち。しかし、鉄壁の防御力を備えた魔女の城へは、王子たちがいかなる攻撃を仕掛けても入ることができません。そのうち、ある利口な王子がついにひらめきます……。という話なのですが、この結末がかなりトキメク! いやー、参りました。なんとロマンチックな。ほわー。これは素敵だ。あとでもう一回観ようっと。

「冷酷なプリンセス」も良かったです。いちおう近未来もの。冷酷なプリンセスは未来的にイカしたデザインの飛行船を操縦し、城に帰ったらレーダーで彼女に求婚してきた男たちを探知、抹殺します。怖ーい。でも格好いい。そして、この日もプリンセスに美しい「歌鳥」を捧げた若者が犠牲になるはず……だが。この物語の結末も素敵。ちょっと笑えるけど。

「泥棒と老婆」では舞台が日本です。《北斎》を使いたかったらしい。登場人物は王子と王女ではなく、おばあさんと泥棒。日本の町並みやBGMもどことなく中華風な気もしますが、背景に北斎の《赤富士》なんかを使ってあって、とても美しい。おばあさんのキャラがいい感じ。


そういうわけで、美しい影絵と、それにふさわしく美しい物語。最高のバランスでした。


ちなみに日本語吹替の女の子の声は、原田知世さんがなさっているそうです。道理で! 美しいと思った!! いいなあ、あの声。
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天王寺動物園

2006年08月21日 | 旅の記録
このあいだ、天王寺動物園へ行ってきた。

思っていたよりは大きな動物園で、たくさんの動物がいた。その日はとても蒸し暑かったので、見ているほうも見られているほうもぐったりとしている。

なぜそんなに美しい必要があるのか分からないが、虎は美しかった。ピューマやベンガルヤマネコなどもいたが、暑いのでみんな日陰で横になっている。立派な毛皮を持つ動物たちにはこの暑さはつらいだろう。

写真は、「ペンギンの家」で見たオウサマペンギン。屋外の水場にはフンボルトペンギンがよちよち歩いたり、ぷかぷか水に浮かんだりしていたが、オウサマペンギンには外は暑過ぎるので、冷房のきいた涼しい部屋で立っていた。置物のようにほとんど動かないが、なかにひとりだけ腹這いになっているのがいる。地面が凍っていないので滑ったりはできないが、ひょっとしたら滑りの練習をしているのだろうか。それとも単に床が冷たくて気持ちがいいのか。同じ部屋にはイワトビペンギンもふたりいた。肩身が狭いのか、端のほうで寄り添っていた。

象、コアラ、コウモリ、キーウィ、ヤギ、ハイエナ、コクチョウ、フラミンゴ、コンドル、などなど色々な動物たちを見てまわる。園内をほぼ一周したところで、「爬虫類館」の新しい建物が見える。中に入ると、天井から霧のような水蒸気が噴射されて、一瞬あたりは真っ白になる。湿度調整のためなんだろうか。新しくて透き通った水槽の向うには、でかい亀や小さい鰐などが泳いだり、じっと動かなかったりしている。壁の展示スペースには、蛙(アカメガエルは見たかったのに、どうしても姿を見つけられなかった)やトカゲ、蛇などもちょっと動いたり、脱皮した皮がそのまま木から垂れ下がったり、いないなと思ったら壁に貼付いていたりした。爬虫類や両生類は色が綺麗なものが多いので楽しい。ところで、ここにいる亀などは、密輸がバレて没収されたのを飼っているものらしい。いろいろな経歴があるものだ。
しばらく進むと、水槽のガラスのすぐ向う側に、小さな鰐が水中に垂直に漂っていた。作り物のように見える。まばたきもしない。隣の水槽では、赤い金魚が泳ぐ水の中から出て、岩上で揚子江ワニが日に当っていた。

地階に下りると、ここでは日本の割と普通に見られる魚や蛇などを見られる。イワナ。美味しそう。などと言っていると、その後ろの水槽の中には、私の大好きなオオサンショウウオがいた。例によって岩のように動かない。しかし、その愛らしい手の指が広がっているのはよく見える。先日「海遊館」へ行ったときには混雑していてよく見られなかったので、この日はもっとじっくり見ることにした(お客はほかに誰もいなかった)。「水槽の中に手を入れないでください。指をかじられます」というような注意書きがある。意外と獰猛なんだな。まあ、ちょっかいを出されれば誰でも腹は立つものだ。私だって噛み付くさ(そう言えば、さっきリスがクルミをかじっているのを見ていたら、同行の友人に「ノトさんて、リスに似てる。ナッツとか好きそう。で、意外と人に心を許さなくて獰猛なんだよね」と指摘された。するどい。当ってる。ナッツも好きだし;)。ガラスの奥が暗くてよく見えないので、水槽の上からのぞきこんでみた。体長は80センチくらいだろうか。その割にデカイ! 頭が! オオサンショウウオを真上から見るのは初めてなので、予想以上の頭の大きさ(しかも平たい!)にちょっと驚く。すごい。やはり好きだ。


入園した時は、あっと言う間に見てまわれると思ったが、意外と時間がかかった。楽しかった。次はもっと涼しい季節に来るのもいいかもしれない。
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劇場版『ゲド戦記』

2006年08月19日 | 映像(アニメーション)
原作/ル=グイン
監督/宮崎吾朗
声の出演/岡田准一/手嶌葵/田中裕子/小林薫/夏川結衣


《あらすじ》
 物語の舞台は、多島海世界“アースシー”。西海域の果てに棲む竜が、突如、人間の世界である東の海に現れた。それと呼応するかのように、世界では、さまざまな異変が起こり始めていた。農民は田畑を捨て、職人は技を忘れモノを作らなくなった。街では、人々はせわしなく動き回っているが目的を失っているように見えた。そして、世界は魔法の言葉を忘れつつあった。世界の均衡(バランス)を崩す者の正体をつきとめる旅に出た大賢人ゲドは、国を捨てた王子アレンと出会う。




私はどんなものに対しても「つまらなかった」だなんて言いたくないので、この映画に対してももっと作りようはあっただろうとは思いつつ、何とか良かった点を探したいと思います。良かった点……良かった点…、それは……能力不足に関わらず表現しようとする人間(それはたとえば私)には良い反省材料になりうるということですかね。まるで私が作ったウェブまんが「たんていものがたり」をみるようでした。「そういうレベルかよ!」と叱られるかもしれませんが、私個人的には「そういうレベル」だったと思います。まず、物語の構成を無茶し過ぎ。登場人物の台詞に頼り過ぎ。状況説明させ過ぎ。そしてまた無駄な台詞が多過ぎ。せっかくアニメーション作品だというのに、まったくアニメーションを活かせていない。2時間も分量は必要ない。主題が不明確。盛り上がりがない。なにもかも表面的。…それから…それから…。
人の作ったものだと色々とアラが見えるものです。批評(というより批判か)するのは作り出すのに比べると何百倍も簡単ですからね。もちろん私は、いかに欠点だらけであろうともこれだけの労力を投じて生み出された作品自体は、「無駄」とも「徒労」とも思いません。


ここから数行、追記しました(現在8月20日)。下にあまりにも酷いことを書き過ぎましたので。反省して、良かった点も真剣に挙げておくことにしました。

観終わって2日経って、冷静に振り返ると、原作とはタイトルが同じであるだけで内容はほとんどオリジナルストーリーとなっていますが、それなりにまとめてあります。絵はもっと描き込んでもよかったのではないかとも思いますが、見せ場は何箇所かありました。CMや、街でもよく流れているのでご存じの方も多いでしょうが、テーマ曲はとても美しい曲です。歌っている女の子の声もいい。
原作を知らない、もしくは別物であると割り切れる、絵もこれまでのジブリ作品のようにイマジネーションが爆発していなくても気にならないという方は、それなりに楽しめるかもしれません。新人監督の第一作という感じも味わえますし。







ここより危険。
以下、私の原作への愛のため、らしくもなく酷評しています。ネタバレもありなので読まないほうがよいかもしれませぬ。でも異論、反論(もしあれば;)は大歓迎でございます。


さて、今回のこの作品は、もう「ル=グイン原作」ということは、きれいさっぱり忘れてしまったほうがよいことだけははっきりと言えます。原作の特に初期三部作を貫く豊かで壮大な世界観は1ミリたりとも再現されませんでした。驚くなかれ、物語はある一つの町の中で終始します。わおー、狭い。「はてみ丸」いらねーし。
また原作シリーズはどれも人間の深くに関わるテーマを掲げていますが、この劇場版ではなにがテーマであったのか、最後までわかりませんでした。そもそも、主役のアレンは何にそんなに捕われていたのか。「父に対する劣等感」かと思いきや途中で突然「死の恐怖」とも思わせる。色々なことにつまずくのが青春、とはいえこの短い物語のなかで突き詰めるには少々散漫でしょう。そして深く悩んでいた割に、ちょっと他人から言われただけで、あっさり立ち直ったりして。そんなのはそもそも悩みじゃない。と私は思いますが。

そして、ゲド。この人は大賢人で、タイトルからも分かるように物語はこの人の存在が重要不可欠であるというのに、はっきり言うとこの映画には必要ない。大賢人であるというのも、何の根拠となるエピソードもなく、ただ「大賢人だ」と言われるだけ…。魔法も使わないし。ただ状況を説明するためにいるだけ。おぉ、なんてことだ。それなら、そのへんの親切で物知りなただのおじさんでも良いではないか。

さらにヒロインのテルー。無理して女の子を登場させる意味はどこにあるのか。彼女のおかげで無意味なシーンがてんこもり。少年が成長するには、絶対に少女の力が必要だとでも言うのか。怒るぞ。
歌はいいけどテルーが歌う必要はまったくないし。つーか、なぜそこで歌う。そしてなぜ泣く。分かりません。ついていけません。人間嫌いなくせに、説教がましい(その説教の内容がまた考えられないくらいポジティブ。その思想があって、どうして人間嫌いでいられるんだ)性格なのももっと分からないし。竜の血を受け継ぐ人物を登場させたかったのは分かるけど、変身する必要は一切ない。ここでそれをやるかよ。説得力がない。というか、それをやったら、それまでの筋書きのほとんど全てが無意味になってしまうではないか。アレンだって、一体何のために出てきたんだ。それなのに、君はテルーに何を感謝しているんだ? ひょっとすると「竜=命の輝き」みたいなイメージなのかな。だとしても、それならもっとちゃんとした伏線を張れ。

もうひとつ、テルーの義母テナー。この人は原作をシリーズ通して読んだ人ならば、その重要性が分かるでしょうが、知らない人にはまったく無意味な存在。無駄、無駄、無駄! ゲドの大賢人ぶりを説明したければ、なにもこの人に頼ることはない。そんなに「アチュアンの墓所」が重要なら、せめて1、2分間の回想シーンでも入れろ。しかし、もちろん今回の話には丸っきり関係ねー!

まだあった、クモ。もっとがんばれよ。欲望をみなぎらせているところは他の人物に比べて魅力的な説得力のある造形になっていましたが、意味不明なことを言い出すのはこの人も一緒。「準備はととのったぞ」って言ってたけど、何の準備? ゲドを待ちぶせてアレンと戦わせる? 目的は不死なんだよな。で、邪魔なゲドの弱点(ということになっている)テナーも餌として捕獲してあるし、クモの館に入りさえすればもはやゲドには魔法が使えないなら、アレンなしでも勝ったも同然じゃないか。あ、一応アレンには「力」があるって設定なんだっけ。えー、でもその「力」をどう利用するつもりだったんだろ? つーか、あの腑抜けが役に立つか? ほら、やっぱり立たなかったじゃないか。自力でやれ。自力で。

まだいた、ウサギ。なんでクモなんかに仕えてるんだろう。普通に奴隷を売ったほうが平和に暮らせるだろうに。「クモに殺されずに済む」というメリットしかない。じゃあ、最初から関わるなよ。何があったんだ? 

ふう、次は設定について。「真の名」がいかに重要なもので、それを教えたり知られたりすることの意味というものが、説明されることもなく当然の知識であるかのごとく物語は展開します。アレンなんて、悪役のクモに「真の名」を知られたことによって操られているのか、でももともとアレンって奴は暗いイジケ虫だったから素でいるのか、どっちなのか全然分かりません。父親を刺し殺すほどのアレンの苦しみ(なのかどうかは置いといて)を、テルーがちょっと彼の「真の名」を呼んで説得したからって、そこでなぜ納得する。わかんねーな。でも、私もこのあたりはもう眠くなってたから、ちょっと重要な台詞を聞き逃したのかな。つーか、しゃべり過ぎだろ。アニメーションだってことを忘れる。

それから、「この世界では人々の頭が変になってきている」という設定らしいですが、その理由についてもクモとゲドがしゃべるだけだし…。麻薬を売ったり、まがいものの布を売ったりする人々が現れたり、魔法使いが魔法を使えなくなったりしているという説明はあったけど、そう言えば、冒頭のエンラッド(アレンの故郷)での会議で、国王(何の落度もないのに息子に刺された可哀相な人)が事態を調べるように命じていた【ルート】(たしかそんな名前)という人物はどうなったんだろ? この場面もいらねーな。(お詫び。9月12日現在。お友達のKさんのご指摘により、この場面で国王は「ロークへ、調べるように(伝えろ)」と言っていたらしいことが判明。家臣の名を【ルート】だと思ったのは、私の聞き間違いでした。ロークというのは大賢人など魔法使いたちの住む島のこと。私の理解が不足していただけで、この場面は、世の中に起きている異変が魔法使いたちに知らされたということを示すために必要であったようです。)
元まじない師の女が(多分まじないを生業とするのをやめて)まがいものの布を商うことにし、「まがいものだろうとなんだろうと、とにかく物は物。使えるのは確かだ」と言うのは尤もなことで、「頭がおかしくなった」説明としてはどうなのか。もちろんこの台詞は原作にもあった。原作の中でなら納得できた。というのは、それまでにその世界でいかに「魔法」が重宝がられていたか、「まじない」がどうやって人々の技術をもっと素晴らしいものにしていたか、さらにその特別な力を操ることのできる「魔法使い」達が世界のバランスに対してどれほど気を遣っているかということが説明されていたから。映画では、それ以前の世界のイメージがほとんどないので、観客からすればまあ普通の(つまり魔法の関係ない)世界。自分たちが暮らすのと同じような世界。もしかしたら、そういうことをまさに言いたかったのかもしれないけど。魔法が関係ないのなら、「世界の均衡を崩すもの」を「魔法使い」が探しにでかけるのも、元凶が「魔法使い」である必然性もないのでは…。納得できない。でもって結局は突然に現れた「竜」が全部解決してしまうし…。「竜」ってなんなんだ? 最初の方で共食いしてただけだったじゃないか…。あと昔は人間と同じ存在だったと言ってたが、その意味も分からない。

まてよ、こういうことか。
「人間の過度な欲望。この場合、不死」→「一般の人々の生きる喜び・目的を吸い上げる」→「精神世界(魔法含む)の荒廃」
それに対し、
「竜。かつては人と同じものだが自由を求めて分かれたもの」=「まれに現在の人間界にも紛れている(テルー)」→「(なぜか)生命力、精神力の象徴」=「思い出せば変身できる(?)」
こういう構図でしょうか? やっぱ、魔法はいらないような…。どれもこれも唐突で表面的過ぎる。原作のどのへんをどう採用したのか、読んだことがなければまるで分からないし、そのように採用する理由も分からない。合ってるのは人物の名前だけ。というわけで私はこの映画に原作があることは、もう忘れます。



「迅速さ」や「利益」を追求するあまり、「まがいもの」でも「麻薬」でも売る。だって、「物は物」だし。「ジブリのものはジブリのもの」と言うわけでしょうか。釣られて観にいってしまうんだから、確かに人々の頭はおかしくなってますね。そういうことを言おうとしていたのだとしたら、それは深いな。違うと思うけど…。「こういうのをやってみたかった」「こんな台詞を言わせてみたかった」という気持ちは私にもよくわかるので、まるで小学生が出し物で時代劇をやってみたかのようなベタな展開のこの映画は面白いには面白かったのですが、あんまり良く出来たかのように宣伝したりすることはないよな。次はない。
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『さいはての島へ』

2006年08月17日 | 読書日記ーファンタジー
ル=グイン作 清水真砂子訳(岩波書店)

《あらすじ》
魔法の館の長としてアースシーをおさめる大賢人ゲド。災いの源を断つため、若いアレン王子をともなって最果ての地におもむき、死の国の境界で死力を尽くして戦う。


《この一文》
”「無垢には悪に立ち向かう力はないが、」ハイタカは少々皮肉をこめて言った。「しかし、善を守り、それを支える力はある。」”




明日、劇場版『ゲド戦記』を観にいくにあたって、第三巻を読み直しました。2回くらいは読んでいるはずなのに、冒頭のアレンと大賢人が噴水の間で出会う場面のほかはきれいさっぱり忘れていました。どうしてこれほどまでに忘れてしまえるのか、私の頭はいったいどうなっているのやら。でも、もう忘れないで済むと思います。書物は読むべき時に読めば、二度と忘れることはできません。私には今がようやく読み時だったというわけです。

さて、感想を書いておこうと思いましたが、暑くて頭が働きませぬ…。映画を観たあとでまとめましょう。

とりあえず、この『ゲド戦記』の初期三部作は必読の傑作シリーズです。人間の抱える問題を、さりげなく面白く描き出すル=グインという人は、ただものではありません。生きる上でなんらかの疑問を持つような人は、これらを読めばどこかに得られるところがあるのではないでしょうか。私にとっては第一巻「影とのたたかい」が忘れ得ぬ物語となりました。
実を言うと、この三部作に続く第四巻「帰還」は、今のところ私には面白いと思えません。本当は明日の映画鑑賞に備えてこれも読んでおこうとは思ったのですが、何となく読む気になれず。しかし、いつの日か読み返したなら、その時はもっと分かるようになっているだろうとも思います。何度も繰り返し読んでみることが必要です。そして、何度も読みたくなるものこそが名作であると言えましょう。それは何度読んでも飽きず、常に新鮮であり続けるものであることは、私が最近になってようやく知ることができた書物の秘密です。文学って素晴らしい。いえ、絵や音楽やその他のさまざまなことも。人間の精神活動というのは、まったく。
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ライブに行った

2006年08月16日 | 学習
お友達のそのまたお友達か組んでいるバンドのライブがあるということなので、誘われるままに聴きに行きました。4組のバンドが続けて演奏するらしい。

で、早速「十三(じゅうそう:地名)」のライブハウスへ向かいます。入るとちょうど3組目の演奏が始まるところです。
やっぱ生はいい。私はドラムとかベースの体を直撃するような響きが好きなので、聴くなりすぐに気持ちがよくなります。爆発するような音の世界。もう気絶してもいい。うんうん、いいですね。
あとで聞いたら、そのバンドのメンバーはみんな17、8歳の若い男の子だそうで…。そんな無茶な! 18歳! しかもバンドを始めたのは去年からだそうで…。いやー、すごい。信じられない。


最後の演奏がお友達の友達のバンドでした。歌っている女の子の声が非常に良い感じです。すげー声だな。ワンピースに裸足ってところも、格好いい。歌詞が素敵そうなのがありましたが、全部は聞き取れなかったのが残念。


久しぶりに音楽を聴いてみて思うことは、表現には必ずしも年齢とか経験などは必要ではないということ。また、問題なのはいかに「純度」を上げられるかということ。どれだけ余計なものをよせつけないでいられるかということ。でしょうか。
音楽に限らず、どれだけ真剣に集中してそれに向き合い追求できるか、表現者の資質はそこにかかっているのかもしれません。
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もどりました

2006年08月15日 | もやもや日記
灼熱の大阪へ帰還しました。
あつーい。

ほんとうは日曜の夜に帰ってきていたのですが、郷里から両親と姉と甥を一緒に連れてきまして、昨日は丸一日、大阪案内をしました。私はコーディネートが苦手なのですが、今回はちょっとがんばりました。でも、甥っ子は「はやく帰りたい」ご様子でした。
しょぼん。
まだ小学一年生だもんな。新幹線とか乗ったほうが分かりやすくて楽しいよな…。混み合った観光地なんか行っても楽しくないよね。なぜか忍者グッズをお土産に、今朝ほど帰っていきました。あー、疲れた。


この夏休みは、いろいろと考えさせられることが多くありました。私はようやく我が家の人々を冷静に観察できるようになったようです。私はどう考えても父親似。発想とか、瞬間湯沸かし器なところとか。理想と現実がせめぎあっているところとか。顔も。
ほかにもいろいろ。お母さんって、そういう人で、そういう考えの人だったのか。とか、お姉ちゃんって言うことが日によって違うけど、そういうところは私と同じだな。分かってても、つい翻弄されてしまう、とか。甥は、私のことを「母の妹」であると認識しているはずなのに、祖父母(私の両親)との関係がいまひとつ分からないのか、「大阪の家にはマユちゃん(注:私のことを彼は「マユちゃん」と呼びます。べつに強要してるわけじゃないんですけど)のお母さんとかおるが?(訳:いるの?)」と聞いてきたりする。私の母はいま君の目の前におるにか(訳:いるじゃないか)。また、地下鉄に乗れば、家族のうちで私だけが立ってつり革につかまっていると、「マユちゃんだけ立っとって、まだ子供なんに(訳:子供なのに)可哀相…」と言ったりする。なんて優しい子だろう。いやしかし私はもう30歳なんですよ。彼の言う「子供」は意味が違うのかしら…。まあ、生活感がないからかな。深いな…。

あらためて見直して分かるそれぞれの性質。今さらながらに面白かったです。今回の大阪旅行は初っ端から波乱ぶくみで勉強になったので、そのうちまとめておこうと思います。一家揃ってなにかしようとすると、いつもこうなんですよね…。なにが原因なんだろ…。


さて、帰ったので、さっそく次だ、次。
新作アニメを作りますよ。
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