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もやもや日記

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1歳3週目

2014年02月27日 | もやもや日記




最近めっきりその中へ入ることは少なくなった
段ボールハウスに新たな用途が。

縁につかまって立ち上がり、
そのまま歩行器代わりに押して歩きます。
狭い部屋の中で方向転換も自由自在。

いつも誇らしげな顔で歩いているのがおかしくてたまらない。





1歳と3週目。私は本を読むのに忙しくて、息子のことはほぼ放置。しばらく足下にまとわりついていますが、生返事を繰り返す私に愛想を尽かしてひとりで遊んでくれます。気づくと上の写真のように段ボールハウスを押して歩いていたり、絵本を全部引っ張りだして順に指差し確認していたりします。いいよ、いいよ。私が君に望むのは、誰に与えられなくても自分で楽しみを見つけられるようになることだけだ。それができたらきっと豊かで喜びに満ちた人生を送れるだろうよ。

とは言うものの、あまり放ったらかしにするのも可哀想なので、一緒に絵本を読んだり追っかけっこをしたり散歩に出かけたり、毎日何かしら面白いものを用意するようにしています。今日はミルクの空き缶を与えてみました。



太鼓だ、ドンドンドン!
と楽しそうにトントンと叩いていました。が、次の瞬間にはもちろん齧ってみる……



齧ってみないことには、彼はこれがなんなのかを理解することができないのであった。
ひとしきり齧ったあと「かたい…」とでも言いたげに私の方をそっと見上げてきました。

他にも、哺乳瓶のキャップとか、お菓子の空き缶とか、厚紙とかチラシとか、危なげのない珍しいものを毎日渡しています。哺乳瓶の透明なキャップが特にお気に入りのようで、手にスッポリとはめたり(結構大きい)、お風呂ではお湯を汲んでこぼして、その細いお湯の流れをもう片方の手で掴もうとしたりしています。遊べる物の幅が広がったせいか、最近はあまり悪さをしなくなりましたよ。




【その他の出来事】
*週末は10日間ぶりにK氏が帰宅。息子は父のことを忘れてしまっているのではないかと懸念しましたが、ちゃんと覚えていたようです。K氏の滞在中は久しぶりに機嫌が良かったですね。それにしても、いつになったら一家揃って暮らせるようになるんでしょうね~。


*去年の夏で一段落していた一連の予防接種の続きを再開。今週は「小児用肺炎球菌」の予防接種を受けてきました。1歳を過ぎて少し知恵がついた息子は、注射を打たれて痛いのか驚いたのか、「ふえーん!」とちょっと泣きました。でもすぐに泣き止む。忘れっぽくて、実に良い子です。


*生後6ヶ月頃、暑かった去年の夏頃には昼となく夜となく吹き鳴らしていた笛。



 あんまりうるさいのでしばらく封印していたのを、ふと思い出して息子に与えてみたところ、すっかり吹き方を忘れていました。それでも珍しいものを見てあれこれしつこくいじりまわしているうちに「ぷっ」と音が鳴りました。たちまちパニックを起こす息子。
 「あれ? どうしたの? あんなに好きだったじゃない?」と私がかわりにプープーパーパーと吹き鳴らすと、ますますパニック。床に転げ回って大泣きする息子。ど、どうしたのだ!?

 それ以来、この笛を見ただけで息子の顔が引きつります。可愛いのう。おびえた顔が見たくて私は毎日にっこりと笑みを浮かべながら息子に笛を差し出して見せるのでした(鬼か;)。


*長くなったと思ったお昼寝の時間が、ふたたび1時間を切るように。1時間半も寝たのはやっぱり瞬間最大風速だったか。今は30分~50分間のあいだを行ったり来たりしています。でも、先日生まれて初めて息子は遊び疲れて布団の上以外で寝てしまいました。これまでは絶対に布団の上じゃないと寝られなかったのに、床に放り投げてあったおしゃぶりとタオル(息子のお休み必須アイテム)を拾い自分で装着し、コタツに入っていた私の傍らまでやってきてゴロンと寝てしまいました。びっくりした。余程疲れていたのかしら。まあ、そんなことはこの1回限りで、やっぱりあんまり寝ないんですけどね。


*おかずのひとつとして、かぼちゃのヨーグルトサラダを出してみたところ、口に入った瞬間、息子は指を突っ込んで口から掻き出しました。その後も絶対に口に入れようとせず。小松菜とヨーグルトは大丈夫だったのに、かぼちゃとヨーグルトは駄目らしい。何が気に入らないんだろうと私があとで残りを食べてみたところ、…甘いかぼちゃにヨーグルトの酸味…悪くないはずだが、ヨーグルトの分量がちょっと多過ぎた。「おい、腐ってるぞ、これ!」と言いたげだったのがちょっと理解できました。許せ、息子よ。母は味見というものをしないのだよ……






今週もあと少し。明日も元気にがんばろう。














『闇の王国』

2014年02月21日 | 読書日記ー英米


リチャード・マシスン 尾之上浩司 訳(早川書房)



《あらすじ》
私の名はアーサー・ブラック。これまでに二十七冊の〈ミッドナイト〉シリーズをはじめ、三十年以上にわたって多くの作品を書いてきた。金を稼ぐために。そしていま、八十二歳になったいま、私がまだ本名のアレックス・ホワイトを名乗っていた十八歳の頃の体験を記そう。これは実際にあった話だ。信じがたい、とてつもない恐怖の数々が記されているが、何から何までが事実なのだ……伝説の巨匠が満を持して放つ、最新長篇。





「とてつもない恐怖」が記されているのはどのあたりだろう? と思っている間に読み終えてしまいました。…あれ? ど、どのへんがそんなに怖かったっけ?? あそこかな? たしかにちょっと怖かったけど、「とてつもない」ほどじゃないような。ああでもたとえばこの物語を、実際に知り合いのおじいちゃんが自らの体験談を話してくれているものなんだと想像すれば、もう少しゾッとできたかもしれません。おそらくそのように読むべき物語だったんでしょうね。全編を通してこのお話は、ある年老いた作家が自分の若かった頃の思い出を時々冗談を交えながら語って聞かせるという体裁をとっていましたから。文中にはかなり頻繁に「また韻を踏んだ」とか「ブラックらしい良い言い回しだ」とか、いちいち自分で突っ込みや注釈が入ったりするので、集中力を維持するのに骨が折れました。

読み終えてからの印象としては、恐怖が主というよりも、怪奇と幻想が入り交じったような作品でした。私としては妖精族との出会いと別れの部分でブラックが立ち直れなくなるほどの恐ろしい経験をするんだとばかり期待していましたが、普通にファンタジックにほのぼのと展開していましたね。じゃあ、やはり恐怖は魔女の部分にあるんだな。でもあそこはいくらかおぞましかったけど、「とてつもない恐怖」というほどではなかったな(しつこいか;)。


リチャード・マシスンをいずれ読まなくてはならない作家であると認識していましたが、どこでそう認識するようになったのかをどうしても思い出せません。とりあえず、この『闇の王国』よりも『運命のボタン』がこの人の有名作である(と記憶している)ので、次はそれを読んでみたいと思っています。









1歳2週目

2014年02月20日 | もやもや日記

見なれないものを見つけると、しばらく夢中で調べる息子。
寝起きの機嫌が悪くても、なにかあればすぐに駆け寄る。
というわけで、毎日なにかしら撒き餌を設置。

今日は水を詰めた1.5Lボトルを置いてみた。
重くて持ち上がらないだろうと思ったが、引きずって這い這い!







土日はK氏が帰宅せず、息子と二人きり。悪魔の子イムスタトが降り立って荒れ狂っていました。日曜日にはなにが気に入らないのかご飯をえいやっと払いのけて床にまき散らしたので、罰としてデザートのバナナだけを食べさせたところ、本人はまったく気にしておらず少しもお仕置きにならず。結局そのすぐあとで残したご飯も食べました。この気まぐれさはなんなのかと。
また、私はここしばらく悪寒と胃痛と腹痛に悩まされていたのですが、息子の激しい妨害工作にあってコタツに入ることもできず、やっと入れたと思ったらコタツに潜り込んだ息子が電源を切っており…。寒さに震えていたら、恐れていた通り喉に痛みが…か、風邪か! 幸い大事には至らず全ての不調は克服しましたが、地獄のような週末でした。

ところが、週明け月曜日に突然、大きな変化が訪れました。月曜日の息子はまるで天の使いのよう。朝起きてからニコニコと機嫌良く、食事もおとなしくモグモグ、私があれこれと作業している間は楽しそうに一人で遊び、そしてもっとも驚いたことには昼寝の時間が大幅に増えました。これまでは一度に30分間しか寝なかったのが、突如1時間~1時間半に延びました。こんなことは滅多にないので、1時間経過したところで「…息をしていないんじゃないだろうか?」と猛烈な不安にかられ、息子の寝顔を間近で監視を始めてしまったくらいです。息はしていました。でも具合が悪いんじゃないかと、いつになったら起きるのだろうかと、却って緊張しましたね。
それにしても月曜日の息子は可愛かった。あれ!? この子はこんなに可愛い子だったっけ?? イタズラするのをやめさせても怒らないとか、素直すぎる(普段なら転げ回って猛抗議)……え、もしかしてこれが本来の姿!?

しかし結局天使(というか天の小熊)のように素直で可愛かったのは月曜日だけで、翌日からは通常の暴れん坊に戻った息子ですが、昼寝時間の長さはその後も午前と午後にそれぞれ1時間程度をキープしています。どうしたんだろう? なんで急に長く寝るようになったんだろう? 夜の睡眠はこれまで通りなのに、何が原因なんだろう?
思い当たることは特にありませんが、長く寝てくれるのは助かります。これで落ち着いて食事の仕度や洗濯、趣味のための時間をとることができるではないですか。ありがたい、ありがたい。


【その他の変化】
*前歯上下4本ずつが生えて以降、しばらくは後が続かなかったが、ようやく新しい歯が生えてきた模様。落ち着きがなく怒りっぽいのはそのためかもしれない。


*しばらく前から膝立ちになって移動したり踊ったりするように。少しでも身体を高い位置にキープしたいのか。二足歩行までもう間もなくの予感。膝を立て、両腕を前に伸ばし、ゆらゆらと揺れながらおもちゃを振ったりするさまは、可愛いなんてもんじゃありません。表情がいつも真顔過ぎるので、どことなくゾンビっぽいけど。


*アンパンマンのピアノに内蔵された自動演奏モードを作業用BGMにするのは以前からのことだったが、最近は音量を自分で「大きく」するように(私は大音量が嫌いなので常に「小さく」してあった)。最初は偶然だと思い私が「小さく」し直すと、息子はこちらを真顔で見返しながら「大きく」なるボタンを押すのであった。


*おやつにビスケットや赤ちゃん煎餅を出すと喜んで自分の手で掴んで食べるのに、さつまいもをふかして小さく切ったものを出すと捨てる。それはもう、あからさまに捨てる。「えっ!? おいしいよ! おいももおいしいんだよ!」と私が実際に同じものを食べながら一生懸命に説得すると、しぶしぶ食べる。最後はもちろん怒る。生意気にも好き嫌いをするようになったようだ。でももしかしたら眠くて怒っていただけかもしれない。


*マグを掴んでは投げるのを注意しても何度も繰り返すので、「こらっ、投げないの!!」と2週間ぶりくらいで私が大声を出したら、息子はびっくりして泣いた。やはりたまに大きな声で叱ると効果がありますね。しばらくは投げるのをやめました(2時間くらい。その後はまた忘れる;)。叱った直後、しばらく泣いて少しして涙を流したまま持っていたおもちゃで遊び、どうにか笑顔を作ってこちらを見上げてくるので、私の顔色をうかがっているのかと少し胸が痛んだが、単に気持ちの切り替えがはやいだけかもしれない。忘れっぽいのが良くもあり、悪くもあり。



今日も晴れた。週末も晴れるといいなあ。








『ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち~』

2014年02月19日 | 読書日記ー日本

三上 延(メディアワークス文庫)



《あらすじ》
不思議な事件を呼び込むのは一冊の古書。
鎌倉の片隅でひっそりと営業している古本屋「ビブリア古書堂」。そこの店主は古本屋のイメージに合わない若くきれいな女性だ。残念なのは、初対面の人間とは口もきけない人見知り。接客業を営む者として心配になる女性だった。
だが、古書の知識は並大抵ではない。人に対してと真逆に、本には人一倍の情熱を燃やす彼女のもとには、いわくつきの古書が持ち込まれることも。彼女は古書にまつわる謎と秘密を、まるで見てきたかのように解き明かしていく。
これは“古書と秘密”の物語。

《この一文》
“人の手を渡った古い本には、中身だけでなく本そのものにも物語がある。”




なるほどなー。とても人気のある小説であることは聞いていましたが、なるほど面白かった。これはライトノベル枠の作品なのでしょうか? 日本の現代小説を読むのが久しぶりだったせいか、おそろしいほどに読みやすかったです。すいすいと1時間ほどで読んでしまいました。

『ビブリア古書堂の事件手帖』は、4冊の古書をめぐる連作短編となっている上に、全体としても大きな一続きの物語ともなっています。最後で最初の謎が解けるようになっています。ひとつひとつの本にまつわる謎解きもそれぞれに面白いですし、その本に対する知識もわずかながら得られるようになっていて、対象の本を読んだことがあってもなくても楽しめるように作られていました。なかなか親切設計ですね。ちなみに私は登場する本は一冊も読んだことがありませんでした。夏目漱石の『それから』とか太宰治の『晩年』くらいは読んでいてしかるべきかもしれませんが、読んだことがないんだから仕方がない。それでも本書は楽しく読めましたよ。へえ、『それから』や『晩年』はそういうお話だったのか。

また、登場人物も分かりやすく魅力的に描かれています。言うまでもなく本書の重要人物であるビブリア古書堂の店主 栞子さんは非常に魅力的です。あざといくらいに魅力的。知的だが内気すぎる美女が自分だけには少し心を開いてくれるような…とか、物語の上でしかあり得ないよ!と分かってはいても、思わずぐっときてしまいます。くそー、罠だな、罠だぜ。ともあれ、栞子さんと本書の語り手である五浦君の関係のように、本についての話を聞いてくれる相手がいるというのがいかに幸福なことであるか、本について語ってくれる人がいるというのがいかに幸福なことであるかについて、私はなによりも共感するわけです。
その他の人物も特徴豊かで、とてもイメージしやすい。人物設定がなかなか上手ですね。

私は第3話の「ヴィノグラードフ・クジミン『論理学入門』(青木文庫)」が気に入りました。素敵なお話でしたね。



続きがあるんでしょうか? あるんだったら読みたい。そんな1冊。









息子と遠足

2014年02月16日 | 旅の記録



2月13日、息子を連れて遠足に出かけました。当日は思い切り曇り空で寒いことこの上なく、あちこち出歩いたものの息子は終始退屈そうで、結論としては私の自己満足に終わったという感が否めません。まあ、しかし私は満足しましたよ。一度乗ってみたかったニュートラムに乗ってみたりしました。


この日、私は本町と弁天町に用事があったので、地下鉄・バス・ニュートラムに一日乗り放題の「エンジョイ・エコカード」を購入(平日は800円、土日祝は600円)。いちいち切符を買わずに済むので便利なカードです。これを買ってしまったからには乗車料金で元を取らなければなりません。



とりあえず、本町でちょっと買い物をし、弁天町の喫茶店でお昼を食べました。息子にも昼ご飯をと思いましたが、午前中の昼寝をしなかった彼は相当に眠かったらしくグズりまくるので、店を出て寒風吹きすさぶ公園を散歩。動いていないと寝ないのです。



公園をブラブラしていると30分ほど寝ました。目を覚ましてからピクニック気分でここで昼飯を食わすかと思い立ち(←我ながら非常識かつ酷い仕打ち)、ベビーカーの雨風除けカバーをめくって息子に食事を与えてみました。パクパクとよく食べましたが、やっぱり寒かったですね。幸い息子は風邪を引きませんでしたが。


弁天町の用事が済んだので、地下鉄中央線でコスモスクエアまで乗ります。「コスモスクエア」ってなんですかね? とりあえず降りてみました。





駅を出ると人影もまばら…というか誰もいない。平日だから仕方ないか。そうなのか? せっかくなので通路を突き当たりまで歩いてみると、



あ、あれは…



↑これは以前 kajiさんと天保山に行った時、大阪港のあたりからうっすらと見えていた謎のドーム型の建物。そのときは水の色と一体化して非常に美しく見えていたので、いつか近くまで見に行こうと思っていたものです。コスモスクエアで降りたら、たまたまありました。一体なんの建物でしょう? あ、なんか掲示があるぞ。



「なにわの海の時空館 閉館のお知らせ…」? …嫌な予感しかしなかったので、歩いて近くまで見に行くのは断念しました。ただでさえ寒々しいのに、なにしろ人気がない。



とりあえず、港から出てきたらしい船などを眺めて、結局「コスモスクエア」が何なのかも分からぬまま、ここを後にします。


コスモスクエアからはニュートラムに乗り換えます。



船はいい、船は! そして私は海が見たいのだ!
ということで、特に目的もなくニュートラムに乗ってしまいましたが、「フェリーターミナル駅」というのが目に入ったので、そこまで行ってみます。曇っているせいか、ニュートラムからの車窓の眺めはどことなく寂しげ。別にこのあたりが寂れているわけではないと思いたい。きっと夏頃に来ればもっと違った印象のはず。なぜ私はこんな寒い季節に来てしまったんだ。などと考えていると、フェリーターミナル駅に到着。



あ、フェリーが見える!



長い連絡通路を渡る。



なんとなく『ガタカ』を連想させる通路。息子を置いてみた。



孤独! を感じる通路がずっと続きます。



心細い! 誰かいないか!
長い通路をベビーカーを押す音だけが響きます。寂しさにやや震えながら待合所まで辿り着くと、そこにはいくらかお客さんがいました。



どうやらフェリーの出航時間までは間があって、まだ誰も来ていないだけのようでした。私と息子はもちろんこの日はフェリーには乗りませんが、せっかくなので、もうちょっと近くで船を見てみることに。



またしても長い通路。




お船とツーショット。わりとどうでもいいといった表情の息子。



「わー! 船だよ、船! 大きいね~!」と誰もいない通路で私ひとりがテンション高め。今にして思えば、窓の位置が高すぎて、ベビーカーの息子からは船がよく見えなかったのかもしれない。しかし抱き上げるだけの余裕がなかった。すまぬ。

さきほどの待合所で息子に3時のおやつを食べさせて、フェリーターミナル駅からまたニュートラムに乗りました。そろそろ帰る時刻なので、終点の住之江公園駅まで乗ります(なんというさみしい遠足…)。



住之江公園駅からは、地下鉄四つ橋線に乗り換え。西梅田まで行き、そこから御堂筋線に乗り換えて帰宅。ただ電車に乗って、気まぐれに降りて、ちょっと歩いて、本当にこれだけの遠足。午前11時に家を出て夕方5時に帰宅と、時間だけはかかりましたが、あまり遠足らしいことはできませんでしたね。そりゃ息子も退屈するわけだ。しかしそれなりに疲れたようで、この日の夜はよく寝てくれました。良かった。私も寒くて疲れましたが、息子という熱源を抱えてぐっすり眠りました。


何の目的もなく、特に収穫もないブラブラ歩きでも、ただ歩いているというだけで気が晴れます。それに私はニュートラムに乗ることができてよかった。ちらりとだけでも海の空気を感じられてよかった。ベビーカーの上の息子にもなにかしら得るものがあったのならいいなあ。

そのうちまたどこかへ遠出しよう。今度はもう少し暖かい日に。











『白魔(びゃくま)』

2014年02月15日 | 読書日記ー英米

マッケン 南條竹則 訳(光文社古典新訳文庫)



《内容》
緑色の手帳に残された少女の手記。彼女は迷い込んだ森のなかで「白い人」に魅せられ、導かれて……。(「白魔」)
平凡な毎日を送るロンドンの銀行員にウェールズの田舎の記憶が甦り、やがて“本当の自分”に覚醒していく。(「生活のかけら」) 魔の世界を幻視する、珠玉の幻想怪奇短編!


《この一文》
“全財産を貧しい者に与えても、慈愛がないことだってあり得る。それと同様に、あらゆる犯罪を犯さずにいても、罪人だということがあり得るんだ ”
  「白魔」より

“こうして、来る日も来る日も、彼は灰色の幻の世界に生きていた。その世界は死に等しいが、なぜか我々多くの人間には生(せい)と呼ばれて、それで通っている。ダーネルにとって、真(まこと)の生は狂気とも思われただろう。時折、その世界の光輝(ひかり)が行く手に影やおぼろな物の姿を投ずると、ダーネルは不安にかられて、平凡な出来事や関心事からなる、彼が健全な“現実”とでも呼んだであろうものの中に逃げ場を求めた。(中略)
 ともかく、こうしてダーネルは、来る日も来る日も死を生ととりちがえ、狂気を正気と、無意味な、はかない幻影を真の存在と見誤って暮らしていた。彼は自分がシェパーズ・ブッシュに住むシティの会社員だと本気で考えていて――正当な相続によって己のものである王国の神秘と、遠く遥かに輝きを放つ栄光とを忘れていた。”
  「生活のかけら」より





アーサー・マッケンは前から一度読んでみたいと思っていたので読んでみたところ、ところどころにものすごくハッとさせられる文章が出てきて私を打ちのめしたのは事実ですが、全体としては今のところどうも私には合わないというか、ちょっと私にはマッケンさんは行き過ぎていてついていけないな…という感想でした。マッケンさんにとってはいわゆる「実生活」がよほど辛いものだったんでしょうか。お金を稼いだりその使い道を考えたりすることなどをあれこれと全否定し過ぎのような。そしてなんだか科学を否定し過ぎというか。一般的な人間関係についての見方もわりと批判的な感じ。気持ちは分かる。気持ちは分かるが、でもそこまで言うことはないような気も私にはするのです。どうしたんだろう、いったい何があったんだろう?

さて、「白魔」は前置きの部分がとても面白かったのですが、肝心の「緑色の手帳」のところからが私にはさっぱり分からず…。でも、悪とは何かという論理は非常に興味深かったです。私もずっと心に引っかかっていた問題でしたが、すごく納得させられました。

「生活のかけら」のほうはより興味深く読めた作品でしたが、最後がやや物足りず。「えっ、それからが知りたいところなのに!」というところで終わっていました。あと、それがこの作品にとって重要な設定であることは承知していますが、でも実は自分が美しい王国の正当な相続者、みたいなところが、まあ分かるんですけど、なんだか少し悲しくなるようでもありました。なんでだろうな。私は毒されているのかな、この無意味ではかない「現実」という幻影に。

けれども、やはりたしかにハッとさせられるところがある。この人が世界に見ていたものが、ちらちらと私にも見えるような気にさせられる。ある美しさが、ある懐かしさが、ある純粋さが、それが胸の奥底を燃やすような感じはある。たぶんそれがこの人の魅力なんでしょうね。だけど私はこの「現実」の中にも確かに美しいものがあると信じたいのであった。


もしかしたら、いつかはもう少し深くこの人を理解できるようになるかもしれませんが、今のところは何とも言えません。でも、なんとなくは分かった。とりあえずそれで満足。









1歳と1週目

2014年02月13日 | もやもや日記


9ヶ月くらいの頃に挑戦しても
理解できなかったストロー。

そういえばと試してみたら、
飲めるようになっていた!
さすが1歳。
知らないうちに賢くなっている。




息子は1歳になって1週間経ちました。
いつの間にかマグカップをちゃんと持ってストローで中の水を飲めるようになっていました。マグを、周囲を齧って遊ぶおもちゃだと思っていたらしい8~9ヶ月時からずいぶんと成長したものです。しかし、水を飲まない時は依然としてマグの底などを齧りまくり、ぶんぶん振り回してはそこらじゅうに水をこぼしまくっています。あと、ストローで飲むという行為が面白いのか、ひたすらチューチューやって中身を飲み干してしまうのでほんの少ししか飲み物は入れられません。哺乳瓶よりも一度に吸い込む水量が多いので、毎回思わずゴホゴホとむせちゃったりしていて可愛い。先は長いですが、ともかく少しずつ知恵がついていることは間違いないようです。


それから、寒いからといって冬の間は息子の髪が伸び放題でしたが、このあいだの週末K氏が大阪へ戻っている間に散髪しました。二人がかりでないと泣きわめく息子の頭を刈るのは難しいのです。入浴前に、床に新聞が敷かれ、その向こうにバリカンが置かれているのを見て異変を感じたらしい息子(記憶力は結構あるようだ)。しかしそのまま半裸で押さえつけられブーンブーンとバリカンを当てられて泣きじゃくっていましたが、長く伸びて寝癖がつきまくっていた頭はすっきりしました。


散髪前。奔放な寝癖。これはこれで可愛いが…


散髪後。男はやっぱり短髪!

まだまだ春は遠そうなので、丸刈りは見送りました。モンチッチみたいで可愛い。実に可愛い。


このところ急激に寒くなったので、風邪を引かないか心配です(息子よりも私が;)。
「大阪二人暮らし」はもう少し長引くことですし、体調管理には気をつけないと。ふう。








『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』

2014年02月10日 | 読書日記ーSF

ジャック・フィニィ、ロバート・F・ヤング他 中村融 編
(創元SF文庫)



《内容》
時という、越えることのできない絶対的な壁。これに挑むことを夢見てタイム・トラヴェルというアイデアが現れて一世紀以上が過ぎた。時間SFはことのほかロマンスと相性がよく傑作秀作が数多く生まれている。本集にはこのジャンルの定番作家といえるフィニィ、ヤングらの心温まる恋の物語から作品の仕掛けに技巧を凝らした傑作まで名手たちの9編を収録。本邦初訳作3編を含む。

《収録作品》
 「チャリティのことづて」 ウィリアム・M・リー
 「むかしをいまに」 デーモン・ナイト
 「台詞(せりふ)指導」 ジャック・フィニィ
 「かえりみれば」 ウィルマー・H・シラス
 「時のいたみ」 バート・K・ファイラー
 「時があたらしかったころ」 ロバート・F・ヤング
 「時の娘」 チャールズ・L・ハーネス
 「出会いのとき巡りきて」 C・L・ムーア
 「インキーに詫びる」 R・M・グリーン・ジュニア

《この一文》
“たぶんショックだったのだろう、恐怖だったのだろう。彼女は自分自身のために泣いていたのだ。なぜなら、愛は待ってくれないと、いきなり思い知らされたのだから。愛はあとまわしにはできない。先のばしにすれば、死んでしまう。 ”
  ジャック・フィニィ「台詞指導」より



『時を生きる種族 ファンタスティックSF傑作選』に続き、こちらの『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』も読んでみました。とても面白かったです。ただ、あくまで個人的な好みの問題ですが、私は『ファンタスティックSF』のほうが好きですね。『ロマンティック』のほうは面白かったのですが、私が期待していたほどにロマンティックではなかったというかなんというか。わりと恐ろしい感触のお話もありましたしね。たとえば「時の娘」とか…「時の娘」とか…。広瀬正の『マイナス・ゼロ』を読み返したくなるような「時の娘」ですが、登場人物の性格がなんとも恐ろしかったのです。それが印象的ではありました。

いかにもロマンティック! 素敵!! と感じたのは、ロバート・F・ヤングの「時があたらしかったころ」。これは素敵なお話でした。結末には思わず「グハアァ!」と声が出ましたよ。全体的に軽快で明るい印象です。ラストの展開のはやさが最高でしたね。唸らされました。これはマジで面白かった。

次にドスッときたのは、上にも一文を引用したジャック・フィニィの「台詞指導」。これは映画製作者たちのお話ということもあって、短いながらも描写が実に映像的でドラマチックな物語なのですが、思わず立ちすくんでしまいそうになるほどに苦い教訓を与えてくれました。
「愛はあとまわしにはできない」。こんなにはっきり言われるとグサッときますわ。「時間」と「愛情」の問題が鋭く描かれていましたね。忘れがたい作品になりそうです。

他の作品もそれぞれに面白かったですが、「インキーに詫びる」だけは時間が足りなくて最後まで読めませんでした。そのうち読みたいと思います。


さて、フィニィとヤングが面白かったので、ちょっと他の作品も読んでみます。やはり有名で人気がある作家の作品というのは、ちゃんと人気が出る理由があるものなのですね。そういうことを納得させられた1冊です。楽しかった!









怒濤の誕生日

2014年02月09日 | もやもや日記

息子に誕生日プレゼントを用意できなかったので
せめてもとイチゴを買ってきました。
しかしこれは我々の食べる分。

息子にはこれ。3粒分。
2日間にわたって3つずつ食べ続けましたよ。





おいしい、おいしい。






2月7日、息子は無事に1歳の誕生日を迎えました。おめでとう。とうとう生まれて1年が経った。色々あった。これからもいろいろあるね、きっと。


というわけで、書きたいことは実は他にもたくさんあるのですが、息子の1歳の誕生日直前にあまりにもショッキングな出来事があったので、まずはそのことを。

簡単に申しますと、

引っ越しが予定日1週間前にして突然延期になりました。

引っ越し先が福山から奈良へ変更になりました。


ど、どういうことだよ・・・!?(転勤らしいが・・・)
私の困惑は激しく、今更正直に告白すると福山へ行くのはすごく嫌だったのを数ヶ月におよぶ心の整理の末にようやく受け入れたところへきて、これですよ。結果的には私の大好きな関西を離れなくて済んだのはよかったのですが、なんとなく釈然とせず。鬱々とした数日間を過ごしました。今はもう大丈夫。奈良か。鹿かな、とりあえずは。あとは吉野でも行こうかね。

それにつけても腹が立つのは、この突然の知らせを受けたのが、私が片道20分を走って往復して役所へ転出届を出してきた帰り道だったこと。転出すると言ってきたばかりなのに、さっそく取り消さなきゃならなくなったわけです(その後K氏が有給を取って取り消しに行ってくれました)。引越屋さんにもキャンセル、今の住まいには契約解除の取消願い(ややこしい・・・)も出さなくてはなりませんでした。ドタバタした毎日でした。まあ、だいたいはK氏がやってくれたわけですが。

これから奈良で一から部屋探しをしなくてはなりません。来月中には引っ越すことができるでしょうか。無理かな。あー、奈良には海がない。息子と瀬戸内海で泳ぐ計画だったのになあ。とことん私は海に縁がないな。博多にも行けず、福山にも行けず。この1年半で3度も引っ越した(うち1度は未遂でしたが)のに、私はずっと大阪にいるわけです。なにがどうなったら、こんなことになるんですかね? 引き続き関西にいられるのは嬉しくてたまらないけれども、こうやっていつまでも落ち着けないのは落ち着かないですね。


このように、息子は1歳の誕生日も混乱の中で迎えることになりました。そういえば、去年この子が生まれる時も、帝王切開の予定日の前日に突然破水して緊急手術により生まれてきちゃって、実にドタバタした誕生だったっけ。思い返せば、息子が生まれてくるということになって以来ずっとドタバタしているや。息子の運命はドタバタしたものなのかもしれないな。賑やかで楽しいね、きっと。

どこにいても、どこへ行くことになっても、揺るがずその時々を楽しんで。お母さんももっとしっかりするよ!
誕生日、おめでとう!









365日目

2014年02月06日 | もやもや日記





生後365日目。今日が息子の0歳最後の日。長かったような、あっという間だったような。去年の今頃はまだお腹の中にいて、私が思わずよろめくほどにドンドコドンドコと激しく足を屈伸していた息子。腹の皮が波打つのを眺めながら、これはいったいどういう子が生まれてくるんだろうと期待と不安が入り交じったような気持ちでおりましたが、今はすっかり大きくなって、疲れのあまり行き倒れている私をドスドスと踏みつけにしては高いところによじ登ろうとがんばっています。痛い。重い。でもいいよ、その調子でいつも高みを目指しておくれ。


それにしても、これまで少しの体調不良もなく毎日元気いっぱいに育ってくれて、とにかくありがとうと言いたいですね。まだ風邪もひかない。熱も出さなければ、鼻水さえ垂らさない(泣いている時は垂れまくってますが)。お正月にちょっと便が緩くなったくらいですかね、これまでの不調と言うと。

一方、息子が生まれることになって以来K氏と私の方は急激に生活基盤が不安定になり、息子をどの土地で育てることになるのやら一向に定まりません。そんな不安定な中でも健やかにいてくれて、息子よ、本当にありがとう。



生まれて365日目。毎日加速度をつけて息子の可愛さが増しています。可愛くて可愛くて可愛くてたまりません。明日から1歳!