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『迷宮1000』

2007年07月31日 | 読書日記ー東欧
ヤン・ヴァイス 深見弾訳(創元推理文庫)

《あらすじ》
天高く雲を突いてそびえたつ巨大な館。全世界を睥睨せんがごときこの館の主の名はミューラーといった。こいつは神か、あるいは悪魔か。捜し求めるは失踪した王女のすがた。立ち向かうは、全能なるオヒスファー・ミューラー。この館の彼方に続くものは、果たして星々へ至る道か、はたまた地獄か。迷宮さながらの世界を駆けめぐる、おれは探偵……‥

《この一文》
” ブロークはその夢に怯えていた。夢のなかでは、不思議な力を失って、以前の悩みをそっくりそのまま抱えた自分の体を感じはじめていた。 ”




タイトルが格好良いので以前からどうしても読みたいと思っていた本を読みました。深見さんの訳なので、だいたいどういう系統の物語であるか察するべきでしたが、読みはじめるまで気が付かず、タイトルから予想していたよりはずっと現代的かつ現実的な内容でした。もっと幻想的なお話だと思っていましたが…どちらかと言うと、ややハードボイルドな感じでしょうか。あらすじにも「おれは探偵……‥」とありますし。私の普段の読書とは違った雰囲気に、最初のほうはいくらか馴染めない感じもしましたが、最初だけです。すぐさま「ブローク口調」が伝染ってしまいました。
「おれは探偵……‥」。このフレーズをやたらと口にしたくなるんです(あらすじにしか出てきませんけど)。


とりあえず、物語はとても面白かったです。その結末には思わず「なんだってェーッ!?」と声をあげてしまいました。いろいろな意味で。読めば分かりますが…。

これはまたずいぶんと現代的であるという私の印象にも関わらず、物語が書かれたのはなんと1929年。その事実を知った上で振り返ると、この作品はかなり時代を先取りしていたのだと考えを改めさせられました。(それにしてもこの年代つまり両次大戦の間という時代に生み出された作品はどれもこれも強烈な印象を持つのは、いったいどうしたわけでしょう。『フリオ・フレニト』とか『山椒魚戦争』とか、あれもこれも)


ブロークがさまよう巨大な館の内部で繰り広げられる世界の色鮮やかで美しくかつ薄汚れた欲望が渦巻いているさまは、なんとも圧倒的です。SFらしく舞台は果てしなく高くそびえたつ館に宇宙の星々へ続く扉。そこへ加えて不気味でグロテスク、陰湿で残虐、官能的に美しく、ハードボイルドでラブロマンス、謎からまた謎。短いわりには盛り沢山な内容です。どことなくおとぎばなしのようでもありました。そこがとても面白かった。なんだかんだ言っても、けっこう幻想的でしたね。


ヤン・ヴァイス。ほかのも読んでみたい。

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漫喫2

2007年07月28日 | もやもや日記
金曜日。午後5時半。
一週間の労働が片付く。
はー、やれやれ。

(あまりの開放感に思考停止)

午後7時過ぎ。
大量の漫画を抱え込み薄ら笑い。

エッ、アレッ!?
こ、ここは!?

………そこは漫喫でした。そう、10日ほど前にも来た見なれた風景。さすがに、さすがに通い過ぎだって! ああ! でも来たからには読まねば!

そう意気込んだ私ですが、昨日10時間もかけて読めたのはこれだけ。

*『ホタルノヒカリ』ひうらさとる
 ドラマ化されるそうですね。私はどうもこのタイプの少女漫画家が好きらしいです。ジョージ朝倉さんとか。繊細とハチャメチャの間を行ったり来たり。これも結構面白かったです。

*『BASARA』田村由美
 途中までは読んであったけど、長らくそのままにしてあった一大ロマン。通して読むと圧倒的でした。ほんと熱血だなー。もちろんそこがいいのです。いろいろと考えさせられました。絵も独特の光があるので、この人も好きです。


全部で35冊ほどでしょうか。
相変わらず読むのが遅い……。
うぅ、眠い……。


今朝6時就寝。

9時起床。あー、やっぱりこの時間より先は寝てられない。どうしても起きてしまいます。起きてみると、昨日の『BASARA』はやはり痛かった。この刺さり具合では、しばらく痛みが続くでしょう。憎しみを越えられたら、違ったものが見えてくるんだろうな。「命を賭けるとは、死んでもいいということではない」というようなことがどこかに書いてありました。そうだろう。「それは動物でもできることだ」とか、ほかにも思い出すと泣きそうなので、時間をかけてじっくりゆっくり考えることにしましょう。



明け方。
寝る間際の私の頭にはそして、先日書いた『類推の山』の記事が、あらためて思うとまるで遺書のようであるという考えが流れていきました。たしかに遺書には違いない。私は何でもいいから、自分に出来るだろう思い付く限りのものをのこしておきたいのです。ひとの情熱に触れると、そのことがよく分かります。

「おおげさ」「過剰」と言われがちな私の感情の振れに、どういう意味があるのか知りたい。いや、その価値を証明したい。そう思って、前回は勇気を振り絞って書きました。これまでにもたくさんあった泣きながら勢いで書いたような文章も、それを公開するのにはなかなか勇気がいるようです。私の、そんな単にむきだしの、感情的なだけで中身はあまりない文章でも、それを受け止めてくれる人がいるのは嬉しい。

誰かに何かが伝わるのが嬉しいから、だからみんな書くのだろうな。と、いまさらながらに思いました。


さあ、今日もがんばって読むぞー!
私は読者である。誰かが伝えたかったことを、知りたい。その結果として私からほとばしりでるものを、せいいっぱい伝えたい。これが私の情熱の形のようです。

熱血の読者をもとめる熱い作品のもとへきっと私は参上します。

だから、今も努力を続けている多くの人よ、どうか恐れずに生み出してください。それは、時間と空間の広がりのなかを無数の受け手を目指して飛んでいきます。だから、どうかがんばれ。

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夏の模様替え

2007年07月25日 | もやもや日記
梅雨が明けたので、新装開店です。
紫とオレンジを基調としたヒャクボルコ仕様に変更しました。

紫とオレンジの組み合わせは、どこか懐かしいような
昔の夏の記憶のような、そんな印象です。

夏といえば、透明な茶色のガラス食器を使いたくなります。
それに果物を盛ったり、レモンティーなんかを注いで飲むんです。
まあ、私は透明な茶色のガラス食器など持ってないのですけれど。

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明け

2007年07月24日 | もやもや日記
どうやら近畿は梅雨が明けたようです。

昨日も今日も、からっとして気持ちが良かったですが、

これからはいよいよ暑くなりそうです。

「今年は夏を乗り切れないんじゃないか、君」

と言われました。

ふ、まあ見てろ。
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友人諸君へ!(『類推の山』再読)

2007年07月23日 | 読書日記ーフランス

扉ページに

”類推の山 ”

”récit véridique ”
とある。


”récit véridique ”が
《実話》の意であったことに今さら気が付き
朝からちょっと泣いてしまった。
喜びのあまり。







まずラーゲルクヴィストによって「人はなんのために生きるか」という問題を与えられましたが、このドーマルの『類推の山』によって私はひとつの到達点を得たと思います。
この物語がどれほどに私自身であるか、私がどれほどにこの思想に対して真剣であるか、それを説明することはまだできそうにありません。でも、いずれはそれができると思います。


とりあえず今は、友人諸君に一言。

私のような人物には「もう付き合い切れない」とお思いになったとき、それでもちょっとの猶予は与えてもよいとお考えでしたら、どうかこの物語を思い出していただきたい。
これが、私の核心です。何度も読むうちに、はっきりと思い出しました。
始終つまらないことに振り回されているような私ですが、じつは馬鹿げて見えるほどに楽天家(これは何も考えていないということではなく、むしろその逆)なのです。しかも呆れるほど真剣です。
読んでいただければ、私の心根がいかに陽気で率直、前向きかつ誠実であるかが分かっていただけるかと思われます。ええ、とてもそうは思えないとおっしゃりたい気持ちはよく分かりますが…いざという時には騙されたと思ってぜひにお願いします。

いえ。
私のことなんて忘れてしまってもよいですから、「人生は生きるに値するだろうか」という疑惑に直面したとき、あるいは「個人の一生にどれほどの価値があるだろう」「こんなことをやる意味はあるだろうか」とふいに不安になったときには、どうかこの物語のことを思い出してください。
それだけで、私という人間がほんの少しでもあなたがたに関わりを持ったということに意味も価値も生じます。それだけで私は充分ですが、たったそれだけのことがいかに難しいかということはよく分かっています。しかし、その困難こそが私を生かしているとも言えます。



さまよい歩いているようにしか見えなくても、私はその山を目指しています。

このことは、つまり、なんて愉快なんだろう!

こんなふうに、かつて誰かを希望に震えさせた物語があったのだということを、どうかいつか必要になったら思い出してください。そしてもし、読み終えたあなたにも同じ作用を及ぼすならば、それだけこの物語の持つ思想の確かさが証明されることでしょう。

ここまで読んでくれたことに感謝します。
どうもありがとう。



『類推の山』
ルネ・ドーマル 巖谷國士訳(河出書房)

《あらすじ》
はるかに高く遠く、光の過剰ゆえに不可視のまま、世界の中心にそびえる時空の原点――類推の山。その「至高点」をめざす真の精神の旅を、寓意と象徴、神秘と不思議、美しい挿話をちりばめながら描き出したシュルレアリスム小説の傑作。
”どこか爽快で、どこか微笑ましく、どこか「元気の出る」ような”心おどる物語!!


《この一文》
”とすれば、私はそれを発見することに全努力を注ぐべきなのではないだろうか? たとえそんな確信に反して、じつはなにかとんでもない錯覚のとりこになっているのだとしても、そういう努力をついやすことでなにひとつ失うものはないだろう。なぜなら、どのみちこのような希望がなければ、生活のすべては意味を失ってしまうだろうからだ。 ”



**およそ2年前の初読の感想はこちら→→『類推の山』**
(このときの私はまだ気が付いていないようです。いろいろなことに)
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小鳥

2007年07月21日 | 夢の記録
がらんとした土曜の午後の教室に、私は友人とふたりでいた。
教室の奥の窓べでぼんやりしていると、手すりのほうへ小さな青い小鳥が二羽飛んできた。水色の羽毛に覆われた鳥の腹は真っ白だった。二羽はせわしなく羽ばたきながら我々のほうへとやってきた。

私は左手の指に彼等を止まらせて、そのさまを友人に写真に撮ってもらおうと思いつき、手すりのうえへ手を差し出すが、二羽はともに見向きもしない。彼等は開かれた窓から我々の頭上をさっと飛び抜けて、教室へとはいりこんだ。私はむきになって彼等を捕まえようと部屋のなかを右往左往するが、彼等の飛ぶのがあまりに速いので追い付けない。

しばらくして、疲れた私が部屋の真ん中でじっと立っていると、真っすぐこちらへ飛んできた一羽をどうにかうまく捕まえることができた。私の手の平に収まった青い小鳥は、柔らかくとても軽かった。そっと手をひらいてみると、小鳥は白目をむいてすこしも動かない。「殺してしまっただろうか」と心配になって、その小さな頭を覗きこむと、ふいにまた猛然と羽ばたいて私から飛び去った。

私はいまの短い観察から、「どうやら彼等は気を失いながら飛ぶことで、あれだけのスピードに耐えているらしい」と結論した。


青くて小さな美しい小鳥が二羽、ずっと窓辺で羽ばたいている。しきりに羽ばたきながら、囀りというには激しい鳴き声を交している。あんな小さな体のどこからあんなに大きな声が出るのだろうと教室の反対側の隅から眺める私は、二度と彼等を捕まえることができなかった。



**************************

悲しい夢だったのかどうかは分かりません。
でも、小鳥は美しかったな。
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『十三本のパイプ』

2007年07月19日 | 読書日記―エレンブルグ
イリヤ・エレンブルグ 小笠原豊樹訳(修道社)

《内容》
鬼才エレンブルグの機知と諷刺に充ちた傑作!
これは極めてエキゾチックな物語集だ。登場人物は世界各国人、十三本のさまざまなパイプが象徴する、その持主の数奇にして妖しいまでに喜劇的かつ悲劇的な人生図絵。
ソヴェート作家の中でも最も西欧的教養と視野を持つエレンブルグのみが描き得る独自の世界像である。

《この一文》
”だがこのパイプ―――世界一美しい都会パリ、パリ一の美人ガブリエル・ド・ボニヴェに殺された小さなポール・ルウの玩具は、偉大なにくしみについて私に語る。
   ―――「第二話 コンミュン戦士のパイプ」より  ”

”幼稚で自信満々の人たちは、人間は物の主人であり、物とは買ったり与えたり、売ったり棄てたりできるものだと思っている。これはもちろん、かずかずの事実によって、とうの昔にくつがえされた考え方だ。
   ―――「第十話 狂人のパイプ」より  ”

”だが彼はもう一つほかのものを知っていた。遠い日々のよろこび、モンスリー公園の木の間がくれに見たマルゴのほほえみ、他人の愛を。
   ―――「第十三話 愛のパイプ」より  ”






さまざまな作家と作品に生涯不変の忠誠を誓った私。その私はエレンブルグに対してはさらに加えて不滅の愛を誓いましょう。愛などなんの役にも立たないことは分かっていますが、何も持たない私が忠誠のほかに差し出せるものといって、愛いがいに何があるでしょうか。こんな気持ちははじめてだ。思うだけで涙が出そうになるのは、どうしてなんだろう。


さて、本書に描かれるのは、13本のパイプをめぐる奇妙な人生模様。《フリオ・フレニト先生の思い出に捧げ》られた短篇集。いずれの物語もいかにもエレンブルグらしい軽快なテンポに乗って、滑るように進んでいきます。そしてそこらじゅうにちりばめられた印象的な言葉の数々。美しくて鋭い言葉の数々にいちいち心を打たれます。

訳者の小笠原先生のあとがきに、エレンブルグについてのあまりに的確な評が書かれてあったので引用してみましょう。

「アラビアン・ナイトの語り手のようにエレンブルグはこの本の読者を、彼の夜――さまざまな形のパイプに飾られた彼の仕事部屋のうすくらがりのなかへ導き、一つ一つのパイプ由来を語ってきかせるのである。語り手の表情はゆらゆら立ちのぼるタバコの煙の動きにつれて実に多様に変化する。何げないことばで重大な真理を、荘重な口調でコッケイな事柄を、やさしい声音で残酷な事実を、冷い発音で愛らしい事物を、エレンブルグは倦むことなく語りつづけるから、読者は充分に楽しみながらも、時にいささかの戸惑いを感じなければならない。」

なんと的確な。私がいくら情熱をたぎらせようと、これ以上の説明を加えることはできますまい。ありがとう、小笠原先生。

トラストDE』しかり、『フリオ・フレニトの遍歴』しかり、エレンブルグの人間に対する深い絶望と激しい憎悪、しかしそれでもなお捨てきれぬ人間の美しさと優しさに対する愛着。爆発的な勢いを持ちときには攻撃的でさえある言葉の裏側に、その鋭さゆえに傷付きやすい精神をあらわしているこの人の物語。どうしてこれを愛さずにいられようか。

初期のこれらの作品以降は、文学的には下降に下降を続けたと言われるエレンブルグ。いいではないか、それでも。そうだとしても、私は『雪どけ』までのあなたの作品を、手に入るものの全てを読みますよ。
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『東欧SF傑作集(下)』

2007年07月18日 | 読書日記ー東欧
ネスヴァードバ他 深見弾他訳

《収録作品》
【チェコスロバキア編】
ターザンの死…ヨゼフ・ネスヴァードバ
ドラゴン…ワツラフ・カイドシ
気力を失った瞬間…ヨゼフ・タルロ
移民局…カレル・チャペック
システム…カレル・チャペック
【ユーゴスラビア編】
消失…ミロスラフ・イサコーヴィチ
【東ドイツ編】
金星最後の日…カールハインツ・シュタインミュラー
【ルーマニア編】
時空への脱走…アドリアン・ロゴス
アイクサよ永遠なれ…ホリア・アラーマ

《この一文》
”人間という存在の本質は一体なんだ? われわれは、猿とどこが違うのだろう?
      ―――「ターザンの死」(ヨゼフ・ネスヴァードバ)より ”

”兄弟たちよ、愛する友よ、だがそこに希望がある! きみたちを標的にした不幸の銃口に直面したこのときの、思いがけない、途方もないこの反応こそ! 善良な人々よ、承知の上で自分をいつわるな! 幻影のとりこになってあざむかれ、正気を失うな、目を閉じてだまされ、化物におびえ、ごまかされるままになるな。
      ―――「アイクサよ永遠なれ」(ホリア・アラーマ)より ”



上巻にひきつづき、下巻も読みました。
この巻にはチャペックの作品が収められていますが、それはもちろんのこと、ほかの私の知らない作家の作品が、やはり予想以上に面白かったです。

「ターザンの死」は、ドラマチックでかなり面白かった。とくに最後の一文が非常に印象的。胸に迫るものがありました。上に引用したのはその部分ではありませんが、この作品の重要なテーマをあらわした文章です。

「システム」は、チャペックらしい薄暗いユーモアに満ちた短篇。なるほどたしかにすばらしいシステムだが…結局は……というお話。チャペックが望んでいた世界というものがあるとすれば、それはどういうものだったのだろうかということが、私はずっと気になっています。『絶対子工場』をもう一度読もうかな。

「消失」はとても興味深かったです。こういうテーマは考えても考え尽くせないようです。人類と世界の関わりはこれからどうあるべきか。というようなお話だったでしょうか。

「時空への脱走」は、しみじみとした面白さがありました。この雰囲気は、私はいままでちょっと知らない感じです。なんだこの、しみじみ感は。

「アイクサよ永遠なれ」は、ずっと読んでみたかった作品。タイトルが格好いい。しかし、読んでみると最初は思ったよりも退屈で、私は「これはもうあとで読むことにしようかな…」とくじけそうでした。ああ、でもがんばって最後まで読んでよかった。後半からは目の離せぬ面白さでした。おお、面白い。


というわけで、下巻にもとても満足しました。
これで、創元SF文庫の『ロシア・ソヴィエトSF』『東欧SF』を読んでしまったことになります。長年の懸案が解消してよかった。アンソロジーっていいですね。自分では知るきっかけさえ掴めないような作家の作品に触れることができますから。このシリーズでの一番の収穫は、『ロシア・ソヴィエト』のボグダーノフでしょうか。「技師メンニ」は凄かったんです。
さて、次はなにを読もう。

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2007年07月16日 | 自作まんが
雨の季節に超短篇

一枚漫画

(第三話)


(クリックで拡大します)


最後は久しぶりにヒャクボルコです。

こんな漫画を描いて、連休は過ぎてゆきました。はは。
もうすぐ夏ですね。
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2007年07月15日 | 自作まんが
雨の季節に超短篇

一枚漫画

(第二話)


(クリックで拡大します)



とりあえず、あと一回 つづく
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