数日前、一人旅について書きましたが、旅先で思いがけない一人を味わったことがあります。それは中学の修学旅行のとき。
京都の銀閣寺を目の前に捉えたとき、気付くとその場所には私一人。もしかしたら、私がいま踏んでいる石を足利義政が蹴ったかもしれないよな~と感じ、教科書の上だけの一種バーチャルだった『日本史』が、私の中でリアルに生まれ変わったキッカケでした。今でも、『○○城跡』とか『△△の墓』とかを訪れるのが好きなのは、そのせいかもしれません。
もうひとつ。奈良の大仏でも、大仏の真正面にきた瞬間、彼と一対一になった記憶があります。室内にあることで尚更、巨大さ加減がハンパじゃなかった彼に怯え、有難さや喜びではなく、恐怖心だけを覚えています。それ以来、未だに私は大きな像系が苦手。さっきも、撮影先からの帰り道に『牛久の観音様』が見えて、お客さんの手前冷静にしてましたが、かなり怯えていました。
私たちの時代、中学の修学旅行は全て団体行動でぞろぞろ見学したはずなので、私はその時、団体行動を乱していたんだろうか?或いは、本当は一人ぼっちの時間なんて存在しなかったのに、銀閣と大仏のインパクトが強すぎて、他の存在が記憶から抜け落ちてしまったんだろうか……。
京都の銀閣寺を目の前に捉えたとき、気付くとその場所には私一人。もしかしたら、私がいま踏んでいる石を足利義政が蹴ったかもしれないよな~と感じ、教科書の上だけの一種バーチャルだった『日本史』が、私の中でリアルに生まれ変わったキッカケでした。今でも、『○○城跡』とか『△△の墓』とかを訪れるのが好きなのは、そのせいかもしれません。
もうひとつ。奈良の大仏でも、大仏の真正面にきた瞬間、彼と一対一になった記憶があります。室内にあることで尚更、巨大さ加減がハンパじゃなかった彼に怯え、有難さや喜びではなく、恐怖心だけを覚えています。それ以来、未だに私は大きな像系が苦手。さっきも、撮影先からの帰り道に『牛久の観音様』が見えて、お客さんの手前冷静にしてましたが、かなり怯えていました。
私たちの時代、中学の修学旅行は全て団体行動でぞろぞろ見学したはずなので、私はその時、団体行動を乱していたんだろうか?或いは、本当は一人ぼっちの時間なんて存在しなかったのに、銀閣と大仏のインパクトが強すぎて、他の存在が記憶から抜け落ちてしまったんだろうか……。