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炎上覚悟!?『今問う、大東亜戦争の戦争責任者』

2017-08-06 23:11:27 | 狂人の頭の中
日本の敗戦の日は「1945年(昭和20年)8月15日ポツダム宣言受諾」。

というのは、みなさん共通意識であると思いますが、

しかし、日本が解放され独立国として認められたのは

「1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和(平和)条約の発行・公布」

であることを確認したい。

前提はそれくらいにいたしまして、「極東(東京)裁判」では、A・B・C級の各戦犯が、

裁判官のほとんどが、日本と戦闘状態にあった国々で非常に公平性に欠けた裁判であった。



裁判を行うに当たって、「当時『今上(昭和)天皇の戦争責任』を問うのか、裁判に掛けるのか否か」が

戦勝国(裁判所)の問題となった。

極東裁判の中で、東条英機・元首相は「天皇の同意無しに戦争の遂行は無かった。」と証言し、

時間をおいて、東条は「日本国民としての一意見」として、

後から「天皇の戦争責任の回避」を述べている。

また、マッカーサーにおいても当初は裁判に掛けるつもりだった様であるが、

白洲などの忠告により、天皇の戦争責任を問うことへのリスクを勘案し、

「天皇の戦争責任」を回避している。

ここまで述べると、「天皇においては、積極的ではなくとも天皇は戦争を承諾している。」ことが

「パンドラの箱」にしまわれていることが解る。

今、私は「日中戦争までの道のり」を勉強しているのですが、『盧溝橋事件=日中全面戦争』までは

当時の石原完爾など「関東軍・参謀部の暴走」であったことが、国内の研究者などでは共通認識である。



しかし、今問うているのは「真珠湾攻撃以降を含む『大東亜戦争』全体」の戦争責任である。

当時、日本軍を統帥権は当時の「今上(昭和)天皇」であることは言うを待たない。

例え、戦争後半において「御前会議」が形式化されて行ったにせよ、「承認・黙認」をしたのは

天皇に間違いないのである。

無罪・有罪またはその量刑が結果がどうであっても私の意見を述べれば、

『天皇は極東裁判に掛けられる地位にあった。』という他無い。






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