今日もスタバ、今日は学習ではなく私が末席を汚している『京都当事者研究会』の機関紙に
寄稿するために文章をしこしこ書いていたわけです。
初めての発行でまだ予定であります。
そこには私の体験を書いて寄稿しようと思っています。
そこには私の二件のPTSD体験を全て書いて、あまりオープンに語られることのない
PTSDを少しでもしゃべり易いものにしたいという思いもあります。
まっ、私自身の『暴露療法』という話もありますが・・・
PTSDの場合は体験が悲惨なだけにオープンにすると、どうしてもリスクが発生します。
もちろんそれも承知です。
なかなか、出しにくいですね。
私の場合は、一件目が自分では『加害者PTSD』だと思っているので、
世間にはこのことで悩んでいるが、出るに出られないという方もいるはず。
ある聖職者が『加害者PTSD』で罪の意識にさいなまれている、と聞いたことがある。
通常はそうだと思う。
私もこのことについて、文章にするときは涙ぐみながら書くときもある。
私はいつからか、この人生は「贖罪」である、と思うようになった。
まっ、償いの人生ですね、十字架を背負って生きる人生です。
私はアーメンさんじゃないけれど。
「そんなこと思う必要ない」って、人は言いますけど、目の前で人が死んでごらんなさい、
その遠因および原因が自分にあるとしたら、人生変わりますよ。
まっ、そんなことまで踏み込んでは書きませんが、
事実をただ淡々と書いて終ろうかな、と思っております。ハイ
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寄稿するために文章をしこしこ書いていたわけです。
初めての発行でまだ予定であります。
そこには私の体験を書いて寄稿しようと思っています。
そこには私の二件のPTSD体験を全て書いて、あまりオープンに語られることのない
PTSDを少しでもしゃべり易いものにしたいという思いもあります。
まっ、私自身の『暴露療法』という話もありますが・・・
PTSDの場合は体験が悲惨なだけにオープンにすると、どうしてもリスクが発生します。
もちろんそれも承知です。
なかなか、出しにくいですね。
私の場合は、一件目が自分では『加害者PTSD』だと思っているので、
世間にはこのことで悩んでいるが、出るに出られないという方もいるはず。
ある聖職者が『加害者PTSD』で罪の意識にさいなまれている、と聞いたことがある。
通常はそうだと思う。
私もこのことについて、文章にするときは涙ぐみながら書くときもある。
私はいつからか、この人生は「贖罪」である、と思うようになった。
まっ、償いの人生ですね、十字架を背負って生きる人生です。
私はアーメンさんじゃないけれど。
「そんなこと思う必要ない」って、人は言いますけど、目の前で人が死んでごらんなさい、
その遠因および原因が自分にあるとしたら、人生変わりますよ。
まっ、そんなことまで踏み込んでは書きませんが、
事実をただ淡々と書いて終ろうかな、と思っております。ハイ
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