唖蝉坊の日記
2013-08-25
ノブレス・オブリージュ
◇フランス語にノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉があります。日本語では「位高ければ徳高きを要す」などと訳されているようですが、権力や社会的地位の高い人にはそれなりの責任が伴うことです。西洋の貴族や騎士の間ではこの徳目は非常に大切にされたと言われています。これに匹敵するのが日本の武士道です。「下位の者に仁慈を以て接し、敵には憐みをかけ、私欲を慎み、公正を尊び、富貴より名誉を貴しとなす」という徳目です。
◇少なくとも日本経済が高度成長を遂げるまで、社会の指導者層にはこうした気概を持った方が多くいました。その一人が石川島播磨重工や東芝の社長、経団連、臨時行政調査会会長を歴任した土光敏夫氏です。土光氏は石川島播磨重工と東芝を原発プラントメーカーとして育て上げ、原発と深く係わってきました。
1971に年東京電力は、福島県大熊町の福島第一原発1号炉を稼動させますが、こちらの主契約者はアメリカのGE社で沸騰水型のプラントでした。土光氏が社長を務めていた東芝、手塩にかけた石川島播磨は、圧力容器製造の下請けで入ってい居ました。
◇土光氏は東京工業大学の前身、東京高等工学校出身の工学士でエンジニアでもあり、原子力発電の危険性は十分に理解していました。東電福島第一原発導入の際に 、土光氏は東電の首脳に「アメリカから自動車を1台輸入するのと違って原子力プラントは複雑なシステムなので、当初から日本のメーカーの技術者にチェックさせてほしい」と何度も訴えた。その背景には複雑で危険を伴うシステムへの「恐れ」があったからです。
◇しかし、東電の首脳は「世界一のGEが自信をもってつくった原子力プラントだ。しかもアメリカで商業運転されており、何ら問題はない。(納入業者の分際で)余計な口出しはしないでもらいたい」とピシャリと撥ねつけたと言われています。原爆を製造したアメリカがやることに間違いはないという、なんとも韓国的事大主義であり、東電のこの体質は未だに変わっていません。
◇東電はGEの沸騰水型炉を一切設計変更せず、そのまま持ち込み、スイッチを入れれば自動的に動く「ターンキー契約」を結んだのです。
福島第一原発1号炉は滑り出しこそ設備利用率60%以上を記録したが、73年に地下廃液スラッジ・タンクから床面や建屋外に放射性廃液が漏れる事故が発生。その後も不具合が続き、設備利用率は73年に48.5%、74年は26.2%。75年16.3%と落ち込んでいきました。結局GEに言われるまま導入したが最初から東電は欠陥製品を掴まされたのです。
◇土光氏は原発の技術を日本で独り立ちさせたいと願っていました。石油ショックで日本経済が激しく揺さぶられ、その思いはさらに強くなる。財界総理と呼ばれる経団連会長に就任すると、原発のPRに努めた。記者団を引き連れ、一泊二日の日程で福島第一原発の視察ツアーを企画し、自ら案内役を買って出ました。
◇現地に着くと、土光は真っ先にふんどし一丁になって黄色の防護服に着替え、原子炉建屋のなかに入った。記者団と随行者も慌てて着替え、恐る恐る建屋に踏み込む。首からガイガーカウンターの入った放射能測定機をぶら下げて巨大な施設を見て回った。カウンターの目盛はずっとゼロの近くを指していたそうです。
土光氏ほど、自前の石油代替エネルギー技術にこだわった経団連会長は後にも先にもいないと言われています。原発については失敗をくり返さないよう、メーカーや電力会社どうしで事故情報を共有する仕組みをつくろうと呼びかけましたが、電力産業界の東京電力を頂点とする序列は変わらず、原子力ムラは閉鎖的なタコつぼ集団と化し、その後も動力炉をアメリカから次々と導入しました。
◇土光氏はドイツと同じく新型炉の研究開発は政府主導で行うべきと主張してきましたが、それはアメリカに対する遠慮があり、カネは出すが電力会社は外国から炉を買うというやり方を止められないのです。日本の原子力研究はアメリカに禁止されていたので、そう云う研究開発には政府の金は出さない。民間でやればいいという行き方をとってきたのです。
◇石川島播磨と東芝は原発メーカーのように言われていますが、原子炉そのものは作っておらず、ウエスティング・ハウス社の炉の周辺機器を作っているにすぎません。政府はインドなどに原発を輸出すると言っていますが、あくまでもGE社の炉をメインに、蒸気発生装置や発電機を組み合わせると言うものですが、信頼のおけないGEの炉を売る販売店のようなことをして、もしものことが起きたらどうするのかという危惧が払拭できません。
土光氏が自前の炉の開発を主張していたのはおそらく今日のことを予見していたのではないかと思います。
〈出典〉
http://webheibon.jp/dokotoshio/2012/09/post-12.html
2013-08-25
ノブレス・オブリージュ
◇フランス語にノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)という言葉があります。日本語では「位高ければ徳高きを要す」などと訳されているようですが、権力や社会的地位の高い人にはそれなりの責任が伴うことです。西洋の貴族や騎士の間ではこの徳目は非常に大切にされたと言われています。これに匹敵するのが日本の武士道です。「下位の者に仁慈を以て接し、敵には憐みをかけ、私欲を慎み、公正を尊び、富貴より名誉を貴しとなす」という徳目です。
◇少なくとも日本経済が高度成長を遂げるまで、社会の指導者層にはこうした気概を持った方が多くいました。その一人が石川島播磨重工や東芝の社長、経団連、臨時行政調査会会長を歴任した土光敏夫氏です。土光氏は石川島播磨重工と東芝を原発プラントメーカーとして育て上げ、原発と深く係わってきました。
1971に年東京電力は、福島県大熊町の福島第一原発1号炉を稼動させますが、こちらの主契約者はアメリカのGE社で沸騰水型のプラントでした。土光氏が社長を務めていた東芝、手塩にかけた石川島播磨は、圧力容器製造の下請けで入ってい居ました。
◇土光氏は東京工業大学の前身、東京高等工学校出身の工学士でエンジニアでもあり、原子力発電の危険性は十分に理解していました。東電福島第一原発導入の際に 、土光氏は東電の首脳に「アメリカから自動車を1台輸入するのと違って原子力プラントは複雑なシステムなので、当初から日本のメーカーの技術者にチェックさせてほしい」と何度も訴えた。その背景には複雑で危険を伴うシステムへの「恐れ」があったからです。
◇しかし、東電の首脳は「世界一のGEが自信をもってつくった原子力プラントだ。しかもアメリカで商業運転されており、何ら問題はない。(納入業者の分際で)余計な口出しはしないでもらいたい」とピシャリと撥ねつけたと言われています。原爆を製造したアメリカがやることに間違いはないという、なんとも韓国的事大主義であり、東電のこの体質は未だに変わっていません。
◇東電はGEの沸騰水型炉を一切設計変更せず、そのまま持ち込み、スイッチを入れれば自動的に動く「ターンキー契約」を結んだのです。
福島第一原発1号炉は滑り出しこそ設備利用率60%以上を記録したが、73年に地下廃液スラッジ・タンクから床面や建屋外に放射性廃液が漏れる事故が発生。その後も不具合が続き、設備利用率は73年に48.5%、74年は26.2%。75年16.3%と落ち込んでいきました。結局GEに言われるまま導入したが最初から東電は欠陥製品を掴まされたのです。
◇土光氏は原発の技術を日本で独り立ちさせたいと願っていました。石油ショックで日本経済が激しく揺さぶられ、その思いはさらに強くなる。財界総理と呼ばれる経団連会長に就任すると、原発のPRに努めた。記者団を引き連れ、一泊二日の日程で福島第一原発の視察ツアーを企画し、自ら案内役を買って出ました。
◇現地に着くと、土光は真っ先にふんどし一丁になって黄色の防護服に着替え、原子炉建屋のなかに入った。記者団と随行者も慌てて着替え、恐る恐る建屋に踏み込む。首からガイガーカウンターの入った放射能測定機をぶら下げて巨大な施設を見て回った。カウンターの目盛はずっとゼロの近くを指していたそうです。
土光氏ほど、自前の石油代替エネルギー技術にこだわった経団連会長は後にも先にもいないと言われています。原発については失敗をくり返さないよう、メーカーや電力会社どうしで事故情報を共有する仕組みをつくろうと呼びかけましたが、電力産業界の東京電力を頂点とする序列は変わらず、原子力ムラは閉鎖的なタコつぼ集団と化し、その後も動力炉をアメリカから次々と導入しました。
◇土光氏はドイツと同じく新型炉の研究開発は政府主導で行うべきと主張してきましたが、それはアメリカに対する遠慮があり、カネは出すが電力会社は外国から炉を買うというやり方を止められないのです。日本の原子力研究はアメリカに禁止されていたので、そう云う研究開発には政府の金は出さない。民間でやればいいという行き方をとってきたのです。
◇石川島播磨と東芝は原発メーカーのように言われていますが、原子炉そのものは作っておらず、ウエスティング・ハウス社の炉の周辺機器を作っているにすぎません。政府はインドなどに原発を輸出すると言っていますが、あくまでもGE社の炉をメインに、蒸気発生装置や発電機を組み合わせると言うものですが、信頼のおけないGEの炉を売る販売店のようなことをして、もしものことが起きたらどうするのかという危惧が払拭できません。
土光氏が自前の炉の開発を主張していたのはおそらく今日のことを予見していたのではないかと思います。
〈出典〉
http://webheibon.jp/dokotoshio/2012/09/post-12.html