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沖縄のことあれこれ。

「うた」へ感謝 嘉手納コンサートに7000人

2017-06-25 06:13:27 | ニュース

「沖縄からうた開き! うたの日コンサート2017in嘉手納」が24日、嘉手納町兼久海浜公園で開かれた。

会場には約7千人(主催者発表)が訪れ、初夏の日差しと潮風を浴びながら、次々と繰り広げられるアーティストのパフォーマンスを堪能した。

コンサートは、慰霊の日の翌日を「うたの日」と制定し、「うた」への感謝を示そうとBEGINが呼び掛けて01年からスタートした。

ステージではHYや宮城姉妹、シンガー・ソングライターの藤原さくらさんらが登場し、BEGINと一緒に会場を沸かせた。

ブラジル・カーニバルの「マルシャ」の要素を取り入れて楽曲を演奏する「マルシャ・ショーラ」の部では90分間、「上を向いて歩こう」や「勝手にシンドバッド」「島人ぬ宝」などの曲に合わせて出演者と来場者が歌い踊った。

 

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沖縄の前田高地、現役米兵も関心 映画「ハクソー・リッジ」舞台

2017-06-25 05:42:20 | ニュース

NPOうらおそい歴史ガイド友の会は18日、多くの仲間を救った米軍衛生兵を主人公にしたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった前田高地など沖縄戦の激戦地になった浦添グスク周辺の戦跡巡りを実施した。現役の米海兵隊員や親子連れら175人が参加した。

友の会が2015年に一般を対象にした戦跡巡りを始めて以来、過去最大の参加数となった。米国では昨年11月に映画が公開されており、公開後、前田高地には多くの在沖米軍関係者らが訪れている。

前田高地は首里に置かれた第32軍司令部を守るため日本軍の防衛ラインが張られ、進攻してくる米軍を迎え撃った場所。米軍は同高地を、のこぎりで切ったような崖だとして「ハクソー・リッジ」と呼んだ。

戦跡巡りは五つの班に分かれ、それぞれのボランティアガイドが説明した。

友の会の銘苅則夫さんは「日本軍と米軍の両軍にとって戦死者が多く、ここはものすごい凄惨(せいさん)な場所だった」と説明した。

衛生兵として沖縄戦に従軍し、映画の主人公となったデズモンド・ドスさん(故人)は1995年に前田高地を訪れている。友の会の玉那覇清美事務局長は参加者に「この場所がドスさんがはしごを降ろした場所と言われている」と写真を使って説明した。

旧浦添村では全人口の約44・6%が沖縄戦で亡くなったといわれる。参加者は映画の舞台のほか、住民が避難したクチグヮーガマ、食料が備蓄されていた乾パン壕なども巡り、浦添の戦闘を学び、思いをはせた。

前田高地に訪れたのは2回目という米海兵隊の男性(52)は「いろんな所を見学できて良かった。本で読むのと実際に来て見るのでは感じ方が違う。なぜこんな小さな狭い場所で闘わないといけなかったのか。過去の悲惨な状況を思うとつらい」と感想を述べた。

映画は今年のアカデミー賞で編集賞と録音賞の2部門を受賞した。「ハクソー・リッジ」(配給・キノフィルムズ)は24日から全国で公開されている。

 

悪夢苦しんだ戦後 米映画モデルのデズモンド・ドスさん 95年来沖

前田高地に立つ元米陸軍衛生兵のデズモンド・ドスさん=1995年6月25日、浦添市(當義弘さん提供)

日本各地で24日から上映されている映画「ハクソー・リッジ」の主人公として描かれ、沖縄戦で武器を持たずに負傷兵75人を救出した衛生兵デズモンド・ドスさん(2006年死去)が1995年6月に沖縄を訪れた際、琉球新報の取材に応じていた。浦添市前田高地の戦闘で負傷したドスさんは戦後5年半、陸軍病院で入院生活を送り、戦時中の夢を見続けるなど、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のような症状に苦しんだことを明かした。「悪夢を見続けてきたが、今はもう見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と話していた。

ドスさんは取材時の95年は76歳だった。戦後に沖縄を訪れたのは69年に次いで2度目で、米陸軍の戦後50年記念行事などに参加するため、6月18日から28日まで11日間滞在した。
 ドスさんは1945年4月、米陸軍第77師団第307歩兵連隊第1大隊B中隊の衛生兵として沖縄に上陸した。キリスト教セブンスデー・アドベンチスト教会の信者で、聖書の「十戒」にある「汝(なんじ)殺すことなかれ」を守るため、銃を携行せずに従軍することを条件に志願した。「戦場に行って、人を殺すのではなく助けに行くためだった」と理由を話した。5月5日、前田高地の丘に上がったドスさんらB中隊の兵士は予想以上の激しい戦闘に巻き込まれていった。
◇   ◇   ◇
映画の題名になっている「ハクソー・リッジ(のこぎり崖)」とは浦添市の前田高地の切り立った崖を指す。映画のモデルとなったデズモンド・ドスさんは、45年5月5日に前田高地での戦闘にドスさんは同行した。

所属していた米陸軍第77師団第第307歩兵連隊第1大隊B中隊の約150人は崖をよじ登って丘の上に立った。「頂上で仲間のために祈った。無事に戻ることができるようにと」と振り返った。

しかし丘の奥には日本軍が潜んでおり、機関銃などで激しい攻撃を受けた。このためB中隊は撤退を決める。兵士が次々と崖下に下りたが、自力で動けない負傷兵は取り残された。

このためドスさんは丘にとどまり、日本軍の攻撃が続く中、一人一人を崖の近くに移動し、足の根元と胸の辺りにロープを通して崖下に下ろす作業を4時間にわたって繰り返した。「母親が子どもをなりふり構わず救うのと同じ。夢中だった」と当時を思い起こす。

翌日の戦闘で、塹壕(ざんごう)にいたドスさんは日本軍から手りゅう弾を投げ入れられ、足を負傷した。さらに5時間後に担架で運ばれている時、日本軍の銃弾を左腕に浴びた。グアムの陸軍病院に移送され、その後結核になって、片方の肺も摘出した。

入院中のドスさんを襲ったのが、戦時の光景がよみがえる悪夢を見続けることだった。「眠れぬ日が続き、眠っても夢の中で爆弾が破裂して自分が死んだ。戦友たちも爆死した。なぜか戦場にいる私のところに母親が来て、目の前で爆弾で亡くなる夢も見た。途中で起きて、涙を流した。戦友たちの中に、精神的におかしくなってしまった人を知っている。今はもう悪夢を見ない。自身の体験を語ることで克服することができた」と振り返った。

沖縄滞在中、前田高地を4度訪れた。理由について「行くことによって当時を確認する。そこで自分が体験したことを把握し直したかった」と話していた。(松永勝利)

◇今月初め、映画「ハクソー・リッジ」の予告編をネットで目にした。信仰を理由に武器を持たない衛生兵が多くの負傷兵を救出した物語だった。聞き覚えのある話だった。具志川支局(現在は中部支社に統合)時代に取材した元米兵のことだと気づいた。

自宅に保管している取材ノートを探してみた。見つかった。冒頭に「デスモンド・T・ドス氏」とボールペンで走り書きし、6ページのメモを残していた。

取材した当時、社会部に記事を送ったが掲載されなかった。戦後年の節目の「慰霊の日」を目前に、紙面は沖縄戦の記事であふれていた。私の記事は時機を逸してしまったようだ。映画上映を機に、22年前の取材ノートをめくり、記事を書き直すことにした。(松永勝利)

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