9.11について

2001年の9.11事件や、その他色々な感想、思い、などを書いていけたらなと、思っています。

9.11について <マネーを生み出す怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム>G・エドワード・グリフィン著 その7

2017年07月09日 | 日記
とあるスナックで
小林
いやー、この本の第二章も面白いですね。現在の各国の政府の債務の問題がわかりますね。ギリシャ政府の債務問題もその裏側がわかりますね。そもそも銀行は債務が返済されないことはわかっているんですね。返済されなくても一向に構わないんですね。

コー
そう、その仕組みがこの章を読むとわかる。Pー45
第2章 ゲームの名は銀行救済
前章では、連邦準備制度(FRS)を考案したジキル島グループは、じつは大銀行が支配する国家的なカルテルを生み出したのだと述べた。また、このカルテルの第一の目的は、連邦政府を巻き込んで、銀行のオーナーが不可避的にこうむる損失を納税者に肩代わりさせることだとも言った。これはもちろん本書で展開される、異論を呼ぶであろう主張の一つである。だが、じつのところ、FRS創設以来積み重ねてきた歴史を見れば、ほかの解釈の余地はほとんどない。そこでもう一度時代を飛び越えてみよう。この物語は1910年から始まったが、ここで一足飛びに現代に移る。

銀行の損失がどうして納税者の負担になるのかを理解するためには、まずFRSの仕組みがどんなものかを知る必要がある。ある程度、手続きや方法がわかっていないと、プロセス全体が混沌とした理解不能なものに見えるおそれがある。
たとえば隔絶した南の島で外の世界のことを知らずに生涯を過ごしてきたとしよう。それが初めて本土に旅して、プロ・フットボールの試合を観戦したらどうなるか。他の星から来たエイリアンのようなかっこうの男たちが身体をぶつけ合う。奇妙なかたちをした物体が飛ぶ。その物体がとても価値のあるものであるかのように、男たちは奪い合う。しかも、ときにはどうでもいい、いらないもののようにエリアの外に蹴り出す。追いかけっこをしては相手を地面に突き倒し、今度はそれぞれのグループに分かれて、また始めからやり直す。そのあいだじゅう、とりたてて理由があると思えないのに、何万人もの観客がいっせいに怒号をあげる。それがフットボールの試合で、試合にはルールがあるという基本的なことがわかっていないと、まったくわけのわからない狂気の沙汰としか感じられないだろう。

FRS(連邦準備制度)を軸にしたアメリカの通貨制度もプロ・フットボールのようなものだ。第一に、状況に応じてわずかなバリエーションはあるものの、繰り返し展開されるプレーがある。第二に、プレイヤーたちが厳に守らなければならない明確なルールがある。第三、ゲームにははっきりとした目的があり、プレイヤーはみなその目的を最優先している。第四、観客がその目的を知らず、ルールも理解していないと、なにが起こっているのかまるでわからない。そして通貨制度については、現在はほとんどのアメリカ人がそういうわけのわからない状態に置かれている。

そこで、目的は何で、プレイヤーは何をめざしているのかをわかりやすく説明してみよう。謎めいた雰囲気を取り払うために、最初に全体像をつかむことにする。全体の考え方がわかったところで、最近の実例に即して確かめればいい。

このゲームの名前は「銀行救済」だ。先に述べたとおり、ゲームの目的は大銀行のオーナーが不可避的にこうむる損失を納税者に肩代わりさせること。この目的を達成する手続きは、次のようになる。・・・・



ママ
まったくわからないわよね、ルールが。なんなの格好、なにもスポーツやるのに、ヘルメットまで付けることないでしょ。

小林
なんだママ、アメリカン・フットボールのことだったの。たしかに慣れないと、ルールがわからないとチンプンカンプンですね、あれは。
この「銀行救済」のゲームのルールもちょっとややこしいですね。

ママ
そうなの?。こないだようやく「信用創造」の仕組みが分かってきたと思ったんだけど、またややこしい「仕組み」なんじゃないのかしら。頼みますよ、私にもわかるように。

コー
大丈夫だよ、ママ。ゆっくりみんなで考えながら読んでいけば大丈夫だよ。中世の金細工師の「無からお金を産む仕組み」がわかったんだから。あれがいまの通貨制度の原型なわけだから、これからの話もわかると思うよ。

ママ
そうかしら、そうだといいんだけどね。わたしはっきり言って頭が混乱しちゃっているのよ。

小林
いやいやママ、わからなくて当然なんじゃないんですか。みんなわからないんですよ、いまの金融制度、通貨制度の根本のところが。
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9.11について  <マネーを生み出す怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム>G.エドワード・グリフィン著 その6

2017年07月08日 | 日記
とあるスナックで

小林
連邦準備制度を廃止すべき7つの理由が書かれているんですけど、その第一の理由が、ここに書かれていますね。 Pー41

これが、経済を安定するためにつくられたFRS(連邦準備制度)創設後80年のスコアカードなのだ!制度が謳い文句にしている目的を達成できなかったことに議論の余地はない。しかも長い年月がたち、首脳陣は交代し、両政党政権下での活動を経て、さまざまな通貨哲学の実験が行われ、そしてほぼ100回も法が改正され、また数えきれないほどの新しい処方箋や技術が開発されたのだから、ただの手続き的な欠陥ならばいくらでも解決できたはずだ。したがって制度が失敗した原因は新しいルールやもっと賢い理事が必要だというようなことではなく、そもそも高言した目的の達成は不可能だからだという結論がでるのもあたりまえだろう。

ある制度が目的を達成できないなら、制度の能力を変更するような改正がおこなわれないかぎり、制度存続の理由はない。当然なぜこの制度は高言した目的を達成できないのか、という疑問が生じる。そこで出る厳しい回答はこうだ。じつは高言した目的と真の目的とはべつだった。制度創設の状況に気づき、制度を生み出したのがどんな人々だったかを考え、長年の実績を振り返れば、この制度が政府機関を装ったただのカルテルであることは明白だ。もちろん制度を運営している人々が完全雇用の維持、高い生産性、低いインフレ率、そして一般的に健全な経済をめざしていることは疑いない。美しい金の卵を産むニワトリを殺そうとは毛頭、思っていないだろう。だが公共の利益とカルテルの私的ニーズが衝突する場合には・・・ほぼ毎日のように起こる衝突だが・・・公共の利益のほうが犠牲にされる。それがこの怪物の本来の性質だ。カルテルがほかの行動をとると期待するほうが愚かしい。・・・・。

Pー43

フーヴァー戦争・革命・平和研究所の元研究員で、元カリフォルニア大学ロサンゼルス校経済学教授でもあるアントニー・サットンは、もう少し深い分析をおこなって、こう書いている。

アメリカ社会をウォール街のために働かせようというウォーバーグの革命的なプランは、驚くほどシンプルだった。現在でも・・・学会の理論家は黒板を無意味な等式で埋め、一般市民はインフレと迫る信用崩壊という不思議な現象を前にあたふたしているが、この問題はきわめて簡単に説明がつくことは誰も論じないし、ほとんど理解されていない。連邦準備制度とは、民間機関が合法的に通貨供給を独占し、表向きは公共の利益の擁護推進というお題目を掲げて、その実、少数者の利益のために運営している制度だ、ということだ。



コー
なるほどね、経済を勉強している人の中にも、ちゃんとわかっている人もいた訳だ。

ママ
なにいってるのよ、コーさん。経済を勉強しているんだから、わかるはずじゃないの?

コー
ところがそうじゃないんだな。教科書に書いてあることが100パーセント正しいと思っちゃってるから、わからない人が意外と多いと思うよ。

ママ
へー、そんなもんかしら。私なんか学校であんまり勉強しなかったからかえって良かったのかしら。

コー
そう、ママみたいに赤点、赤点ばっかりとっていた人の方がこの壮大な詐欺の仕組みが分かるかもね。

ママ
何言ってんのよ、ほんとに。赤点なんてとっていませんよ、失礼しちゃうわね。すれすれだったけど。


小林
それにしても少しづつ、少しづつですけど、私たちもだんだんわかってきましたね、お金の仕組み、通貨制度が。最初は<無からお金が生まれる>とか、<信用制度>とかは、なにがなんだか分からなかったですからね。

コー
まったくだ、<信用制度>とは、実は世間の<無知>によって成り立っているということだったわけだ。
彼の言っている意味が少しづつわかってきたな、少しづつだけど。

現代の銀行制度は、貨幣を無から作り出す。
その手口は、これまで発明された中でも最も驚くべき詐術といえよう。
銀行は、不正によってつくられ、罪のうちに生まれた。

銀行家は世界をその手に握っている。
銀行家から世界を取り戻しても、貨幣を生み出す力は彼らの元に残されており、
ペンをちょっと走らせるだけで、それを買い戻すに充分な貨幣を創造できるのだ。

その絶大な力を彼らからとりあげよう。
そうすれば鉱山のような莫大な富は消え失せる。
それは消え失せるべきなのだ。
そうすれば、この世界はより良く、より幸せになるであろう。


しかし、もしも諸君が銀行家の奴隷であり続けることを望むなら、

銀行家にこのまま貨幣の創造と信用取引を支配させていけばよい。


    ジョシア・スタンプ卿 元イングランド銀行総裁(1928~1941)
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9.11について <マネーを生み出す怪物 連邦準備制度という壮大な詐欺システム> G・エドワード・グリフィン著 その5

2017年07月02日 | 日記
とあるスナックで

小林
この本のP-178にこう書いてありますね。

マネーとは交換手段として受け入れられるものだ。そして、以下のように分類されるだろう。

1:商品貨幣

2:預り証貨幣

3:強権(不換)貨幣

4:部分準備貨幣

この四つの違いさえわかれば連邦準備制度全体を理解できるし、経済や国家にとってどんな価値を持っているかも判断できる。ではもうすこし詳しく見ていこう。ーーーー。

そして P-209には

次に四番目のかたちのマネーに目をむけてみよう。部分準備貨幣という非常に興味深い概念である。この概念を理解するためには、もう一度欧州に戻って、料金を取ってお客の貴金属硬貨を預かっていた昔の金細工師の慣習について考えてみなければならない。

硬貨を預かっていた金細工師のほかに、硬貨を貸し出す「金貸し」という商売人がいた。金細工師は自分たちも同じ商売を、ただし他人のマネーを使ってできると思いつく。預かった硬貨を金庫で眠らせておくのはもったいない、というわけだ。貸し出して利潤を生ませ、それを預けた客と分け合えばいいではないか。ほこりをかぶっている硬貨を働かせよう。金細工師は経験から、預けた客がいっぺんに返せと要求してくることはほとんどないと知っていた。預かった硬貨が引き出される率はせいぜいで10パーセントから15パーセント、それを超えることはめったにない。そこで80パーセントから85パーセントぐらいまでは貸し出しても危険はないと思われた。こうして預かり業者が顧客の代行として金貸しの仲介を始め、いまのわたしたちが知っている銀行の考え方が生まれた。
と、たいていの歴史の本には書いてあるが、じつはこれには遊んでいる金を働かせるというだけではすまないことがからんでいる。まず金利収入を預金者と分かち合うというのは、当初はなかった考え方だった。このやり方が一般的になったのは、何年もたって、預金者が腹を立て、貸し出しが自分たちの利益になると確認したがってからだ。はじめは自分たちの硬貨が貸し出しされていることすら知らなかったのだ。預金者は無邪気にも金細工師は自分のマネーを貸していると考えていた。

預金は貸し出せない

第二に、預金者が利潤の一部を受け取るかどうかにかかわらず、そもそも金庫のなかの硬貨を貸し出していいのか、ということを考える必要がある。チャーリー・スミスの家でポーカーをすると考えよう。参加者は銀行役のチャーリーに20ドルずつ預け、チャーリーはマネーを箱に入れて、代わりにポーカーのチップを20枚ずつ配る。誰かが引き上げるときには、そのとき持っているチップを換金できるというのが互の了解事項である。そこへチャーリーの義弟のラリーが現れる。ポーカーをしに来たのではなく、マネーを借りに来たのだ。ポーカーの参加者が六人で箱のなかに120ドルあり、これがちょうどラリーが必要とする額だった。さてチャーリーがこの「遊んでいる」マネーを貸そうと決めたらどうなるか。そのマネーは貸せるマネーではない。

チャーリーもゲームの参加者も、そのマネーを貸してやる権利はない。マネーはチャーリーと客の契約が終了するまで、いわば「預託」されたものだからである。そのマネーはもうマネーとして存在していない。マネーは・・・少なくとも考え方のうえでは・・・ポーカー・チップに代わったのだ。誰かがラリーの話に同情してマネーを貸してやろうと考えるなら、自分が持っているマネーを貸すか、チップを換金して貸さなければいけない。もちろん、チップを換金すればゲームは続けられない。預けたマネーを使ったり貸したり誰かにやってしまったりして、しかもチップに価値があると主張することはできないのだ。

あなたがある組織のメンバーで、年次総会で友人に投票を委任したとすれば、そのあとに自分が総会に出て委任した票に加えてさらに一票を投じることはできない。同じく銀行業が生まれたころには、マネーとして流通した証書は事実上、硬貨の委任票だった。だから預けられた硬貨は貸し出せない。マネーとしての価値は証書のほうに移っている。証書の持ち主が硬貨を貸したいと考えたら、まず証書を返さなければいけない。証書たる紙幣を使い、同時に硬貨をマネーとして貸していいと銀行に許可することはできないのだ。硬貨を使ったり貸したり誰かにやってしまったりして、しかも証書にマネーとしての価値があると主張することはできないのである。

ここまでは常識の範囲だ。だが誠実なビジネスの契約という点では、ほかにも問題がある。銀行が硬貨を貸し出しのベースとして使えば、預金者が預金を引き出しに来たとき、その契約上の義務に応じる硬貨は金庫に残っていない。言い換えれば、ある種の状況では契約は履行されないことを知っていて、契約を結んだことになる。だが、銀行はそのことを説明しなかった。市民は、遊んでいるマネーを働かすことに同意すれば、経済の活性化に役立ち、少々の利潤も稼げると信じ込まされた。これは魅力的な提案だったから、この仕組みは燎原の火のように広がった。


コー
ここまでの話は、天野統康の本(詐欺 経済学原論 P-68)の中に出てくる、詐欺の第一段階の話だな。つぎは第二段階の話か。


小林
そうですね。 P-212

部分準備制度銀行

借り手はもちろん融資をうけるときに、かさばる硬貨よりも紙幣のほうが便利だと考える。そこでふつうは硬貨は安全のために金庫に戻して、その預り証を受け取る。前にも見たとおり、この預り証は商売でマネーとして通用する。この時点で、ことはさらに複雑になる。元の預金者は銀行にある硬貨全額の預り証を受け取っている。銀行は今度はその預り金の85パーセント分の預り証を発行し、借り手はそれを受け取る。これは元の預り証のほかにさらに発行された預り証だ。硬貨に比べて85パーセント多い。こうして銀行は85パーセントのマネーを創出し、借り手を通じて流通させる。言い換えれば、インチキな預り証を発行することでマネーサプライを人為的に拡大させたわけだ。ここで預り証は100パーセントの金の裏づけを失う。100の金に対して185の預り証が発行されているから、54パーセントの裏づけしかない。だが何も知らない一般市民は追加の預り証にも古い預り証と同じ価値があると考えて受け取る。預り証には金の裏づけがあるが、しかし裏づけがあるのは額面の一部だけである。こうして預り証は私たちが「部分準備貨幣」とよぶものになり、これが生み出される仕組みを「部分準備制度」銀行と呼ぶ。

残念ながら、この欠陥は説明されたことがなかった。銀行は一般市民に聞こえるところでこの現実について議論するのはよくないと決めた。これらの事実は専門家だけの秘密になった。預金者は、銀行が自分たちのマネーを貸し出してしまい、しかも引き出したいと言ったら返してくれるのはいったいどういう仕組みなのか、という疑問をもたないほうがいいとされた。代わりに銀行は重々しい雰囲気を漂わせ、いかにも安定していて、説明責任も充分であるように見せかけ、厳格とは言えないまでも真面目に行動しているふりをし、政府の建物か寺院のような壮麗な建物をつくった。どれもみな、要求があれば契約どおり返金できますという間違ったイメージを支えるためである。・・・・


コー
銀行で働いている一般の銀行員はこの仕組みを知らないし、直接は関係ないんだろうけど、アメリカの「連邦準備制度」をつくった連中はこの事を百も承知なわけだ。この仕組みは彼らにすればまだまだ序の口の秘密だったんだな、この本を読んでいくとだんだんと分かってくるし、ミステリー小説を読んでいくような感じだな。

でも、現実の本当の姿が見えてくると、愕然とするねまったく。
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