とあるスナックで
小林
高橋洋一は、かつての(大蔵省)で働き、そして小泉政権下で、竹中平蔵総務大臣の補佐官として働いていたんですね。 P-171
それで竹中大臣に、統計数字は見かけ上高めに出ているが、実際はマイナスだという話をした。そのため、竹中大臣は閣内で唯一、量的緩和の解除に反対した。中川秀直自民党政調会長も、この話を聞いて反対した。当時の政府与党の幹部で反対した人は二人だけだった。しかし、政府与党は日銀を強く支持する与謝野経済財政担当大臣が押し切った。
こうした中で、福井俊彦総裁は量的緩和政策の解除を強行した。その時、私は半年から1年後くらいに景気が反転して下向くと予想した。量的緩和の効果がタイムラグを伴って、後になって発生することを数量的につかんでいたからだ。
この悪い予想は当たった。そして、あと一歩のところまで来ていたデフレ脱却に成功しないまま、08年9月のリーマンショックを迎えることになる。
リーマンショック後は、欧米の中央銀行が量的緩和政策をとる中で、白川方明現日銀総裁は量的緩和をしなかった。その結果、日本はリーマンショックの震源地ではないにもかかわらず、世界一デフレの影響を強く受けている。06年3月以降、日銀は物価の安定を「消費者物価上昇率0~2%と理解する」としているが、リーマンショック以降全く守られていない。
こうした日銀総裁3代に続く歴史からは、
デフレが進み景気が最悪の状況に陥ってから景気対策を行い、
デフレ不況の脱却が見えてくるとすぐに景気対策を止めて
デフレに戻すという一貫した政策が見えてくる。
まるで、わざとデフレを維持する政策をとっているかのようでもある。
いつまでもデフレを脱却できない日銀の政策は「デフレターゲット政策」と揶揄されているが、私はそれもあながち
冗談ではないと思っている。
コー
その通りだと思う。それは単に日銀のプライドとか、財務省に対するコンプッレックスとか、金融政策や通貨政策の主導権を握りたいという事だけでは、説明がつかないのではないだろうか。
日銀がとった政策で国がどれほどひどい状態になるかは、彼らはわかっていたんだと思う。
彼らが考える<日本の構造改革>を押し進むようになるには、景気が回復しては都合が悪かったんだろう。
日本が以前のように他国に輸出をバンバンして黒字を稼ぎ、他国の産業を潰してしまうようにならないために。
日本が二度とそんな国にならないように、<日本の構造改革>をしなければならないと、本気で思っていたのではないか。
もちろんそんな考え、理屈は日本人から出るわけはない。
日銀の後ろにいるところ、そして政府や官僚の後ろにいる人間からか?。