がらりと話がかわります。
中里介山の『大菩薩峠』をご存じでしょうか? 1巻は、青空文庫にも入っていまして、無料で読めます。
って、実は私、読んでいません。
えーと、幕末を舞台に、虚無的な剣士が、奇妙な因縁の世界をさまよう、と一言でいっちゃっていいんでしょうか。
いえ、最初に土方歳三を含む、初期の新撰組が登場するというので、読んでみたいな、とは、ずっと思っているのですが、戦前の小説ですし、あまり格好よくは描かれてないのだろうな、と予測して、いまひとつ手が出なかったり。
しかし、なんとなく不思議ではあったんです。
粗筋などを見てみますと、主人公をはじめ、登場人物はほとんど架空なのに、新撰組関係だけが、近藤、土方、芹沢鴨、清川八郎と、あらわれるみたいで。
これを読んで、謎がとけました。
中里介山って、多摩の人だったんですね。で、大菩薩峠がそもそも、多摩にあったとは。
で、明治の多摩の自由民権運動。新撰組と自由民権運動 で書きましたけれども、新撰組のスポンサーだった小島鹿之助は、明治の自由民権運動のスポンサーでもあり、土方歳三の姉の嫁ぎ先、佐藤家も運動にかかわっていたらしい、という程度は知っていたのですが、中里介山が幼い頃、つまり明治、多摩の自由民権運動家たちは、三多摩壮士と呼ばれていたんだそうなんです。
三多摩壮士って………。えーと、いまひとつ理解できていないのですが、ともかく、特殊な風土がありまして、大人しいものではなかったんですね。過激、といった方がはやいでしょうか。もちろん、演説もしましたが、資金強奪とか武器製造とか。
なんでも、明治22年、大隈重信に投げられた爆弾も、もとはといえば、大阪事件のために三多摩壮士が製造したものだったとか。いえ、投げたのは三多摩壮士じゃないんですけど。
いや、まあ、風土というものは、おもしろいものですねえ。
もっとも、私がこの本を読んだのは、なにも新撰組を育んだ風土について、知りたかったわけではなく、以前に、モンブラン伯爵は大山師か で書きました、昭和6年発行の中里機庵著「幕末開港 綿羊娘(ラシャメン)情史」、この中里機庵って、もしかして中里介山の別名ってことはないんだろうか、とか、思ってみたりしまして。
で、どうだったか、といいますと、さっぱりわかりません。ただ、介山は、幼い頃に実家がおちぶれて、横須賀で貿易商をしていた母親の実家を頼った、という話で、可能性としては、ありそうです。
えーと、母親の実家も多摩だったんですけど、多摩は生糸の産地ですから、貿易に手をそめる者も多かったんですね。
そういえば、横浜開港以前から、多摩と神奈川をつなぐ絹の密輸ルートがあったのではないか、というような話を、昔、読んだことがあります。また、その本が出てこなかったりするのですが。
ぐぐったら、出てきました。辺見じゅん著『呪われたシルク・ロード』 (1975年)です。
いえ、これ、別にホラー小説ではなく、地道に土地の言い伝えや資料をさぐったドキュメントです。
ともかく、なんだか、不思議な土地柄ではないでしょうか。
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って、実は私、読んでいません。
えーと、幕末を舞台に、虚無的な剣士が、奇妙な因縁の世界をさまよう、と一言でいっちゃっていいんでしょうか。
いえ、最初に土方歳三を含む、初期の新撰組が登場するというので、読んでみたいな、とは、ずっと思っているのですが、戦前の小説ですし、あまり格好よくは描かれてないのだろうな、と予測して、いまひとつ手が出なかったり。
しかし、なんとなく不思議ではあったんです。
粗筋などを見てみますと、主人公をはじめ、登場人物はほとんど架空なのに、新撰組関係だけが、近藤、土方、芹沢鴨、清川八郎と、あらわれるみたいで。
『中里介山 辺境を旅するひと』風人社このアイテムの詳細を見る |
これを読んで、謎がとけました。
中里介山って、多摩の人だったんですね。で、大菩薩峠がそもそも、多摩にあったとは。
で、明治の多摩の自由民権運動。新撰組と自由民権運動 で書きましたけれども、新撰組のスポンサーだった小島鹿之助は、明治の自由民権運動のスポンサーでもあり、土方歳三の姉の嫁ぎ先、佐藤家も運動にかかわっていたらしい、という程度は知っていたのですが、中里介山が幼い頃、つまり明治、多摩の自由民権運動家たちは、三多摩壮士と呼ばれていたんだそうなんです。
三多摩壮士って………。えーと、いまひとつ理解できていないのですが、ともかく、特殊な風土がありまして、大人しいものではなかったんですね。過激、といった方がはやいでしょうか。もちろん、演説もしましたが、資金強奪とか武器製造とか。
なんでも、明治22年、大隈重信に投げられた爆弾も、もとはといえば、大阪事件のために三多摩壮士が製造したものだったとか。いえ、投げたのは三多摩壮士じゃないんですけど。
いや、まあ、風土というものは、おもしろいものですねえ。
もっとも、私がこの本を読んだのは、なにも新撰組を育んだ風土について、知りたかったわけではなく、以前に、モンブラン伯爵は大山師か で書きました、昭和6年発行の中里機庵著「幕末開港 綿羊娘(ラシャメン)情史」、この中里機庵って、もしかして中里介山の別名ってことはないんだろうか、とか、思ってみたりしまして。
で、どうだったか、といいますと、さっぱりわかりません。ただ、介山は、幼い頃に実家がおちぶれて、横須賀で貿易商をしていた母親の実家を頼った、という話で、可能性としては、ありそうです。
えーと、母親の実家も多摩だったんですけど、多摩は生糸の産地ですから、貿易に手をそめる者も多かったんですね。
そういえば、横浜開港以前から、多摩と神奈川をつなぐ絹の密輸ルートがあったのではないか、というような話を、昔、読んだことがあります。また、その本が出てこなかったりするのですが。
ぐぐったら、出てきました。辺見じゅん著『呪われたシルク・ロード』 (1975年)です。
いえ、これ、別にホラー小説ではなく、地道に土地の言い伝えや資料をさぐったドキュメントです。
ともかく、なんだか、不思議な土地柄ではないでしょうか。
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