郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

近藤長次郎本出版計画と龍馬 vol2

2013年04月20日 | 近藤長次郎
 近藤長次郎本出版計画と龍馬 vol1の続きです。

 出版話にいきます前に、知野氏のご著書の紹介を。
 いえ、ですね。近藤長次郎とライアンの娘シリーズを書き始めました去年の12月、「坂崎紫瀾について書かれた本はないの?」と検索をかけていましたところが、『「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾』という知野氏の本が、近々出版予定らしいと知りまして、題名からしますとぴったり私の求めるもののようでしたし、はずれたらはずれたときのことと、アマゾンに予約を入れておりました。

「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾
知野 文哉
人文書院


 2月に届きまして、実際、思った通りぴったりの本でした。
 明治、坂崎紫瀾の著作を中心としまして、龍馬像にどういう変遷があったのか、丁寧に跡づけられております。
 これ、私、ぜひ桐野利秋でやりたいことなんです。
 本当に龍馬が好きで書かれたのだろうなあと、知野氏の熱意が感じ取れ、頭が下がります。

 もしかしまして、明治に限定しましたら、龍馬よりも桐野の人気の方が高いのではないでしょうか。桐野は河竹黙阿弥の歌舞伎の登場人物ですし、錦絵も桐野の方がはるかに多いでしょうし。
 人気がひっくり返りましたのは、おそらく戦後であるような気がします。

 なんとも皮肉と言いますか、実際の龍馬は自由民権運動にはなんのかかわりも持ちませんでしたのに、甥がかかわっていたこともあって、坂崎紫瀾により、元祖自由民権運動の闘士に祭り上げられ、戦後、まるで民主主義の旗手のような描かれ方をします。

 一方、桐野利秋は、同時代の薩摩の歴史家・市来四郎が、「世人、これ(桐野)を武断の人というといえども、その深きを知らざるなり。六年の冬掛冠帰省の後は、居常国事の救うべからざるを憂嘆し、皇威不墜の策を講じ、国民をして文明の域に立たしめんことを主張し、速に立憲の政体に改革し、民権を拡張せんことを希望する最も切なり」と言っておりますのに、無視されてしまいます。

 ちなみに明治の民権論とは、国権と相反するものではありませんで、「国民の権利が拡張することによって国民は帝を慕い、国力もゆるぎのないものになる」というものですから、桐野はれっきとした民権論者だったわけです。

 私、ipadでKindleのデジタル本が読めるようになり、Jinを買ってみたんですが、TVでは出ておりませんでした半次郎(桐野利秋)が、龍馬暗殺にからんで、とてもいやな感じの人物として出てまいりました。

JIN―仁― 12 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)
クリエーター情報なし
集英社


 全体として、Jinはおもしろかったのですが、この漫画の気持ちの悪い中村半次郎しか知らない人々も確実にいるわけでして、私、つい、なんとかしなければと焦ってしまいました。

 知野氏が書いておられますが、現代の龍馬伝説は、司馬氏の『竜馬がゆく』が元ではあるのですが、これをもっとわかりやすくしました武田鉄矢原作の漫画『お~い!竜馬』によって、育てられた面も大きいようです。

お~い!竜馬 (第18巻) (ヤングサンデーコミックス)
武田 鉄矢,小山 ゆう
小学館


 これもデジタルになっておりましたので、近藤長次郎がどう描かれているのかを見るために、買いました。
 若いころの私の龍馬嫌いは、武田鉄矢嫌いが高じたようなものでもあり、この『お~い!竜馬』、意識的に、まったく読んでいなかったんです。
 ところが、久しぶりに会いました大阪の友人がですね、私のiPadにこれが入っているのを見まして、「昔、従兄弟に借りて読んだんですが、岡田以蔵と武市半平太がいいんですよ。泣けました」とおっしゃったのには、驚きました。

 知野氏が冒頭に書いておられるんですが、明治9年に出版されました近世報国赤心士鑑(安政5年から慶応3年に死んだ志士の番付)において、リンクでごらんのように(PDFですと文字がちゃんと読めます)竜馬は土佐人の中ではトップでして、中岡慎太郎、武市半平太と続きます。
  坂崎紫瀾の『汗血千里駒』出版以前から、志士としての知名度は、高かったようです。

 今回、私、近藤長次郎が出発点ですから、知野氏の『「坂本龍馬」の誕生: 船中八策と坂崎紫瀾』が届いてまず、関係部分から読ませていただきました。
 近藤長次郎が直接出てくるわけではないんですけれども、近藤長次郎が長崎で落命しましたとき、龍馬が京都にいたことにつきましては、明治29年に出版されました弘松宣枝『阪本竜馬』(近デジにあります)に、すでに書いてあったんですね。ブログを書き直さなければ!と、焦ったような次第です。

 もう一つ、肝心な部分ほぼ4行分に黒々と墨線が引いてあります井上馨関係文書第92冊「近藤長次郎伝」、なのですが、文章がほぼ一致して、この部分になにが書いてあるのか推測できます史料があると、知野氏は脚注で書いておられたんです! 
 明治30年代にまとめられたと推測される瑞山会編の『近藤長次郎傳』です。

 私、そんなものがあろうとは、まったく存じませんでした。
 ただちょっと、私が不審に思いましたのは、知野氏は、瑞山会編『近藤長次郎傳』において、「近藤がユニオン号購入に際して長州と金銭の授受を行い、それを資金に洋行しようとしたが露見して切腹したと記されている。もうここまで来ると完全に業務上横領扱いである」 としておられるのですが、井上馨関係文書第92冊「近藤長次郎伝」にそんなことが書いてあるとは、私には思えませんでした。

 近藤長次郎とライアンの娘 vol5に原文を引用しておりますが、「ユニオン号の売買に多額の金が動くのを目の当たりにして、聞多に頼んで金を借りた」とのみ書いておりまして、当時、こういった武器や船の売買には、リベートが動くのが一般的でして、これより後のことになりますが、薩摩脱藩で、桐野の友人の中井桜洲が、船の売買の仲介をして、後藤象二郎に洋行費用を出してもらい、帰国後は海援隊に入っていたりします。
 そういう中で、もらったのではなく「借りた」と明記しているのですから、これはむしろ、横領を否定した記述です。
 
 ともかく、瑞山会編『近藤長次郎傳』を読まなければ!!!となりまして、いったいどこにあるものなのか、ちょうど青山のじじい(田中光顕)の手紙をさがしていたこともありまして、高知の青山文庫に問い合わせました。
 結局、わからなかったのですけれども、学芸員の方が非常に親切でおられまして、知野氏のご著書で知った旨を申しますと、「数日後に知野氏にお会いする予定があるので、聞いてみます」とおっしゃってくださったんです。

 数日後、お伝えいただいた知野氏のお答えは、「個人蔵」ということでして、つまり、それでは私は見ることができませんので、がっかりしたのですが、詳しいことはメールでならばお答えします、と知野氏が言ってくださったとのことでしたので、私、ご好意に甘えてメールで問い合わせました。
 知野氏は、実に丁寧にお答えくださり、「業務上横領扱い」 は撤回してくださった上で、同一の文章だと、保証してくださいました。
 この件はまた、全体を書き直します中で取り上げなければなりませんが、実にいろいろと勉強させていただきました。

 ただ、知野氏のご本、史料探索の話になって参りますと、ちょっとわかり辛くなってきますのが玉に瑕なのですが、推測を重ねるしかない部分も多いわけですから、おそらく、致し方のないことなのでしょう。
 なにより、この愛と情熱を見習わなければ、と思いまして、うーん。

 私、どうせ出すならば一般受けする本にしたいと欲を出すあまりに、千頭さまご夫妻のインタビュー記事を入れたい、とか、どうも、よけいなことを考えすぎていたような気がします。
 山本栄一郎氏がおっしゃるように、シンプルに、埋もれた近藤長次郎の実像を、それぞれの方向で史料から発掘してみてみれば、いいのでしょう。

 しかし、山本氏は現在、ご専門の長州に関係しましたことで、ものすごく大きな発見をなさっておられまして、これは、私にとりましてもとても楽しい発見で、発表が待ち遠しいのですが、えー、山本さま、こちらも見捨てないでくださいまし(笑)

 次回、書きかけのシリーズにもどるか、旅行記にするかで、ちょっと迷っております。

クリックのほどを! お願い申し上げます。

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