母を連れて、見てきました。
実は見ようかどうしようか、かなり迷っていました。
なにしろ片道特攻の大和です。片道しか燃料を積んでいなかった、というのは伝説らしいですけどね。に、しましても、特攻であったことはたしかです。
悲壮美が嫌いなわけじゃあないんですけど、あんまりこれでもかと、じめじめ悲壮を強調されるのは好きではないですし、悲壮と言うより、無惨になりかねない。
あるいは軽々しく「戦争はいやです!」なんぞと陳腐なことを登場人物が叫んで、お定まりの安易な反戦ムードを出されても、うんざりします。
どうしようか、と迷っていましたところ、週刊新潮で福田和也氏がほめてらしたんですね。「するべき仕事をしている、という描き方で、あの世代の人々への畏敬の念があるのがいい」というようなほめ方で、それなら見てみたい、となったわけです。
母も見たい、ということで、戦中世代と『男たちの大和』を見ることとなりました。
えーと、その、結論から言いますと、私は泣きっぱなし。
母はまったく泣きませんで、「いい映画だった」と。
そうなんです。泣かないかわりに、ぶつぶつつぶやくのです。
母「昭和20年4月? えーと、昭和20年っていうと……」
私「終戦の年。ちょうど、あんたが学徒動員で軍需工場に行ったころ」
母「終戦の年か。ああ、いやな音! あの小憎らしいB29が……」
ここで私は、母の足を蹴って黙らせました。
おかーさん、B29は爆弾や焼夷弾を落としたのであって、機銃掃射であんたを狙ったのは、護衛戦闘機の、おそらくグラマンよ。
それに、戦艦大和に襲いかかっているのは、B29じゃないわよ。
母の話では、あまりにB29が小憎らしいので、みんなでナギナタを振りまわして悔しがったけれども、ナギナタを振りまわしたところでどうなるわけでもなし、もう負けるだろう、とは、わかっていたのだそうです。
母が軍需工場で造っていたのは、紫電改の翼だったそうなのですが、終戦で、結局飛ばなかったそうです。母が造った紫電改なぞ、空中分解するに決まっていますので、飛ばなくて幸いでした。
その軍需工場よりも先に、実家が焼けて、母は親元へ帰っていいことになりました。母が親の避難先にたどり着いたころ、軍需工場は本格的な爆撃を受け、母の同級生は多数、犠牲になっています。
まあ、そんなわけでして、母にとっては現実だったわけですから、悲惨とも思わず、泣けもせず、「小憎らしいB29と闘う男たちは美しい。いい映画だった」と、なったもののようです。
私も、いい映画だったと思います。
そりゃあ、突っ込み所は多々あります。
DVDで見た『トラトラトラ!』などとくらべると、戦闘シーンに今ひとつ、迫力がありませんし、映画ですから、あまり汚く描くのもなんですが、原爆にあったら、いくらなんでもあのきれいな顔は不自然だろう、とか。
ああ、一番不自然だったのは、音楽ですね。いい音楽でしたが、せめて水葬シーンは、『海ゆかば』を流してくださいな。後ね、『軍艦マーチ』のない帝国海軍なんて、帝国海軍じゃありませんわ。
パンフレットを買って読みましたが、大和生き残りの方も、『海ゆかば』『軍艦マーチ』『君が代』を、挙げておられるじゃありませんか。
海上自衛隊にも吹奏楽団はあるでしょうに。フランス陸軍の吹奏楽団ギャルド風に編曲して演奏していただければ、映画のスピード感にもぴったりだったはず。
しかし、心配した軍人らしい動作は、海上自衛隊の全面協力で、見事に、きびきびとした海軍らしさを再現していましたし、専門職に徹する男たちの描き方は、淡々としていて、よけいな思想性がなく、あざとさもなくって、かえって泣けました。
そうなんです。
淡々と描かれているだけに、もう、戦艦大和が姿を現しただけで、泣けました。
こんなに泣けた映画は、生まれて初めてです。私は、あんまり映画で泣かないんですけどね。個人に感情移入して映画を見る質ではないので、集団の運命では泣けても、個人的な悲劇では、泣かないんです。
最近では、そうですね、『ロード・オブ・ザ・リング』の『二つの塔』で、ローハンの闘いぶりに泣いて以来の、映画で涙、でした。
『二つの塔』のローハンの描き方は、とても日本的で、「あんたらは太平洋戦争の日本軍か」と思ったんですけど、あの場面、黒澤明監督の影響が強い、という話で、納得しました。
で、「どうして、日本人がああいう戦争映画を撮らないわけ?」と思っていたんですけど、今回は、そういう戦争映画、だったですね。
戦艦大和は、大艦巨砲主義の象徴であり、戦後、海軍内部からこそ、強い批判にさらされたわけですし、無謀であった太平洋戦争の反省材料の象徴でもあるのですが、一方で、近代日本の夢の象徴であったこともまた、事実です。
幕末、黒船の脅威を目前にして、島国日本の意識は海防にそそがれます。日本の近代化は、まず海軍にはじまったのです。
維新により、近代国民国家として生まれ出た大日本帝国は、日露戦争で、一応の目標を達成します。しかし、日本海海戦の軍艦は、すべて外国製、主にイギリス製なのです。
大正に入って、ようやく国産できるようになり、そして急速に、世界でトップクラスの造船技術を培い、その粋を集めて造り上げたのが、戦艦大和でした。
戦艦大和は、日本の近代がたどり着いた、ひとつの頂点であったわけです。
そして、帝国海軍が培った造船技術は、戦後日本の産業の出発点ともなりますし、帝国海軍が好敵手だったと評価したアメリカは、海上自衛隊にその伝統が引き継がれることを認めました。
戦艦大和も、そして、ともに海底に沈んだ男たちも、美しくあっていいんです。
それが、先人の業績に対する礼儀というものでしょう。
母もその気になりそうですし、尾道のYAMATOロケセットと、呉の大和ミュージアムを訪れてみようかと思います。
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実は見ようかどうしようか、かなり迷っていました。
なにしろ片道特攻の大和です。片道しか燃料を積んでいなかった、というのは伝説らしいですけどね。に、しましても、特攻であったことはたしかです。
悲壮美が嫌いなわけじゃあないんですけど、あんまりこれでもかと、じめじめ悲壮を強調されるのは好きではないですし、悲壮と言うより、無惨になりかねない。
あるいは軽々しく「戦争はいやです!」なんぞと陳腐なことを登場人物が叫んで、お定まりの安易な反戦ムードを出されても、うんざりします。
どうしようか、と迷っていましたところ、週刊新潮で福田和也氏がほめてらしたんですね。「するべき仕事をしている、という描き方で、あの世代の人々への畏敬の念があるのがいい」というようなほめ方で、それなら見てみたい、となったわけです。
母も見たい、ということで、戦中世代と『男たちの大和』を見ることとなりました。
えーと、その、結論から言いますと、私は泣きっぱなし。
母はまったく泣きませんで、「いい映画だった」と。
そうなんです。泣かないかわりに、ぶつぶつつぶやくのです。
母「昭和20年4月? えーと、昭和20年っていうと……」
私「終戦の年。ちょうど、あんたが学徒動員で軍需工場に行ったころ」
母「終戦の年か。ああ、いやな音! あの小憎らしいB29が……」
ここで私は、母の足を蹴って黙らせました。
おかーさん、B29は爆弾や焼夷弾を落としたのであって、機銃掃射であんたを狙ったのは、護衛戦闘機の、おそらくグラマンよ。
それに、戦艦大和に襲いかかっているのは、B29じゃないわよ。
母の話では、あまりにB29が小憎らしいので、みんなでナギナタを振りまわして悔しがったけれども、ナギナタを振りまわしたところでどうなるわけでもなし、もう負けるだろう、とは、わかっていたのだそうです。
母が軍需工場で造っていたのは、紫電改の翼だったそうなのですが、終戦で、結局飛ばなかったそうです。母が造った紫電改なぞ、空中分解するに決まっていますので、飛ばなくて幸いでした。
その軍需工場よりも先に、実家が焼けて、母は親元へ帰っていいことになりました。母が親の避難先にたどり着いたころ、軍需工場は本格的な爆撃を受け、母の同級生は多数、犠牲になっています。
まあ、そんなわけでして、母にとっては現実だったわけですから、悲惨とも思わず、泣けもせず、「小憎らしいB29と闘う男たちは美しい。いい映画だった」と、なったもののようです。
私も、いい映画だったと思います。
そりゃあ、突っ込み所は多々あります。
DVDで見た『トラトラトラ!』などとくらべると、戦闘シーンに今ひとつ、迫力がありませんし、映画ですから、あまり汚く描くのもなんですが、原爆にあったら、いくらなんでもあのきれいな顔は不自然だろう、とか。
ああ、一番不自然だったのは、音楽ですね。いい音楽でしたが、せめて水葬シーンは、『海ゆかば』を流してくださいな。後ね、『軍艦マーチ』のない帝国海軍なんて、帝国海軍じゃありませんわ。
パンフレットを買って読みましたが、大和生き残りの方も、『海ゆかば』『軍艦マーチ』『君が代』を、挙げておられるじゃありませんか。
海上自衛隊にも吹奏楽団はあるでしょうに。フランス陸軍の吹奏楽団ギャルド風に編曲して演奏していただければ、映画のスピード感にもぴったりだったはず。
しかし、心配した軍人らしい動作は、海上自衛隊の全面協力で、見事に、きびきびとした海軍らしさを再現していましたし、専門職に徹する男たちの描き方は、淡々としていて、よけいな思想性がなく、あざとさもなくって、かえって泣けました。
そうなんです。
淡々と描かれているだけに、もう、戦艦大和が姿を現しただけで、泣けました。
こんなに泣けた映画は、生まれて初めてです。私は、あんまり映画で泣かないんですけどね。個人に感情移入して映画を見る質ではないので、集団の運命では泣けても、個人的な悲劇では、泣かないんです。
最近では、そうですね、『ロード・オブ・ザ・リング』の『二つの塔』で、ローハンの闘いぶりに泣いて以来の、映画で涙、でした。
『二つの塔』のローハンの描き方は、とても日本的で、「あんたらは太平洋戦争の日本軍か」と思ったんですけど、あの場面、黒澤明監督の影響が強い、という話で、納得しました。
で、「どうして、日本人がああいう戦争映画を撮らないわけ?」と思っていたんですけど、今回は、そういう戦争映画、だったですね。
戦艦大和は、大艦巨砲主義の象徴であり、戦後、海軍内部からこそ、強い批判にさらされたわけですし、無謀であった太平洋戦争の反省材料の象徴でもあるのですが、一方で、近代日本の夢の象徴であったこともまた、事実です。
幕末、黒船の脅威を目前にして、島国日本の意識は海防にそそがれます。日本の近代化は、まず海軍にはじまったのです。
維新により、近代国民国家として生まれ出た大日本帝国は、日露戦争で、一応の目標を達成します。しかし、日本海海戦の軍艦は、すべて外国製、主にイギリス製なのです。
大正に入って、ようやく国産できるようになり、そして急速に、世界でトップクラスの造船技術を培い、その粋を集めて造り上げたのが、戦艦大和でした。
戦艦大和は、日本の近代がたどり着いた、ひとつの頂点であったわけです。
そして、帝国海軍が培った造船技術は、戦後日本の産業の出発点ともなりますし、帝国海軍が好敵手だったと評価したアメリカは、海上自衛隊にその伝統が引き継がれることを認めました。
戦艦大和も、そして、ともに海底に沈んだ男たちも、美しくあっていいんです。
それが、先人の業績に対する礼儀というものでしょう。
母もその気になりそうですし、尾道のYAMATOロケセットと、呉の大和ミュージアムを訪れてみようかと思います。
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海防に始まった幕末と薩の海軍
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私も尾道と呉へ行って、大和を見てきたいと考えています。
特に尾道は期間限定で3月末までなので逃したくありません。
B29を実際に体験なさったお母様のお話、興味深く読ませていただきました。
やっぱり「小憎らしい」とか「もうだめだろう」というお気持ちだったんですね。
戦争の記憶が風化しないようにこういう映画を何年かに一度は作って欲しいです。
尾道も呉もいいところです。
erabuさまは「愛国映画か」と思って見るのをためらわれ、私は「またお決まりの反戦映画か」と思って見るのをためらっていて、結局見た両方を満足させたなんて、すごい映画だと思います。
週間金曜日と週刊新潮も、いつもはかなり論調がちがいますのに、両方でほめていたみたいですし。
尾道は、昔、大林監督が撮っていたときにくらべたら、ちょっと変わりすぎなんですが、いいところです。呉は長く訪れてないんですけど、また江田島にも行きたいな、と。
尾道の期間限定がありますから、早く行かないといけないですね。
今はみんな死んでしまいましたけど、子供のころには、祖父母親族、みんなが、「B29やグラマン」の小憎らしさを語っておりました。
あのころに聞いた話にくらべましたら、あたりまえなんですけど、いくらドラマで悲惨さを並べ立てられましても、嘘っぽさが先立ちまして、白々しく思えるんですけど、今回は、その白々しさがなくて、よかったです。
九州の話ですけど、落下傘で降りた米兵を村民が叩き殺して、敗戦後に問題になった、なんていう話もありますよね。
どなたか海軍の方が書いてましたけど、関東の空襲で、迎撃に出た海軍航空隊のパイロットが被弾してパラシュート脱出したところ、血迷った村民が米兵と間違って叩き殺した、という笑えない話もあります。
それから、パイロットの戦闘服には、かならず日の丸の印をつけさせたとか。
うちの地方は穏和ですから、米兵も叩き殺さず、被弾戦死して落ちてきた米兵の遺体も、ちゃんと葬って、日露戦争の捕虜として来て病死したロシア人たちとともに、今もちゃんと弔っておりますけど。
あの時代を生きた人間に、あまり違和感を感じさせず、いやな思いもさせなかったのですから、ほんとうにいい映画だったんだと思います。
やはり、あまり悲惨に描かれると、見るのもいや、らしいんですのよ。
基本的に、この手の映画は見ると泣く方なので・・・(笑)。
これは見てませんが、先日、「ローレライ」は見ました。
たくさん、突っ込みたいところはありましたし、殆ど、「くだらん」と思ってみてましたが、それでも、泣きました・・・
(特にヨーロッパ人の女性の役にどうして、日本人を使う!ってところと、最後に潜水艦が浮上してすぐに艦砲射撃で飛行機を打ち落とし、しかもしかも、積んでる核兵器だけは爆発もしないで海中深くに沈むなんて・・・。)
ちなみに、戦争映画だと私は203高地が外せません(笑)。
おもしろい戦争映画って、やっぱり戦闘や駆け引きが楽しめるものだと思うんです。戦闘場面に迫力はないですし、ねえ。
でも、いい映画では、ありましたよ。
私は「ローレライ」の方を見ておりませんで。
意外かもしれませんが、基本的に、あんまり戦争映画が好きではないようです。
それとも、長の陸軍よりは、薩の海軍の方が好みなのか、203高地も見てないんです(笑)
それって、もしかして、「海は死にますか~」とかって万葉集をパックった歌のやつじゃなかったですか?
もし、そうだったら、あのセンチな歌だけで、勘弁してーと、見る気をなくしちゃった、のだったと思います。
お母様は泣かず…まさに現実だったのでしょうね。
私も結構泣きましたが、どちらかというと女性達の運命に対して涙腺が開いてしまいました。
そうそう、音楽はあまりあっていない気がしていましたよ。
女性たちの運命は、なにしろ、「小憎らしいB29が!」と、うるさいあの時代の女性が隣におりましたので、空襲を生きのびていたらこれか、と、あまりにリアルで、とても泣くどころではありませんで(笑)
松山には海軍航空隊の飛行場ができていまして、うちは町中で料理屋をしていましたので、海軍クラブになったんです。
母は20年の3月に軍需工場へ行きましたけど、それまでは実家にいまして、勉強部屋が、お
店の座敷からお手洗いへ行く廊下にあったらしいんです。
ある日帰ってみたら、机の上に置いてあった『女学生』だとかいう雑誌に、ラブレターがはさんでありまして、「あなたが好きでした。りっぱに死にます。さようなら」と。
多少言葉を交わしたことがあった予科練の戦闘機乗りの少年、だったんだそうです。
母は「特攻隊の人だった」と言うんですけど、時期からいって沖縄特攻はまだはじまっていませんし、フィリピンのころで、前線に出ることになったんだろうな、と思います。しかし当時、松山で予科練の最後の教練を終え、前線にまわされた少年は、多くが特攻隊に組み込まれていますから、母のいうことも間違いではない。
母は「実家が遠くてお母さんに別れを告げられなかったから、せめて顔見知りの女の子にラブレターを置いていったのだろう。かわいそうに」と。
音楽はほんとうに残念でした。リアリティの問題なので、軍艦マーチと海ゆかばは、どうしても欲しかったと。
パンフで、大和の最後の沖縄行きに、軍艦マーチが鳴り響いていたと、生き残った方が書かれておられましたけど、その皮肉な現実は、どんな作り事より印象的です。
いまの女性ならば泣けても、あの時代の女性たちにリアリティを感じさせるものでは、なかったのではないかと。
「死なないで!」ともちろん思っていても、それはあたりまえのことですから、口には出さず、といいますか、口に出さなくても通じるものかと。
前線に行く人に、「死なないで」という言葉は、実際にその別れの場になれば、かえって残酷なものだったかもしなないな、と思ったりします。
私も尾道のロケセットは気になっています。
ALWAYSを実は見てないのですが、読ませていただきました。おもしろそうですよね。
ここのところ、年に最低1本は見たい邦画があって、でもなかなか見にいけないで、嬉しい悲鳴かも、です。
尾道と呉は、行くつもりです!
母がその気になってますから、きっと行けます(笑)