『おじさんはなぜ時代小説が好きか』岩波書店このアイテムの詳細を見る |
「おじさん」ではなく、うちの母は時代小説が好きです。
買ってくる文庫本は、ほとんどが時代小説。昔はけっしてそうではなく、結婚前からの蔵書は世界文学全集的なものでしたし、私がまだ学生だったころには、時代物といっても、永井路子氏の古代ものだとか、歴史もの、といっていいジャンルしか読んでいませんでした。
ところが現在、母が読んでいる時代小説は江戸時代ものの完全なフィクションが主で、藤沢周平が一番のお気に入りです。
私は、現在母が好んで読んでいるような、いわゆる時代小説が、とりわけ好きというわけではないのですが、NHKの再放送で『蝉しぐれ』を見て、これはなかなかいいわ、と、母の本棚から原作をひっぱり出して読みましたところが、たしかに、しっくりとくる、いい小説でした。
年をとっての母の時代小説回帰、といいましても、母は若い頃にたいして時代小説を読んでいたわけではないので、回帰といっていいものかどうか、なのですが、ともかく、「なぜ?」と思っていたところへ、この本『おじさんはなぜ時代小説が好きか』が出まして、著者が関川夏央ですし、手にとってみたような次第です。
やはり、といいますか、当然のように藤沢周平は取り上げられていますし、それも『蝉しぐれ』が中心となっています。
関川氏いわく、「時代小説『蝉しぐれ』はきわめて洗練されたおとぎ話だともいえます。友情と名誉、恥、約束、命のやりとり、忍ぶ恋、そういうものは、命のやりとりを除いて現実に私たちの生活の中にあります。たしかにおとぎ話ですけれども、根も葉もあるおとぎ話です」
『蝉しぐれ』の舞台は、江戸の文化、文政期なのですが、この時代は、関川氏によれば、江戸の文化が爛熟した最盛期で、現代日本の原型がすでに成り立っていて、なおかつまだ幕末の動乱ははじまっておらず、現代と同じように平和な日々が続き、日本の原風景を描くにふさわしい時期なのだ、ということなのですね。
時代小説、といっても、現代の作家が描くわけですから、基本的には現代の物語なのですが、現代を舞台にすれば、生々しすぎたり、そらぞらしくなったりしかねない物語が、江戸を舞台にすることで、根も葉もある大人のおとぎ話になるのだというのです。
山本周五郎、吉川英治、司馬遼太郎、藤沢周平、山田風太郎という、すでに故人となった大家を一章ごとに取り上げ、七章は趣向を変え「侠客」の成り立ちを論じ、最後の八章で、「おじさん」はなぜ時代劇が好きか、という本質的な問題に立ち返ってしめくくられています。
うならされたのは、幕末維新における明治新政府の姿勢を評して、「ひとくちにいって、完成し成熟していた日本型近代を、やや野蛮な西洋型近代に強引に転換するというものでした」と、断言されていたことです。
実際、文化、文政期に至った江戸は、「日本型近代」といってよく、やはり、日本人のおとぎ話の舞台であるにふさわしい「極楽」だったのだと思えるのです。
最後に、関川氏の関川氏たるゆえんは、第三章の司馬遼太郎の項目と最終章で展開されている、「日本は大陸アジアではない」という視点でしょうか。
司馬遼太郎氏の短編に、『故郷忘じがたく候』という、薩摩藩の朝鮮陶工を題材にしたものがあります。
秀吉の朝鮮出兵に際して日本へつれてこられ、薩摩郷士として根をおろしながら、半島の祖国に望郷の念を抱き続ける朝鮮陶工のお話なのですが、荒川徹氏が、『故郷忘じたく候』(代表作時代小説〈平成15年度〉収録)という、朝鮮半島を故郷とは思いたくなかった人々の物語を書いておられるとは、はじめて知りました。
「たんに司馬遼太郎作品の倒立ということではなく、秀吉出兵と俘囚の歴史問題を、戦後的歴史観で処理しようとする日韓両国の通念に対する異議申し立てでもあります」と関川氏。
なるほど。『故郷忘じたく候』、さっそく購入して感慨深く読みました。
しかし、えらく値段が上がっていますねえ。
とりあえず、この問題に詳しいコラムが毎日新聞のサイトにありましたので、リンクしておきます。 第55回 異説「故郷忘じがたく候」
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