久しぶりに、街の本屋さんで単行本を買いました。
中山恭子氏の『ウズベキスタンの桜』です。
この方が、最初、拉致事件で登場なさったときには、妹と二人顔を見合わせて、
「な、な、なんか上品で、皇室の方みたいねえ。北朝鮮相手にだいじょうぶなんかな?」
「拉致被害者に冷たいって政府の評判が悪いから、やわらかく、うまくごまかそうと、起用したのかも」
なんぞと、勝手なことを言い合っていたのですが、間もなく、その芯の強さと的確な判断力にうならされ、すっかりファンになってしまいました。
官房参与として拉致事件にかかわられる以前、中山氏がウズベキスタン大使を務められ、そのとき、キルギスでの日本人拉致事件において、解放に大きく貢献されたという報道にも、なるほど、と納得したものです。
そのキルギス事件の真相を、中山氏がこの本に書かれているというニュースは、以前に聞いていたのですが、なんとなく買いそびれていましたところ、たまたま本屋さんにありました。
きれいな表紙でしょう? 中身もきれいで、カラー写真が多く入れられています。
サマルカンド、タシケント、ブハラ、フェルガナ。
昔憧れたシルクロードの国々って、いまはこのウズベキスタンだったんですねえ。
「ウズベキスタンの人々は顔つきやしぐさが日本人に似ている」と中山氏はおっしゃいます。
ふと、日本語の成り立ちの話を、思い出しました。
日本語はどうしてできたか、をめぐっては、もちろん、さまざまな説があるのですが、日本語と高句麗語の数詞は似ている、のだそうです。
高句麗は、いうまでもなく古代朝鮮半島の一国です。
実はこの高句麗語、幻の言語なんですね。
といいますのも、現在の朝鮮語、韓国語は、半島を統一した新羅の言語が元になっていて、高句麗語の数詞も、朝鮮語、韓国語には、似ていないのです。
それはなぜか、についても、さまざまな説があるようです。
とりあえず、私が納得させられた説のみを、ごく簡単にご紹介しますと、高句麗を建国した扶余族と祖先を同じくする民族が、おそらくは弥生時代に日本列島へ渡り、その言葉が、列島の縄文語とブレンドされ、日本語の元になったのではないか、というのです。
ここからは、私の想像なんですが、弥生時代に列島で出土する多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)と小型銅鐸の原形となったものが、現在の中国東北部から朝鮮半島にかけて、出土するんですね。
また、現在のロシア南東部で発掘された古代人骨が、弥生時代の列島出土人骨に似ている、などという話もあります。
あるいは、ウズベキスタンに近いあたりから、はるばるステップロードを超えて、私たちの祖先の一部が旅をして、旅の途中で代を重ねて、とても長い時間を経て、日本列島へたどり着いた、ということも、ありえなくはない、ですよね。
ともかく、この本を読んでいますと、汗血馬やペルシャやチムール帝国や……、極彩色のシルクロードの幻に、「古き良き時代の日本に来たかと、ほっとした気持ちになる」という現代のウズベキスタンの面影が重なって、思わず引き込まれます。
中山氏が、人質解放に全面協力してくれた、ウズベキスタンと隣国のタジキスタンの人々について、「品格がある」と結んでおられるのが、とても印象的です。
ウズベキスタンは旧ソ連領ですから、敗戦後、シベリヤに抑留された日本兵が多数移送され、強制労働させられていました。ここでの日本兵は、発電所や道路、炭坑、公共施設と、さまざまな建築や生産に従事し、「勤勉で几帳面な日本人が地域の発展に貢献してくれた」という、暖かな思いを人々に残したのだそうです
もちろん、多くの日本人が望郷の念を抱いたまま、命を落としました。その墓地は、ソビエト時代、2箇所を残して整理するようにという指示が中央からあったそうなのですが、残すことを許された2箇所は、地元の人々がきれいに整備して守り、他にも、整備はできないまでも、命令を無視して残された墓地が多数あったといいます。
私の住んでいる町には、日露戦争で捕虜になったロシア人たちの墓地があります。ずっと地元で守ってきて、今も地域の人々が清掃奉仕をしていますが、ロシアで日本兵の墓を、そうして守ってくれていた、という話は、これまで聞いたことがありませんでした。
ウズベキスタンの人々は、ほんとうに品格のある人々なんですね。
整備がされていなかった多くの墓地について、中山氏は、ウズベキスタンに縁の深い日本人などの協力を得て、整備を進めようとウズベキスタン政府にもちかけたところ、すべての費用をウズベキスタン政府が持って整備すると、他国に前例のない好意を持って、政府が取り組んでくれたのだそうです。
こうして、そのために日本で集めた募金の一部は、墓地とタシケントの公園などに、桜を植えることに使われました。
若くして異国の地で果てた日本兵たちは、故国の春の満開の桜を夢見ていたのです。
この本の題名は、ここからとられています。
ぬけるように青いシルクロードの空に咲く桜。
行ってみたい国が、また一つ増えました。
中山恭子氏の『ウズベキスタンの桜』です。
この方が、最初、拉致事件で登場なさったときには、妹と二人顔を見合わせて、
「な、な、なんか上品で、皇室の方みたいねえ。北朝鮮相手にだいじょうぶなんかな?」
「拉致被害者に冷たいって政府の評判が悪いから、やわらかく、うまくごまかそうと、起用したのかも」
なんぞと、勝手なことを言い合っていたのですが、間もなく、その芯の強さと的確な判断力にうならされ、すっかりファンになってしまいました。
官房参与として拉致事件にかかわられる以前、中山氏がウズベキスタン大使を務められ、そのとき、キルギスでの日本人拉致事件において、解放に大きく貢献されたという報道にも、なるほど、と納得したものです。
そのキルギス事件の真相を、中山氏がこの本に書かれているというニュースは、以前に聞いていたのですが、なんとなく買いそびれていましたところ、たまたま本屋さんにありました。
きれいな表紙でしょう? 中身もきれいで、カラー写真が多く入れられています。
サマルカンド、タシケント、ブハラ、フェルガナ。
昔憧れたシルクロードの国々って、いまはこのウズベキスタンだったんですねえ。
「ウズベキスタンの人々は顔つきやしぐさが日本人に似ている」と中山氏はおっしゃいます。
ふと、日本語の成り立ちの話を、思い出しました。
日本語はどうしてできたか、をめぐっては、もちろん、さまざまな説があるのですが、日本語と高句麗語の数詞は似ている、のだそうです。
高句麗は、いうまでもなく古代朝鮮半島の一国です。
実はこの高句麗語、幻の言語なんですね。
といいますのも、現在の朝鮮語、韓国語は、半島を統一した新羅の言語が元になっていて、高句麗語の数詞も、朝鮮語、韓国語には、似ていないのです。
それはなぜか、についても、さまざまな説があるようです。
とりあえず、私が納得させられた説のみを、ごく簡単にご紹介しますと、高句麗を建国した扶余族と祖先を同じくする民族が、おそらくは弥生時代に日本列島へ渡り、その言葉が、列島の縄文語とブレンドされ、日本語の元になったのではないか、というのです。
ここからは、私の想像なんですが、弥生時代に列島で出土する多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)と小型銅鐸の原形となったものが、現在の中国東北部から朝鮮半島にかけて、出土するんですね。
また、現在のロシア南東部で発掘された古代人骨が、弥生時代の列島出土人骨に似ている、などという話もあります。
あるいは、ウズベキスタンに近いあたりから、はるばるステップロードを超えて、私たちの祖先の一部が旅をして、旅の途中で代を重ねて、とても長い時間を経て、日本列島へたどり着いた、ということも、ありえなくはない、ですよね。
ともかく、この本を読んでいますと、汗血馬やペルシャやチムール帝国や……、極彩色のシルクロードの幻に、「古き良き時代の日本に来たかと、ほっとした気持ちになる」という現代のウズベキスタンの面影が重なって、思わず引き込まれます。
中山氏が、人質解放に全面協力してくれた、ウズベキスタンと隣国のタジキスタンの人々について、「品格がある」と結んでおられるのが、とても印象的です。
ウズベキスタンは旧ソ連領ですから、敗戦後、シベリヤに抑留された日本兵が多数移送され、強制労働させられていました。ここでの日本兵は、発電所や道路、炭坑、公共施設と、さまざまな建築や生産に従事し、「勤勉で几帳面な日本人が地域の発展に貢献してくれた」という、暖かな思いを人々に残したのだそうです
もちろん、多くの日本人が望郷の念を抱いたまま、命を落としました。その墓地は、ソビエト時代、2箇所を残して整理するようにという指示が中央からあったそうなのですが、残すことを許された2箇所は、地元の人々がきれいに整備して守り、他にも、整備はできないまでも、命令を無視して残された墓地が多数あったといいます。
私の住んでいる町には、日露戦争で捕虜になったロシア人たちの墓地があります。ずっと地元で守ってきて、今も地域の人々が清掃奉仕をしていますが、ロシアで日本兵の墓を、そうして守ってくれていた、という話は、これまで聞いたことがありませんでした。
ウズベキスタンの人々は、ほんとうに品格のある人々なんですね。
整備がされていなかった多くの墓地について、中山氏は、ウズベキスタンに縁の深い日本人などの協力を得て、整備を進めようとウズベキスタン政府にもちかけたところ、すべての費用をウズベキスタン政府が持って整備すると、他国に前例のない好意を持って、政府が取り組んでくれたのだそうです。
こうして、そのために日本で集めた募金の一部は、墓地とタシケントの公園などに、桜を植えることに使われました。
若くして異国の地で果てた日本兵たちは、故国の春の満開の桜を夢見ていたのです。
この本の題名は、ここからとられています。
ぬけるように青いシルクロードの空に咲く桜。
行ってみたい国が、また一つ増えました。
ヨーロッパの言語は、ほぼ、国家が分離した時代と重なるそうです。
で、それでいくと、日本語も、中国かどこかの地方と言語として分離したのが大和朝廷成立の頃と重なったとか言ってましたが、(この辺は、とにかく、うろ覚えで申し訳ありません。)その中で、とにかく、ひとつだけ、はっきり覚えているのが、日本語と韓国語は似てるようで、まったく、交わらない別の言語だというものでした。
その理論がどの程度まで、信頼の置けるモノなのかわかりませんが、あるいは、現代韓国語というのは、覇権国新羅辺りの言語なのかも知れませんね。
日本語は高句麗から、遼東半島辺りを経由して、日本に入ってきた言葉だったりして。
それから、以前、NHKで日本人遙かなりとかいいう番組がやってましたよね。
あれで、色々、調査したら、シベリアから樺太経由で入ってきた民族が、日本の元々の先住民族だとか言ってましたよ。
それに、別の番組では、ある女優さんが、口の中の粘液からわかるルーツ探しでは、中央アジアにルーツがあることがわかったりしてましたし。
だから、郎女さんの推察というのは、十分にあり得ることなのではないでしょうか?
とあるサイトの先生が、とてもわかりやすく、説得力のある、解説をしてくだったものですから、私の中では、すっかり定説になってしまっておりまして。
って、私の説明は短絡ですから、先生にみつかると叱られるかもしれませんが(笑)
日本語と韓国語は、関係がないわけではない、とは、思っています。
新羅語だって、高句麗語の影響がまるでないわけじゃないでしょうし、新羅語と縄文語に似た部分があっても不思議じゃないんじゃないか、などと。
ただ語彙については、日本語と高句麗語の方が、韓国語と高句麗語よりも、はるかに共通している、ことは確かみたいです。
あと、神話、なんです。神話の構造が、中央アジアのオセット族、高句麗神話、日本神話と、共通する構造がある、というような神話学者の話がありまして。
ルーツさがしって、楽しいですよね。