郎女迷々日録 幕末東西

薩摩、長州、幕府、新撰組などなど。仏英を主に幕末の欧州にも話は及びます。たまには観劇、映画、読書、旅行の感想も。

三島由紀夫の恋文

2005年12月09日 | 読書感想
昨日、映画『春の雪』の感想を書いていて、ちょっと考え込んでしまったことがあります。
『豊饒の海』は、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の4巻からなる輪廻転生の物語なのですが、なぜ、『奔馬』以降、情感がない、といいますか、潤いのない物語になってしまうか、ということです。
一つには、視点の問題があるんでしょうね。
『春の雪』の主人公は、松枝侯爵家の一人息子、松枝清顕ですが、その友人として登場する本多繁邦が、二巻以降、清顕の生まれ変わりを追い、かかわっていく構成です。
一巻一人づつ、清顕の生まれ変わりの人物に共通するのは、「美しく若死にする」ということで、一巻では脇役でしかなかった本多が、二巻以降は主人公だともいえて、読者の視点は、必然的に本多の視点に重なるんです。
となると、本多は理論の人ですから、読者もまた、分析的な視点を共有せざるをえない。分析だけで、情念のない物語は、成立しないでしょう。
二巻以降、描かれる本多の情念は、「清顕の生まれ変わりを追う」という一点だけです。人様の人生を追う分析好きの傍観者の立場が、読者の立場となってしまいます。結果、読者は、物語からの疎外感を、本多とともに味わうわけです。
『暁の寺』の月光姫(ジン・ジャン)は女ですし、『天人五衰』の安永透にいたっては本物の生まれ変わりではなさそうな設定ですから、本多に視点が固定されていても、不自然ではないかもしれません。
問題は、二巻の『奔馬』です。

『豊饒の海』は、三島由紀夫の遺言ともいえる作品で、自衛隊の東部方面総監部に乱入し、自衛隊の決起を促す檄文をまき、割腹自殺をしたその日の朝に、『天人五衰』の最終章を、編集者に手渡したといわれます。
『豊饒の海』を執筆しつつ、現実に三島由紀夫がくりひろげていた行動の理想像として描かれているのが、二巻『奔馬』で本多がめぐり合う清顕の生まれ変わり、飯沼勲なんです。
この『奔馬』の主人公は、当然、飯沼勲であるはずです。しかし、すでにこの時点で、読者は飯沼勲に感情移入しきれず、本多の視点に立ってしまうのです。
なぜ三島由紀夫の分身であっただろう飯沼勲の情念が、読者を引きずり込むことができないのか。
ここらあたりは、野口武彦氏が見事に分析なさっていたはず、と思って、本棚をさがしてみたら、ありました。

野口武彦著『三島由紀夫と北一輝』(1992年福村出版発行)

この中の一編、「日本の超国家主義における美学と政治学」の中で、野口氏は、以下のように述べておられます。

この主人公を作中で活躍させるにあたって、作者三島由紀夫が用いた小説技法にはいささか疑問の余地がある。あらゆる作家は、自作の主人公を自己の分身として、多かれ少なかれ、自己自身の情熱を投入しながら描きあげてゆく。これは小説という、ジャンルにおいて不可避である。一方また、その主人公に対する作者の思い入れが強ければ強いほど、つまり、作中の自己の分身への愛着が作者の自己愛と見分けがつかなくなればなるほど、そこには読者の側からの心理的離反感情が生じてくるのは当然であり、作者はそのリスクを乗り切るために、必要な技法上の処置をほどこさなければならない。作者は読者を説得しなければならない。生前の三島がつねづねパラフレーズしていたように、三島にとっては、「現実感」とは、読者に対する説得力以外の何ものでもなかった。
『奔馬』の小説作品としての成功の度合いは、極端にいうなら、読者の何パーセントが右翼テロリズム、すなわち暗殺を支持し、是認し、肯定するかによって測定されるといってよい。あたかもゲーテが『ヴェルテル』を書いた後いかに黄色いチョッキを着てピストル自殺する青年たちが排出しようとも、作者は超然として八十歳以上も長生きしたように、三島はなにも、勲に殉じて割腹自殺してまでも自己の虚構の分身の「現実感」を証明して見せる必要はなかったのである。そのことは逆に、三島がそれだけ、作中の勲の行動について読者を説得することに或る種の焦りを感じていたのではないかという疑惑にわれわれをみちびく。

そうなんです。読者は説得されませんし、それを誰よりもよく知っていたのは、三島自身だったでしょう。
続けて野口氏は、五・一五事件の被告が、法廷で農村の飢餓と惨状を、クーデター参加の動機として切々と訴え、世論を動かしたことに触れ、三島が、こういったクールに計算された法廷闘争を好まず、また、現実に当時、テロに走った青年たちにとって、農村の悲惨は他人事ではなかったにもかかわらず、それをテロの動機として小説に取り入れることは、三島にとって「アジ・プロ小説風に低俗な扇動性に見えたらしい」と言います。
野口氏のおっしゃる通り、勲は、あくまで都会青年であり、テロの動機は「観念的な性質のもの」であり、「観念である以前に忠誠心情の問題」なのでしょう。
なにに対する忠誠心情かということを、野口氏は、三島由起夫が二・二六事件から、北一輝の影を極力遠ざけて見ようとしていたことから分析し、「文化的天皇の理想像」とされています。
つまり勲の行為は、自己完結の美学であって、まったく政治的な意味を持たず、社会にかかわりもせず、かかわりもしないことを、理想としているのです。
説得力のもちようがないではありませんか。

『奔馬』では、勲のめざすテロの理想として、明治9年に熊本で起こった神風連の乱をあげ、延々と詳細を記述しています。三島は、神風連を取材して、その土俗性に共感した、という話もあるんですが、少なくとも『奔馬』の勲の行為に、土俗性はまったくありません。
神風連の攘夷感情は、まさに土に根ざしています。土を耕し、鎮守の神に豊作を祈って、ごく平凡に暮らす者にとって、外部から強制されて、慣れ親しんだ風俗習慣を捨てるのは、いやであってあたりまえです。そういった農民のごく自然な攘夷感情の突出した形として、神風連はあったのであり、明治新政府のやり口への痛烈な抗議であることは意識されていましたし、鹿児島への誘い水になる可能性でさえも、計算されていました。農民一揆が頻発していた当時の状況からするならば、政治的であり、扇動性もそなえていたのです。

社会性のない恋の物語は、十分成り立ち得ますし、自己完結の美学であっても、真摯でありさえすれば、説得力は生まれます。しかし、社会性のないテロの物語が、説得力を持ちうるでしょうか?
結局のところ、これも野口氏が分析なさっていることですが、勲の物語があきらかに説得力を持たなかったことは、『天人五衰』の安永透の描き方に影響したのでしょう。清顕と勲が、三島の分身であったとするならば、本多もまた分身であり、安永透は、その本多の純粋型として描かれているからです。
しかし、あるいはだからこそ、『豊饒の海』は最後の最後で再び、『春の海』がさししめしていた三島の恋心を、……なにへの恋かといえば、「みやびのまねび」である「文化概念としての天皇」への恋心を、高みに押し上げたのではないのでしょうか。

それにしても野口氏は、いつも、周到な解説でうならせてくださったあげくに、あまりにも唐突に、それを現在の問題とつなげた、納得のいかない一言を残してくださいます。『幕府歩兵隊』の靖国がそうでしたけれども、今回はこれです。

三島由紀夫の十年前の血みどろの死を、故人の遺志どおりに、何ごとか悲劇的なものに向かって高めつづけるためにも、われわれは断固として、この文学者とおよそ政治的なるものとの回路を断ち切っておかなくてはならない。

なるほど、作中の勲の置かれた時代状況で、自己完結的な美学をつらぬかれても、そこにはなんの説得力も生まれてはきませんでした。しかし、文学者である三島由起夫が、戦後のあの状況の中で、美学を貫いて「文化概念としての天皇」への恋に殉じた現実の行為は、すでにその行為自体が現状への衝撃的な抗議であり、社会性を持ち、政治的なのです。
果たして三島が、その行為の政治性を意識していなかったといえるでしょうか?
もちろんそれは、直接クーデターにつながるような政治性ではありません。しかし、三島が生きた戦後日本の社会で、クーデターがどれほどの政治的リアリティを持ち得たでしょう。
回路は、断ち切ろうにも断ち切れるものでは、ないように思われるのです。

つまり、三島由紀夫がめざした行為の理想像は、テロではなく恋なのですから、その三島がテロの物語に自己投影したところで、その物語は説得力はもちません。しかし、現実に彼が成した行為は、時代の文脈の中で、十二分に説得力を持ち得たのです。

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『春の雪』の歴史意識

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2 コメント

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Unknown (國貞陽一)
2005-12-16 10:38:42
TB感謝いたします。神風連と土俗性の問題、興味深く拝読。「三島由紀夫がめざした行為の理想像は、テロではなく恋なのですから」、ここは同意するところです。が、そこに他者性があったのか、なかったのか。
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いらっしゃいませ。 (郎女)
2005-12-16 21:54:31
TBいただけないのですね。事件当時の社会背景をきっちりまとめておられたので、期待してはらせていただいたのですが(笑)



「他者性」は哲学用語ですよね。哲学は苦手ですので、的はずれなお答えだったとすれば、ごめんなさい。

キリスト教的な他者性ならば、意識的になくしていたでしょう。『豊饒の海』は、西洋的な普遍的価値との壮絶な戦いの書としても読めると、私は思っています。



『暁の寺』で、その戦いの最終的な鍵は神道ではなく仏教理念であることが、すでに示されていますよね。



「又、會ふぜ。きつと會ふ。瀧の下で」

……そののち彼は三輪山の三光の瀧をそれと信じた。それはたしかにさうであつたろう。しかし清顕が意味した最終の瀧は、このアジャンタの瀧だつたにちがひないと思われた。



三輪山の三光の瀧の下で、本多は飯沼勲に会ったわけですが、三巻の生まれ変わり月光姫に会う旅で、しかし本多は、清顕の言った瀧は、インドの古代寺院遺跡の瀧であったと思うわけです。



安易な言い方かもしれませんが、仏教的な悟りの境地が、自己もまた他者であるということであるならば、それもまた普遍の形でしょう。

いうまでもなく日本文化そのものは、普遍ではありません。あるいは、普遍ではないから文化なのでしょう。

しかし、それが幻であると位置づけたとき、あったかもしれないね、という美の幻だと認識したとき、それは一転して、普遍になるのではないのでしょうか。
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