―「一昨日の記事(124)」を補足します。―
(46)
賓語(目的語)が疑問代名詞の場合、上古漢語では倒置して、動詞の前に置く(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁改)。
従って、
(46)により、
(47)
例へば、
① 誰加衣(誰か衣を加ふる)。
② 誰加(誰をか加ふる)。
といふ「漢文」に於いて、
① 誰 は、「主語」であって、
② 誰 は、「目的語」である。
従って、
(48)
その意味では、
「誰」が「主語」であるか「目的語」であるか区別できないではないか(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁改)。
といふ、ことになる。
然るに、
(49)
倒置(とうち)とは、言語において通常の語順を変更させることである。表現上の効果を狙ってなされる修辞技法の1つで、強調的修辞技法の一つである(ウィキペディア)。
従って、
(48)(49)により、
(50)
「誰」が「倒置(前置)」されるのは、「強調的修辞技法の一つである。」といふことが、「了解」されてゐる限りは、
「誰」が「主語」であるか「目的語」であるか区別できないではないか。 といふことには、ならない。
従って、
(50)により、
(51)
例へば、
③ 誰毀誰誉(誰をか毀り、誰をか誉めん:論語、衛霊公)。
の場合も、「誰」が「倒置(前置)」されるのは、「目的語としての、誰を、強調したいがためである。」といふことが、「了解」されてゐる限りは、
③ 誰毀誰誉(誰が毀り、誰が誉めよう)。
といふ「意味」には、ならない。
然るに、
(52)
④ 小学而大遺(小をば学んで、大をば忘る:韓愈、師説)。
の場合も、
④ 学小而遺大(小を学んで、大を忘る)。
の、「倒置(前置)」である。
従って、
(51)(52)により、
(53)
④ 小学而大遺(小をば学んで、大をば忘る:韓愈、師説)。
の場合も、「小と大」が「倒置(前置)」されるのは、「目的語としての、小・大を、強調したいがためである。」といふことが、「了解」されてゐる限りは、
④ 小学而大遺(小は学んで、大は忘れる)。
といふ「意味」には、ならない。
然るに、
(54)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
然るに、
(55)
を-ば 格助詞「を」強調し、動作・作用の対象を強く示す意を表す(旺文社、全訳学習古語辞典、2006年、934頁)。
従って、
(51)~(54)等により、
(53)
① 誰が(濁音)好きか。
④ 大をば(濁音)遺る。
に於いて、
① は、「濁音による強調形」であって、
④ も、「濁音による強調形」である。
(46)
賓語(目的語)が疑問代名詞の場合、上古漢語では倒置して、動詞の前に置く(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁改)。
従って、
(46)により、
(47)
例へば、
① 誰加衣(誰か衣を加ふる)。
② 誰加(誰をか加ふる)。
といふ「漢文」に於いて、
① 誰 は、「主語」であって、
② 誰 は、「目的語」である。
従って、
(48)
その意味では、
「誰」が「主語」であるか「目的語」であるか区別できないではないか(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁改)。
といふ、ことになる。
然るに、
(49)
倒置(とうち)とは、言語において通常の語順を変更させることである。表現上の効果を狙ってなされる修辞技法の1つで、強調的修辞技法の一つである(ウィキペディア)。
従って、
(48)(49)により、
(50)
「誰」が「倒置(前置)」されるのは、「強調的修辞技法の一つである。」といふことが、「了解」されてゐる限りは、
「誰」が「主語」であるか「目的語」であるか区別できないではないか。 といふことには、ならない。
従って、
(50)により、
(51)
例へば、
③ 誰毀誰誉(誰をか毀り、誰をか誉めん:論語、衛霊公)。
の場合も、「誰」が「倒置(前置)」されるのは、「目的語としての、誰を、強調したいがためである。」といふことが、「了解」されてゐる限りは、
③ 誰毀誰誉(誰が毀り、誰が誉めよう)。
といふ「意味」には、ならない。
然るに、
(52)
④ 小学而大遺(小をば学んで、大をば忘る:韓愈、師説)。
の場合も、
④ 学小而遺大(小を学んで、大を忘る)。
の、「倒置(前置)」である。
従って、
(51)(52)により、
(53)
④ 小学而大遺(小をば学んで、大をば忘る:韓愈、師説)。
の場合も、「小と大」が「倒置(前置)」されるのは、「目的語としての、小・大を、強調したいがためである。」といふことが、「了解」されてゐる限りは、
④ 小学而大遺(小は学んで、大は忘れる)。
といふ「意味」には、ならない。
然るに、
(54)
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
然るに、
(55)
を-ば 格助詞「を」強調し、動作・作用の対象を強く示す意を表す(旺文社、全訳学習古語辞典、2006年、934頁)。
従って、
(51)~(54)等により、
(53)
① 誰が(濁音)好きか。
④ 大をば(濁音)遺る。
に於いて、
① は、「濁音による強調形」であって、
④ も、「濁音による強調形」である。