―「昨日の記事(123)」の続きを書きます。―
(25)
① Aが犯人である。
② A以外は犯人ではない。
③ 犯人はAである。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことからすれば、
① 誰が犯人か。
という「疑問文」は、
① Aが犯人である。
② A以外は犯人ではない。
③ 犯人はAである。
といふ「答へ」を、「期待」してゐる。
然るに、
(26)
① Aが犯人である。
といふ「答へ」を、「期待」してゐるのであれば、
① 誰が犯人であるか。
ではなく、
④ 誰は犯人であるか。
といふ風に、「質問」することは、「不自然」である。
従って、
(27)
① 誰が犯人か。
に対して、
④ 誰は犯人か。
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(28)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(25)(28)により、
(29)
① どちらが大野さんですか。
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(27)(29)により、
(30)
① 誰(未知)が犯人か。
① どちら(未知)が大野さんですか。
といふことにだけ、「注目」すると、
① が の上には、
① 未知 が有る。
といふ「誤解」を、生むことになる。
然るに、
(31)
(ⅰ)
① AがB。
② A以外はBでない。
③ BはAである。
に於いて、
①=②=③ である。
(ⅱ)
① A is B.
といふ「英語」に於いて、
① A を「強く発音」すると、
① AがB。
② A以外はBでない。
③ BはAである。
といふ「意味」になる。
(ⅲ)
④ Aは(清音)
に対する、
① Aが(濁音)
は、「強調形」である。
cf.
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(31)により、
(32)
④ 誰は(清音)好きか。
① 誰が(濁音)好きか。
に於いて、
④ 誰は(清音)
に対する、
① 誰が(濁音)
は、「強調形」であるが、固より、
① 誰が好きか。
に対する、
④ 誰は好きか。
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(33)
前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)。
従って、
(33)により、
(34)
「漢文」の場合は、例へば、
④ 好彼(彼を好む)。
に対する、
① 誰好(誰をか好む)。
といふ、
④「目的語」の「前置(倒置)形」は、「目的語」を、「強調」する。
従って、
(32)(34)により、
(35)
① 誰が(濁音)好きか。
① 誰好(誰をか好む)。
といふ「日本語」と「漢文」に於いて、
① 誰が(濁音)
① 誰(前置形)
は、両方とも、「強調形」である。
然るに、
(36)
④ I like her.
に対して、
① Whom do you like?
である。
然るに、
(37)
④ I like her.
といふ「語順」からすれば、
① Whom do you like?
ではなく、
① Do you like Whom?
といふ「語順」でなければ、ならない。
従って、
(33)~(37)により、
(38)
① 誰好(誰をか好む)。 といふ「漢文の語順」に関しては、
① 漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいなく、
① Whom do you like? といふ「英語の語順」に関しては、
① 英語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
然るに、
(39)
『孟子』の原文と趙岐の注を比較すると上古の語順は後漢時代に、すでに変化して現代語式なっていたことがわかる。すなわち『孟子』では「誰敬」「誰先」と賓語の誰が動詞の前に来ている(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁)。
従って、
(38)(39)により、
(40)
① 誰好(誰をか好む)。 といふ「漢文の語順」は、後漢時代に、
① 好誰(誰を好む)。 といふ「語順」に、戻って(変はって)しまったものの、
① Whom do you like? といふ「英語の語順」は、
① Do you like Whom? といふ「語順」に、戻って(変はって)はしまはずに、
① Whom do you like? といふ「語順」のままである。といふことになる。
然るに、
(41)
英語(や多くのヨーロッパ言語)のWH要素は文頭へ移動する。日本語(中国語、韓国語など)ではWH要素は移動しない(日本語の疑問文について - 神戸松蔭女子学院大学Adobe PDF)。
従って、
(40)(41)により、
(42)
① 誰敬(誰をか敬す)。
① 誰先(誰をか先にす)。
のやうな、「後漢以前の漢文」をも、「中国語(の一種)」である。とするならば、日本語(中国語、韓国語など)ではWH要素は移動しない。
といふことには、ならない。
然るに、
(43)
グーグル翻訳によると、
① 誰が先生ですか。
① 누가 선생님 이세요.
① nuga seonsaengnim iseyo.
然るに、
(44)
韓国語の助詞「~が」とは?【이・가】使い方を教えて! - ハングルマスター
従って、
(43)(44)により、
(45)
韓国語の場合も、日本語と同様に、
① 誰(が)
① 誰(ga)
なのかも、知れない?
(25)
① Aが犯人である。
② A以外は犯人ではない。
③ 犯人はAである。
に於いて、
①=②=③ である。
といふことからすれば、
① 誰が犯人か。
という「疑問文」は、
① Aが犯人である。
② A以外は犯人ではない。
③ 犯人はAである。
といふ「答へ」を、「期待」してゐる。
然るに、
(26)
① Aが犯人である。
といふ「答へ」を、「期待」してゐるのであれば、
① 誰が犯人であるか。
ではなく、
④ 誰は犯人であるか。
といふ風に、「質問」することは、「不自然」である。
従って、
(27)
① 誰が犯人か。
に対して、
④ 誰は犯人か。
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(28)
(3) 未知と既知
この組み合わせは次のような場合に現われる。
私が大野です。
これは、「大野さんはどちらですか」というような問いに対する答えとして使われる。つまり文脈において、「大野」なる人物はすでに登場していて既知である。ところが、それが実際にどの人物なのか、その帰属する先が未知である。その未知の対象を「私」と表現して、それをガで承けた。それゆえこの形は、
大野は私です。
に置きかえてもほぼ同じ意味を表わすといえる(大野晋、日本語の文法を考える、1978年、34頁)。
従って、
(25)(28)により、
(29)
① どちらが大野さんですか。
② 私が大野です。
③ 大野は私です。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(27)(29)により、
(30)
① 誰(未知)が犯人か。
① どちら(未知)が大野さんですか。
といふことにだけ、「注目」すると、
① が の上には、
① 未知 が有る。
といふ「誤解」を、生むことになる。
然るに、
(31)
(ⅰ)
① AがB。
② A以外はBでない。
③ BはAである。
に於いて、
①=②=③ である。
(ⅱ)
① A is B.
といふ「英語」に於いて、
① A を「強く発音」すると、
① AがB。
② A以外はBでない。
③ BはAである。
といふ「意味」になる。
(ⅲ)
④ Aは(清音)
に対する、
① Aが(濁音)
は、「強調形」である。
cf.
もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(31)により、
(32)
④ 誰は(清音)好きか。
① 誰が(濁音)好きか。
に於いて、
④ 誰は(清音)
に対する、
① 誰が(濁音)
は、「強調形」であるが、固より、
① 誰が好きか。
に対する、
④ 誰は好きか。
といふ「日本語」は、存在しない。
然るに、
(33)
前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)。
従って、
(33)により、
(34)
「漢文」の場合は、例へば、
④ 好彼(彼を好む)。
に対する、
① 誰好(誰をか好む)。
といふ、
④「目的語」の「前置(倒置)形」は、「目的語」を、「強調」する。
従って、
(32)(34)により、
(35)
① 誰が(濁音)好きか。
① 誰好(誰をか好む)。
といふ「日本語」と「漢文」に於いて、
① 誰が(濁音)
① 誰(前置形)
は、両方とも、「強調形」である。
然るに、
(36)
④ I like her.
に対して、
① Whom do you like?
である。
然るに、
(37)
④ I like her.
といふ「語順」からすれば、
① Whom do you like?
ではなく、
① Do you like Whom?
といふ「語順」でなければ、ならない。
従って、
(33)~(37)により、
(38)
① 誰好(誰をか好む)。 といふ「漢文の語順」に関しては、
① 漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいなく、
① Whom do you like? といふ「英語の語順」に関しては、
① 英語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない。
然るに、
(39)
『孟子』の原文と趙岐の注を比較すると上古の語順は後漢時代に、すでに変化して現代語式なっていたことがわかる。すなわち『孟子』では「誰敬」「誰先」と賓語の誰が動詞の前に来ている(太田辰夫、中国語通史考、1988年、28頁)。
従って、
(38)(39)により、
(40)
① 誰好(誰をか好む)。 といふ「漢文の語順」は、後漢時代に、
① 好誰(誰を好む)。 といふ「語順」に、戻って(変はって)しまったものの、
① Whom do you like? といふ「英語の語順」は、
① Do you like Whom? といふ「語順」に、戻って(変はって)はしまはずに、
① Whom do you like? といふ「語順」のままである。といふことになる。
然るに、
(41)
英語(や多くのヨーロッパ言語)のWH要素は文頭へ移動する。日本語(中国語、韓国語など)ではWH要素は移動しない(日本語の疑問文について - 神戸松蔭女子学院大学Adobe PDF)。
従って、
(40)(41)により、
(42)
① 誰敬(誰をか敬す)。
① 誰先(誰をか先にす)。
のやうな、「後漢以前の漢文」をも、「中国語(の一種)」である。とするならば、日本語(中国語、韓国語など)ではWH要素は移動しない。
といふことには、ならない。
然るに、
(43)
グーグル翻訳によると、
① 誰が先生ですか。
① 누가 선생님 이세요.
① nuga seonsaengnim iseyo.
然るに、
(44)
韓国語の助詞「~が」とは?【이・가】使い方を教えて! - ハングルマスター
従って、
(43)(44)により、
(45)
韓国語の場合も、日本語と同様に、
① 誰(が)
① 誰(ga)
なのかも、知れない?