おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

異常であって病気で無い者 その2。

2004-12-05 06:11:07 | 我思う、故に書くなりよ。
小学生がもらわれてしまって、2週間経った。だが、犯人逮捕と言う報道はまだ無い。

変質的な趣味嗜好をしっかりと行いつつ、それに浸り続ける事無く、あっさりと遺棄し、ご丁寧に写真付きで結果報告のメールまで出して消えた犯人。単なる変質者とは思えない手際の良さが見て取れるが、これが偶然の結果なのか、計画に沿った物なのか?

普通に考えたら、遺体は見つからない方が都合がいい。趣味を続けるにも、逃げるにもだ。なんせ、警察は被害者の捜索と平行して犯人を捜さないといけないワケで、戦力を分散させられるんだからね。

では、何故あえてこんな事をしたのか? 怨恨による報復だと言う説がある。それを誇示するためのパフォーマンスって事だ。殺害後の凄惨な有様は犯人の趣味。殺して遺棄するだけで充分に思える所に、趣味が加わった事で、より効果的なパフォーマンスとなったのだ。

なんとなく判り易い。趣味の世界に浸り続けたいのが本望だろうけれど、それではボロが出る。犯人にとっての「日常」にも戻る必要があるワケだし、そうして社会に溶け込む事で効果的に身を隠せると言う利点もある。異常ではあるが、病気では無いのでその辺の「線引き」はしっかり出来ていると言う事なのだ。

だとすると、この事件の出発点はどこにあるんだろう? 無差別に被害者を選んでいたワケでは無さそうだし、怨恨だとすると接点がどこかにあるんだと思うが、こればかりは報道のこっちにいる限りでは判らないだろうねぇ。調べる方としては楽かも知れない。接点さえ見つかればね。

それが見つかっていないとしたら、ちょっとやっかいだ。異常であるが故に、一方的な物だとすると、恨まれた方には、何が原因で、何が接点なのか皆目判らないし、教えて貰った所で理解出来る物では無いかもしれない。そもそも恨まれる理由が何処にも無かったとしても、相手は妄想の中で一方的に「恨んでる」ワケで、接点はどこだって良いワケだ。

街中で偶然見かけた人に、何かの恨みを転嫁したって、犯人としては目的が達成出来ればそれで恨みは解消出来るんだし、ついでにそこへ趣味を重ねて快楽を得てるんだから、恨まれた方は冗談じゃ済まないけどね。

何か単純に不審者とか変質者を捜しても辿り着けない気がするな。そういうヤツじゃ無いんだと思う。インパクトの強いパフォーマンスを見せられたお陰で、犯人の何か重大なミスを見ていないんじゃないだろうか? 

どっちにしても、早く捕まって欲しいと思うのは私だけでは無いと思うけどね…。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする