おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ブラジャーとショーツ。

2004-12-11 13:40:36 | 我思う、故に書くなりよ。
何気に、中国の潜水艦画像を探していたら、アダルトサイトに飛ばされた。

日本人、金髪、アジアン…と、きれいなおねえさんや、そうでないおねえさんの無修正画像がタダで見られると言う、今時良心的なサイトなので、せっかくだから見てみた。

まぁ、ヌード写真と言う美術的な物ではなく、エロ写真の類なんで、写ってる人物が違うだけで、似た様な写真がほとんどなのだが、画質が良くて大きめの写真だったらコレクションしてもいいかな…と思うのだが、そうなると有料になるんで、うまく出来てはいる。

うしし…。

と、眺めて観賞しているのではどこにでもいるマニアと変わらないワケで、以前は観賞用に集めた写真を溜め込んだりもしては見たが、収集している時の情熱と、観賞している時の情熱がイコールでもそれ以上でも無く、HDDの領域の無駄…と言う永遠の不文律に気が付いた時点でやめちゃった。

老後の楽しみとして、ナローな回線にも関わらず苦労したあのめくるめく深夜の情熱は何処へ…。

それはさておき、プロのモデルさんの裸なら仕事柄見る機会も多かったので、あまり特別な感想も無いのだが、一般の人の裸はそうそう見られる物では無い。そこがウリなワケで、日本でも諸外国でもその手の写真はなかなか多いんである。

で、気が付いたのだが、日本人の場合、ブラジャーのデザインとショーツのデザインが異なっている場合が多く、諸外国の人の場合は上下で揃っている場合が多いのはどうしてだ?

男性の場合は下1枚なので、こうした問題は起きないが、女性の場合上下で揃えた方が気分的に良いのか悪いのか。どっちかしか買えない…って事も無いだろうし、どっちかに合わせるという感覚に日本と欧米に差がある物なのだろうか?

私的なピンク色の思い出を辿って考えると、上下で揃っていた人は少なかった様に記憶しているのだが、揃って居た方がなんとなくカッコいい気がすると言うか、私の希望だ、それ…。

上下一緒に買うと高くつく買い物なのかもしれぬ。良く考えると、男でもパンツやトランクスの柄に合わせたTシャツやらランニングを着たり穿いたりしているのは見た事無い物なぁ。あの手のカタログに使う写真を撮る仕事は、昔は(20年も前だ)結構な稼ぎになったので、ちょくちょくスタジオを借りてやったりもしていたのだが、日本人のモデルの場合、上下別に撮る事が多く、諸外国人のモデルの場合はほとんど上下揃っていた様な気がするんだが、気のせいだったのか偶然だったのか…。

ちなみに、当時現場で気が付いた事は、日本人の場合、誰もが無口であったのに対し、諸外国人の場合、ぺちゃくちゃうるせーのなんの。

「いーからパンツはいてこっち来いコノヤロー!」

日本人の場合は気恥ずかしさと言うか、恥じらいにも似た「脱衣の姿」がおくゆかしいのだが、諸外国人の場合は…

「あー、お前らそのカッコで外出るんじゃねーぞ!」

スッポンポンで文字通り開けっぴろげで下手したら捕まるのは俺だコノヤロー! な状態であった。

と言う、国民性なのか民族性なのかは知らないが、そういうのはあったな。しみじみ…。

おっ。上下でサイズに違いがある場合、セット販売はややこしいな。これかも知れぬ。通販ならこの点を解消出来るので問題ないが、店頭販売の場合は下手したら「合うサイズが無い…」なんて事も有り得るな。

さて、真相はどうなのか、男の私には確かめる術はあまり無い。そう言う機会があれば、尋ねてみるとするかな…。

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20年前なら絶対観に行きたいと思わない展示会。

2004-12-11 04:31:48 | 我思う、故に書くなりよ。
小学生の頃、東京にある国立科学博物館に行くのがマイブームだった。

戦闘機ありの恐竜ありのミイラありの…ワンダーランドそのものだった。大人に左右されずに、同級生だけで行って、心置きなく観捲くる自由と楽しさの1日は、何年経っても忘れられない思い出だし、今でも時たま出掛ける。

これに相対するのが「寺社仏閣」の観光地。なぜか大人たちは頻繁に足を運び、感銘に酔いしれて満足していた。子供から観れば、どこが面白いのかさっぱりと判らず、入場券代わりに貰うパンフレットを大事そうにしまう父の姿が不思議でならなかったし、お供する母の嬉しそうな顔も不思議だった。

そんなワケで、中学・高校の修学旅行で京都・奈良・神戸などを半ば強制的に周らされても、京都・二尊院門前の御手洗だんごのおねーさんがいかに美人であったか位の記憶しか残っていない。事前に予習しておきながら、なおかつ、メジャーな所は余すところ無く観捲くっているにも関わらずにだ。

時は経ち、あれからかれこれ20数年。TVで流れるCMを観る度に行きたくなる展示会がある。

「唐招提寺展」 http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/index-j.html

2005年1月から東京国立博物館(上野)で行われる展示会だが、国宝が来るのはもちろん、恐らく最初で最後だろうと言われちゃうと、居ても立ってもいられなくなってしまう。

いったい、何がそうさせるのか? この心境の変化は何なのか? 自問自答を繰り返し、ひいては急速な「オヤジ化」を憂いてもいるのだが、この40年近く生きて来た間に蓄積した知識とか情報が、寺社仏閣のそれの貧しさ故に、脳が求めているのでは無いかと…一応の結論を見るのである。

昨今の「お宝ブーム」って事も少なからず影響しているには違いない。仮に、私がビル・ゲイツ並の富豪であったとしよう。国宝級のお宝と絶賛される仏像が売りに出されたとしても、欲しいかと言えば、「欲しくない…」。もう、世界を代表する富豪だから、タダであげちゃう!って言われても「欲しくない物は欲しくない…」。

知識の欲求とその満足はそんな所に無いのだ。現物を見る事による、枯渇した知識と情報の探求に喜びを、この私の脳が求めているに違いないのだ。

でも、具体的に本当にそうか? と問われると自信ないぼくちゃんでもある所に、オヤジ化に片足を踏み込んでいる現実から離れたい深層心理とでも言うのか、そんなささやかな抵抗があるに違いない。

時間の余裕の持て余し気味な私ではあるが、無職故、金の余裕は無い。両者の余裕の余す時期が来たら心ゆくまで「京都・奈良赤い霊柩車うんちゃらシリーズ歴史探訪ツアー」でもやってみたいと思う。

今の所、私の脳の欲する所は「唐招提寺」であって、近所に「鎌倉幕府の跡地」があるにも関わらず欲していない。この辺も「謎」である。諸般の事情に縛られる身であるならば、鎌倉幕府の方が経済的にも宜しいのは判っているんだが、唐招提寺、鑑真和尚、盧舎那仏坐像なんである。

あとは岩手県の平泉・中尊寺かなぁ。藤原家3代のミイラなんか、この間プロジェクトXでもやっていたけれど、あれは子供ながらに感動を覚えた物がある。ついでに足を運んだ高野長英記念館だかは、さっぱり覚えてないが。

やはり、それ相応の知識と情報が備わらなければ、こういった物に触れるのは無理があるのかもしれない。修学旅行の行く先が海外に変わりつつあったのも、無理無いんだと思う。若造には寺社仏閣は早すぎるのだな。

国内観光も、格安な海外旅行に押されて悲鳴を上げているやに聞くので、

「30年ぶりに行く京都・奈良オヤジ・オバサンのための修学旅行!」

なんてツアーはどうかね? 夕食は「カニ食べ放題」だし、「和洋中華のバイキングもあるよ!」ってのをサブタイトルにして。修学旅行だからお酒・タバコはだめだし、ちゃんと勉強して貰わないとイケナイ。お土産は5千円までだから。

もう、あるのかな、こういうのは…。

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