10歳の甥が、友達の家に遊びに行くというので、妹はふと考えた。
「誘拐でもされたら困る…」
通学に使っているかばんには、いざと言う時の「防犯ブザー」が付いている。学校で貰って来たらしいが、遊びに行く時のかばんには付いていないので、付け替えて持って出る様に、甥に言ったらしい。
「鳴らないんだよ、それ。じゃあ!」
と、出掛けてしまったそうだ。どうも電池が切れているらしく、鳴らなくなったと言う。家に遊びに来る甥の友人にも尋ねると…、ほとんどの子が鳴らないまま、かばんにぶら下げていると言う。
「先生は知ってんの?」
不安になった妹は重ねて聞くと「知ってるよー!」なんだそうだ。
「意味無いじゃんねぇ?」と妹は笑いながら話してくれたが、親も親なら、学校も学校だよなぁ。
防犯ブザーを配るだけで役目を終えてしまっているのである。それでいて、何か事件事故が起きれば、学校としては防犯ブザーを「配っていた」と言う大義名分がある。親にしても同じ。でも、鳴らなければ何も意味無いのである。週に1度は家でも学校でも機能確認はさせるべきだと思う。
目立つ様な事件も起きて無いからだとは思うが、それこそが「危機管理の甘さ」だと思う。
「配ったから…」「持たせているから…」で終わってしまってはダメなんである。
使い方を教える。躊躇する事無く使う事を教える。鳴るか鳴らないか確認させる。使った後はどうするのか? 使わなかったらどうなるのか? 子供に教える事は山ほどある。それが出来なかったら、学校も親も子供を守る義務を果たしていない。
まぁ甥もクセのあるヤツだし、タダで誘拐される様なヤツじゃないが、急いで電池を換える様に妹には言っておいた。通学の他にも外出する時には必ず持って出掛ける事、命を守る大事な物だと教える事、誘拐されたら必ず殺されると教える事…などなども教えなければいけないとも付け加えた。
子供に鳴らないブザー持たせて、安全でいられる日本じゃない事を大人まだ判っていない。
「誘拐でもされたら困る…」
通学に使っているかばんには、いざと言う時の「防犯ブザー」が付いている。学校で貰って来たらしいが、遊びに行く時のかばんには付いていないので、付け替えて持って出る様に、甥に言ったらしい。
「鳴らないんだよ、それ。じゃあ!」
と、出掛けてしまったそうだ。どうも電池が切れているらしく、鳴らなくなったと言う。家に遊びに来る甥の友人にも尋ねると…、ほとんどの子が鳴らないまま、かばんにぶら下げていると言う。
「先生は知ってんの?」
不安になった妹は重ねて聞くと「知ってるよー!」なんだそうだ。
「意味無いじゃんねぇ?」と妹は笑いながら話してくれたが、親も親なら、学校も学校だよなぁ。
防犯ブザーを配るだけで役目を終えてしまっているのである。それでいて、何か事件事故が起きれば、学校としては防犯ブザーを「配っていた」と言う大義名分がある。親にしても同じ。でも、鳴らなければ何も意味無いのである。週に1度は家でも学校でも機能確認はさせるべきだと思う。
目立つ様な事件も起きて無いからだとは思うが、それこそが「危機管理の甘さ」だと思う。
「配ったから…」「持たせているから…」で終わってしまってはダメなんである。
使い方を教える。躊躇する事無く使う事を教える。鳴るか鳴らないか確認させる。使った後はどうするのか? 使わなかったらどうなるのか? 子供に教える事は山ほどある。それが出来なかったら、学校も親も子供を守る義務を果たしていない。
まぁ甥もクセのあるヤツだし、タダで誘拐される様なヤツじゃないが、急いで電池を換える様に妹には言っておいた。通学の他にも外出する時には必ず持って出掛ける事、命を守る大事な物だと教える事、誘拐されたら必ず殺されると教える事…などなども教えなければいけないとも付け加えた。
子供に鳴らないブザー持たせて、安全でいられる日本じゃない事を大人まだ判っていない。