どんより曇った薄暗い夜明け。こんな日は身体の調子がいま一つさえないのです。
モーニングショーを見ながら、朝食。その目と耳に流行語発表と「子供部屋おじさん」という言葉が飛び込んできました。
流行語、これはコロナ関係が入ることは容易に予想で来ていましたが、それの続いて中高生の流行語なるものが発表されました。婆さんには理解不能の言葉で、それだけでも不愉快なのに、なんだか日本語がおふざけで乱れに乱れてきているようで、腹までたってきました。
こうした新しい言葉は、世代の違うものにはどこかそぐわない感が否めませんが、これも新しい文化として日本語の中に席を占めるのでしょうかねえ。言葉は移り変わっていくものであることは勿論わかっておりますけれど、ばあさんにはやはり?マークです。誰にも理解できる美しい日本語を望みますが。
流行語に次いで出現した言葉が「子供部屋おじさん」。
学業を終え、(大学を終え)一流企業に就職し、(起業した人もいた)高収入を得ている子供が、いつまでも独立しないで、子供部屋に住み着き、親に生活全般を助けてもらって、「楽だ」「便利だ」「この生活に満足」とあっけらかんとしているのです。親の方も、もう独立せよとは言わず、むしろ一緒に暮らすことを喜んでいる節がある。親に生活費を渡している様子もなく、貯金は増えますねえ、などと何の衒いもなくいいます。さんざん親の世話になったこの若者、元気な親も老いてきますよ。老後の世話覚悟でしょうか。(疑問だな)
こんな若者で社会が成り立つのかしらん。
と言いながら、我が家の娘・息子も、結婚するまでは今、夫と私と二人が住んでいる家に暮らしていました。世田谷区内で便利なところ、幸い家も子供がいても邪魔にならない広さがありました。でも、給料の中から月3万だったか5万だったかは食費として取り上げていました。学生時代の最後、卒業旅行をするというときは、借用証書を書かせ、給料をとるようになってから月々返させました。息子がクルマを買った時も勿論です。
ケチ親というか、酷親というか、この躾は私どもの年代では当然のこと、子供もそれは身に付けていたようです。二人とも、間もなく結婚して家は出て行きました。
娘は遠く山口へ嫁ぎました。その前に名言(迷言)を吐きました。弟に向かって「私は東京の家も土地もいらんからね、あんた相続しなさい。その代り年寄二人の介護はあんたしなさいね」「自分の親が老いて、ボケてくるのを見るのはつらいと思うよ。私は嫁いでいくのだから向こうの両親を見るの。それが勤めと思えばこの方が楽かもしれん」とのことでした。
子供部屋おじさん、おばさんにはなりませんでした。