日経新聞12月20日「春秋」より。
昨日21日は昼間が一番短い冬至の日でした。東京は夕方5時にならないうちに真っ暗になります。山口県で育った私には、この早い夕暮れが何年たっても馴染みません。えっ、もう!?と驚くのです。
まだまだ今からが冬本番なのでしょうが、今日からは一日一日日が長くなると思うと心強いことです。
あと10日ばかりで、今年も暮れます。一年でたまったすすを払って、新年を迎える、「すす払い」が年中行事です。「すす払い」は冬の季語です。ここ迄は知っていました。知らなかったのは次の季語のあることです。
「すす払い」に対をなす言葉が「煤逃げ」だそうです。掃除の足手まといになるのを避け、時間をつぶすことを指すのだと。
煤逃げの人もいるらしジムの混む 須賀敏子
先生や屋根に書を読むすす払い 夏目漱石
現在では、男もこうしてはおられないですよねえ。先頭切って働かなくては!!
大掃除では、思わず見つけて見始めて、作業が止まることもある、と春秋の後半では言っています。実家にいた頃のこんな風景を思い出します。
家屋はほとんどがが日本家屋です。我が家もそうでした。部屋は全部畳敷きでした。今の家屋より床が高く、床下は外から自由に出入りできる空間になっていたと思います。畳の下の床も、土台の木材に、板を置いただけでした。
年末に大掃除をするのではなく、真夏か、秋口日和続きの時かが大掃除の日でした。畳を全部上げて、外に拝み合わせに立てて日に当てます。3時ともなると細竹を鞭にし、バンバン叩いて埃を出すのです。
一方、家の中は、床板も3・4枚ずつくらい重ねて風を通していたのを元通り敷き詰めて、畳を入れるのですが、その前に大事な手順があります。広げた板の上の畳の継ぎ目が来るところに、新聞紙などの紙を敷きます。その上に、DDTという殺虫剤を真っ白になるほどまくのです。のちにDDTは身体に害があるとしなくなりましたが。ノミ対策です。
戦後の生活で、忘れられないのが、このたたみの下のDDTと、シラミ退治のため、髪の毛に遠慮会釈もなく撒かれたDDTです。
というわけで、次、1年経ったとき、見つかるのが新聞紙や雑誌のページなのです。これが「煤逃れ」の種になるのでした。