おせっちゃんの今日2

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若者言葉に感心することも

2023-05-18 15:56:21 | 言葉

若い人が新語を使うことにケチをつけることが多いばあさんですが、何でもかんでも認めないわけではありませんよ。ああ、面白いなあと感心することもあります。若い人の新しい感覚で表現されていて、一本取られたなあ、と身を縮めることもあります。

古い話になりますが、私が教職についていた頃のことだったでしょうか、他人の欠点を揶揄する言葉に、こんな表現が流行ったことがありました。
「あいつ、ピーマンだから・・・」。
どういうことにケチをつけたのかお分かりになりますか?私は分かりませんでした。

答えは「中身は空っぽ」。
なるほど、上手く表現してるなあ。偉そうにしゃべっているけれど、中身は空っぽ、なのかあ。

私達の時代は、こんな辛辣なことも、冗談混じり、決して相手に決定的なダメージを与えることなく、最後はみんなで大笑いという幕切れになるお遊びでしたが。
懐かしく、思い出しました。

最近の若者言葉で、う~ん、これはなんとなくおおらかで、受け入れられると気に入った表現があります。自分ではなかなか使えませんが、面白いと感じています。

「まるっとお見通し」。

 


言葉が可哀想

2023-05-17 13:31:50 | 言葉

最相葉月(ノンフィクションライター)の言葉が4月3日、折々のことばに載っていました。

『言葉が可哀想で、怒りさえ覚えるほどです』

匿名の言葉が乱暴にばらまかれ、改変されて、炎上する。SNS隆盛のなか、「人が発する言葉が耐えがたいほど軽く」なっている、と。近著は、取材した135人の言葉で構成されている。人ごとに異なる切実な語りをその重さごと届けたかったからだと。

碌な文もかけない私が言うのも烏滸がましいけれど、本当に最近の言葉・・敢えて日本語というものが・・丸ごと粗末に扱われているように思うのは私も同じです。

今耳について、その度にテレビに向かって文句を言っている私です。
「無茶苦茶」という言葉です。程度が高いこと、強調して言いたいとき、この表現一つしかないのですか。話したいことのまとめより、むちゃくちゃ―――何度も何度も繰り返される―――その一つ言葉が繰り返される表現。これで話したいことが伝わるものだろうか。自分の意見が理解されるのでしょうか。

目上の人に対しても、どんな悲しみを表現したくても「無茶苦茶」です。少し前、むちゃくちゃではなく、「すごい。すご~い」一色の時期もありました。

日本語は、こんな貧しい言語ではないはずです。話す人の意思も伝わらないし、その会話で人間関係が深まるとは思えません。

人間が薄っぺらになっていませんか。


ふるさと山口の蛍

2023-05-16 14:45:11 | ふるさと自慢

リハビリ教室から帰った夫と昼食を済ませ、何気なくNHKのテレビを見ていました。今年は、これが地球温暖化の先駆けかと思わせるように季節の前倒しが多く、梅雨入りも早いのではないかと言っています。
番組では、各地の話題を紹介していましたが、運よく、山口の蛍を紹介していました。

山口の蛍は、かなり大型で、源氏蛍です。山口は小さな町ですが、「西の京」とも言われた趣のある街で、私は学生時代を過ごした街で、懐かしく、大好きな街です。

街の中を「一の坂川」という川が流れています。一時川の手入れが悪く、ホタルも消えたかと思われた時もあったようですが、その後の努力で、今は夕涼みがてら見物に出るのが楽しみなホタルなのです。

この写真は、私の作品ではありません。もう15年ほども前でしょうか、ネットで見つけて、使わせてもらったものが残っていたのです。撮影者の方、ごめんなさい。

娘のMaは、町はずれの田んぼの中の借家に住んでいますが、このブログを見たら、きっと威張って言うことでしょう。
「わが家なんか、わざわざ出かけなくても家の前の小さな川に、ホタル乱舞だよ~」と。


ノッポさん・・・ご冥福お祈りいたします

2023-05-15 14:12:52 | いろいろ

今はもう大人になっている昔子供、その子供と一緒にテレビ画面を楽しんだ大人。多くの人が思い出の小箱の中に大事にしまっている番組です。
NHK教育テレビ、(1967~1990)「一緒に遊ぼう」「できるかな」で、一切しゃべらないキャラクターとして、人気を得ていた方ですね。無言で滑らかに動きながら、スイスイと絶妙な工作を仕上げていく人気番組でした。

最終回には「あーあ。しゃべっちゃった」と初めて声を出して終わりになさったのだそうです。

2022年9月10日88歳で亡くなっていたのだそうです。NHKが追悼の番組を放送し、発表の遅れた理由を明かしました。本人が、死後半年は明かさない様にと言い置かれたのだそうです。
すぐの発表で、皆が大事にしている思い出が生々しく消されてしまうことを、す~っと消えていくように、皆さんの心の中でいつまでも宝物として残るように、気を使っていらっしゃったのでしょうか。

出演がだんだん認められて来た頃、お笑いの方々も次第に世の中に存在を認められるようになってきていたのだそうです。お笑い芸人が「ノッポさんも、こうした芸を挟んで番組を創れば、もっと売れるよ」と勧めたことがあったのだそうです。

ガンとして聞く耳を持たなかったそうです。自分の趣味に合わないのです。子どもに自分が認めないものを見せるわけにはいきません、と無言を貫かれたのだそうです。

「親の背中を見て育つ」というでしょう。子どもたちには自分がいいと思うものを見せたい。子供は見ていますよ。背中も、前もと、ぶれない姿勢を続けられたのだそうです。

安らかにおやすみください。

 


行きずりの人の他愛ない会話で・・・北村匡平(批評家)

2023-05-13 13:31:12 | 言葉

今日はいつもの折々のことば」ではなく、6日の日経新聞「プロムナード」で見つけた言葉です。旅先で交わした、何気ない言葉のようですが、私の心も打ちました。

北村氏は、大学進学というレールから外れ、確たる目的もなく無為に過ごしていた。将来に不安を感じ、なにかを求めて旅に出ていた。カンボジアのシェムリアップで、思いもかけず出会った中年のバックアッパー・・・日本でアルバイトをしながら溜まった金で旅に出ているという・・・に出会た。
「その生活って将来が不安ではないですか」と私。あごひげを触りながら微笑んで
「いや、ぼくは将来のために生きているわけじゃないからさ。なんていうか、今を犠牲にするんじゃあなくて、今を生きたいっていうか。だから、いまもし死んでも、俺は多分後悔しないと思うよ」。

公務員の家庭に生まれ、いつからか、将来のために、今は苦しくても耐えなければならないのが人生だと思っていた。今を犠牲にせずに生きること、なにかに打たれたような衝撃を受けた。その言葉はずっと心に残り続けた。

 

自分の今に責任をもって、その上で自分が道を切り開いて生きていくこと。大事なことと思います。自分で勝手気ままに選んだ道は谷底を迷い歩くような時があるかもしれない。でも自分が自分に責任をもって、強く歩むこと、一つの人生行路ですね。