今回の原発事故で、原発是非の動きが世界で広がっています。
ドイツとフランスなどの動きは様々ですが白黒つける動きがはっきりしていますね。
今日のテレビで、アメリカの銃社会についてやっていました。
銃の所持が自由な国アメリカでは、年に1万2000人以上が銃によって殺されている。
規制するどころか、かえって事件が起こるたびに銃が売れるのだというから呆れます。
西部劇時代からの風土ですね。自衛手段という考え方です。
もっと身近な事例としては車があげられます。
自動車が発明され出回って100年、今では世界に溢れる不可欠の文明の利器ですね。
その間の車による事故死者は累計1億人を上回ると言われています。
しかし、車をこの世からなくしようとする運動とか意見は聞いたことがない。
誰が考えても、世の中が回らなくなるのが目に見えているからですね。
今更車をなくすることなど出来るわけがない。
それで今回の原発事故で死者が出ましたか、これまでにも日本の原発で何人死にましたか。
原発肯定論者の常套意見ですね。
つまり、費用対効果、利益対被害というわけです。
それを言われると・・・返答に困る、難しいところです。
でもいつかはこうした大事故が起こらないとも限らないし、避難をさせられる住民にとって不条理極まりない仕打ち、子々孫々にまで影響も・・・
収まったにしても、莫大な放射性廃棄物の処理、廃炉には数十年かかるといわれます。
被災地の補償から汚染地帯の除染、表土の処理など気が遠くなることです。
原発の開発建設にかけてきた費用をもってすれば、代替手段も不可能ではないと思います。
過去に廃炉の例が無いし、放射性廃棄物の処理方法、核燃サイクルの可能性もかなり心もとないとなると、後々にかかる費用や期間は途方もなく大きいのです。
何もかも始末を後世に委ねて今をやり過ごしていくことになるのではないか・・・
長い目で見て次世代にかけての方向性を日本も、真剣に白黒付けていかなくては。
そもそもは今回の事故被害は、これまでの原子力政策を進めてきた当時の政財官学の責任だと思うのです。もちろん国民一人ひとりにもその一端があるでしょう。
ましてや菅さんの責任にして、辞めさせれば片付くようなことではないですね。
写真は朝顔の種まき(1カ月前)