じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
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少しは擁護も

2011年06月19日 | 日々のこと

東電の現場社員が次々に被曝限度を越えて問題になり、政府も原子力安全保安院も

「極めて遺憾だ」としきりに言っている。

一方では1日も早く復旧せよ!との指令を出している。

一事から万事にかけてメディアの厳しい批判にされされ続ける。

収束させること、それは言われずとも当事者には知れたこと、喫緊の命題である。

 

恐らく多量被曝者は現場作業責任者など要職者だろうと考えられる。

それも当初の混乱の中で、状況が把握できない中の探索作業中に浴びたものに違いない。

今現在も放射線を浴び続けながら、現場で必死に事に当たっている作業員はたまったものではない。みんな逃げ出したいところを踏みとどまって頑張っているのである。

 

東京のほうからあれこれ批判されるのはどんなにか腹立たしいことだろう。

私も昔、多少とも大企業の製造現場で色々なトラブルに遭遇し対処してきた経験がある。

緊急停止には対応できても、いわゆる想定外の事態に人間は完璧な行動など出来ない。

ましてや、すべては魔物のような放射能が仕業である、これからだってそうであろう。

過去に経験の無い初めての処置作業なのだから、机上の工程表通りに行くわけがない。

 

世界の叡智と技術を結集しても短期の収束は無理、限界がある。

気の遠くなるような大量の放射性廃棄物の処理処分方法は見当も付かない。

深刻な事態はまだ当分続くのだろうけれど、批判やクレームだけでは解決しない。

人間の傲慢にしっぺ返し、立ちふさがっているようにさえ見える。

 

被災地に立地していた自動車部品とか他の大企業は、予想以上に早い回復を賞賛されているのに比べて、福島第一の現場と復旧に当たっている人々は何と悲惨なことだろう。

遠く他事ながら、東電だけを悪者にするのは筋違い、忍びがたい思いである。

1106151

コメント (4)
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