じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

母の日に思う

2018年05月13日 | 日々のこと

母親は大正元年4月8日生まれでしてね、お釈迦様と同じと覚えています。

(正確には明治45年になるのでしょうか、、、母からはいつも大正元年と聞かされていた)

 

現代ならば小学5,6年生にもいるような小柄な体格でした。

戦前戦中、産めよ増やせよの時代、5人の子を産み育てました。

世の中皆がそうだったとはいえ過酷な生活だったことは言うまでもありません。

 

当時の農家は、いわば江戸時代とさほど変わらない、ほとんど人力でしたからね。

稲作だけでは現金収入が限られ、葉タバコや野菜、乳牛、ヤギ、綿羊、小規模養鶏等々、

早朝から夕方暗くなるまで休む間もなく働いていたのを覚えています。

 

戦後、時給自足で一応食べるものには困らなかったようですが、

肉や魚にはありつけなかったものでした。

もっと困っていた家庭もあり、栄養失調の子供たちも多かった。

 

ガスも水道も、炊飯器も洗濯機もなかった時代、、、

全ての煮炊きや風呂は薪と井戸水であったし、洗濯物も手洗い、、、、これも江戸時代じゃ

それだけでも大変な労力であったことは想像に難くないが、全てが農作業の合間に

こなしていたのです。

 

だが、働きすぎて早死にすることはないのですね。

母親は強し、99歳の天寿を全うしました。

 

私は何を恩返しできたでしょう・・・・何もない。

子たちが足を踏み外さず、心配をかけることなく来られたことくらいかな。

命を頂き、恵まれた時代を生かさせてもらったことに感謝する日である。

 

 

マイントピア温泉のついでにシャクヤク祭りに寄って、藁炙りカツオを買ってきた。

雨にも関わらず大勢で賑わっていました。

愛南町の新鮮カツオはやはり美味しいのです。

 

コメント (11)
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