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諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

195 近未来からの風#31 OECDと教室の間

2022年12月11日 | 近未来からの風
秋の山で 近くの低山で

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省


第7章 国際的なカリキュラム課題への対応

前回までカリキュラムのオーバーロード問題の対応へのアプローチとして2つの見解をまとめてきた。今回は、そのアプローチの続きと、カリキュラムの運用への提言をまとめていく。近未来への教育は、どうカリキュラムというかたちに落とし込めるのか。

1 カリキュラム・オーバーロード(続き)
カリキュラムのオーバーロードについて、
第三のアプローチとして、学習テーマを実社会・実生活上の様々な課題に結びつけることとしている。

より少ないコンテンツであっても、様々なことを学ぶことができるようにする取り組みがある。例えば、北アイルランドでは、統計に関する学習に際して、単に統計を学ぶだけでなく、社会的・経済的な課題と関連付けようとしており、軍事への支出と債務の返済のどちらを優先するべきか、とか、リサイクルに要するコストと便益をどう分析するか、といった様々な課題を扱うように工夫している。

続く第四のアプローチは、現場関係者への啓発である。

より生徒に近い立場にいる学校や教師に、カリキュラムという課題に対して、その実態を最もよく把握する立場にいる教師自身が裁量を発揮することで、柔軟かつ、迅速な対応が期待される。また、このことは、カリキュラムの実施に関して、教師がエイジェンシーを発揮していくと言う事でもある。

さらに、第五のアプローチは、参加意識の形成である。

カリキュラムの段階から、教師や各教科の専門家を巻き込み、その意見踏まえたカリキュラムを作ることである。各分野の専門家は、どうしても自らが関わる教科や分野を手厚くするように求められがちであるが、カリキュラム全体の構造や、オーバーロードの状況を十分に理解してもらうことで、より現実的で妥当な解決策を作り出していくことが期待される。

最後、第六のアプローチである。

カリキュラム・オーバーロード問題への対応を、教育関係者だけでなく、より広い利害関係者を巻き込んでいくことである。カリキュラム・オーバーロードの問題の一般的な構図としては、全体としてのオーバーロードを抑制し、各国教育省と、それぞれの個別的なニーズを主張する利害関係者との間での対立や利害調整といった構造が生じがちである。しかしながら、カリキュラムの開発段階から利害関係者との議論を深めることで、オーバーロードを含めたカリキュラム全体の設計制度設計についての関係者の理解が深まり、効果的な解決につながることも考えられる。

以上6点が、OECDで出されたカリキュラム・オーバーロードへの対応の方向性であるという。

ここで少し驚くのは、これらの提言は、日本国内でのカリキュラムに関する議論や、カリキュラムを取りまとめていく手続きのあり方、そしてそこで生じる諸問題をそのまま擦るように、各国共通の課題であったと言うことである。
何処も実にリアルにこれらの問題を感じていたのである。

そしてこのことに言及しつつ、白井さんは日本のこれまでのオーバーロードへの取り組みをコラムの中で紹介している。

文部省(当時)が、1998年・ 1999年に改定を公表した学習指導要領は、その後、メディア等においては「ゆとり教育」と呼ばれ、社会的な批判の対象になった。ここでは、その批判の当否については、論じないが、現在、「カリキュラム・オーバーロード」が国際的な共通課題となっており、各国が増大する一方のコンテンツをいかに抑制・削減しようかと苦慮している中で、日本における当時の学習指導要領は、逆に注目を集めている。(中略) 20世紀末の時点で、日本が大幅なコンテンツ削減を実施したことについて、今ではむしろ、OECDや諸外国からも注目される先駆的な取り組みの例となっているからである。

このように「ゆとり教育」は、今日的課題の先取りとして当の日本でも貴重な経験として再認識するべきなのであろう。
そしてまとめとして、白井さんは次のように述べている。

今後、各国がカリキュラム・オーバーロードの問題を考えていく中では、カリキュラムを減らす際の、「減らし方の原理」であるとか、「減らすための方法論」についての原理・原則を確立していくことが求められるだろう。

たぶんこれは差し迫った問題に違いない。かつて学問領域が細分化し、それぞれに専門分野が広がる中で、評論家の立花隆さんは、“学問工学“のようなものが必要だと述べた。教えるコンテンツは急速に増えているのである。その中で従来から言われている教育内容の精選と言うことを、どこまで合理性と説得力を持った形で実現していけるのかと言うことが問われてきているのであろう。

2 カリキュラムの効果的な実施
この項は、カリキュラムの実施を阻害している他の要因を挙げながら円滑にそれを実施できる方策を考えている。
会議では「一般に、カリキュラム改革がうまくいかないことの主要な原因」として、次の3点をあげている。

・カリキュラム改革の内容が革新的・野心的なものにかかわらず、実施までのスケジュールが現実的でなく、教師を始めとしてカリキュラムの実施を担う人材に対する十分な投資が行われていない。
・カリキュラム改革の内容が、教師の養成や研修、学習状況の評価や試験の内容など、他の教育システムと十分に整合していない。
・様々な利害関係者が、カリキュラム改革の当事者として、適切なタイミングで関わっていない。


やや抽象的だが、どれも重要なことがわかる。もう少し具体的な表があげられているので、ページ末に引用しておく。
ところで、子どもたちと教師とが対峙しながら進めていく教育活動は常にライブ的である。
一方、教育行政が教育に加わるためには、教育活動への理念を策定し、各専門家チームによってコンテンツが設定させ、それに対する教授方法が検討され、これらの妥当性を評価するなどに時間を要する。
しかし、この過程を経て表れたものが、必ずしもそれが全国の個々の教室でライブの中でいきいきと表されるかは、現場の意識にもよる。
このジレンマは、公教育の原理的な課題と言えるだろうが、近未来への変化はますます早いレスポンスを求めてくるのだろう。今回のこの会議で、そのことが改めて表面化してきている。 

そして、このジレンマへの方策として、いくつかのアイディアが示されている。

カリキュラムに関する分権化を進めると、居住する地域や通学先の学校によって、生徒間での公平が担保されなかったり、学力に差がつくといったことが生じかねない。また、地域や学校の権限を広く認める場合には、政府による国レベルでの政策の実施が円滑に進まないことにもなりかねない。結局のところ、トップダウンとボトムアップ、あるいは国等のレベルでのカリキュラム統一性と地域や学校レベルでの柔軟性といった軸の間で、適切なバランスを考えていくことが必要である。また、カリキュラムの効果的な実施を考えていく上では、カリキュラム作成に着手した早い段階から、教師を始めとした関係者を巻き込んで、その理解を得ながら実施していくことも重要である。

としている。いずれにしても、当事者意識というのがキーワードになる。この具体的な取り組みとして、ニュージーランドで行われた教師や保護者、行政機関や地域団体、企業等を巻き込んだ、国民的な議論の例や、教師のネットワークを構築して、そこから草の根的にコミニケーションを進めていくことといったカナダやブラジルの例、カリキュラム改訂のスケジューリングを明確に示していくエストニア、中国、日本の例などが示されている。
いずれにしても、教育のあり方改革は、それぞれの立場が議論を尽くし、その必然性を内面化させていくと言うプロセスが必要なことも原理的な必然といるのだろう。

そして、カリキュラム運用上の課題として、最後に「タイムラグ」の問題を取り上げている。

3 カリキュラムにおけるタイムラグ

カリキュラムが策定されたとしても、それが各学校や教室において実施されるようになるまでは、教師による研修や教科書、教材の準備など、通常数年の時間を要するのであり、それまでの間に状況が変わってしまう場合もある。こうした問題を総称して、「タイムラグ(time lag ; 時代遅れ)」と呼んでいる。

そして、変化の激しい時代において「後追い」が指摘されると言う。

例えば、近年、AIが注目されるようになってから、数学やプログラミング等の重要性が指摘されるようになってきたが、そうした指摘は、AIの発達に伴った、いわば、「後追い」の指摘に過ぎない。

そして、これらの問題に対する処方箋として、カリキュラムの分権化によって、現場の判断が優先されることで、迅速なカリキュラム作りが可能だとしたり、カリキュラム策定に至る手続きやサイクルを明確化することで「あらかじめ次の手続きが何かを予見することができていれば、必要な準備や心構えをしていくことが容易になると考えられる」と言う原則などが挙げられている。いずれにしても、

最後は、各学校は、どのようにカリキュラム改革を受け止めて、それを実施していくかと言うことになる。タイムラグを埋めるっていくために、いかに学校や教師一人一人が迅速、的確に対応できるかは、各学校のリーダーシップと支援による雲が大きいのは当然である。

と言うのは、至極当然と思わざるを得ない。

以上、ここで実質的なOECDの教育の未来への提言は終わりである。

次回は、著者の白井 俊さんのまとめを読む。



※上手にスキャンできず失礼!


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194 近未来からの風#30 オーバーロードの重荷

2022年12月04日 | 近未来からの風
秋の山で

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第7章国際的なカリキュラム課題への対応。

この会議では、国際的なカリキュラムの課題として、カリキュラム・オーバーロードについて第一に挙げている。白井さんは、この問題の所在を次のように整理する。

(1)問題の所在
オーバーロード(overload)とは、「過積載」や「過重負担」といった意味で使われる言葉である。典型的な場合としては、すでに荷物で満載のトラックに、さらに多くの荷物を積載しようとしている状態がイメージやすいだろう。一般に、カリキュラム・オーバーロードは、カリキュラムにおいて、学校や教師、生活に過大な負荷がかかっている状態として理解されている。

そして従来からあるこの問題に、

急速に変化する現代社会においては、カリキュラムに対する社会からの要請は、より一層強いよいものになっているだろう。
実際、生徒が学ぶべき事柄は、増大の一途をたどっており、それ故、多くの利害関係者も、より多くの内容を教えるべきと主張している。


その結果、

アメリカでは、カリキュラムが「幅1マイル、深さ1インチ(mile wide、inch deep)」と揶揄されているというが、実際、とりあえず授業の中で少し触れたものの、本質的な理解にはつながらないと言う状況は、程度の差があっても、多くの国で生じている現象であろう。

ただし、

学習時間が有限である以上、「深さ(depth)」と「広さ(widthあるいはbreadth)」は常に相反する関係に立つので、カリキュラムをデザインしていくうえでも、この両者のバランスには常に配慮しなければならないのである。

ではいったいオーバーロードとはどんな状況か、またそれが計り得るものなのだろうか。

①オーバーロードの判断
教師や生徒の経験や能力、適性などによっては大量の内容であっても、十分に消化できる教師や生徒もいれば、そうでない場合もあるだろう。

カリキュラムにおけるコンテンツの増減を数量的に評価することを難しい。実際、カリキュラムが簡潔で短いものだからといって、必ずしも内容が少ないわけではないし、反対に、カリキュラムの分量が多いからといって、必ずしも内容が多いとも言い切れない。


つまりこれまでオーバーロードの現状は漠然としたものとして把握され、したがって具体的な手立てできにくかった言うことなのであろう。

②オーバーロードの背景
その具体例として、

ノルウェーからは新しいニーズに応えるためのコンテンツが追加される一方で、既存のコンテンツはそのまま維持されるため、結果的にカリキュラム全体が肥大化する傾向にあるとの指摘が出ている。

韓国では「教科書文化」が根強く、教科書に記載されている事項は全て教えるべきだと言う保護者の期待があると言う。そうした保護者からの期待の背景には、試験を重視する文化的背景もあるようだが、そうした教科書や試験重視の文化が、結果的にカリキュラムを減らすことに対する慎重意見となり、オーバーロードにつながっていると言うのである。

チェコにおいても、保護者から教師に対してカリキュラムの内容をもっと拡大するように要望があり、結果的に正規のカリキュラムに、さらに内容を付加して実施される場合もあると言う。


各国のその現場の様子が見えるようである。
もともと、ICTなど技術革新が進む近未来に向けて、新たに必要なスキルが増大する一方で、それを下支えする高い認知的スキルが求められ、また、主要なコンピテンシーについても、キーコンピテンシーとしてのいわゆる人間力と言う形で重視せざるをえないわけなので、カリキュラムの内容は増大する構造がもともと背景にはある。

さて、こうした分析を踏まえて、会議では、このオーバーロード傾向に7つのアプローチを提示する。

第一のアプローチは、「カリキュラムの中でも、特に各学問分野の原理や原則に焦点を当てて、ある種のメリハリをつけていくもの」で、第二のアプローチは、「各教科における本質的な思考の方法や視点、考え方に焦点を当てていくこと」という。

コンテンツの詳細を積み込むことに終始するのではなく、教育内容を1つの大きな価値の体系の中で捉え、その意味付けを十分に抑えることによって、過積載とも思われるそれぞれのコンテンツを統一して認識するべきだ、と言うことである。

アメリカでは、科学分野でのノーベル賞受賞者を輩出する一方で、初等中等教育は脆弱だと言われている。(中略) 仮に、卒業に至っても、教科についての十分な理解を伴わないまま卒業しているケースも多いと指摘されている。そうした状況を憂えたアメリカの科学者たちが、同国における公教育を改善するためにどうしたら良いか議論し、たどり着いたのが「8 +1」という考え方である。

この知見は会議でも注目されたようなので、その関係図をそのまま上げておく。(ページ末)

図7-3の見出しは「科学における根本原理『8+1』 」とされており、序文では、「科学とは何か、科学とは何のためにあるのか」という問いが記されている。この「8 +1」に通底するのは、「私たちが知っていることを、どのようにして知ることができるのか」という問いであり、「+1 (プラスワン)」に相当する探求(inquiry)の視点である。「8 (エイト)」の部分は、①モノは何からできているのか、②システムはどのように相互作用したり、変化するのか、という2つの問いに分けられる。

こうした構造図を頭に入れることによって、

教師もまた生徒も、こうした根本的な原理を理解し、必要に応じてこれらの原理に立ち返ることで、数多くの細かい知識にとらわれるのではなく、科学における重要な概念を理解することが期待されるのである。

また別の例として、

ニュージーランドでは、各教科に「キー・コンセプト」を設定している。ニュージーランドにおける「キー・コンセプト」については、「生徒が学校を卒業し多くの詳細な内容を忘れてしまった後でも、なお生徒の中に残ることが期待される考え方や原理についての理解である。(…中略…)このキー・コンセプトを探求し、その範囲の広さや深さ、そこに付随する、微妙な意味合いなどを深く理解するとともに、意味が常に一定でないことも理解し、人によって異なる視点から、これらの概念をとらえることについても学習するには、時間とそのための機会が必要である。様々な方法で働きかけ、また異なる状況下で、比較的短時間のうちに、このようなキー・コンセプトに触れることによって、生徒は理解を深め、その概念を自分のものにしていくのである」(田熊・秋田、2017)とされている。

こうした考え方は、現行の日本の学習指導要領にも導入され、各教科の「見方・考え方」につながっているという。

現場で教えていると、教えるべき末端の内容をおさえると言う発想からその知識、内容群が総体としてどのような意味を持つのかなどについては後回しになりがちである。しかし「学校を卒業し、多くの詳細な内容を忘れてしまった後でも、なお生徒の心に残ること」は、きっとその根本原理や考え方の構造だったりするのであろう。それが卒業後の何らかの発想の源になるはずである。

以上、この回だけではまさにオーバーロードになるので、第三のアプローチ以降は次回にしたい。







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193 近未来からの風#29 OECDからカリキュラムへ

2022年11月27日 | 近未来からの風
秋の山で 晩秋 硫黄岳東斜面を望む

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
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OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第6章カリキュラム分析とデザイン原理

ここまでは、2030年までの教育のあり方について、近未来に向けての大局的な観点で、そのビジョンが示せれてきた。
この章以降については、それを実際のカリキュラムにどう落とし込んでいくのか、について述べられていく。

こうした国際会議においては、各国に落とし込まれるカリキュラムについての議論は、必ずしもこれまで活発には行われてこなかったようである。「ほとんど行われてこなかった」と白井さんは述べている。
各国の手続き論が先行される面が強いことが想像できるから、議論の仕様がむずかしいことは理解できる。

DeSeCoの場合には、コンピテンシーの論理的枠組みの構築に力が注がれたが、その一方で、カリキュラムや指導法など、具体的な教育政策、教育実践に移していくための橋渡しが十分でなかったことがある。

その背景には、

一般に、カリキュラムの策定に関しては、教師、生徒、保護者といった直接的な利害関係者だけでなく、企業や業界団体、NPO団体を始めとした様々な団体が、それぞれにとっての重要事項をカリキュラムに盛り込むことを求める傾向にある。例えば、金融業界は、金融協会の充実を求めるし、法曹界であれば法教育、ICT関連業界であれば、情報・ ICT教育、環境保護団体であれば、環境教育の充実を求める事は、ある意味で当然である。各国のカリキュラム策定者は、こうした多様な社会的ニーズをカリキュラムの上でどのように扱っていくかを考えなければならない。しかしながら、学校教育の年限も、年間の授業時間も限られているし、教師や生徒にも過密の内容を求めることができない以上、カリキュラムにどのような内容を盛り込むかと言う検討は、慎重な舵取りが必要であり、利害調整を伴う、政治的なプロセスとしての側面を持つことになる。そのため、プロジェクト開始当初は、各国の教育上からは、カリキュラムを国際比較の対象として取り上げることについて、消極的な反応が示された。

国際的な比較にさらされる中で、それぞれの国内における政治のバランスの上に作られたカリキュラムを壊してしまうことへの懸念である。


この辺の機微については、本ブログの趣旨からややそれし、ますます手にあまるので、本章のプロットを示し、内容のアウトラインとして参考になればとおもいます。若干の引用は補足の意図です。

1 カリキュラム分析の手法
 多くの国がカリキュラム・オーバーロードの問題に直面している中で、生徒が必要なコンピテンシーを身につけるために、どのようなアプローチをとるべきかについて、各国が模索している状況であった。

(1) カリキュラムに関する政策質問表調査(PQC)

(2) カリキュラム・コンテンツ・マッピング(CCM)、
 政策レベルで参考にできる資料が作れないかと考えて、筆者(白井さん)がOECD事務局勤務時に提案したのが「カリキュラム・コンテンツ・マッピング(Curriculum Contents Mapping;CCM)」である。
① CCMの基本的な考え方
② CCMの方法論
(CCMについは、かなりの労作で、突き詰めていくと学習指導要領の随所に影響を与えているものであることがわかるはずです。本書でも全部は紹介されていない。)

2 カリキュラム分析の3つの局面
 各学校が「教育課程」を策定するうえでの基準になるのが、「学習指導要領」である。これに対して、「カリキュラム」という言葉は、一般に「教育課程」より広義に解されており、「計画レベルだけでなく、実施レベル、結果レベルまで含むものをある」と考えられている。

当然であるが、政府機関等がどれほど理想的な「(1)意図されたカリキュラム」を策定したところで、それが円滑に実施されないことには画餅に終わってしますことに留意する必要がある。

(1)「意図されたカリキュラム」
イギリスのように、国が定めるカリキュラム(ナショナルカリキュラム改革)は、学校のカリキュラムの5割程度を想定しており、残る5割は、学校の裁量の中で決定していくという方法もある。しかしながら、カリキュラムの統一性を緩めれば緩まるほど、地域や学校ごとのカリキュラム格差が生じていくこともことにもなる

(2)「実施されたカリキュラム」
 「意図されたカリキュラム」と「実施されたカリキュラム」との間の乖離についは、各国における共通の課題として認識されている。

(3)「達成されたカリキュラム」
 測定しやすい学力は、デジタル化・オートメーション化されやすい学力である。ペーパーテストで簡単に測れる学力をつけたところで、それだけでは、必ずしも教育目標を達成したことにならない。

3 カリキュラム・デザインの基本原理
(1)「意図されたカリキュラム」のデザイン原理
 ①一貫性
  「順序立て」
 ②厳格性
  「発達段階」、「やる気」、「深い思考」
 ③焦点化
  「内容をなるべく少なく」「学習の深さや質のあげるべき」
 ④転移可能性
  「スキルや価値観及び態度などの役割」の明確化
 ⑤真正性
  「現実社会との関連づけ」「学問的な原理(ディシプリン)に基づいた知識」

(2)カリキュラムの実施の原理

(3)カリキュラムのデザインに際しての留意点
  カリキュラムの主要な担い手である教師の状況を踏まえたカリキュラムのデザイン
 ①整合性
 ②教師のエイジェンシー
  教師が、教育の専門家として、知識やスキル、専門性を発揮して、カリキュラムを効果的に実施していくこと
 ③策定への参画
  初期段階から策定にかかわること。実施段階においても「自分ごと」として意識が醸成される。

以上、駆け足での概要を紹介した。これまでも何回か学習指導要領を読んできたわけだが、この章は、まとめ上げる実務の重さのようなものが漂ってくる。

次の章でも、カリキュラムのオーバーロード(教育内容の積み込み過ぎ)という現実を考える。

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192 近未来からの風#28 寛容性と責任感の普遍

2022年11月20日 | 近未来からの風
秋の山で 11月 松原湖

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
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OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第5章 2030年に求められるコンピテンシーとその基盤(つづき)

この第5章は、改めてOECDのキーコンピテンシーについて解説している。
あのラーニングコンパスの中心部分である。

前回は、その1つ目、(1) 新たな価値を創造する力、部分を読んできた。
今回は、
 (2) 対立やジレンマに対処する力
 (3) 責任ある行動をとる力
について考えていく。

ただ、興味深いのは、(1) 新たな価値を創造する力、ではたびたびイノベーションとか、変革への意志と柔軟性など、勢いや新しさを求めた面が強かったのに対して、今回の(2)、(3)では、こうした力強さとは違うトーンを感じるのである。そのことを最後にまとめてみる。
今回も私なりの部分を引用をしていきながら進める。

(2) 対立やジレンマに対処する力

交流の機会が増え、また交流が密になるほど、その場かぎりでの表面的な付き合いだけでは済まされずに、一定の対立やジレンマ、トレードオフの関係が生じてくる事は必然とも言える。そうした場合には、単に対立やジレンマを回避したり、先送りするだけでは解決につながらない。関係者が納得できるような解決策を見つけ、折り合いをつけていくことが必要になってくるのである。

VUCAが進行する時代においては、様々な事象がよりいっそう複雑に関係しあうようになる。そのため、対立やジレンマが生じた場合でも、特定の「唯一解(single solution)」を見つけようとしたり、あるいは、もっと単純に「Aか、Bのどちらにするか」といったように与えられた選択肢から選ぶだけでは、問題の解決につながらない場合がますます増えてくるだろう(OECD、2019)。

対立やジレンマを解決していくためには、物事を様々な観点から見ることが求められるし、あるいは、物事の見方が異なってくる場合には、そうした問題の背景に何があるかを認識することが必要になる。そのためには、認知的柔軟性(cognitive flexibility)や他者視点の獲得(perspective taking)が重要になる。

国際間のグローバル化だけでなく、個人主義的な生活様式が進む中で、人権意識を高め、様々な状況や心情の他者と「新しいアイディアを生み出すきっかけ」にもなりうる関係性をつくることが重要だといっている。

(3) 責任ある行動をとる力

ここで含意されているのは、「(外部からの介入なしに)自分で決められること」である。もちろん、その事は重要であるし、否定するべき理由は全くない。しかしながら、今後2030年に向けて、様々な物事が複雑化して相互に絡み合っていく時代に、自分自身のことだけでなく、他者や地球環境などを含めた社会全体におけるウェルビーイングを実現していくためには、「自分で決められること」を大切にするだけでは、十分ではないとも考えられる。
重要なのは、自分自身のウェルビーイングだけでなく、他者のウェルビーイングであるとか、社会全体のウェルビーイングといったことも踏まえた上で、行動していくことである。その際に重要になるのが、「責任(responsibility)」と言う概念である。すなわち、自らの行動について、自分自身だけでなく、他者や社会にとっても責任を取れるものとしていくことが重要であることで、これから「責任ある行動をとる力」と言う「変革をもたらすコンピテンシー」が導かれることとなったのである。

実は、この後に「責任ある行動をとる力」のコンストラクト(構成要素)が沢山あげられているのだが、教育要素の総力の結果のように感じる。それだけ新たな時代は、健康な意識の強さが必要なのだろう。


ところで、考えれみると、(2)、(3)の内容は、表現において「今後ますます」とか「VUCAが進行する中で…、」などの表現があるものの、従来からの教育が重視してきた、「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合うこと」や、「自主的に、主体的に、責任を持って行動すること」と大きな変更がないようだ。読みながら意外性がない。
この2つの事は、日々学校で、教室で、私たちが腐心している部分でもある。
そして、そのことを裏付けるように、白井さんは次のようにまとめる。

以上、3つの変革をもたらすコンピテンシーについて見てきたが、これらに共通するのが、とりわけAIが普及する時代において、いずれのコンピテンシーも、人間にとって固有の力であると言うことである。例えば、「対立やジレンマに対処する」するためには、複雑で曖昧な文脈や状況を読み解き、理解することが求められる。しかしながら、少なくとも現在のAI技術レベルでは、常に変化し続けるような不確実で曖昧な状況に対処したり、新たな価値観を創造したり、目標の変化に柔軟に対応していく、といったアルゴリズムに落とし込む事ができない事は解決できない。だからこそ、これからの教育には、とりわけ人間にしかできない力を身に付けられるようにしていくことが求められるし、ここで示されている変革をもたらすコンピテンシーも、正しく人間として求められる力なのである。
これからの教育には、これまで以上に、こうした人間固有のコンピテンシーの育成に注力していくことが求められるのであり、その基盤としてのカリキュラムの重要性が改めて認識されるべきだろう。


そして続けて、

例えば、「新たな価値を創造する力」にしても、それにつながる知識やスキル、態度及び価値観は、芸術など特定の教科だけで教えられると言うものではなく、国語や数学、体育など様々な教科において横断的に教えられている。また、これらのコンピテンシーは学校だけで学ぶものではなく、家庭や地域も、生徒にとって重要な学習の場であることも留意する必要がある。

「教育の未来」を提言する国際会議で、各国の専門家が、逆に従来の学校教育等の中の普遍的なところ指摘しているのである。


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191 近未来からの風#27 価値の発見者の育成

2022年11月10日 | 近未来からの風
秋の山で6 八ケ岳山麓と空

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
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OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省


第5章 2030年に求められるコンピテンシーとその基盤
 
多分、各国の学校教育等のあり方は、見通せる未来のマップを想定して、子どもや教育の状況、社会の傾向、政治情勢、経済評価などを踏まえ、コンテンツを提示してきたはずだ。
だが、未来が曖昧にしか見えないと、地図やその他の条件も示しきれないまま、子どもたちに脚力(エイジェンシー)と、考えられ最高のコンパス(コンピテンシー)を持たせることに教育の重点が移つされるということになる。
そのことに国際会議の各国が同意し、共通認識されること自体、元来、お国柄や個々複雑な国情を映し出してきた教育のこれまでのありかたをかえつつあると言えるだろう。教育のグローバル化は、どの国にとつても、未来のビジョンが見えにくいこととつながっている。
学校は、統治者が統治機構を経て、国民が国家の「維持・発展」に資するように管理してきた面がある。それに対し、個人の教育要求と折り合わないとして、国民の側とそのあり方についてせめぎ合いが生じる。こんな構造があるわけだが、この会議では、今後の教育は、「変革をもたらすコンピデンシー(能力)」がテーマだといっているのである。

「変革」は統治そのものを危うくする面すらあるし、一人ひとり違った素朴な個人の教育要求ともマッチしにくいはずである。
これが成り立つのか。
そんな観点で、この章を見ていこう。
「変革をもたらすコンピデンシー」
を支える3つの力
 ・新たな価値を創造する力
 ・対立やジレンマに対処する力
 ・責任的行動をとる力

1 変革をもたらすコンピデンシー

(1)新たな価値を創造する力

イノベーションと学校との関係を考えていく記述の一部を抜粋する。

イノベーションを起こしていくために重要なのは、「現状(status quo)に疑問を持ち、他者と共同しながら、既存の枠組みにとらわれずに考えること(think outside the box)」(OECD、2019)である。この事は一見当然のように見えるが、古典的な学校像を前提にすると、これとは正反対に、「決まったことに疑問を持たず、自分一人で、既存の枠組みの中で考える」ことを重視する傾向があったかもしれない。しかしながら、それではイノベーションにはつながらないだろう。また学校教育において、いくらイノベーションが大事だと強調しても、これまでの教育システム全体が、必ずしもイノベーションを促進しようとするものではなかったかもしれない。

また、実際に起業したり、イノベーションを起こしたりして社会に大きな影響与えた人の中でも、学校での成績が悪かったり、場合によっては学校ドロップアウトしている人も少なからず見られる。すなわち、イノベーションが教育の「副産物」として生まれるどころか、もっとひどいケースでは、「教育に反して」とか「教育にもかかわらず」、イノベーションが生まれてきた場合すらあるとして、批判的に見られる面がある(OECD、2017b)。

古典的な教育とは反対に、「現状に疑問を持ち、他者と共同しながら、既存の枠組みにとらわれずに考えること」につながるような教育に変えていけば良いのである。

そのためには、生徒一人一人が柔軟に発想していくことができる機会を作っていくことが重要である。

この「新たな価値を創造する力」を構成するコンストラクトとしては、どのような様子が考えられるのだろうか。まず必要となるのは、生徒が新しい物事に積極的に関わっていこうとする意志や態度であり、例えば、しっかりとした目的意識(sense of purpose)や好奇心(curiosity)を持っていること、いろいろな考え方に対して開かれた考え方(open mindset)ができることが重要になる。また、そもそも現場にすっかり満足してしまって、その改善しようとすることができなければ、新たな価値は生まれてこない。その意味では現場を客観的に捉えようとする批判的思考力(critical thinking)や新しい解決策を考えるための創造性(creativity)も必要になるし、複雑な問題に対しては、様々な観点からアプローチすることが必要になるため、自分だけではなく、多様な他者と共同すること(collaboration)も求められる。さらにそうした解決策がうまく機能しているかどうかを判断するためには新しい発想をどんどんと試してみる俊敏性(agility)が必要になる。もっとも、新しい取り組みをする事は新たなリスクを生み出すことにもつながるから、新しい取り組みによって生じるリスクを適切に管理していくこと(manage risks)も求められるまた、そうした際には、新しい考え方や発見に基づいて、自らアプローチを柔軟に変えていく適応力(adaptability)も必要になってくる(OECD、2019)。


ここは哲学的に面白い。
「新たな価値を創造する力」と言いつつ、既存の価値観を基盤にする面の強い学校で実際にイノベーションを促進する者を育成できうるのか、とういう計である。
そもそも法に基づいた学校は標準的な内容を求められるとイノベーションは遠のきそうだが、一方で既存の価値観は無視できないし、「標準」がマイナスとは誰も言えない。
そして、そもそも「新たな価値」は誰も知らないわけだがら、条件や方法論あったにしても近似値に過ぎない。
教育は経験科学、という表現はちょっと懐かしいが、経験のないところでどう価値を創造する教育を設計できるのか。
など、抽象的なこんな理屈ではとらえきれない。
間違いなのは粘り強い検討と、解ききれない課題に向かい続ける情熱であろう。

次回、「対立やジレンマに対処する力」「責任的行動をとる力」に続く。



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